▽前回のあらすじ
クリスタル・マザーを狙い、特急列車内で女王を監視する快斗。なぜか女王は向かいで笑う花梨を注視していた。捜索中、フィリップ王子と猫のシーザーが現れるが、花梨はメニューで顔を隠し、必死に王子を避ける。だが王子の口からは、花梨を「Myra」と呼ぶ親しげな言葉が漏れ……。
第169話
シラナイ。
王子の声に花梨の肩がビクリと揺れた。
「ねえねえ、お兄さん!」
「あん?」
「お兄さん、もしかして……」
フィリップ王子は快斗の腕を引いて、メニュー表で顔を隠す花梨と、シーザーと戯れる青子に聞こえないように、こっそり耳打ちする。
「怪盗キッドでしょ?」
「へ?」
快斗の身体が一瞬硬直した。
「じょ、冗談はやめてくださいよ、王子!!」
「なーんだ、ちがうの? ボク、宝石の隠し場所知ってるのに……」
「え?」
「でも、教えてあげなーい♡」
慌てる快斗に王子は満面の笑みを向け、すうっと鼻から大きく息を吸い込む。
『――Myraが笑ってくれたら教えてあげるけど、どうする?』
「は?」
――なんだって……?
目を細めて告げるフィリップ王子の言葉はイングラム語だ。
真正面で言われたが、快斗には理解できない。
だから、今の言葉は自分に向けて言ったのではない。
それはおそらく、彼女に向けたものだ。
快斗はテーブル席に目をやる。王子もそれに倣った。
二人の視線が花梨に注がれる。
「……」
それでも花梨は無言で、未だにメニュー表で顔を隠している。
……そのメニュー表、上下が逆さまだ。
「ふふふっ! カリン! メニューが上下逆さまだよ?」
「っ……うそっ……! あっ、ホント……!」
指摘を受けた花梨は目を見開き、メニュー表をテーブルに下ろした。
王子はくすくすと楽しそうに笑う。
そして、彼は花梨の隣の席に座ったかと思うと、次の瞬間――
「カリン! ボク、日本語上手になったでしょ!? カリンのために覚えたんだよ!! だから婚約しよう……!?」
……いつの間にか彼女の手を取り、握りしめた。
王子の急な告白に、「まあ♡」と、シーザーを抱えた青子の瞳がキラキラと輝く。
「あ?」
……快斗の眉間には深い皺が寄せられた。
「っ、フィ、フィリップさま……」
(女王陛下は黙っててくれたけど、フィリップさまは黙っててくれなかったか~……そうだよね)
花梨は泣きたい気持ちを抑えて、なんとか笑顔でごまかそうとした。
女王と王子、二人と知り合いだということは、きっと秘密にしておいたほうがいいだろう。
そうでなければ、快斗と青子に迷惑をかけてしまう。
実際、親しいと呼べるほどの関係でもないのだから……。
どうにか王子に黙っててもらえないかと、花梨は説得材料を探した。
けれど一歩遅かった。その前に王子が話し始めてしまったのだ。
『カリンはシラカワからどうして出たの?』
『っ……追い出されたんです』
『どうして? カリンはシラカワの後継者でしょ?』
『いえ、違います。後継者は稀華ちゃんで……』
『マレカ? ああ、MyraYa! そういやいたね。なるほど! ……でもカリン、気をつけて。彼女、君を消すために執拗に動いてるって噂だよ?』
王子の小さな囁きに、花梨の指先がかすかに震える。
二人の間で交わされる、早口な異国の言葉。
快斗にはその内容までは理解できなかったが、いくつか耳に残る単語があった。
(……シラ……? それに、マレ、カ……?)
――「
かろうじて聞き取れた日本語らしき響きが、どうにも引っかかる。
快斗が眉を寄せて思考を巡らせようとした矢先、それよりも先に、フィリップ王子の行動が彼の理性をぶち切った。
「だからカリン! 一人ぼっちなら、やっぱりボクと一緒にイングラムへ行こうよ!」
王子は再び花梨の手をぎゅっと握り、今度は快斗を勝ち誇ったような目で見つめる。
「お兄さん、カリンの“シラ”ないこと、ボクはたくさん知ってるんだよ?」
「…………あぁ!?」
王子の子供っぽい挑発――『知らない』と『シラカワ』をかけた皮肉な言葉遊びに、快斗の額に青筋が浮かんだ。
……今の快斗にとって『シラ』という音は、花梨が自分に隠している『白じらしい嘘』の象徴のように聞こえていた。
「カーリン♡ ね、婚約しよ?」
王子が今度は花梨の腕に抱きつき、頬擦りをする。
快斗はすぐに反応した。
「ちょっ!? おいこらこのガ――いえ、王子! その子はオレの大事な女なんですよ! 婚約なんかさせてたまるかよっ……!!」
抗議する快斗の大きな声がサロン車に響き渡る。
それと同時に、『ピュ~♪』と青子が口笛を吹き、「よく言った、バ快斗!」なんて、快斗を応援する声が聞こえた。
「あの、フィリップさま……。私、フィリップさまとだいぶ歳が離れてますけど……」
「そんなの、
困ったように花梨が苦笑いを浮かべる。
王子は切なそうに彼女を見上げ、さらにイングラム語で続けようとした。
だがそのとき――「お話し中、失礼します」と、女王付きの事務官が現れた。
「フィリップ王子……ここは危険でございます。早くお部屋にお戻りを……」
「え?」
「先程から、陛下がお怒りですよ……」
「お母様が……?」
王子がちらっと視線を向けると、女王が鋭い目で睨んでいた。
「ホラ、早く帰れってよ……(あの目、怖えぇ……)」
女王の一睨みを目撃した快斗は、未だ花梨の腕から離れようとしない王子の肩をぽんと叩く。
ところが、王子は頑なだった。
花梨の腕にしっかりしがみつき、首を左右に大きく振る。
「ボク、帰らないよ! ここにいて、キッドからお母様と宝石と花梨を守るんだ!!」
「フィリップさま……」
必死な王子に花梨は無理やり腕を解こうとはしない。
ただ、弱った顔で微笑み、王子を見守っていた。
「花梨は余計だっての!」
――オレが花梨に危害を加えるわきゃねーだろ……ほらほら、さっさと花梨から離れろっつーの……! ってか、花梨ちゃんも嫌がるとかしよ? な?
花梨にくっつき続ける王子が面白くない。
無理やり剥がすのは不敬だから、快斗は花梨に目配せした。
すぐに視線が合い、了承したように花梨が一度ゆっくり瞬きすると、小さな口を開く。
「――フィリップさまは、お母さま思いなのですね」
花梨は王子の頭をそっと撫でた。
王子はそんな花梨の手を払い除け、椅子から降りる。
その小さな拳が、ぎゅっと握られた。
「……。お母様なんて大嫌いだよ!!」
「え?」
「お母様……お父様の病気が悪化してから変わっちゃったんだ……。前はあんなにやさしかったのに……。今は、ボクを見るたびにどなったり、怒ったり、口を利いてくれないことだって……。きっと、ボクのことが嫌いになっちゃったんだよ!!」
“ボクのことが嫌いになっちゃったんだよ!!”
言い切った王子は眉をしかめていた。
うっすらと、涙を溜めているような気もする。
「フィリップさま……そんなことは……」
花梨が知るセリザベス女王は、愛の溢れる素敵な母親だった。
迷子だったフィリップ王子を連れて行ったとき、一瞬見せた安堵の顔。彼を抱きしめた彼女は、心底ほっとした、優しいお母さんの顔をしていた。
そんな女王が王子を嫌いになるとは思えない。
きっと、何か理由があって、厳しく接しているのだろうと思う。
(大人の人たちは、本心を隠すのが上手だから……わからないよね……)
快斗と付き合って、人の優しさの形は様々だと気づいた花梨には、なんとなく女王の気持ちがわかるような気がした。
それは……もしかしたら、自分の両親にも当てはまるものなのかもしれない。
今となっては、直接話す機会がないから、どうだったのかはわからないけれど――と。
花梨も席を立ち、フィリップ王子のそばに寄り添うようにしゃがんだ。
(フィリップさまと、女王陛下のお心が結ばれますように……)
王子を見上げ、花梨は手を組み、そっと祈る。
「でも……お父様と約束したんだ……。これからはボクがお母様と国を守るって……。だから……だから……あっ!!」
最後まで言い終える前に、王子の背後に影が忍び寄り、首根っこを掴んで持ち上げる。
王子は驚きの表情でその影――いや、女王を見上げた。
「どうやらあなたは、口で言ってもわからないようですね……」
「お、お母様……」
「『お母様』ではなく、『女王陛下』でしょ?」
女王は不機嫌な顔で、子猫のように持ち上げたフィリップ王子を掴んだまま、サロン車の出入口まで連れて行くと立ち止まった。
扉が開き、何をするかと思ったら、彼女はフィリップ王子を冷たいデッキへと放り出す。
「二度とここに来ることは許しませんよ!!」
「なにもそこまでしなくても……」
「放っておきなさい!! この子はこれくらいしないとわからないんですわ!!」
事務官がやんわりと助け舟を出そうとしたが、女王は激昂。
女王がその場から離れると、ピシャリとサロン車の扉は閉まってしまった。
『お、お母様……。お母様ーー!!』
フィリップ王子はサロン車に向かって、女王に呼び掛けるが、女王は戻らない。
……その様子を怪しい男が、物陰から見ていた――。