白月の君といつまでも   作:はすみく

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-- Spring, about 17 years old

▽前回のあらすじ
快斗の手を振り切り、一人大阪駅を疾走する花梨。執拗な追跡から逃れるべく人混みに紛れた彼女が衝突したのは、旧知の探偵・服部平次だった。予期せぬ邂逅に、花梨は咄嗟に「ストーカーに追われている」と嘘を吐く。善意に満ちた平次の守りが、皮肉にも彼女を快斗の手から遠ざけていく。

第181話
頼もしい平ちゃん。


181:追跡 ― 探偵の眼と届かぬ咆哮 ―

 

 

 

 

『きゃあああああっっ!!』

 

「花梨ーー!!」

 

 

 女子トイレで女性が悲鳴を上げる中、飛び出し、人混みをかき分ける快斗の視界は、焦燥で真っ赤に染まっていた。

 呼び出しを続けるスマホを握りしめ、ただひたすらに、自分を置いて消えた白い影を追う。

 

 

(クソッ、どこだ!? あの一瞬で誰かに連れ去られたっていうのか!?)

 

 

 トイレに入っていた時間は三分もなかったはずだ。

 花梨はもう子供じゃない。誘拐犯が音もなく連れ去るには無理がある。

 出口に向かったかと一瞬思考がよぎるが、怪盗としての本能が告げていた。――彼女はまだ、この駅のどこかにいる。

 

 快斗は来た通路を走って戻り、全神経を研ぎ澄ませてあたりを見回す。

 

 その視線の先、何やら人だかりができているのが見えた。駅員が数人何者かを取り押さえ、野次馬が足を止めている。

 

 

「チッ、ひったくりか……!? そんなことより花梨っ!!」

 

 

 快斗は吐き捨てるように呟き、その集団をただのノイズとして、一瞥して通り過ぎる。

 

 ……わずか数メートルの距離。

 駅員たちの逞しい背中に守られ、平次のジャケットに身を隠した花梨が、震えながら蹲っていることにも気づかずに。

 

 

「……あ。かい、と……」

 

 

 自分を探して狂おしく叫ぶ彼の声が、すぐ近くで鼓膜を震わせた。

 花梨は反射的に、目の前に立つ平次の腕を、縋る思いで強く握りしめる。

 

 

「お、おい、大丈夫か? 震えとるやないか」

 

「……っ、い、急いで、平ちゃん……。お願い……っ」

 

 

 必死に顔を伏せ、平次の胸元に額を押し当てる。

 快斗が、“一か月記念”のために贈ってくれたシトリンが、服越しに胸元で冷たく存在を主張しているのを感じながら。

 

 快斗は、花梨の横を猛スピードで追い越し、さらに先へと走り去っていく。

 彼の手の中に残された、中身の軽いスーツケースだけが、主を失ったままガラガラと虚しく鳴り続けていた。

 その風圧が花梨の髪を揺らし、彼女は思わず、平次のジャケットに顔を埋めてその熱を遮断しようとした。

 

 ……少しして、再び快斗が戻ってくる。

 

 距離がどんどん近づき、平次は花梨から半歩離れ、彼女を背後に隠すようにしてわざと快斗に視線を向けた。

 目が合うなり、快斗が平次の元へ必死の形相で駆けてくる。

 

 

「はぁっ、はぁっ……あのっ! この辺で、白い髪の可愛い女の子見ませんでしたか!? あ、この子なんですけど! もしかしたら誰かと一緒だったかもしれないんですけど!」

 

 

 快斗は震える手でスマホを操作し、花梨とのツーショット写真を平次の鼻先に突きつけた。

 その額には玉のような汗が浮き、端正な顔は幽霊でも見たかのように青ざめている。いつものポーカーフェイスなど、微塵も残っていなかった。

 

 

「……さあ? 見てへんなぁ……。悪いな、兄ちゃん。他あたってや」

 

 

 平次は突きつけられた写真に一瞬だけ眉を動かしたが、すぐに無関心を装い、首をかしげて軽い笑みを浮かべる。

 

 

「そうですか……ありがとうございました!」

 

 

 深く、丁寧すぎるほどに頭を下げ、快斗がまた人混みの中へと消えていく。

 彼が走り去った後に残る、いつもの微かなシャンプーの匂い。

 平次がちらりと駅員たちの壁に目をやると、隙間から見える花梨の肩が、抑えきれない慟哭を堪えるように激しく震えていた。

 

 

「よし、あいつ行ったぞ。……しかし、えらい血相変えとったな。あんなんがストーカーか。花梨、ほんまに大丈夫なんか?」

 

 

 平次は、走り去る少年の背中に、単なる執着とは違う、魂を削るような切実さを感じて、奇妙な違和感を覚えた。

 

 

「服部君、改札内にこっそり入れたるから、カフェにでも入って、彼女、落ち着けたり」

 

「おおきに!」

 

 

 駅員の計らいで、改札内に入れてもらえることになった。

 

 ……違和感は拭いきれない。

 だが、今は目の前で崩れそうな幼なじみを守ることが先決だと自分に言い聞かせ、彼女を促して改札内へと急いだ。

 

 

「ほら、ホットミルクでええか?」

 

「うん……ありがとう」

 

 

 改札内のカフェに入り、平次は温かいカップを花梨に手渡す。

 向かいの席に着き、ふう、とひと息吐いてから、彼は探偵の目に戻って口を開いた。

 

 

「さっきの、あいつ……ストーカーやないな?」

 

「っ……なんでわかったん?」

 

 

 花梨は一口飲もうとしたホットミルクを止め、固まる。

 

 

「……あいつが引いてたスーツケース。ありゃどう見ても女物や。あれ、花梨のやろ? それに、見せてきたスマホの写真……お前、あんな顔して笑うんやな」

 

「……写真?」

 

「……めっちゃ幸せそうなツーショットやった。あれを必死に見せて回るやつが、ただのストーカーなわけあるかい。あいつの目ぇは、獲物を追う目ぇとはちゃうかった。大事な宝物を失くした子供の目やったで」

 

 

 平次の表情は、どこか苦々しく、やるせない。

 

 

「何があったんや? あいつが、なんや嫌なことしたんか?」

 

 

 快斗のあの絶望的な瞳を思い出し、平次は眉を寄せながら、それでも花梨の味方であろうと言葉を選んだ。

 

 

「……ううん、ちゃうねん……うち、なんも……ちゃんと言われへんかってん……」

 

「……別れ話か」

 

「うん……そんなとこかな……」

 

「アホやなぁ~。はっきり言うたったらよかったのに。ああいうのははっきり言わんと、しつこなるで?」

 

「そうかな……? 黙って消えたら『薄情者!』って、怒って恨まれるくらいやろ? そのうち嫌われるはずやわ」

 

 

 花梨が自嘲気味に呟く。だが、平次は容赦なく中指で彼女の額を弾いた。

 

 

「ぁぃった!」

 

 

 まともにデコピンを食らい、花梨は赤くなった額を両手で押さえる。あまりの痛さに涙がちょっぴりにじんだ。

 

 

「アホ、ボケ。お前は男心をわかってへんのや」

 

「……うち、女やもん。男心なんてわかれへんわ……」

 

「黙って消えたんか? ……怒らへんから、詳しく話してみ?」

 

 

 平次の目は優しい。

 白い髪に大きな手をのせ、ぽんぽんと宥めるように撫でた。

 

 

「…………えっと」

 

 

 怒らないという平次の言葉に、花梨は快斗から逃げ出した経緯を少しずつ語り出した。

 

 本当の理由は、別にある。けれど平次には「六月から海外へ留学することが決まっている」という、青子にもついた嘘を重ねる。大阪で現地のコーディネーターと待ち合わせていて、そのまま発つ予定なのだ――と。

 

 

「はぁあああああ~~……」

 

 

 話を聞き終えた平次の口から、駅の騒音をかき消すほどの、長いため息が漏れた。

 

 

「……あ、あかんかったかな?」

 

「あかん……それは、あかん。お前、よりによって『留学』なんてデカい話、黙って消えて済むわけないやろ! しかも『トイレ行く』言うて姿消すって……どアホ(ダホッ)!!」

 

「ひんっ! だってぇ……。はっきり言うたら、快斗……絶対ついてくるって言うもん。彼、自分の将来も放り出して、うちと一緒に海外行くって言い出しかねへんもん……っ」

 

 

 花梨が俯いて声を震わせる。

 快斗の熱烈な愛を知っているからこそ、中途半端な別れは彼を縛り付けてしまう。そう信じている彼女の悲痛な本音が平次の一喝で漏れた。

 

 

「っ……そりゃ、あんな血相変えて探しとる男や。言い出しかねんわな。……けどな、花梨」

 

「……なに?」

 

「なんではっきり言うたらへんねん!! わけもわからんと姿消したら、死ぬほど心配して、地の果てまで追いかけてくるに決まってるやろが!!」

 

 

 平次の怒鳴り声に近い叫びに、カフェの数人がこちらを振り返る。

 

 けれど平次は構わず、自分を抱きしめるように震える幼なじみを、厳しく、けれどどこか慈しむような目で見つめた。

 

 

「お前は男を……いや、惚れた女のためなら、どんな無茶でもしかねんあのアホな男を、ナメすぎや」

 

「快斗はアホやないよ……うちがアホなんよ……」

 

「そこ、フォローすんなや、オレがアホみたいやないか」

 

「……ごめん」

 

 

 なんとなく気まずい雰囲気が漂い、二人は黙り込む。それぞれにカップを傾け喉を潤した。

 そうして一分くらい経った頃、平次が沈黙を破った。

 

 

「でも、そうか……お前、留学するんか」

 

「うん……楽しみなんだ~……」

 

 

 その声は、空ろな期待を込めた、ひび割れた歌声のように響いた。

 

 声が、震えてなかっただろうか。

 ……“楽しみ”だなんて嘘――花梨はそれでも精一杯空笑いしてみせる。

 

 

「再会したばっかやっていうのに、なんや寂しなるな……」

 

 

 平次は憂うように笑った。

 やっと再会できたのに、すぐに別れがくるとは思いたくなかったのだ。

 

 

「平ちゃん……」

 

「まー、なんや。連絡先教えろや。日本(こっち)帰ったときにでも会うたらええ。たまには和葉とまた三人で話そうや。和葉のやつ、お前に会いたがっとったで?」

 

「あ……うん。そうやね」

 

 

 花梨の返事はぎこちなかった。

 

 日本に帰るもなにも……おそらくもう、大阪に来ることはない。

 

 東京にも、どこにも。

 自分の帰る場所はもうないのだから。

 

 

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