白月の君といつまでも   作:はすみく

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-- Spring, about 17 years old

▽前回のあらすじ
青子の語る「留学」という嘘に快斗の心は砕かれるが、鞄に残された明日への希望を見て、花梨が何かと戦っていると確信する。平次から得たヒントを頼りに桜橋口へ奔走する快斗。だが、必死に「白い髪」を探す彼は、真横を通り過ぎる黒塗りの車に潜む真実を置き去りにしてしまった。

第184話
快斗と新一が…。


184:宿敵への託宣

 

 

 

 

 桜橋口のガード下。大型バスの重低音と、絶え間なく流れる車の走行音が、快斗の聴覚を無慈悲に支配し続ける。

 

 

「花梨っ!! どこだ、返事しろ……!!」

 

 

 喉はとうに枯れ果て、肺は焼けるように熱い。

 さっきまで、すぐそこに彼女の白い髪が揺れていたような気がした。けれど、今、快斗の目の前にあるのは、剥げかけた白い自転車マークの上を空虚に通り過ぎていく、見ず知らずの車列だけだ。

 

 

「……っ、クソ……ッ!!」

 

 

 膝をつきそうになる身体を、スーツケースの重みでどうにか支える。

 数分前まで、この中には彼女の“明日への希望”が詰まっていた。自分と一緒に笑うはずだった、付箋だらけの雑誌も。

 

 それが今は、冷たい鉄の塊のように重く、快斗の腕を地へと引きずり込む。

 

 

「……留学? ふざけんな……あいつ、あんなに楽しみにしてたじゃねえか……っ!」

 

 

 夜の大阪駅前。何千人もの人間が行き交う中で、自分だけが、彼女の行き先を一ミリも知らないまま取り残されている――。

 

 今まで、花梨から留学の「り」の字も聞いたことはなかった。

 自慢だったはずの頭脳が、今は何の役にも立たない。彼女が消えた“理由”を一つも持っていないという無力感だけが、毒のように全身を回っていく。

 

 論理的な予測も、鮮やかな手品も、彼女が消えた空白を埋めることはできない。ただの、恋人を失った十代の少年の叫びだけが、駅の喧騒に呑み込まれていった。

 

 

(……工藤、新一)

 

 

 ふと、脳裏に一つの名前が浮かんだ。

 

 花梨の口から時々漏れる、幼なじみの名前……。

 以前、ヤバかった時計台のヤマ――あとで調べたら、高校生探偵の工藤新一が関わっていたらしい。

 

 “探偵”はいけ好かない。

 そんな奴が花梨と幼なじみだとは思わず、嫉妬に駆られ、彼女のスマホを覗き見た時に網膜に焼き付いた、十一桁の数字。

 

 本来なら、正体も知らぬライバルに頭を下げるなど、怪盗キッドのプライドが許さない。

 けれど、今の快斗にそんな“仮面”を維持する余裕は一欠片も残っていなかった。

 

 

「……出ろ。頼むから……出てくれ……!!」

 

 

 震える指で画面を叩く。

 深夜の静寂を切り裂く、規則的なコール音。

 

 番号は合っているはずだ。

 

 快斗は、祈るようにスマホを耳に押し当てた。

 

 三回。四回。

 永遠にも思える時間の後――。

 

 プッ。

 

 接続音が鳴り、向こう側で、静かな、だが鋭い気配が動く。

 

 

「……工藤……新一……か……?」

 

 

 快斗の声は、自分でも驚くほど掠れていた。

 電話の向こうの主は、すぐには答えない。

 

 

(この声……黒羽か……? なんでオレの番号を……)

 

 

 そんな困惑と警戒が、電波越しに伝わってくる。

 

 

「……花梨が」

 

『(花梨……?)』

 

「花梨が消えた。……なあ、工藤。お前、何か知らないか? あいつが……何に怯えて、何と戦ってたのか……!」

 

 

 一瞬の沈黙。

 カチカチカチ、と何か機械を操作する音がかすかに聞こえた直後――。

 

 

『花梨がどうしたって!?』

 

 

 鼓膜を突き刺したのは、紛れもなく自分の、けれど自分ではない男の、激昂した叫びだった。

 鏡合わせの自分が、あんなにも無様に、魂を削りながら泣いている。それだけで、大阪で起きた事態の異常さが新一の背筋を凍らせた。

 

 

「っ!?」

 

 

 快斗は息を呑み、思わずスマホを引き離した。

 自分と“まったく同じ声”。

 鏡の向こうの自分が、それ以上に必死な形相で叫んでいるかのような錯覚。

 

 

「……消えたんだよ、大阪駅で。……オレ、何も知らねえんだ。留学なんて嘘だってこと以外……何一つ!!」

 

 

 快斗の叫びが、夜の高架下に虚しく反響した。

 

 

『は……? 留、学だって……? そんなわけ……』

 

 

 電話の向こうで、動揺した新一の声が震えている。

 彼も……何も知らないのだ。

 

 

「…………はは。なんだ……お前も知らねえのかよ……」

 

 

 花梨が、新一にも何も伝えていないことがわかり、快斗の瞳から涙が滲む。

 

 

『おい、黒羽! もっと、詳しく話せ! オレが捜してやる!! あいつのことならオレのほうが――』

 

「…………お前が知らないなら、用はない」

 

『おいっ! くろ――』

 

 

 ピッ。

 快斗は新一が何か話そうとしている途中で通話を切った。

 

 

「……諸伏さんならもしかして……」

 

 

 今度は諸伏にコールしてみるが、電源を切っているのか、通じなかった。

 花梨の“お兄ちゃん”たちの連絡先は、諸伏しか知らない。

 

 

「……なんでだよ……諸伏さん……。花梨がピンチかも知れねえってのに……」

 

 

 快斗の指が、自然と東雲セキュリティの代表番号を検索し、コールした。

 

 

『お電話ありがとうございます。こちら東雲セキュリティです。本日の営業は終了しました。明日またおかけ直しください』

 

 

 営業時間が終わっているため自動音声が流れ、快斗は通話を切り、スマホを握りしめる。

 

 

「クソッ……! どいつもこいつも……!!」

 

 

 高架下を吹き抜ける冷たい風が、快斗の髪を揺らした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 一方で、快斗の緊急通話を受けた新一は……。

 

 彼は今日の昼間、阿笠博士に用があり、ついでに自宅に戻っていた。

 

 深夜、月明かりだけが差し込む工藤邸の書斎。

 デスクの上に置かれた、二台のスマホ。

 

 一つは“江戸川コナン”として、蘭や少年探偵団と繋がる日常の端末。

 そしてもう一つは、正体を隠した“工藤新一”が、限られた信頼できる者とだけ通じ合うための、秘匿性の高い端末。

 

 静寂を切り裂き、震え出したのは後者だった。

 

 

「……っ!?」

 

 

 新一は、息を呑んでその画面を凝視した。

 相手は非通知……間違い電話かもしれないが、この番号を、今この瞬間に、これほど切実に叩いてくる相手。

 

 ひとまず出てみるか――と、通話ボタンを押し、耳に当てる。

 聞こえてきたのは、今週の月曜――花梨が額にキスをして、別れを告げたあの夜の記憶を呼び起こすような冷たい風の音……。

 

 

『……工藤……新一……か……?』

 

 

 スピーカーから漏れる、自分と瓜二つの声。

 けれどその響きは、不敵な笑みを湛えた宿敵(ライバル)のものではない。

 

 誇りを捨て、プライドを血に染め、ただ一人の少女のために地獄から這い上がってきた一人の男の、絶望の訴えだった。

 

 快斗の話を聞く新一の手は、自然と蝶ネクタイ型変声機に伸びた――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ツーツー……。

 

 快斗の声が途切れ、無機質な切断音が響く中、新一(コナン)はスマホを握りしめたまま、凍りついたように動けずにいた。

 

 

(……留学……? 黒羽、お前今、なんて言った……?)

 

 

 花梨が大阪で消えた。それも、「留学する」という嘘をついて。

 

 脳裏に鮮烈に蘇るのは、数日前のあの駅のホーム。

 額に触れた震える指先。潤んだ瞳。そして、振り向きざまに小さく振られた手。

 

 

『バイバイ、新ちゃん。元気でね』

 

 

 あの時、彼女は「留学」なんて一言も言わなかった。

 ただ、この世の終わりを見つめるような、透き通った瞳で別れを告げたんだ。

 

 

(……そうか。あいつ、オレには『留学』なんて嘘すらつけなかったのか。……それとも、嘘をつく余裕もねえほど追い詰められてたのか……!?)

 

 

 昨日、電話した時、「何かあったら頼れ」と言った自分の言葉が、呪いのように耳の奥でリフレインする。

 

 黒羽よりも役に立ってやるとはっきり言った。

 なのに、花梨は結局、自分に何も頼らずに闇の中へ消えてしまった。

 

 

「……何が名探偵だ……。一番近くにいたアイツのSOSすら、見抜けてねーじゃねーか……!!」

 

 

 新一は拳を机に叩きつける。

 

 花梨が快斗にすら何も言わず、新一にも「またね」はないと察しながら去った理由。

 

 

「……巻き込みたくなかったのかよ、花梨」

 

 

 口にしてみて、答えなんて聞かなくても、分かっていた。

 ……一年半そばにいたんだ。あいつの考えくらい、分かるに決まってる。

 

 

「……黒羽。お前が絶望して動けねーなら、オレが動く」

 

 

 新一の瞳から、戸惑いが消える。

 

 

「『まるっと解決してやる』って言ったんだ。……嘘つきのまま、終わらせるわけにはいかねーんだよ」

 

 

 新一は阿笠博士を叩き起こすべく、スマホをタップした。

 

 大阪で何が起きたのか。東雲セキュリティの沈黙は何を隠しているのか。

 そして、花梨を連れ去った“何か”の正体――。

 

 

「……黒羽の野郎、あんな声出しやがって……人の話は最後まで聞けってんだ……」

 

 

 電話越しに聞いた、あの自信家の、壊れそうなほど掠れた声。

 あいつが「何も知らない」と泣いているなら、自分が「知る」しかない。

 

 

「待ってろよ、花梨。……お前がつけなかった嘘も、抱え込んだ絶望も……全部、オレが暴き出してやるからな」

 

 

 ……東の名探偵が、かつてないほどの静かな狂気を孕んだ瞳で、反撃の準備を始めた。

 それは正義感というより、幼なじみを奪われた男の剥き出しの執念だった。

 

 

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