▽前回のあらすじ
花梨の呼吸が止まり、絶望の淵に立たされた快斗。なりふり構わぬ蘇生措置の末、彼女は奇跡的に息を吹き返す。安堵の涙を流す快斗だったが、花梨の「過去の失敗談」を聞くうちに、頭の中はよからぬ妄想でいっぱいに。王子のジト目を浴びつつも、二人は強い絆を再確認し、夜の屋根を後にする。
第173話
あ、いまさらなんですけど、フィリップの父親は公務はできていませんが、生きてます。
「花梨、梯子下りられそうか?」
「……ん、がんばる」
不安定な屋根の上を行き、車内に続く梯子までやってくる。
快斗が花梨を腕から下ろそうとした、その瞬間――ガタン。足元が大きく揺れた。
「おわっ!?」
「きゃっ」
「わぁっ!?」
“キキィィィィ……ーーッッ!!”
凄まじい制動音とともに、足元の屋根が激しく振動する。
……急停車だ。あまりの衝撃に、花梨は反射的に快斗の首に腕を回し、その胸板にぎゅっとしがみついた。
(……おっ♡)
つい数秒前まで涙を流していたはずの快斗だったが、不謹慎にも、腕の中に伝わる確かな鼓動と柔らかい感触に、内心でガッツポーズを決める。
一方、フィリップも必死の形相で快斗の真っ白なマントを掴んで耐えていた。
「れ、列車が停まった……?」
フィリップが息を切らしながら周囲を見渡す。
快斗は花梨を片腕でしっかりと抱き寄せ、その指先に力をこめる。
……まるで、少しでも離せば消えてしまうとでも思っているかのように。
「どうしたんだろう……? まだ駅じゃないよね?」
「ああ。……とりあえず、ここにいても目立つだけだ。下りるぞ」
快斗は二人を促し、慎重に梯子を伝ってデッキへと下りた。
ようやく安定した床に足をついたところで、スピーカーからザーザーとノイズ混じりの車内アナウンスが流れ始める。
『――お客様にお知らせいたします。ただいま、前方区間にて人身事故が発生したとの連絡がありました。この影響により、当列車は現在地にて緊急停止しております。大阪駅への到着は、大幅に遅れる見込みです。繰り返します……』
「人身事故……?」
フィリップが不安げに花梨を見上げる。
花梨の顔はまだ青く、締め上げられた首をさすりながら、どこか遠い目をして列車の窓の外を見つめた。
(……あの男の人は、生きてるって快斗は言ってたけれど。……この停止は、何かの報いなのかな……)
一方で、快斗は内心で「よしっ!」と拳を握った。
(一時間……! それだけありゃ、花梨の首の痕を消せる。汚れた服をマジックで誤魔化して、青子の目が覚める前にトイレから戻るフリまで完勝コースじゃねーか!)
快斗はシルクハットの縁をキザに指で弾き、王子に向き直る。悲劇から一転、運命を味方につけた怪盗の顔に戻っていた。
「さて……王子。不幸な事故だが、今の俺たちにゃ幸運なロスタイムだ。この混乱なら、SPたちも外の対応や女王の警護に手一杯で、オメーが屋根の上にいたなんて夢にも思わねーよ」
「……うん。カリン、キッド。助けてくれて、本当にありがとう。ボク、忘れないよ」
フィリップが真っ直ぐな瞳で二人を見つめ、シールの貼られた銃と花梨のポシェットを差し出す。
キッドは不敵に笑い、フィリップからそれらを受け取ると、銃を花梨のポシェットへそっと戻した。
「……こちらこそありがとな、王子。花梨のピンチに、迷わずそれを抜き取って撃ったオメーの勇気……キッドとして敬意を表するぜ。それと、今夜起きたことは、墓場まで持ってく三人だけの秘密だぜ?」
「わかってるよ! 未来の妃が守りたいものは、ボクだって守りたいからね!」
お礼を言うキッドに、フィリップははきはきと答える。
「あのな……花梨はオレの女だっつーの! そもそも、オメーは一国の王子だ。身分が違いすぎんだろが!!」
また“未来の妃”発言をするフィリップに前言撤回。
快斗は花梨を背に匿い、よく言い聞かせるように説教をした。
ところが、フィリップは。
「……。ははっ! 身分……身分ね……! あはははっ!!」
フィリップは、何かおかしくてたまらないといった様子で、キッドを憐れむような、それでいて勝ち誇ったような視線で射抜いた。
「な、なんだよ……何がおかしいんだよ……?」
「あははははっ!! べっつにぃ!?(ボクの方が、ずっと彼女を“高く”評価してるってだけだよ)」
「――ったく、わけわかんねーやつ。にしても、花梨、つらそうだな。少し休むか? その間にオレも元に戻らねえとな」
腹を抱えて笑い出したフィリップに、快斗はシルクハットとマントを外すと、振り返って花梨の様子を見る。
花梨の顔色はやはりまだ悪く、首には痛々しい痕が残っていた。
「あ、それならボクの部屋を使ってよ!!」
「え?」
「ボクの部屋、個室だから休憩できるよ? ベッドもあるし!」
「……そうだな。ちょっと借りてもいいか?」
「うん!! 未来の妃の身体は労わってあげなくちゃね♡」
「あぁん!?」
……さっきの説教は無駄だったらしい。
仕方なく、快斗は白いジャケットを花梨に羽織らせ、抱き上げて、フィリップの案内で彼の個室へと向かうことにした。
個室に到着し、快斗は花梨をベッドに下ろす。
「いい子で横になってな」
ポンと頭を撫でると、花梨は静かに頷いた。
そのタイミングを見計らい、フィリップが口を開く。
「――ところで宝石返してよ! それがないとボクの国の人たちが困るんだ!」
背中から聞こえた声に、快斗は振り返った。
フィリップは手を伸ばして、クリスタル・マザーの返却を求める。
混乱に乗じて、このまま着替えて戻ればいいというのに、彼はそうはしたくないらしい。
キッドは即答した。
「やだね! ウソつきには返してやんねーよ!」
「え?」
「本当はお母さんのためなんだろ? 宝石を取り返してほめられてーんだろ?」
「……」
鋭いキッドの指摘に、フィリップは唇を噛み、黙り込む。
「さぁ、どーなんだ?」
「うん……」
素直に首を縦に振って、キッドの背中越しに、ベッドに横たわる花梨が穏やかに目を細めて見ていた。
「じゃーもっといい方法があるぜ!」
「え?」
「お母さんの気持ちを確かめる方法がな……」
キッドの口角が上がり、ちょいちょいと手招きする。
フィリップは少し迷ったあと、キッドに近づき耳を寄せた。
◇
「ああ……なんという事でしょう……私のせいで国の大切な財産を失ってしまいましたわ……」
「へ、陛下……」
「ああ……国民になんと言えば……」
「陛下……落ちついて……」
サロン車では、女王が頭を抱えて嘆いていた。
事務官が宥めるように寄り添うが、女王の顔色は真っ青で、事務官の声は届いていない。
SPたちも、クリスタル・マザーを守り切れなかったことを反省してか、全員が無言……。
中森警部率いる警察官たちは、急停車したのをいいことに列車を降り、キッドの捜索へと向かったらしく、サロン車にはいなかった。
それ以上、誰も何も発言できずに、その場にいた全員が黙り込む。
停車中だからか、走行音までもが消えて――。
豪奢なサロン車に似つかわしくない、お通夜のような重い空気が漂った。
そんな絶望した女王の背後から、小さな声が沈黙を破る。
「お母様……」
フィリップの声だった。
フィリップがそばにやってきて、女王を見上げる。
「フィ、フィリップ!?」
女王は現れたフィリップの姿を見て目を見開く。
ボロボロの服と、擦り傷だらけの顔。
鼻血も出て……。
その様子を見ただけで何があったのか、察してしまった。
ひゅっと血の気が引いて、女王の顔が青くなる。
「ゴメンね、お母様……怪盗キッドを屋根に追い詰めて、宝石を取り戻そーとしたんだけど……。
「!?」
“パンッ!!”
話を聞くなり、女王は一瞬だけ顔をしかめて、フィリップの頬を勢いよく引っ叩いた。
「っ!」
(お、お母様……)
フィリップは、大勢の前で叩かれるとは思わなかった。
そっと頬に触れると熱くてジンジンする。
(やっぱり、お母様はボクのことなんて……カリンのウソつき……)
ふと、個室を出るときに、花梨が言っていたことを思い出して涙目になる。
『女王陛下は、フィリップさまのことを、とても大事にされていますよ。大丈夫。きっとフィリップさまを抱きしめてくださいます』
花梨がそう言って、うんうんと頷く快斗とともに、サロン車へ戻ってきたというのに、現実は違ったじゃないか。
頬に触れていない片手拳がぷるぷると震えた。
ところが、震えていたのはフィリップだけではなかった。
「どうして、私の言う事がきけないの……? ……どうしていつもいつも危ないマネばかりするの……?」
目の前の女王が俯き、両手に握った拳を小刻みに震わせている。
……声も、震えていた。
「これじゃーなんのために……。父親の代わりとして、心を鬼にしてまで、厳しく育ててきたか……でも」
「……?(でも?)」
女王が一歩一歩、フィリップに近づく。
フィリップは女王が涙を湛えていることに気づき、目を丸くした。
「でも、よかった……。あなたが無事で、本当に……」
すぐ目の前にやってきた女王は、一瞬だけ迷うように手を止めたあと、腕を広げてフィリップを包み込む。
一筋涙をほろりと零し、ぎゅっと強く抱きしめたのだ。
「お、お母様ー!!」
女王――母親のぬくもりに、包まれたフィリップは大泣きした。
「うわぁああああん……!!」
母子の抱擁の後ろで、眠る青子のそばにやってきた快斗は、母子二人の様子に目を細める。
(よかったな、王子……。オメーの母さんは正真正銘の……ハートのクイーンだぜ!!)
青子に目をやれば、テーブルに突っ伏したまま。眠る彼女は……まだすやすやだ。
(よく、寝てやがんな……まあ、そのほうが都合がいいか……)
しばらく起きそうにないのは好都合。
このあと、花梨の手当てをしてやらなければならない。
(悪いな、青子。返しておいてくれ)
快斗は、青子の空になったグラスにクリスタル・マザーをそっと仕込み、その場を静かに離れた。
「……今夜の功労者は、あっちの親子と……俺の隣で眠るはずの、大切なうっかりんだ」
誰にも聞こえない独り言を残し、彼は愛しい少女が待つ個室へと急いだ。
「ホラ! 男の子がいつまでも泣いてんじゃありません! それに言ったでしょう……私の事は女王陛下と呼びなさいと!」
「お母様……(やっぱり厳しい……)」
涙涙のハグはあっという間に終わり、女王がキリッとした顔でフィリップの涙を拭う。
フィリップの目は不満げに細められたが、そのあと、彼は笑った――。