白月の君といつまでも   作:はすみく

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-- Spring, about 17 years old

▽前回のあらすじ
水曜日、花梨は東雲セキュリティを訪れ、警護契約の解除を申し出ていた。引き止められながらも静かな想いで周囲を動かし、ついに“盾”を手放した。その決断の裏にあるのは、大切な人々を守るための覚悟――彼女は孤独な一歩を踏み出した。

第180話
ストーカーであることは、間違いないんだよね…。


180:逃走 ― 嘘と善意の冷たい檻 ―

 頼もしい盾を失った水曜日を思い出していた花梨に、快斗は眉を寄せる。

 

 

「どこに!? それらしい人、全然見なかったんだけど!?」

 

「えと、今は見えないけど、近くにいると思う。快斗がそばにいるから、安心してさぼっちゃってる……とか?」

 

「はぁ? それ、プロ失格だろ」

 

「あははは……だね……」

 

 

 乾いた笑いを返しつつ、花梨の心拍数は跳ね上がっていた。

 

 快斗の鋭さには、思わず参ってしまう。

 早く彼から離れないといけないというのに、こうしてついてくるなんて想定外だった。

 

 スーツケースも快斗が持っている。

 花梨は彼の手によって、ガラガラと音を立てて引かれるそれが、自分を現世に繋ぎ止めようとする鎖の音に聞こえた。

 

 

(スーツケースは……置いていってもいっか……)

 

 

 本当は、快斗の元に荷物を残すことが心苦しくて堪らない。

 

 中に入っているのは、彼と一緒に過ごすはずだった“明日”のための着替えと、わずかな荷物。

 快斗の目を誤魔化すためもあるけれど、一緒に過ごすことができたなら……。

 そうなったらいいなと思って詰めたもの。

 

 

(ごめんね、快斗。……あなたの手から、それを奪う勇気は私にはないや……)

 

 

 今の花梨にとって、命より大切な彼との「未来」を切り捨てることに比べれば、鞄一つ失うことなど、些細なことだった。

 

 来た通路を戻り、すでに閉まっている案内所の前を通り過ぎる。

 視線の先にトイレの表示が見えて、そこに向かった。

 

 

「……じゃあ、ちょっと行ってくるね」

 

 

 トイレ前に着き、花梨は快斗の腕に軽く触れ、微笑む。それから彼の手の中にある鞄の持ち手を、愛おしそうに一度だけ撫でた。

 

 

「快斗も行っておいたら?」

 

「ん? そうだな。先に出たらちゃんと待ってろよ?」

 

「うん、そこで待ってればいいかな?」

 

 

 花梨はトイレを出た正面のガラス壁を指差す。

 

 

「……おう。けど、花梨は目立つから、トイレの中のほうが安全だ。女子トイレの中にいて。終わったらスマホで呼ぶ」

 

「わかった! あ、荷物」

 

「ははっ、いーよ。オレが預かっとく」

 

「……ありがと」

 

 

 二人同時にトイレに向かう。

 やはり、快斗はスーツケースを手放さなかった。

 花梨は、快斗が男子トイレに入ったのを確認してすぐ、女子トイレから飛び出す。

 

 早くこの場から逃げなければ――。

 

 花梨に迷いはなかった。

 全速力で振り返らず、走った。

 

 

(……快斗、ごめんね。私と関わったばかりに、家の事情に巻き込んでしまって。でも、もう大丈夫だからね)

 

 

 快斗に気づかれたらすぐに追いつかれてしまう。

 いつも追ってくる知らない“誰か”とは違って、今は皮肉にも、彼が一番恐ろしい追っ手のように思えてくる。

 

 

「はぁっ、はぁっ、はぁっ」

 

 

 どっちへ走ればいいのだろう。

 花梨が住んでいた頃と、大阪駅もすっかり変わってしまって、ただでさえ方向音痴だというのに、さっぱりわからない。

 

 ひとまず駅から出て、待ち合わせ場所に行かなければ――。

 

 改札に近づくにつれて、人の流れが多くなってきた。

 

 家路を急ぐ人、スマホを見ながら歩く人、電車の時刻を気にする人。

 誰も彼も、走ってきた花梨を気にする様子はない。

 

 そこにすっと紛れ込めば……。

 これなら快斗が気づいたとしても、すぐに自分を見つけ出すのは難しい。

 

 

「はぁっ、はぁっ……」

 

 

 走るのをやめ、人混みに合わせて歩きへと変える。

 “連絡橋出口”まで来たそのときだった。

 

 

『花梨ーー!!』

 

 

 離れた場所から、快斗の声が聞こえた気がした。

 それは怒鳴り声というより、迷子を捜す悲痛な叫びに似ていた。

 

 振り返りそうになる首を、溢れそうな涙ごと前方に固定する。

 心臓が、早鐘のように肋骨を叩く。それが恐怖なのか、それとも彼に応えたい本能なのか、自分でもわからない。

 

 走っていたときは気づかなかったが、さっきから、スマホのバイブレーションが止まらない。

 ポシェットの中で震え続けるそれは、快斗の叫びそのもののようで、逃げる彼女の足取りを、重い(かせ)のように縛り付けていた。

 

 

「っ! ごめんね。ごめんなさい……!!」

 

 

 花梨は眉をしかめて再び走り出す。

 

 

(このままじゃ、捕まっちゃう! そしたら、快斗が。青子ちゃんが……!)

 

 

 ……改札を抜けて、いったんホームに下りてしまえば。

 

 慌てて交通系ICカードを取り出そうと、ポシェットに手を突っ込んだ。

 そちらに気を取られた拍子に――。

 

 

 “ドンッ!!”

 

 

 急に大きな壁――いや、人にぶつかってしまった。

 

 

「あ、スマン。大丈夫か?」

 

「いたっ……いえ、こちらこそ、よそ見しててすみま……あ。うそぉ……平……ちゃん?」

 

 

 花梨は思い切りぶつけた鼻を擦り、頭を下げてから、大きな瞳を一際大きく丸くした。

 相手も同じように目を大きく見開いている。

 

 

「え? …………ウソやろ……その声……か、花梨か……!? いや、けど、花梨は黒髪やったやろ……けど、こんな綺麗な目ぇしとるやつ、花梨くらいしか知らんし……声も……」

 

 

 懐かしい顔に、絶望の淵で掴んだ蜘蛛の糸を見るように、花梨の口角が震えながら上がった。

 ぶつかった彼は、小学校時代に世話になった【服部平次】――西の高校生探偵と呼ばれる、新一とはまた違う幼なじみだ。

 

 平次はほんのり頬を赤くして花梨をぼうっと見下ろした。

 固まる平次の袖を花梨はぐっと強く掴む。

 

 

「っ、平ちゃん! お願いっ! うち、ストーカーに追われてんねん!」

 

「っ!? やっぱ花梨か! また追われとるんか!? よっしゃ任しとけ! これとこれ、貸したるから着とき!」

 

 

 大阪にいた時も、花梨は何度かストーカー行為を受けている。

 和葉とともに家まで送り届けたこともある平次は、すぐに着ていたジャケットを脱いで花梨に渡し、帽子を外して被せた。

 

 

(昔もそこそこ可愛かったけど……変わりすぎやろ……あんながりがりで貧相やったのに、なんや、肌艶も良うなって……ええ匂いするし、めっっっ――ちゃっ可愛くなっとるやんけ……!!)

 

 

 くるりと身を翻し、自分の背に花梨を隠しながら、その変わりように胸を高鳴らせる平次。

 

 平次の前には複数の駅員と、床に身体を伏せ、取り押さえられている男の姿がある。

 どうやら平次は何かの事件と遭遇し、その場に出くわしていたらしかった。

 

 

「服部君、ご協力感謝やで。警察呼んだからもう行ってもらってええで」

 

「あ~、すんません。この子、ちょっと匿ったってくれへんか? なんや男に追われとるらしいねん」

 

「はぁ……綺麗な子やな。ええよ、追ってきた男から隠せばええんやな?」

 

「おおきに!」

 

 

 駅員の一人が平次の元にやって来て、状況を説明するが、平次は花梨を匿うように手を合わせて頼みこむ。

 駅員は花梨をちらっと見て目を瞬かせ、すぐ納得したように二つ返事で了承した。

 

 

「ほな、あの中にしばらくおったらええわ。お嬢さん、行こか」

 

 

 警察が到着するまで、駅員たちは犯人を取り囲んだまま待機するらしい。

 野次馬も多いし、その中へどうぞ……ということのようだ。

 

 

「花梨、駅員さんたちの中に隠れとき。オレもおるし、ちゃんと守ったるから、顔、伏せときや?」

 

「へ? あ、う、うん……!」

 

 

 花梨はにっこりと微笑む平次に促され、駅員たちの中へと紛れ込ませてもらった。

 駅員たちの背中が、花梨をぐるりと取り囲む。それは温かい善意の壁のはずなのに、なぜか花梨には、自分を快斗から永遠に分断する、冷たい檻のように感じられた。

 

 

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