▽前回のあらすじ
フィリップ王子から婚約を迫られ、思わず「大事な女だ」と宣言してしまう快斗。一方、花梨は王子との密談で「シラカワ」の後継者を巡る不穏な動きを知らされる。女王の厳しい態度に親子愛の縺れを感じた花梨が和解を祈る中、デッキに放り出された王子に怪しい男の影が迫り……。
第170話
盗みは鮮やかに。
「――快斗(私、行かなくちゃ……)」
扉の向こうで泣いているフィリップ王子の声に、花梨は思わず駆け出そうとした。
隣に立つ快斗の袖を、無意識にぎゅっと握る。
「……」
快斗は花梨の意図を察したように、一瞬だけ、いつもの彼ではない――鋭く、けれど深い愛を湛えた“泥棒”の瞳で花梨を見つめ、静かに頷く。
(……行ってくるね、快斗。あなたは、あなたの仕事を。私は、私の守りたいものを――)
頷きを返し、花梨は彼に背を向けて走り出した。
「あっ、花梨ちゃんっ!?」
青子も走り出そうとしたが、快斗がそれを止める。
「あの二人、知り合いみたいだし、この先は花梨に任せておけばいい」
「う、うん……」
止められた青子は、「花梨ちゃん、大丈夫かな……」ぽつりと漏らし、席に戻った。
王子は婚約がどうのと言っていたが、ここは花梨が宥めてやったほうがいいだろう。
彼女には不思議と人を癒す力があるから……。
自分はその間にクリスタル・マザー探しを再開しなければ。
花梨のことは心配だが、大勢の警察官とSPが乗り込んでいる列車だ。きっとどこかに権堂もいるだろうし、大丈夫。
快斗は花梨を信じてクリスタル・マザー探しに集中することにした。
◇
あれから列車は順調に走行し、終着駅である大阪まで残り十分となった。
花梨はまだ戻ってきていない。きっとフィリップ王子に付き添って個室にいるのだろう。
優しい彼女のことだ、親身になって話を聞いてやっているに違いない。
快斗は、花梨に関してフィリップ王子に多少思うところはあるが、母親からあんな仕打ちを受けた少年に同情心もある。
天使な彼女を、わずかの間貸してやるくらいは許容してやる――と、自身は引き続きクリスタル・マザーの在りかを探していた。
……先ほどフィリップ王子を追い出した女王はすでに席に戻り、再び中森警部と酒を嗜んでいる。
赤い顔でちびちびと酒を飲む中森警部が、腕時計を確認し口を開いた。
「大阪到着まであと十分……」
「どうやら私の勝ちのようですわね、警部さん……」
「で? どこなんですか、宝石の隠し場所は……」
「フフフ……大阪に到着したらお教えしますわ……。きっと警部さんはびっくりされるでしょうけど……」
勝ち誇ったように、女王は笑う。
キッドは未だ姿を現していない。勝負はセリザベス女王の勝利となるのか――。
(どこだ!? いったいどこなんだ……!?)
快斗は二人の会話に聞き耳を立てながら、中森警部にお酌する女王を注意深く見つめた。
(くそぉ……。早くしねーと……。時間が……)
女王の周りに何かヒントはないだろうか。
注意深く、一つ一つ確認していく。
そばに立つSPたちの装備に変わった様子はない。
女王の衣服にも特に変化はなし。
テーブルに置かれたアイスペール、軽食、酒のビン……ワイングラス……ロックグラス……。
そのうち、たった一つだけ、見た目に違和感を覚えた。
(あれ……。おかしいな……。さっきから全然変わってねー……普通、もっと形が……)
――そうかわかったぞ!! 宝石のありかが……!!!
注視していた快斗の目に飛び込んできた違和感。
それは――。
“ガタッ”
音を立て、快斗は急に立ち上がる。
「花梨ちゃんとフィリップ王子、大丈夫かな……。あれ? どこ行くの快斗……」
さっきからずっと花梨と王子を心配し、落ち着かない様子で雑誌を読んでいた青子が、快斗を見上げた。
「トイレだよ……」
「行ってらっしゃーい……(あ、やっぱり快斗、花梨ちゃんのことが心配で行くんだ……自分で“花梨に任せておけ”って言ったくせに~)」
快斗が隙を見て、青子の飲み物に睡眠薬を仕込むと、そのまま席を立つ。
それに気づかない青子は、快斗の“花梨好き”には困ったもんだ、と苦笑いして見送った。
(悪いな青子……少しだけ眠っててくれ……おまえの前で怪盗キッドになるわけにはいかねーんだ!!)
サロン車から快斗が出て行き、残った青子は飲み物を口にする。
飲んで一分もしないうちに、青子の口から大きなあくびが出た。
「ふぁぁ……(今日が楽しみすぎて夜更かししたせいかな……なんか眠くなってきちゃった……花梨ちゃんを待っていたいのにぃぃ……)」
……青子の瞼が重くなる。
数度、まつ毛がゆっくり上下したかと思うと、青子はテーブルに倒れこむように夢の中へ……。
その直後――車内の灯りが一斉に落ちた。
『て、停電だ~~!!』
『おのれキッドめ! ついに現れおったな!!』
事務官の震える声と、中森警部の怒号が闇の中で響く。
同時に女王の怯えたような叫び声が聞こえた。
『キャァアア!!』
『へ、陛下!!』
SPたちも女王の姿が見えず、慌てているようで、衣擦れの音と乾いた靴音、それに、カチャカチャと銃を構えるような金属音が一斉に響く。
……次の瞬間。
“パッ”と車内の灯りが点いた。
明るくなった車内で、中森警部がセリザベス女王に抱きついていた。
「この不埒者……!」と、SP全員の銃口が、警部を狙う。
一瞬頭が真っ白になったのか、中森警部から「え?」と、声が漏れた。
「か、勘違いするな……ワシは、ただ陛下をお守りしようと……」
決してやましい気持ちで抱きついたりなんかは……。
中森警部は赤ら顔で弁明する。
その赤い顔は酒のせいか、女王のせいか――。
対照的に、女王の顔は青かった。
「そ、それより警部、あなたのグラスは!?」
「グラス? ワシのグラスならそこに……」
女王に問われ、中森警部は自分のグラスを置いたテーブルを見る。
テーブルに置いたグラスはたしか、女王のワイングラスと、自分のロックグラスのみ――。
「なっ、にぃーー!?」
中森警部はテーブルを前に目を見開き、大きな声を上げた。
テーブルの上には、いくつものロックグラスが置かれていたのだ。
ロックグラスの中には、氷と、酒が注がれている……。
「ど、どれがあなたのグラスですの?」
女王の声は震えていた。
「さ、さぁ……」
どれも同じようなグラスで、自分が飲んでいたグラスがどれかなんて、見分けがつかない。
中森警部は女王の質問の意図がわからないまま、首をかしげた。
「皆の者!! 手分けして捜すのです!!!」
「「「ハッ!!」」」
青い顔をした女王の掛け声一つで、SPたちが一斉にグラスを確認し始める。
「チガウ、コレジャナイ」
「コレチガウ」
「Nos anclee」
SPと一緒に中森警部のグラスを捜す女王の表情は真剣そのもの。
その必死な様子を見て、中森警部は悟った。
「ま、まさかワシが飲んでたグラスの中に……氷と一緒に宝石を……。……なんて大胆な方だ……」
まさか、クリスタル・マザーが自分が飲んでいたグラスに入っているとは――。
中森警部は女王の大胆さに驚きすぎて目を瞬かせた。
「あ、あった……」
多くのグラスの中の一つ。ようやく中森警部のグラスを見つけた女王は、グラスを見下ろし、ほっとした顔を見せる。
「“クリスタル・マザー”は無事ですわーー!!!」
……クリスタル・マザーは盗まれてなどいなかった。キッドの手から守り切ったのだ。
それを証明するために女王は、グラスからクリスタル・マザーを取り出し、両手で頭上に掲げた。
だが、それが仇となる。
“ポンッ”と、どこかから何かが飛び出した音がした。
その音が聞こえて一秒と経たないうちに、女王の手にあったクリスタル・マザーが彼女から離れ、宙を舞う。
「え?」
その場にいた全員があっけにとられた。
“ヒュルル……”、中空を舞い、放物線を描くクリスタル・マザーをキャッチしたのは――。
「か、怪盗キッド!!」
白いスーツに身を包み、マントを靡かせる怪盗キッドが、いつの間にか開け放った窓枠に足をかけ、不敵な笑みを浮かべていた。
その手にはクリスタル・マザーがしっかりと握られている。
“ゴォオオオオッッ!!”と、外から吹き込む冷たい風に、温かな車内の温度が一気に冷えた。
「再びお目にかかれて光栄ですよ、女王陛下……」
「お、愚かな……ここは列車の中! あなたの逃げ場はもうありませんよ!!」
「フフフ……陛下、覚えておいてください……。怪盗キッドは神出鬼没……そしてあなたは……」
動揺を隠せずに発せられる女王の言葉に、キッドはサッと、一瞬でクリスタル・マザーを消し、一枚のトランプカードを取り出す。
「クイーンである前に、ハートを持った母親であることを……お忘れなく……」
「な!?」
「では……」
目を見開く女王にキッドは『ハートのクイーン』のカードを残し、“ポン”。
……その姿を消した。
「ま、まて! まて! キッドォオオ!!」
中森警部がキッドが消えた窓へ駆け寄った。
その視線の先、夜空にはすでに白いバルーンに掴まったキッドの姿が。風に煽られながらも、悠々と闇夜へと遠ざかっていく。
『よーし電話でこの辺一帯に非常線を張らせろ!! 奴を逃がしてはならんぞ!!』
『ハッ!!』
……足下で中森警部と警官たちの声が聞こえる。
「ケケケ……。相変わらずあめーな警部……。毎度毎度あんなダミーにひっかかって……」
快斗は列車の屋根の上からその様子を見下ろし、笑った。
先ほど逃げたキッドは、ダミー人形……警察は、居もしない“逃げたキッド”に非常線を張ったというわけだ。
(さぁ、さっさとパンドラかどうか確認して、花梨を迎えに行くか……! 今夜は甘い、あま~い夜にしような~花梨っ♡)
今回はちょっとばかし手ごわかったが、何の問題もなく盗み出すことができた。
あとは、クリスタル・マザーがビッグジュエルかどうかの確認を終えたら、残るミッションは、花梨との一か月記念の夜だけ――。
大阪にはもうすぐ到着する。
中森警部の見通しは甘いが、同じ甘いなら、花梨と過ごす甘い時間のほうがいい。
これから花梨との熱い夜を迎えられると思うと、快斗の鼓動は高鳴った。
……ところが、そんな甘い夜の予感を打ち消すように、背後から声がする。
「あまいのは兄ちゃんのほうだよ……」