白月の君といつまでも   作:はすみく

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-- Early Summer, about 17 years old

▽前回のあらすじ
「死にたくなければ呼吸しろ」――竜哉の死体に過呼吸を起こした花梨を、ジンは冷徹に支配し連れ去る。意識を失った彼女が夢見たのは、快斗との幸せな記憶。だがその光も紅蓮の炎に焼き尽くされ、目覚めた現実には、焼け落ちたビルの前で絶望するコナンと松田の姿があった。

第198話
偽りのシナリオ?


198:手の届くはずの場所で

 

 

 

 

 土曜日。

 東雲セキュリティで得た情報をもとに、松田の口から語られた内容は、コナンの理性を激しく揺さぶるものだった。

 

 

「……花梨が“留学”したって話、どうやらマジみてぇだ」

 

 

 煙草を咥えたまま、どこか投げやりに、しかし断定するように告げられた言葉に、コナンの心臓が大きく跳ねた。

 

 

「そんなわけ……!!」

 

 

 目を大きく見開くコナンを見て、松田の口角がわずかに上がる。

 

 ……松田の脳裏に、数十分前の佐藤とのやり取りが蘇る。

 

 多紀がいなくなったあと、松田はコナンに帰宅するよう勧め、佐藤から話を聞くべく、応接室に戻った。

 なぜ花梨が警護契約を解除したのか……その詳細をまだ聞けていなかったからだ。

 

 

『佐藤、あとで話がある。ここで待ってろ』

 

 

 低く、脅すようにそう言って、多紀をすぐ追いかけたが、すでに姿はなかった。

 すぐさま応接室に戻ったが、「待ってろ」と言ったはずなのに、佐藤の姿がない。

 それだけで、松田の怒りが臨界に達した。

 

 佐藤がトイレから戻って来た瞬間。

 松田の拳が、佐藤の顔のすぐ横をかすめ――背後の重厚な木製ドアを、鈍い音と共に数センチ陥没させた。

 

 拳からは血が滲んでいたが、そのままの状態で、彼は花梨が契約を解除した理由をすべて吐かせた。

 

 そして、他に何か知らないかと尋ねてみれば――。

 

 

「……大阪? 恋人と旅行だぁ?」

 

 

 松田の低い声が、震える佐藤の鼓膜を打った。

 

 

「は、はい……! 伊藤の話では、水曜にここを去る時、花梨様はすごくスッキリした顔で『金曜から大阪へ旅行に行く』と……。恋人との初旅行なんだって、嬉しそうに話していたそうなんです」

 

「……あいつがそんなこと、自分からペラペラ喋るわけねーだろ」

 

「それが……伊藤君も『一筆書いてもらいましたし、大丈夫でしょう』なんて楽観的で。私はその……降谷君や松田君がどれだけあの子を大事にしてるか知ってるから、不安で……。松田君が来たら歯医者の予約をしなきゃいけないって、震えてたんです。……整形外科がよかったかな……?」

 

 

 松田の拳を横目にして震える佐藤が差し出したのは、“警護不要”の同意書と、花梨が、最後に自分たちに向けて残したという書き置き。

 そこには、彼女の綺麗な字で、事務的な言葉の隙間に“佐藤さんと伊藤さんを、叱らないでくださいね☆”という、あまりにも不似合いな星マークが躍っていた。

 

 

「……『全部私のわがままなの』、かよ。……バカ野郎が」

 

 

 松田は陥没したドアから拳を引き抜くと、書き置きを胸ポケットに押し込んだ。

 佐藤の言う“大阪旅行”が、彼女が必死に作り上げた“誰も傷つけないための嘘”であることは、松田にも分かっていた。

 だが、多紀が“留学した”と言った以上、それを前提にして動くしかない。

 

 それに……コナン。

 あの小さな少年を、どろどろとした汚い大人の世界に引きずり込むわけにはいかない。

 

 きっと、花梨もそう望んでいるだろう。

 あの子はそういう子だ――。

 

 松田は、多紀の言葉と佐藤から聞いた話を反芻しながら、佐藤から預かった書き置きを胸ポケットにしまい、結局ロビーで待っていたコナンの頭をそっと撫でた。

 

 

「あいつが、何も言わずに勝手にいなくなるなんて……!(あり得ねえ……!)」

 

 

 納得がいかないコナンは松田の手を払い除けた。

 

 

「今ごろは出国手続きも済んで、空の上か、向こうの地を踏んでる頃だろうって話だ」

 

「っ!!?」

 

 

 コナンの目の前が真っ白になった。

 

 そんなはずはない。

 花梨が、オレ(新一)を置いて独りで遠い場所へ行くはずがない。

 

 

「だからよ。お前は、あいつから呑気な絵葉書でも届くのを大人しく待ってな。おチビちゃん」

 

「松田刑事!! 本気で言ってるのかよ!? あいつの様子、おかしかっただろ!? あのPCにあったテキストだって……!!」

 

「……これ以上は俺たち警察の仕事だ。ボウズは深入りすんな。分かったな?」

 

 

 サングラスの奥の瞳を鋭く光らせ、松田はそれ以上の追及を拒むように背を向けた。

 その背中は、怒りと後悔を必死に隠していた。

 それは、正義の味方としての警告であり、危うい橋を渡ろうとする少年への、彼なりの不器用な“保護”だった。

 

 ……花梨のそんな不器用な嘘を、信じたわけじゃなかった。

 

 けれど、あの松田刑事がそこまで言うなら、と。コナンは一瞬でも引き下がってしまった自分の甘さを呪いたくなった。

 あの時、引き下がった自分を殴りたいほどに――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、月曜日。

 

 阿笠博士の家でサイレンを聞き、「近所で火事か?」と軽い胸騒ぎを覚えて駆けつけたのは、つい数十分前。

 立ち入り禁止のテープの向こう側、野次馬を掻き分けて最前列に立っていた松田を見つけた時、コナンはまだ、この火災が花梨と結びつくなんて思ってもいなかったのだ。

 

 

「松田刑事……! なんで、あんたがここに……っ!?」

 

 

 駆け寄ったコナンの声に、松田は気づかなかったのか、振り返ることさえしなかった。

 ただ、焼け落ちるビルを睨みつけ、ポケットの中で紙がくしゃりと悲鳴を上げた。花梨が残した書き置きを、握りつぶすように拳を固めている。

 ……書き置きの端が少しだけ、ポケットからはみ出していた。

 

 

(その書き置きは……)

 

 

 松田はコナンをその場に残し、野次馬を制する警官の元へと歩いていく。

 

 

「松田刑事……」

 

 

 自分に話すつもりはないのだと理解したコナンは、黒く焼けたビルを見上げる。

 

 

(……ここは、米花町二丁目……。オレん家から歩いて数分の場所だぞ? それに、松田刑事が握ってたあの書き置きは……)

 

 

 なぜ、松田が管轄外のはずのこの現場に、これほどまでの殺気を纏って立っているのか。

 その答えは、周囲の警官たちの緊迫したやり取りによって、最悪の形で示された。

 

 

「――ああ、近所の住人の証言だよ。『長い銀髪の黒ずくめの男』が、……」

 

 

(ん……? “長い銀髪の黒ずくめの男”……だとっ!?)

 

 

 コナンの背筋に氷を押し当てられたような戦慄が走る。

 

 

(その人物……まさかとは思うが――)

 

 

 一瞬、脳裏に浮かんだ名前を、コナンはすぐに打ち消した。

 

 

(いや、まだ情報が足りねぇ……。前に花梨自身も言ってた。“黒ずくめ”にも色んな連中がいるって……。あれを一括りにするのは危険だ)

 

 

 証言の続きに耳を傾けながら思考していたが、警官は何者かに呼ばれ、すぐにその場からいなくなった。

 コナンは野次馬に紛れた警官の後を追う。

 その先で、松田が警察手帳を見せ、警官から話を聞いていた。

 

 

「じゃあ、引き続き情報収集頼むわ」

 

「はいっ!!」

 

 

 松田と話を終えた警官は敬礼をして走っていった。

 やっと追いついたコナンは堪らず声を掛ける。

 

 

「っ、松田刑事っ!!」

 

「……ん? コナン、お前……。あ、そうかお前、米花町だったな。ボウズはそろそろ寝る時間だぜ? こんな所に来てんじゃねーよ」

 

「今っ、犯人の目撃情報を聞いたんでしょ!? ボクにも教えてよ!!」

 

「……人が死んでるんだ。ガキには刺激が強すぎる。聞かせらんねーよ」

 

 

 煙に巻くようにして、松田はコナンの頭をポンポンと軽く叩いた。

 子どもである自分を遠ざけようとしていることは、コナンにもわかる。

 

 だが、さっきから嫌な予感がするのだ。

 

 

「オレはガキじゃねえっっ!!」

 

 

 コナンは松田の手を勢いよく叩き落とした。

 

 

「っ……なんだよお前……血相変えて……小学生は立派なガキだろうが……」

 

「ポケットの手紙っ! 花梨姉ちゃんのだろっ!? なんで今、それを手にしてるんだよっ!? この火事! 花梨に関係してんのか!?」

 

 

 言葉が乱暴になる。

 花梨が関わっているとあれば、コナンの皮など被ってる場合じゃない。

 

 コナンの指摘に松田は、一瞬目を見開き、言葉を失った。

 

 

「…………はあ……鋭いガキだなぁ……。しゃあねぇ、すこーしだけ教えてやる。けど、首を突っ込むのは禁止、な? 約束できるか?」

 

「うん!」

 

「……返事だけはいいな、お前……まあいい。放火されたビルの中から焼死体が見つかった。真っ黒に焼け焦げてるんで、性別はまだ判明してねぇ。けど、かなりガタイがいいから、たぶん男だろう。で、ここからは近所の目撃談な?」

 

「……放火殺人……! 男が……」

 

「付近の防犯カメラに――」

 

 

(……単独犯じゃねぇのは間違いねぇ。だが、“どこの組織だ”と断言できる材料はまだねぇな……一条稀華側の線も捨てきれねぇ。あの黒ずくめが別の組織って可能性もある……)

 

 

 眉を顰めた松田の口から語られる情報を聞くうち、コナンの瞳が険しさを増していく。

 

 

(……付近の防犯カメラに、あいつの……“ポルシェ356A”が映っていた……だと……!? 銀髪の黒ずくめ、ポルシェ356A……これだけの目撃情報があるんだ……間違いない。ジン……! 警察の目を盗んで、この火災現場の近くにいたってのか……!?)

 

 

 さっきの警官の話といい、今聞いた話といい。

 組織のジンがいたことは間違いない。

 

 だが、続く話にコナンの胸が痛みを帯びる。

 

 

「――“銀髪の黒ずくめの男”が、自分と似たような“白い髪に、全身真っ白な服を着た若い女”を、乱暴に車へ放り込むのを見たってな……」

 

「っ……花梨っ……!!」

 

「服装もそうだけど、白い髪が二人もいたもんだから、嫌でも目立ってたらしい」

 

 

 その言葉を聞いた瞬間、コナンの頭の中で、バラバラだったピースが最悪の形を成して繋がった。

 

 

(……クソッ、よりによって、米花町二丁目……オレん家から歩いて数分の、この住宅街の中で……ッ!)

 

 

 周囲は閑静な邸宅が並ぶエリアだ。なぜ、こんな死角のような場所に、目立たない雑居ビルが潜んでいたのか。

 まるで、この日のためにあつらえられた“檻”のように――。

 

 阿笠博士の家も、工藤新一としての自分の家も、目と鼻の先にあるこの場所で、あいつらは火を放ち、花梨を奪っていったのだ。

 自分のホームグラウンドで、警察の目すら欺いて。

 

 オレの目の届く、手の届くはずだった距離にいながら、なぜ――。

 探偵としての矜持が、焼け焦げた壁と共に崩れ落ちていく感覚に、コナンは歯を食いしばった。

 

 

(黒ずくめに……白い、髪……!)

 

(……待て)

 

(大阪でいなくなった花梨が、東京まで連れて来られたってのか……?)

 

(いや、今は情報の整理だ……)

 

 

 ジンの、あの忌まわしい銀髪。

 そして……花梨の、あの透き通るような白い髪。

 彼女の白髪は、闇の中では逆に目立つ。

 

 

(嘘だ……。留学なんて話が“事実として扱われてる”こと自体、おかしすぎる……)

 

 

 松田刑事も、あれを本気で信じてるわけじゃない。

 それなのに――オレを遠ざけるために、あえてそう言ってやがる。

 

 

(ジンの野郎、花梨を――!!)

 

 

 “留学”という偽りのシナリオ。

 それを覆すように現れた漆黒の影。

 

 焦げた臭いが充満する現場で、コナンは確信する。

 

 花梨は、自ら姿を消したんじゃない。

 彼女は今、この煙の向こう側――“組織”という名の奈落へ引きずり込まれたのだと。

 

 

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