白月の君といつまでも   作:はすみく

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-- Spring, about 17 years old

▽前回のあらすじ
快斗と別れ、静まり返った自室。花梨の元へ届いたのは、かつて自分を虐げた男・竜哉からの電話だった。なぜ彼は自分の居場所を、そして大阪行きの予定を知っているのか。震える手でPCのZIPファイルを開いた花梨を、底なしの悪意が待ち受ける――。

第191話
赤く染まっていきます。


191:赤く染まる予告

 画像はどうやら、写真のようだ。全部で七枚ある。

 読み込みを知らせるプログレスバーが、まるで獲物を追い詰めるように、じりじりと進んでいく。

 

 画面の上の方から、少しずつモザイクが晴れるように見えてきたのは――。

 

 見覚えのある公園を背景に、数日前に自分が着ていたはずのブラウスの肩口。そのすぐ隣で、何も知らずに幸せそうに笑う、快斗の無防備な横顔だった。

 

 

「っ……!」

 

 

 指先が凍りついた。

 学校帰りの様子や、校内の遠くから狙った望遠アングル、先週の日曜日に訪れた毛利探偵事務所の前――。

 

 どの写真にも、花梨自身の体の一部が画面の端に小さく写り込んでいる。だが、レンズのメインが捉えているのは、その隣にいる人物たちだった。

 

 徐々に表示されていく画面には、快斗、青子、恵子、白馬、蘭、園子、そしてコナンの姿が鮮明に映し出されていた。

 ……まともな方法で撮られた写真ではないことだけは、直感的に理解した。

 

 

「うそ……。これ……快斗、青子ちゃん、恵子ちゃん。それに白馬くん……? 蘭ちゃん……園子ちゃん……新ちゃんまで……どうして――」

 

 

 血の気が引いていくのが自分でも分かる。

 指先が震え、マウスを握る手に力が入らない。画面越しに無邪気に笑う大切な人たちの姿。

 それが、まるで死神の鎌を首元に突きつけられているように見えて、視界がチカチカした。

 

 その時――静まり返った自室に、鼓膜を突き刺すような鋭い電子音が鳴り響いた。

 

 ブーッ、ブーッ、ブーッ。

 

 画面上の写真を見つめて硬直する花梨をあざ笑うかのように、竜哉からの着信が再びスマホを激しく震わせる。

 

 

「……もしもし」

 

『よく撮れてるやろー? みーんな楽しそうな顔しとるわ』

 

 

 スマホのスピーカーから漏れるのは、湿り気を帯びた、耳の奥にべっとりとこびりつくようなあの不快な男の声。

 

 

「……竜哉おじさん、よくこんな器用なことができましたね」

 

 

 胸を焦がすほどの嫌悪を必死に押し殺し、震える声で問い返した。

 竜哉はかつて、地道な努力や精密な技術とはおよそ無縁の、ただ暴力と欲望だけで生きていた男のはずだ。

 

 

『アホ抜かせ。ワシがこんな器用なことできるワケあるかい!』

 

 

 鼻で汚く笑う音が聞こえ、花梨はきつく奥歯を噛み締める。

 

 

「……じゃあ一体誰が……?」

 

『そんなことより、花梨。オマエ、白河のお嬢様なんやて? ……白河家言うたら、ヤクザも黙る、社会の裏ボスやんけ。裏の上のモンはみーんな知っとるっちゅー話やんか。まさかオマエがその白河の人間やとはなあ……』

 

 

 竜哉の口から飛び出した、忌まわしい『白河』という名。

 今まで必死に背を向けて逃げ続けてきた、呪われた血筋の重みが、一気に冷たい部屋の空気を圧殺していく。

 

 

「どうしてそのことを……」

 

『沙織が昔、言うとったことがあってなあ。白河のお嬢さんを、弟が連れ出して大恋愛の末、駆け落ち婚したーゆーて。そのせいで、代々白河に仕えてた葵家は追い出されたらしいやないか。それ聞いた時は、まさかその白河が、あの(・・)白河とは思わんかったけどなぁ……』

 

「……じ、じゃあ、竜哉おじさんは稀華ちゃんから……?」

 

『おい……稀華()な? 白河の次期当主様やで。オマエみたいなニセモンが稀華様を“ちゃん”付けするなんざ、百年――いや、五百年早いわ。言葉遣い気ぃつけろや』

 

 

 竜哉の声に、かつて幼い花梨を容赦なく殴り飛ばした時と同じ、凶暴な支配欲が混じり始める。

 地を這うような負け組の彼にとって、“稀華”という絶対的な権力者は、今や神にも等しい最高の後ろ盾なのだ。

 

 

「っ、そう言われても、稀華ちゃんが『そう呼んでね』って言ってたから……」

 

『ダァホッ!! んなもん、最初だけやろが!! 稀華様はなぁ、オマエの存在が目障りで目障りでどうしようもないんやと!!』

 

 

 声を張り上げる竜哉の語尾が、わずかに狂気で震えていた。

 

 ……目障り。

 

 その鋭利なガラス破片のような言葉が、花梨の胸の最深部に深く突き刺さった。

 一度は優しく手を差し伸べてくれたはずの「はとこ」からの、剥き出しの殺意が、電話口の男を媒介にして生々しく伝わってくる。

 

 

「それは……っ、知ってるけど……。でも私、長野には帰らないよ?」

 

『オマエの言葉なんざ信用できるか。稀華様が安心して次期当主指名披露会に臨めるよう、大人しゅう、しといてもらおか。できへんかったらどうなるか、わかるやろ。……画面、クリックしてみ?』

 

「え……――っ!?」

 

 

 促されるまま、拒絶を忘れてマウスをクリックした瞬間――。

 

 液晶画面の上端から、どろり、と赤黒い粘着質な液体が滴り落ちた。

 それは、どう見ても生々しい『血』だった。

 

 ぬめつくような深紅の染みが、快斗たちの写った写真をゆっくりと侵食していく。

 快斗の眩しい笑顔を、青子のセーラー服姿を、蘭の優しい横顔を、コナンの小さな小さな体を――。

 

 一滴、また一滴。

 

 血の雫が画面の上を這うたびに、さっきまで輝いていた幸せな日常が、じわじわと確実な“死”の恐怖に塗り潰されていく。

 

 

「ぁ……っ……」

 

 

 花梨の喉から、空気の抜けたような掠れた悲鳴が漏れる。

 やがて写真の全面が、べったりとした赤に染まりきり――。

 

 

 “Everyone will die because of you!!”

 

 

 おどろおどろしい歪な黒い文字が、血の海の中に浮かび上がった。

 直後、ドクドクと文字が書き換わるように、日本語へと切り替わる。

 

 

 “オマエのせいでみんな死ぬ”

 

 

 ブル、ブル、と。

 逃れられない呪いのように、その文字が画面の中で小刻みに震え続ける。

 

 ただの悪質なデジタル演出のはずなのに、どうしてもそうは思えなかった。

 花梨は体の芯から這い上がってくる凄まじい寒気に襲われ、肩を小さく震わせる。

 

 自分のせいで、あの大好きな人たちが……。

 

 

『どや? よくできてるやろ~? わっはっはっはっ!! ……で? 誰からいくのがええ?』

 

 

 スピーカーの向こうで、竜哉は本当に愉快そうに腹を抱えて笑っている。

 

 

『刑務所ん中で知り合うてなぁ。便利な連中もおるもんや。金さえ積めば、“委託”も請け負ってくれるんやて。快斗……やったか? あの学ランの兄ちゃん。若いのにええ男やなぁ。……顔潰すんは、ちぃともったいない気ぃもするけどなぁ』

 

「っ、ゃ……めて……」

 

『ホンマ、便利になったもんやで。SNSで顔も居場所もよう分かる。あ~、ガキ専門の奴も確かおったわ。あのチビなんか、一捻りやろな』

 

「っ、ぉ……ねが……っ、快斗たちに、手を出さないで……!」

 

 

 ……息が、うまく吸えない。

 

 喉の奥がひゅう、と細く鳴り、肺が内側から握り潰されたように苦しかった。

 指先は氷のように冷え切っているのに、背中には嫌な脂汗が、じっとりと滲んでいく。

 

 快斗が。

 蘭が。

 新一が。

 みんな、私のせいで――。

 

 その最悪の光景を脳裏に想像しただけで、心臓が壊れそうなほど激しく脈打った。

 花梨の声は完全に震えていた。

 

 

「……今、私には身辺警護の人が付いていて……」

 

 

 言いかけて言葉が完全に途切れた。

 どれだけ必死に息を吸おうとしても、必要な酸素がどうしても肺に入ってこない。

 

 過呼吸の波が押し寄せ、視界の端がじわりと黒く滲み、指先の感覚が急速に遠のいていく。

 

 ……だめ。

 ……落ち着いて。

 

 頭では必死に分かっているのに、恐怖に支配された身体だけが全く言うことを聞かない。

 

 快斗が。

 蘭が。

 新一が。

 

 その大切な名前が浮かぶたびに、喉の奥がひきつったように激しく締め付けられた。

 

 

(快斗たちを危険に晒すわけにはいかない……。私がいなければ、みんなは助かるんだ……)

 

 

 過呼吸の苦しみの中で、思考はそこでぷつりと途切れた。

 ……それでいい、と、心のどこかで思ってしまった。

 

 

(やっぱり……私の最期は稀華ちゃんなんだね……)

 

 

 ゆっくりと瞼を閉じ、浅い呼吸を少しずつ整える。

 

 六月に自分がいなくなる――母のあの言葉が、妙に現実味を帯びてきた。

 

 花梨は震える手で胸元をぎゅっと掴んで、逃れられない残酷な運命を受け入れる覚悟を決めた。

 

 

『“もう命が狙われることはなくなった”言うたらええ。稀華様もワシに託してくれたさかいな。次の金曜、大阪まではなんもせんといたろ。最後の一週間、シャバの空気を満喫したらええわ』

 

「……わかりました。そうします」

 

『……金曜の夜、大阪に着くんやろ? 二十二時、桜橋口や。ほな、よろしゅう♡』

 

 

 ブツッ。

 

 一方的に通話が切れて、室内にツー、ツー、ツー、と無機質な音が虚しく響く。

 

 

「……こんな終わりかたは、ちょっと予想してなかったな……」

 

 

 ぼたぼたと、花梨の金の瞳から大粒の雫が溢れ出し、冷たい机の表面へと落ちていく。

 

 

「はは……。快斗……ぅぅ……」

 

 

 その夜、花梨は何も食べることができなかった。

 ただ一晩中、大切な人の名前を呼びながら、泣くことだけを続けていた。

 

 

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