白月の君といつまでも   作:はすみく

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-- Early Summer, about 17 years old

▽前回のあらすじ
診療所で女医・浅井成実の手当てを受ける花梨。そこで彼女は、かつて島を富ませながらも、男と出奔し恨みの対象となった「月影様」の伝承を耳にする。成実の瞳に潜む闇を視た花梨は、静かな警告を遺して診療所を後にする。島に渦巻く古い記憶と、不穏なピアノの足音が、少女を迎え入れる。

第211話
遠くから聞こえるのは…。


211:遠くに聞こえる声

「んと……あ」

 

 

 液晶の光が、旅館の畳の上に青白く落ちる。

 画面に表示された日付は、『6月5日(金)』。

 

 

「…………一週間、かぁ……」

 

 

 快斗とお別れしたあの日も、金曜日だった。

 土曜日があって、日曜日があって……週が明けて、また金曜日が来た。

 

 自分が“死”を覚悟して組織の闇に身を投じている間に、世界は止まることなく、ちょうど一週間が過ぎていた。その事実が、数字となって花梨の胸に突き刺さる。

 

 画面を埋め尽くす通知の山。

 一週間という時間は、捜索を諦めるには短すぎ、希望を繋ぎ止めるにはあまりにも長すぎる。

 

 

(快斗……新ちゃん……みんな……)

 

 

 通知の束の向こう側に、一週間、睡眠を削ってでも自分を探し続けているであろう彼らの姿が透けて見えて、花梨はたまらずスマホを胸にぎゅっと抱きしめる。

 それから意を決し、一つ一つスワイプして消していく。

 天気の通知を見ると、これから雨が降るらしいが、明日の朝は晴れの予報。

 

 そんなとき、突然スマホが震えた。

 

 

「えっ、えっ!? えっ!!?」

 

 

 驚いた花梨は、スマホを畳に落とし、拾い上げた拍子に画面を強く叩いてしまった。

 運悪く――あるいは、運命の悪戯か。指先が通話ボタンを正確にタップしていた。

 

 

(わっ!? 押しちゃった……!?)

 

 

 動揺で心臓が飛び出しそうになる。

 いったい誰が、この深い夜に電話をかけてきたのだろう。快斗か、それとも新一か。

 旅館の部屋で、花梨は恐る恐るスマホを耳に当てた。

 

 

『……もしもし、花梨ちゃん?』

 

「…………(この声……)」

 

 

 耳に届いたのは、大好きな友達の、陽だまりのように優しい声だった。

 戦場に放り出された迷子が、故郷の歌を聞いた時のような安堵が花梨を包み込む。

 

 

「……ら、蘭ちゃん……?」

 

『あっ♡ やっと通じた~♡ 花梨ちゃん、急に留学したって聞いてびっくりしちゃったよ!? もっと早く言ってくれてたら、いっぱい遊びに誘ったのに~。遠慮して損しちゃった』

 

「あ、あははは……ごめんね。急に決まっちゃって……」

 

 

 蘭は、新一から聞いたのだろうか――花梨のついた「留学」という嘘を信じている。

 その曇りのない言葉が、今の花梨には眩しすぎて、少しだけ胸が痛んだ。

 

 

「……こんな時間にどうしたの?」

 

『うん、なんか声、聞きたくなっちゃって。そっちはどう? もう現地の生活には慣れたかな?』

 

 

 その時。

 開け放した窓の向こうから、雨を予感させる湿った夜気に乗って、

 

 ケロ……。

 

 遠くで小さな蛙の声が響いた。

 花梨は、雨でも降ってきたのかな……と何気なく窓の方を見やる。

 

 すると今度は窓の外から、

 

 

「○○をよろしくお願いしまーす!」

 

「頑張れよー!」

 

 

 そんな男たちの声が聞こえてくる。

 花梨は思わず苦笑した。

 

 

(そういえば、昼間もこんな声が聞こえてたっけ……選挙かな……?)

 

 

『花梨ちゃん?』

 

「あっ、ご、ごめん! なんでもないよ~♡ あ、現地の生活だっけ……ああ……ン~、そうだね。みんなよくしてくれてるよ?」

 

 

 嘘ではない。志保も、ベルモットも。そして今、外に出ているジンでさえ、彼なりの方法で花梨を“管理”してくれている。

 

 

『そっか。花梨ちゃんなら、どこに行ってもみんなに好かれちゃうよね♡』

 

「えへへ……そうかなぁ……? 蘭ちゃんはどうしてるの?」

 

『ん~、いつも通りかな。あ、でも明日ね、旅行に行くんだ~!』

 

「へ~、いいね! どこに行くの?」

 

『お父さんの依頼に、コナンくんと一緒に無理やりついて行くだけなんだけど。離島だから、都会の喧騒から離れて、のんびり過ごせるかなって』

 

 

 離島。その言葉に、花梨は窓の外の暗い海に目をやった。

 今自分がいるこの地も、また、逃げ場のない離島なのだ。

 

 

「ふふふっ、たまには家事から解放されてゆっくりしてね」

 

『うん♪ 楽しみなんだ♡ じゃあ、長電話してると勉強とか怒られるでしょ? そろそろ切るね。また、たまに電話するから出てくれる? 新一みたく全然繋がらないの、やだからねっ!』

 

 

 無邪気な蘭の約束が、花梨の首を優しく絞める。

 次があるかなんて、自分でも分からない。けれど――。

 

 

「あははは……うん、分かった」

 

『それじゃあ、おやすみなさい。向こうでも頑張ってね!』

 

「うん、おやすみなさい……蘭ちゃん」

 

 

 通話が切れると、部屋の中には再び、月影島の重苦しい静寂が戻ってきた。

 

 

「……蘭ちゃん……ありがとう……」

 

 

 もう届くことのない感謝を口にして、花梨は、今も購入した時のままの待ち受け画面を見つめた。

 

 もう聞けないと思っていた大好きな友達の声が、花梨の胸に深く染みわたる。

 

 ……会うことはできないけれど。

 

 花梨はそっと電源を長押しし、黒い画面に映る自分を見下ろす。

 そこに映った自分は、悲しみの表情ではなく、喜んだように微笑んでいた。

 

 

「よし、寝よう! あ、歯を磨かなきゃね……窓も閉めておかないと……」

 

 

 いつものルーティンで、歯を磨き、窓を閉め、布団に入る。

 床でもどこでも眠れる花梨にとって、布団に入れただけでありがたい。

 

 蘭の声も聞くことができたし……と、彼女はジンが戻って来るのを待たずに、快斗からもらったネックレスを握りしめ、静かな夢の中へと沈んでいった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌日――。

 島では選挙カーが朝からうるさく、選挙活動を展開していた。

 

 昨日から察してはいたが、旅館の人に聞いたら、村長選挙が近々あるそうだ。

 興味がない花梨とジンは黙々と朝食を食べ、旅館を出発する。

 

 

「今日はあの山の頂上に行く」

 

「ふえぇ……結構距離ありますね」

 

 

 歩きながらジンは、島の中央に位置する高い山、月影山の山頂を指さした。

 

 

「――野宿だ」

 

「え?」

 

「あの山の社は三社。いちいち旅館に戻ってくるのも面倒だからな。島周辺のはあとに回す」

 

「うう……なんか、白河のお家を思い出します……」

 

 

 四年前、登った戸隠山。

 あのときは少々邪魔が入ったが、降谷たちが一緒だった。

 

 今回はジン――誰であろうと、誰かがいてくれるのは、心強い。

 

 

「……あそこよりはましだろ」

 

「あ、やっぱり、知ってるんですね……」

 

 

 ジンは花梨が神事で登った一件を知っていた。

 かなり調べ上げられている。

 

 

「壊れる前に休め」

 

「…………はい」

 

 

 優しさなのかよくわからない気遣いを受けて、花梨は頷く。

 

 やがて入った山道は険しく、舗装されていない道が続く。

 だが、花梨の足取りは意外にも軽かった。組織が用意した登山靴は足首をしっかり固定し、撥水性に優れた高機能なアウトドアウェアは、島特有の湿り気を帯びた風を完璧に遮ってくれる。

 

 

(白袴で草履だったあの時に比べたら、ずっと歩きやすい……。組織の人たち、なんだかんだ準備がいいんだから……)

 

 

 ふと前を歩くジンの背中を見上げる。

 彼はあんなに長いコートを着ているというのに、乱れることのない足取りで、まるで見えない道が最初から分かっているかのように突き進んでいく。

 

 

「……ジンさん、疲れてませんか?」

 

「フン。余計な心配をしている暇があったら、呼吸を整えておけ。空気が薄くなるぞ」

 

「ふ、ふぁい!」

 

 

 相変わらずの素っ気なさだが、ジンは時折、花梨が立ち止まりそうになると、無言で歩幅を緩めている。

 その背中は、かつて彼女を守って山を登った降谷や諸伏たちの記憶と重なり、一瞬だけジンの黒いコートが、温かな夕陽の色に染まったように見えた。

 

 やがて、道が急激に細くなり、鬱蒼とした木々が空を覆い隠し始めた。

 周囲の空気が、ふっと冷たく変わる。

 

 

(……来る。……誰かの、声……?)

 

 

 耳鳴りのような、祈りのような微かな残響。

 この山の中に鎮座するらしい三つの社。

 そこには、成実先生が語っていた“恨み”とは違う、もっと根源的な“何か”が眠っている。

 

 花梨の指先が、無意識に組織から与えられたジャケットの裾をぎゅっと握りしめた。

 

 

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