白月の君といつまでも   作:はすみく

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-- Spring, about 17 years old

▽前回のあらすじ
フィリップ王子を追って列車の屋根へ登った花梨。そこには宝石を狙う組織の男の姿があった。キッドの危機を救うため花梨は捨て身で挑むが、逆にとらわれ窮地に陥る。彼女を救おうと絶叫するキッド。だがその時、花梨の銃を手に取った王子が引き金を引いて……。

第172話
ふ~。


172:月下の蘇生(リバイバル)

「はぁっ、はぁっ……」

 

 

 フィリップは呆然としながら、目を見開いたまま浅い呼吸を繰り返している。

 彼の足元には、花梨の、口の開いたポシェットが落ちていた。

 

 

「っ、花梨ッ!!!」

 

 

 キッドはすぐさま駆け出した。

 意識はあるのか、無事なのか、今いる場所からではわからない。

 

 一刻も早く、彼女の安全を確認したい。

 

 

「――花梨! 花梨ッ!!」

 

 

 ……男は気絶していた。

 大きな身体を乱暴に退けて、キッドは花梨を引っ張り出す。

 その拍子に男は列車から転がり落ちていった。

 

 

「……あ」

 

 

(やべ……って、死にゃーしねーよな。この辺りは線路沿いに深い茂みが続いてる……。運が良けりゃ、打ち身程度で済んでやがるな。そんなことより、花梨だ!!)

 

 

 闇に沈んだ男のことなど、一秒で思考の隅に追いやる。

 今の快斗にとって、腕に伝わる彼女の微かな体温だけが、唯一の現実だった。

 

 

「カリンは無事……!? 男は死んだ……!?」

 

 

 フィリップもすぐそばに駆け寄ってきた。

 キッドはちらりとフィリップを見て、手元の銃に四つ葉のクローバーのシールを見つけた。

 だが、花梨の様子がおかしいことに気づき手を震わせる。

 

 咄嗟に彼女の口元に耳を近づけるが、空気が触れない。

 

 

「は……? ……い、……息、してねぇ……っ!!」

 

「ボク、人殺しちゃった……!」

 

「違ぇよ……花梨が、っ、息してねぇ……!!」

 

 

 ――ウソだろ……花梨――!!

 

 

 キッドはシルクハットを外し、速やかに人工呼吸を施した。

 

 こんなところで。

 自分のせいで。

 自分のために。

 

 彼女が命を落とす――なんてこと、あってはならない。

 

 

(頼む、花梨……!! 戻ってきてくれ……!)

 

 

 心の中で正しくカウントし、心臓マッサージを行う。

 1、2、3、4、5……。

 

 花梨の鼓動は戻らない。

 それでもキッドの手は止まらなかった。

 

 10、11、12……。

 焦燥でちぎれそうな心を必死に抑え込み、正確なリズムを刻み続ける。

 

 

(戻ってこい、花梨……!! 戻ってこい!!)

 

 

 冷たくなり始めた彼女の唇に、何度も自分の熱を注ぎ込む。

 月光に照らされた花梨の肌は、まるで透き通るクリスタルのように白く、今にも夜の闇に溶けて消えてしまいそうだった。

 

 そばでフィリップが、自分が放った銃――クローバーのシールが貼られた――阿笠博士特製の麻酔弾入り銃を握りしめたまま、震えながら二人を見つめている。

 

 ……その銃で、人は殺せない。

 けれど、今のキッド――快斗にとって、男の安否などどうでもよかった。

 

 ただ、目の前の、たった一人の少女に、命を吹き戻したい。それだけだった。

 

 

「花梨っ……頼むから――戻ってきてくれよォオオオオッ!!」

 

 

 快斗の声が、ついに嗚咽となって漏れた。

 

 その時――。

 

 

「……っ……、……ぁ……、…………ごほっ!」

 

 

 小さく、けれど確かな空気の震え。

 花梨の細い胸が大きく跳ね、彼女の喉から、せき込むような、苦しげな呼吸が溢れ出した。

 

 

「……花梨!?」

 

 

 キッドの姿のまま、快斗は彼女の体を力強く抱き上げる。

 焦点の合わないシトリンの瞳が、ゆっくりとまどろみから覚めるように、快斗の顔を捉えた。

 

 

「……か……ぃ……と……?」

 

 

 掠れた、けれど確かに自分を呼ぶ声。

 心臓の鼓動が、快斗の手のひらにドク、ドクと力強く伝わってくる。

 

 

「……よかった…………本当によかった…………!!」

 

 

 ……それでも、指先だけはまだ、さっきの感覚を引きずるように小さく震えていた。

 

 快斗は、真っ白なマントが汚れるのも構わず、恐る恐る彼女の細い肩に顔を埋めるように寄せる。

 その目からは、怪盗キッドという仮面では到底隠しきれない大粒の涙が、次から次へと溢れ落ちていた。

 

 ポーカーフェイスを忘れて泣く快斗の熱い涙が首筋に触れ、花梨の胸は締め付けられる。

 

 

「……か、ぃと……そ、ん、なに……泣か、ないで……」

 

 

 かすれた声で、花梨が小さく呟く。

 その言葉が、奇跡のように快斗の耳に届いた。

 

 

(快斗、あなたを泣かせてしまって、ごめんなさい……。大丈夫だって伝えられていたら、こんな顔はさせなかったのに……)

 

 

 ……今日はまだ五月。痛みはあるかもしれないが、死ぬことは絶対にない――なんて、そんなことを言っても、快斗は信じてはくれないのだろうけれど……。

 

 花梨は、目の前で自分のために涙を流す快斗に申し訳なくて、それ以上言葉を紡ぐことができなかった。

 

 

「……もう、大丈夫だ。全部終わった。列車に戻ろう……って言っても、あれだな、花梨は身体(からだ)しんどいよな?」

 

 

 袖でグイっと瞼を拭い、快斗は花梨を抱きしめる。

 涙を止めるのに必死な彼とは対照的に、花梨の身体は、恐怖と寒さで小さく震えていた。

 

 そんな彼女をそっと抱き上げ、梯子へ向かう。

 梯子へ向かう快斗の足取りは確かだったが、花梨を支えるその腕だけは、まだ止まないかすかな震えを刻んでいた。

 

 すぐ後ろに「この銃……」と漏らしながら、銃と花梨のポシェットを手に、フィリップ王子もついてくる。

 花梨が、フィリップ王子の手元にある銃を見下ろし、話しづらそうに「その銃は護身用で、殺傷能力はないものなんです」と告げた。

 その話に王子の顔が明るくなった。

 

 

「そうそう、おもちゃみてぇな、面白い弾がいろいろあるんだよな」

 

「……うん。唐辛子弾とか、胡椒弾とか……」

 

 

 小さな少年に、罪悪感を抱かせたくはない。

 快斗も乗ってきて、花梨は王子に笑顔で弾の種類を指折り説明していく。

 

 弾の種類は実に豊富で、一つ一つ上げていくとフィリップ王子は興味津々だ。

 

 

「あとは――トロねば弾とか!」

 

「トロねば!? 何それ? 初めて聞いた!」

 

「んと……空気に触れると、最初はトロっとしてるんだけど、そのあとねばねばしてトリモチみたいになっちゃうの。しばらくの間効果があるから、足元に撃ってその場に留めることができるんだけど……。前に間違ってお部屋の壁に発射しちゃってね。そしたらもう、全然取れなくて……」

 

 

 食い気味に快斗が尋ねると、花梨は身振り手振りで丁寧に説明する。

 彼女の説明によると、壁に背を預け、トロねば弾を詰めた銃を鞄にしまおうとした際、つるっと手が滑り、自分に向けて撃ってしまったらしい。正確には自分の脇腹を掠め、壁に……。

 

 花梨は発砲音に驚いて壁に背をつけ、見事に嵌った。

 安全装置を外してあったことを忘れていたのだ。

 

 

「身動きとれなくなっちゃったから、なんとか壁にくっついたシャツとズボンから抜け出したんだけど、そのときうっかり腕にも付いちゃって! 結局、効果が切れるまでその場で待機だよ……下着姿だったから寒かった。そのあとお掃除も大変だったんだ」

 

 

(新ちゃんに助けてもらったんだけど……そこは言わないほうがいいかな……)

 

 

 新一に助けてもらったのは、まだ快斗と付き合う前の話だ。

 余計なことは言わないでおこう……。

 

 快斗が「新ちゃん」という響きに過剰反応することを知ってか知らずか、彼女の生存本能が沈黙を選ばせた。

 

 花梨はその一件から、トロねば弾は使わないからと、阿笠博士に返却している。

 

 

「……トロっとして、ねばねばで、シャツとズボンが脱げ……その場で待機!……!!?」

 

 

 状況を妄想した快斗の顔が真っ赤に染まった。

 

 

(その弾、もし花梨に直接当たってたら……いや、待て……)

 

 

 ふと、よからぬ妄想が快斗の頭を駆けめぐる。

 

 

(さっきまで死ぬ気で人工呼吸してたオレの聖なる祈りを返せ! いや、あれも唇を奪ったことに変わりねーし……じゃあ今度は、そのトロねばで……!)

 

 

『あぁん、快斗ぉ♡ 動けなくなっちゃったよぉ……♡ 助けてぇん♡』

 

 

 トリモチに腕も足も拘束された下着姿の花梨。

 ……それは、とてもとても好いものだった。

 

 

「――っっ!!?」

 

 

 ちょっと使ってみたいと思いつつ、快斗は黙り込んだ。

 

 

「……兄ちゃん?」

 

「いいな…………っ!? な、なんだ!?(やべぇっ!! 今、オレ、なに考えてたっ!?)」

 

「……。兄ちゃんって……」

 

「な、なんだよ」

 

「……べっつに?」

 

 

 フィリップ王子にジト目を向けられ、快斗は改めて花梨を見下ろす。

 そっと耳に顔を寄せた。

 

 

「……花梨嬢は、うっかり屋さんなんですね?」

 

「……えへへ。『うっかりん』ってよく言われます」

 

 

 花梨は気恥ずかしそうに微笑む。

 

 

(……「うっかりん」か。誰が言い出したか知らねーが、よく似合ってるじゃねーか)

 

 

 小さく笑う花梨が可愛すぎて、快斗は愛おしげに目を細めて続けた。

 花梨の首筋に顔を埋めたまま、独り言のように――

 

 

「そんなところも可愛いですよ。……すべて、私のものにしたくなるくらいには」

 

「っ、も、もぅ……フィリップさまがいるのに……」

 

「へへっ♡」

 

 

 快斗が『ちゅっ』、と軽くこめかみにキスを落とす。

 それは戯れでも、からかいでもなく――失いかけた命を、確かめるようなキスだった。

 ……青白い花梨の頬が、ほんの少しだけ赤く染まった気がした。

 

 

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