白月の君といつまでも   作:はすみく

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-- Spring, about 17 years old

▽前回のあらすじ
竜哉からの脅迫電話を受け、PCを開いた花梨。画面に映る快斗やコナンたちの盗撮写真が、悪意を孕んだ赤に染まっていく。「お前のせいでみんな死ぬ」――大切な人を守るため、花梨は残酷な運命を受け入れる覚悟を決める。

第192話
404 Not Found


192:消えた画面の向こう側

 

 

 

 

 今の画面に何かヒントはないものか――。

 もう一度――と。

 

 カチッ……。

 コナンの小さな指が、祈るように更新キーを叩いた、その刹那――。

 無情にも、液晶画面は真っ白な虚無へと切り替わった。

 

 

 “404 Not Found”

 

 

「……っ、消された……!? あいつら、証拠を隠滅しやがった……!!」

 

 

 コナンが悔しげに声を荒らげる。けれど、松田は突然消滅した画面を見つめたまま、ふっと短く息を吐き、パソコンに向けて構えていたスマホを静かにポケットへしまった。

 

 

「……いや。ボウズ、犯人側が消したんじゃねぇな」

 

「え……?」

 

「サーバーの削除ログやこのタイミングから見て、外部からのハッキングじゃねぇ。これは花梨だ。……あいつ自身が、消したんだ。俺たちが来るのを見越して、ギリギリで自動消去されるよう仕込んでやがった」

 

 

 松田の冷静な言葉に、コナンはハッとして真っ白な画面を凝視する。

 

 ほんの一瞬前まで映っていた、自分たちの盗撮写真。

 あんなものを見れば、自分や松田が黙っていられなくなることくらい、聡明な彼女なら痛いほど分かっていたはずだ。

 

 

(……オレたちを、これ以上巻き込まないために……?)

 

 

 コナンの胸の奥深くで、何かが冷たく重く沈んでいった。

 喉の奥が焼けるように痛み、眼鏡の奥の視界が悔しさで滲みそうになる。

 

 

「……バカ野郎。

……一人で全部抱え込んで、証拠も全部消して……。それで、自分だけがこの世からいなくなれば、全部済むと思ってんのかよ……!!」

 

 

 なぜ、「助けて」と一言、オレたちに言ってくれなかったのか。

 なぜ、あのとき、もっと一歩踏み込んで、彼女を強引にでも問いたださなかったのか。

 

 花梨の様子が最近どこかおかしいことに、本当は気づいていたはずなのに――。

 

 コナンは爪が皮膚に食い込むほど、小さな拳をきつく握り締める。

 

 

「……東雲セキュリティって、敵なの?」

 

「……あ?」

 

「ボク、松田刑事とここで会う前、東雲セキュリティのビルに行ってきたんだ。でも、受付で門前払いされちゃって」

 

「っ、そうか! あいつ! 警護人付けてたじゃねーか! なのに、こんな最悪のタイミングでミスったってのか!?」

 

 

 松田は即座にスマホを取り出すと、東雲セキュリティの代表番号に荒々しく連絡を入れた。けれど、耳に返ってきたのは、にわかには信じられない言葉だった。

 

 

「……なんだと? 契約解除……? おい、佐藤。もういっぺん言ってみろ……おう……っ。花梨本人の強い希望で、水曜日付で全ての警護契約を打ち切っただと……!? ――は? 明日直接来いって? ……チッ、わかった」

 

 

 電話の向こうで、低く落ち着いた男性の声が響く。

 松田が親しげに「佐藤」と呼んだその人物は、少なくともコナンの記憶にない声だった。

 

 

「チッ……」

 

 

 通話を切った松田の端正な顔が、やり場のない怒りで激しく歪んでいた。

 

 

「松田刑事、どうだった!? 花梨姉ちゃんが自分で契約を打ち切ったって聞こえたけど……」

 

「ああ。花梨の奴、先週の水曜にたった一人で東雲セキュリティのオフィスに出向いて、警護契約を完全に解除したんだと。あいつ……何から何まで、全部一人で勝手に決めちまいやがって……」

 

「じゃあ……東雲セキュリティは、花梨姉ちゃんを裏切った敵じゃないってこと……!?」

 

「っ、その辺が、まだ曖昧なんだよ……。敵とも味方とも、今の段階じゃあ決めきれねぇ」

 

 

 コナンの問いに、松田は深く眉を顰める。

 その巨大な警備会社の真意を、まだ図りかねているようだった。

 

 

「え?」

 

「あの会社、『白河』がバックについてる」

 

「っ、それじゃあ!」

 

「けどな……」

 

 

(あの多紀婆が、実の孫である花梨を地獄へ追いやるとは、どうしても思えねえんだ……。だって、たった一人の孫だぞ!?)

 

 

 ……四年前、松田は職務を通じて、花梨の祖母である人物と一度だけ公式に顔を合わせたことがある。

 

 彼女こそが、白河家の現当主――。

 若い頃はさぞ男を狂わせただろうと容易に想像できる美貌の持ち主で、この上なく品があるが、ツンと冷たそうな雰囲気に、絶対的な威厳を纏った和服姿の女性だった。

 

 若気の至りで、松田がつい、その圧倒的な存在感を前に『多紀婆』と呼んでしまったときのことだ。彼女は――。

 

 

『フン、あんたの婆になった覚えはないよ、ひよっこ。だがまあいい。その物怖じしない不遜さ、そう呼ぶのを許してあげようかねぇ』

 

 

 まだ煙を吸う前の、鈍く光るプラチナのキセルで、板の間の上に正座させられていた松田の顎をぐいと持ち上げたのだ。

 冷たく蔑むような王者の瞳で見下ろしたかと思うと、次の瞬間、多紀はフッと妖艶に、愉快そうに微笑んだ。

 

 男勝りで気の強そうな彼女に、年齢がいくら離れすぎているとはいえ、松田は不覚にも心臓をどきりとさせられたのを覚えている。

 

 

(多紀婆……。俺の直感じゃ、あの人は、不器用なりに花梨を大事に思ってる)

 

 

 キセルの冷たい質感と、鼻腔をくすぐった高価な白檀の残り香。

 あの一瞬だけ、多紀が見せた微笑は、弱者を踏みにじる蛇のそれではなく、不器用な身内を遠くから厳しくも見守るような、底知れない慈愛を含んでいた。

 

 警察の理屈も、世間の常識も一切通用しない、「白河」という巨大な治外法権。

 だが、あの多紀が、愛娘の遺した孫娘を暗闇へ叩き落とすような真似を黙って見ているとは、どうしても思えなかった――あの底知れない瞳を見た限りは。

 

 

「……松田刑事?」

 

 

 コナンの怪訝そうな声に、松田はふっと過去の意識から引き戻され、乱暴に自分の黒髪を掻き回した。

 

 

「……チッ。どいつもこいつも、大人も子供も、隠し事ばっかりしやがって」

 

 

 すでに“404 Not Found”に変わっている画面を前に、松田は小さく舌打ちすると、ノートパソコンをパタンと閉じる。

 主を失い、冷たい沈黙を守るこの部屋で、これ以上頭を捻っていても、新しい事実は出てこない。

 

 ……けれど、コナンはまだ、閉ざされたモニターの奥にじっと視線を止めたままだった。

 

 ゴミ箱の片隅にひっそりと残されていた、もう一つの未送信メール。

 

 

 “快斗へ”

 

 

 そのたった三文字のタイトルが、どうしてもコナンの頭から離れない。

 

 

(あいつに、最後の一瞬、何を伝えようとしていた。あいつにだけ、何を遺そうとしたんだ…)

 

 

 コナンの指が、何かに吸い寄せられるように、再びノートパソコンの天板へと無意識に伸びる。

 一秒でも早く手がかりが欲しい。その一心で蓋を開けようとした、まさにその時――。

 

 

「……やめとけ」

 

 

 低く、けれど一切の拒絶を許さない松田のドスの利いた声が、静まり返った部屋に響いた。

 コナンの小さな肩を、大きな、熱い掌ががっしりと上から掴んで制する。

 

 

「……っ、でも、松田刑事! 花梨姉ちゃんを救うための重大な手がかりが残ってるかもしれないんだよ!?」

 

「あいつが、わざわざ『ゴミ箱』に放り込んだんだ。……それは、誰にも見られたくなかった心の裏側か、あるいは……自分でもこれ以上言っちゃいけねぇと、必死に封じ込めた言葉だ」

 

 

 松田は、黒いサングラスの奥から、閉ざされた画面をじっと見つめた。

 

 

「名探偵君。……たとえ生死がかかってようが、女が本気で惚れた男に宛てて、結局出せなかった言葉を……俺たちが横から土足で覗くような、そんな無粋な真似、できるかよ」

 

「…………っ」

 

 

 工藤新一としての探偵のプライドが、松田の放った「無粋」という重い一言に、完膚なきまでに叩き伏せられる。

 

 

「……それは、あいつらがいつか……生きて直接言葉を交わす時のために、大切に残しておいてやれ。俺たちが今してやれるのは、その『いつか』を、この手で力ずくで引き寄せてやることだけだ。だろ?」

 

「…………うん」

 

 

 コナンは、握りしめていた拳の力をゆっくりと抜いた。

 

 松田の言う通りだ。今は彼女の隠した心を読むことよりも、彼女の身体をこの世界に繋ぎ止めることが先決だ。

 

 

「よし、引き上げるぞ。……今日できるのは、ここまでだな」

 

 

 松田は立ち上がり、部屋の隅々にまで鋭い視線を這わせた。まるで、目に見えない花梨の残り香を、己の記憶に深く刻み込むかのように。

 

 

「明日、東雲セキュリティへ行って、直接話を聞くことになった。……佐藤の野郎、電話じゃ言えねぇ何かを確実に握ってやがる」

 

 

 松田の言葉に、コナンが弾かれたように顔を上げた。眼鏡の奥の瞳が、証拠を押さえた探偵のそれに切り替わる。

 

 

「ボクも行く! 花梨姉ちゃんの契約解除の真相、ボクも自分の耳で確かめたい!」

 

 

 その小さな体から溢れ出す、工藤新一としての執念。

 松田は一瞬、「危ねぇから大人しくしてろ……」と言いかけたが、目の前の少年の“誰より悔しがってる顔”を見て、その言葉を飲み込んだ。

 

 

「……わかったよ。だがな、名探偵君。あそこは普通の民間会社じゃねぇ。白河の当主……多紀婆の城だ。俺の後ろから一歩も離れるんじゃねーぞ?」

 

「……うん。わかってる」

 

 

 二人は、主不在の冷たい空気が満ちた花梨の部屋をあとにした。

 玄関の鍵を閉める乾いた金属音が、静まり返った廊下に寂しく響き渡る。

 

 明日、佐藤は何を語るのだろうか。

 江古田の空は、明日の激しい嵐の予感を孕んで、重く、昏く沈んでいた。

 

 

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