▽前回のあらすじ
組織の施設で目覚めた花梨は、自らを「測定」しようとする志保(シェリー)の孤独な心に触れ、優しく寄り添う。死を覚悟した彼女が、実験の中で組織員たちの過去を次々と的中させる異常なまでの「神子」の異能。その証明は皮肉にも、彼女をより深い闇へと縛り付ける決定打となってしまう。
第203話
花梨の情報開示回
◇
異能実験が終わり、眉を顰めたシェリーは、記録の詰まった実験結果を抱え、花梨を部屋に一人残して足早に出て行った。
「シェリー……?」
マジックミラーが鈍く光る無機質な実験室に、花梨の小さな声が溶ける。
少し薄暗いその空間には、先ほど目を覚ました医務室とは明らかに違う、死を予感させるような冷たい静寂が横たわっていた。
ついさっきまでスピーカー越しに響いていたシェリーの声も、今はもう聞こえない。
(ここで待っていればいいのかな……?)
逃げる気など、最初からさらさらない花梨は、部屋の中央にぽつんと置かれたパイプ椅子に腰かけたまま、所在なげに足先をぱたぱたと動かしてみる。
膝に置いていた手も、やり場を失って彷徨い、吸い寄せられるように首元のネックレスに触れた。
(快斗……これがあると、なんだか安心できちゃうから不思議……)
指先に伝わるネックレスのトップ……銀色のプレートの硬質な感触。
花梨の唇から小さく、ふふっ、と温かい笑みがこぼれる。
自分がこの場所に囚われたことで、快斗たちの日常は守られた。そして今、こうして彼のぬくもりの結晶を肌身離さず感じていられる――それだけで、今の彼女には充分だった。
花梨はネックレスからじわじわと伝わってくる幸福感を噛みしめる。
そんな静謐な時間を破ったのは、唐突に開いた重厚な扉の音――。
「かーりんちゃん♡ お茶にしましょ♡」
現れたのは、毒気を含んだ甘い香水を纏ったベルモット。
魅惑的な微笑を浮かべた彼女が、「こっちにいらっしゃい」と優雅に手招きする。
「っ、はいっ!」
その圧倒的な威圧感と美しさに、花梨は吸い寄せられるように椅子から立ち上がった。
「さすがね~。本物は違うわね」
「本物って……私、稀華ちゃんの身代わりだっただけで、本当は偽物なんですけど……」
「……ふぅん?」
実験を見ていたらしいベルモットは、エレベーターの中で、値踏みするように花梨をじっと見つめ、思わせぶりに鼻を鳴らした。
連れられてやって来たのは、冷たい地下施設からは想像もつかない、どこかのビルの屋上だった。
遮るもののない空の下、白いパラソルとテーブルが用意されている。テーブルの上には華やかなティーセットと、色とりどりのマカロン。
「さあ、遠慮なくどうぞ?」
促されるまま向かいに腰を下ろした花梨は、差し出されたピスタチオのマカロンを一口、口に運ぶ。
「いただきます……わぁ、このマカロンおいしい♡ ベルモットさん、どこのお店で買ったんですか!?」
濃厚なコクと香ばしいナッツの風味が鼻腔を抜け、花梨の瞳がぱっと輝いた。
「あら、気に入った? あなたのために買ってきたから、好きなだけ食べなさい」
「うれしい……♡ 紅茶もおいしいし……♡」
「ふふふ……白猫ちゃん、あなたって、本当に可愛いわね」
屈託のない笑顔でマカロンを頬張る花梨を見つめるベルモット。その眼差しは優しく、傍から見れば優雅な休日を楽しむ母娘のような光景だった。
だが、ベルモットの口から漏れる言葉は、常に冷徹な真理を孕んでいた。
「ピスタチオ……ナッツの女王ね。ふぅん……女王、ねぇ……」
意味ありげに呟き、ベルモットは長い脚を組み替えてティーカップを傾ける。
「さっきの実験だけど……花梨。あなたって、本当に過去が視えるのね」
「あ……」
花梨の手がぴたりと止まった。
どう答えたらいいのだろう。
過去が視えるのは本当だが、実験室で告げたように、はっきりと伝えたのは初めてだ。
亡き母から、過去と未来が見えても、「決して口にしてはいけない」と言われてきた。
それを破ってしまった事実を、はっきり認めるようなことを言ってもいいのだろうか……。
動揺した花梨の瞳が左右に泳ぐ。それを見逃さず、ベルモットは愛おしげにクスリと笑った。
「ふふ、私が実際体験しているし、今回は過去だけ視てもらったけど……白河の神子が過去と未来を視る存在だってことは、もう証明されてしまっているのよ」
「……でも、神子は私じゃ……」
(次の神子は、お婆さまに選ばれた稀華ちゃんだもの。母屋で大切に育てられて、誰もが彼女に従っていた。私は、別邸で一人だったし……それなのに)
俯く花梨を、ベルモットは愉快そうに眺めていた。
「実を言うとね、組織はずっとあなたを捜していたのよ。……でもね、ちっとも近づけなかったんだから。不愉快なくらいに」
「え……?」
「なぜかあなたの周りだけ、ガードが異常に固くてね。噂に聞く『影衆』かしら? ……あのアメリカの時もそう。この間まであなたの傍にいた、あのこわーい警護の女も。……それに、あの可愛いボーイも、なーんか邪魔なところで立ち塞がっちゃって。愛の力かしらねぇ♡」
ベルモットの脳裏をよぎる、江古田の街で見かけた快斗の姿。そして、常に花梨の背後に潜んでいた権堂明日香の、鋭すぎる視線。
「ねえ、本当にいるのかしら? 白河を密かに守り抜くという、実体のない『影衆』なんて連中が」
「……かげ、しゅう……?」
花梨は、ぱちぱちと目を瞬かせると、心底不思議そうに首をかしげた。
そんな名前、一度も聞いたことがない。
だって、自分は偽物なのだから当然だ。
そんな人たちが、仮に本当にいたとして、偽物の自分ではなく、稀華の警護にあたっているだろう。
それよりも、ジンもそうだったが、なぜ彼女たちは自分を“神子”と呼ぶのだろうか……。
ベルモットの言葉には、自分と世界との認識が根底から食い違っているような違和感があった。
「あら、知らないの? 神子さまは何も知らされてないのねぇ。……それとも、何も知らないフリをさせられているのかしら?」
「…………知らないフリというか……本当に知らないです、ね……」
(権堂さんは、契約したから付いた警護人さんだし……快斗は、恋人だからそばにいてくれただけだと思うけど……アメリカ……? あのときそんな人たちいなかったと思うんだけど……『影衆』なんて人たち、本当にいるのかな……)
花梨は、自分には関係のない話だと思いながら、紅茶を口にして、心を落ちつけるように息をついた。
「ふぅん……何にも知らされてないってわけね」
対して、ベルモットは紅茶のカップを軽く揺らした。
「じゃあ、“
「へ? しろみこ?」
花梨の鳩が豆鉄砲を食ったような反応に、ベルモットは呆れたように肩をすくめる。
「……フッ。白河って家は本当に、謎ばかりね。当人がなにも知らないなんて」
「……えと……?」
(当人と言われても……私は神子じゃないのに……)
稀華には、「あんたは偽物よ、この白ねずみ!」と花梨はよく言われていた。
この場合の“当人”とは、稀華のことを指すと思うのだが――と、花梨はベルモットの話す『白神子』がどんな存在なのかよくわからなかった。
そんな要領を得ない花梨に、ベルモットは続ける。
「白河の当主が神子ってことは、さすがに知ってるわよね?」
「あ、はい……お婆さまが神子で、次は稀華ちゃんが――」
「ちょっと待って」
ベルモットの指先が、言葉を途中で切るように花梨の唇に触れた。
「その“稀華ちゃん”の姓は?」
「えっと……一条です。お爺さまの息子さんが婿入りしてて、血筋は――」
「血筋の話は今いいわ」
ベルモットはさらりと言って、指を離さないまま目を細めた。
「もう一回言ってみて。稀華の姓は?」
目の前の娘は、自分が何者であるか、何も知らされていない。
一つ一つ自覚させる必要があると判断し、ベルモットは話す速度を下げた。
「あ、一条です。でも、お爺さまの息子さんが婿入りされているので……」
現当主の多紀には弟がいる。
弟の
「でも、一条の娘でしょ? 白河の家督を継げるのは、直系の女だけ。なのに現当主は、どうしてあの娘と養子縁組をしないのかしら? ……それと、忘れてるようだけど、花梨」
「はい……?(直系の女だけ……?)」
どういうことだろう……。
家督を継げるのが直系の女だけ――?
花梨は、初めて聞かされた自分のルーツに関する重大事項に、頭が真っ白になった。
「あなた、紛れもない白河の直系よね?」
(あなただけが、正統な血を引く白河の後継なのよ……)
ベルモットは、ここまで言えば伝わるだろうと思った。
「あ……はい、一応……そうなっちゃう……みたい、ですね……?」
「一応? フフ……。あなたの両親も、その『一応』に賭けていたのかしらね」
ティーカップを置き、ベルモットが楽しげに目を細めて花梨を覗き込む。
「ねえ、花梨。あなた、なぜ保育園で男の子の振る舞いをさせられていたか、本当の理由を考えたことはある?」
「えっ……それは、男の子が欲しかったからって……」
「……プッ、アハハハハ! 傑作ね! 本当にそう教えられていたの?」
ベルモットの艶やかな笑い声が、屋上の風に混ざる。
彼女は身を乗り出し、花梨の頬を指先でなぞった。
「白河の“classified information”……『真の力を持つ神子は、金の瞳を持つ女児として生まれる』。あなたの両親は、必死だったのね。こんなに愛らしい娘を、わざわざ男の子として育て、その異能を“ただの勘”として隠蔽しようとした。すべては、あなたをこの『闇』から遠ざけるため……
ベルモットの言葉に、花梨の脳裏を、幼い日の記憶が掠める。
短く切り揃えられていた髪。
『花梨、お前は男の子として生きるんだ。それがお前を守る唯一の魔法なんだよ』
父・朔太郎のあの悲しげな瞳。母・雪音が、花梨に可愛い服を隠れて着せてくれた後の、あの怯えるような抱擁。
(……男の子の格好をしていれば、この宿命から逃げられるって……信じてたんだ……)
「でも、本物の神子の輝きは、泥を塗っても隠せはしないわ。……あなたが成長し、その白銀の髪が隠しきれなくなった時、魔法は解けたのよ。花梨」
ベルモットは、組織で集めた裏付けのある情報を、当人である花梨に余すことなく伝えてやった。
「あ……」
花梨は、冷や水を浴びせられた気分だ。
焦点が合わない瞳で、食べかけのマカロンを呆然と見下ろしている。
一方で、当然の事実を“一応”と片付けようとする花梨の無欲さに、ベルモットは深いため息を吐き、組んだ脚を解くと、呆然とする花梨を見つめ、最後の一口の紅茶を飲み干した。
「……今は、その『一応』という言葉で逃げていてもいいわ。でも、組織も白河も、そして運命も……あなたが“白神子”であることから解放してはくれないのよ」
吹き抜ける屋上の風が、花梨の白い髪を激しく揺らす。
彼女が必死に握りしめている快斗のネックレスだけが、この狂った現実の中で唯一、彼女を“ただの少女”という輪郭に、かろうじて繋ぎ止めていた。