白月の君といつまでも   作:はすみく

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-- Early Summer, about 17 years old

▽前回のあらすじ
ふもとの公民館で起きた火災。そこに新一たちがいると知った花梨は、ジンの冷酷な教唆に応じ、禁忌の異能「言霊」を解き放つ。嵐のような豪雨が炎を鎮め、コナンと成実は救われた。しかし、自然の理を捻じ曲げる神の真似事の代償は、花梨の肉体を激しく蝕む。その圧倒的な神威に初めての畏怖を抱いたジンは、彼女を組織の最高資産として抱え上げた。

第216話
未だ花梨は檻の中…。


216:白雨の檻

 

 

 

 

 翌朝。月影島の港は、昨夜の惨劇の爪痕を残しながらも、日常の朝を迎えていた。

 

 

「……結局、あの雨は何だったんだ?」

 

 

 定期船の甲板でコナンは、昨夜包帯を巻かれ、医療ヘリで運ばれていった成実を思い出しながら、青い空を仰ぎ見た。

 

 焼け落ちた公民館。一命を取り留めた成実。

 そして、あり得ないタイミングで降り出した雨と、建物の中へと吹き込んできた不自然な風。火事は瞬く間に収まった。

 科学では説明のつかない何かが、あの夜、確かにこの島に存在していた。

 

 

「……ねぇ、コナン君、行こう?」

 

 

 蘭に呼ばれ、コナンは最後にもう一度だけ、深く霧に包まれた月影山を見上げる。

 まさか、その山のふもとにある民宿の離れで、大好きな幼なじみの少女が、高熱でうなされ、眠っているとは夢にも思わずに。

 

 

「……うん、行こう。蘭姉ちゃん」

 

 

 船が港を離れ、波紋が広がっていく。

 

 ……海を望む部屋の窓際で、ジンが煙草をくゆらせながら、遠ざかっていく船を冷ややかに見送っていた。

 

 

「……起きたか、シャルトルーズ」

 

 

 ベッドの上で、花梨がゆっくりと目を覚ます。

 だが、その瞳にいつもの生気はない。焦点が定まらず、ただぼんやりと天井を見つめている。今の彼女の意識は、島を遠ざかるコナンたちの船どころか、外の世界を感知してはいなかった。

 

 ただ、枕元に置かれた“白い欠片”が、朝日に照らされて静かに輝いていた。

 

 

「あ……わた、し……? …………」

 

 

(だめ……眠くて、眠くて……とても、起きてられない……)

 

 

 花梨が意識を繋ぎ止めたのは、ほんの一瞬だった。

 抗い難い倦怠感が彼女を底なしの闇へと引きずり込んでいく。花梨はまた、重い瞼を閉じ、深い眠りに落ちていった。

 

 

「……寝ちまいやがったか。……チッ。ウォッカ。ヘリを寄こせ。場所は昨夜伝えたポイントだ」

 

 

 ジンはウォッカに連絡を取り、ヘリを手配させる。

 ジンの読みどおり、花梨の消耗は尋常ではなかった。数時間経っても、彼女が再び目を覚ます気配はない。

 

 午後――。

 月影山の秘密の広場に、組織が所有する黒塗りのヘリコプターが、風を切り裂きながら降り立った。操縦席に座っているのは、サングラスの奥で緊張を走らせるウォッカだ。

 

 

「施設に戻る。シェリーに世話をさせろ」

 

 

 ジンは意識のない花梨を横抱きにすると、ヘリの後部座席に静かに横たえた。その手つきはあくまで事務的だが、彼女の首が不安定に揺れるのを防ぐように、クッションを当てる配慮は忘れない。

 

 

「あ、あー……アニキ……その、シェリーなんですが」

 

「ああ?」

 

 

 ヘリが浮上し、月影島が急速に小さくなっていく中、インカム越しに聞こえるウォッカの声が妙に歯切れが悪い。

 ヘリの爆音の中でも、ジンの威圧感にウォッカの声はさらに低く震えた。

 

 

「……逃げやがりました。例の件がバレて反抗的だったもんで、研究室に閉じ込めておいたんですがね。忽然と姿を消しやがって……現在、全力を挙げて行方を追わせていやすが……」

 

「…………何だと?」

 

 

 ジンの周囲の空気が、一瞬で絶対零度まで凍りついた。

 今にも愛用のベレッタを抜きかねない、猛烈な殺気。

 だが、ジンは背後の座席で力なく眠る花梨を一瞥し、深く、鋭く息を吐き出した。

 

 

「……フン、あの女め。……いいだろう。行き先を変更しろ。施設には戻らん」

 

「えっ、ですが、この娘の処置は……」

 

「俺の隠れ家(セーフハウス)だ。……この女を、嗅ぎ回るネズミどもに晒すわけにはいかねえからな」

 

 

 ウォッカは驚きに目を見開いたが、ジンの命令は絶対だ。黒いヘリは進路を都心の喧騒から外れた、人気の途絶えた湾岸の倉庫街へと向けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……数時間後。

 ジンの私的な隠れ家(セーフハウス)――。

 

 最低限の家具と、冷たい電子機器の光だけが灯る無機質な空間に、花梨は運び込まれた。

 ジンは彼女をベッドに横たえると、自ら点滴の準備を始める。組織で身につけた医療技術は、並の医者にも引けを取らない。

 

 

(……シェリーが消え、代わりの“白神子”が手に入った。……皮肉なもんだぜ)

 

 

 窓の外では、遠くに夜の街が宝石を撒き散らしたように輝いている。

 その光のどこかに、小さくなったシェリーが、そして花梨が助けた新一がいる。まだジンはその真実には辿り着いていない。

 

 

「…………」

 

 

 ジンは、花梨の青白い頬に触れた。

 高熱にうなされる彼女は、うわ言で何度も「新ちゃん……」と、聞き覚えのある名前を繰り返している。

 

 

(……新ちゃん……? ああ、死んだ工藤新一か……? そういや幼なじみだったな……まだ、あの探偵の亡霊を追っているのか)

 

 

 ジンは冷ややかに笑うと、彼女の枕元に、あの“白い欠片”を置いた。

 石のようでもあり、真珠のようでもあるそれ。あのとき、確かに花梨が、社に納めたはずのそれ。

 なぜか彼女を守るようにそばにあった。

 

 五百年前の悲劇を解き放ち、今、組織の闇に深く沈んだ少女。

 彼女が次に目を開ける時、そこにはもう、平和な日常へ帰る道は残っていない。

 

 

「……ゆっくり眠れ、シャルトルーズ。貴様の新しい飼い主は、俺だ」

 

 

 不敵に笑うジンと、一つ屋根の下――。

 花梨の身柄は未だ、組織の手の中にあった。

 

 海鳴りだけが微かに響く静かな一室で、彼女は激しい熱に浮かされていた。

 

 

「……あ、あつい……だめ……新ちゃん……っ! そっちは、火が……!」

 

 

 シーツを握りしめ、必死に誰かに手を伸ばそうとする花梨。

 その脳裏に映っているのは、月影島で双眼鏡越しに見たあの地獄絵図だった。

 

 

「…………」

 

 

 ベッドの傍ら、椅子に深く腰掛けたジンが、紫煙の向こうから冷ややかにそれを見つめている。

 

 

「……新ちゃん、にげ、て……お願い……っ!」

 

 

 また、その名前。

 

 ジンは、自らAPTX4869を飲ませて葬ったはずの“工藤新一”を思い浮かべる。

 あの夜、花梨が双眼鏡で見たのは、ただの似ている子どもだったのか、それとも――。

 

 

(……あのガキか。……火の中に飛び込んだ“知り合い”と言っていたな)

 

 

 もし、花梨があの場にいた少年を“新一”と呼んでいるのだとしたら。

 死んだはずの男が生きているという、組織にとって最大の失態。

 

 いや、工藤新一は確かに死んでいる。

 つまり、花梨はあの少年を、工藤新一に重ねているだけだ――。

 

 

(……死んだ幼なじみの面影を、火に飛び込んだ無鉄砲なガキに見たか。女の感傷ほど反吐が出るものはねえ)

 

 

 ジンは心の中で冷笑し、探偵の亡霊を完全に思考の隅へと追いやった。

 今のジンにとって、そんな確認作業よりも目の前の“異常現象”の方が興味深い。

 

 

「……フン。言葉一つで雨を降らせ、火を消した結果がこれか」

 

 

 ジンは、花梨の額に置かれた冷却シート(ウォッカ調達)を無造作に取り替える。

 彼女が命を削ってまで助けたかった相手が誰であれ、その結果、彼女は今、こうしてジンの手の中にいる。

 

 

「……いいだろう。せいぜい夢の中でその亡霊を追いかけていろ」

 

 

 ジンは、花梨の震える顎をそっと掴んだ。

 

 

「その亡霊が、貴様を助けに来ることは二度とないがな」

 

 

 花梨の頬を、一筋の涙が伝い落ちる。

 

 それが、新一を救えた安堵の涙なのか、それとも、もう二度と触れられない悲しみの涙なのか。

 ジンはそれを拭うこともなく、ただ闇の中で、新しく手に入れた“神の力”の残照を眺め続けていた。

 

 ……三日後。

 

 意識の底を漂っていた花梨がようやく瞼を持ち上げたとき、最初に目に入ったのは、無機質な天井と、窓から差し込む鋭い午後の西日だった。

 

 

「……やっと目覚めたか、シャルトルーズ」

 

 

 部屋の隅、影に溶け込むように座っていたジンが立ち上がる。その手には、既に組織から下された“次の指示書”が握られていた。

 

 

「三日も無駄にした。……立て。貴様のその力が本物だと証明された以上、やるべき仕事は山積みだ。まずは――」

 

「けほっ……嫌です」

 

 

 掠れたが芯の通った声が、ジンの言葉を遮った。

 花梨はわずかに肩を揺らし、残った熱を逃がすように小さな息を吐き出す。だが本人は気にした様子もなく、すぐに視線をジンへ戻す。

 

 ジンはピクリと眉を動かし、蛇のような冷徹な視線をベッドへ向けた。

 

 

「……何だと?」

 

「組織の仕事は手伝いません。……『あの方』とかいう人の言うことも、私は聞かない」

 

 

 花梨は震える体を押さえながら、上体を起こした。青白い顔に、強い意志を宿した瞳がジンを正面から見据える。

 

 

「……貴様、自分が置かれている状況を分かって言っているのか?」

 

「分かっています。……でも、この力はそういうもののためにあるんじゃないから。誰かを呪ったり、組織を利したりするために授かったものじゃない。……だから、絶対に使いません」

 

 

 刹那、部屋の空気が弾けた。

 ジンが瞬時に間合いを詰め、花梨の額に愛用のベレッタの銃口を突きつける。冷たい金属の感触が、彼女の額に鋭く刻まれた。

 

 

「ならば、ここで死ね」

 

 

 ジンは花梨を覗き込むように顔を近づけた。引き金にかけられた指には、微塵の迷いもない。

 

 だが、花梨は逃げなかった。怯えもしなかった。

 彼女はじっとジンの冷たく燃えるような殺気を孕んだ瞳を見つめ返し――。

 

 

「…………」

 

 

 やがて、静かに覚悟を決めたように目を閉じた。

 死を恐れるのではなく、信念を曲げることを拒んだその姿は、あまりにも凛としていて、神々しくすらあった。

 

 

「…………チッ」

 

 

 沈黙が永遠のように続いた後、ジンは吐き捨てるように銃を下ろした。

 

 殺すのは容易い。だが、ここで彼女を殺せば、組織が手に入れた唯一無二の“神秘”は永遠に失われる。

 

 

「……考え直せ。……貴様のその意地が、いつまで続くか見ものだぜ」

 

 

 ジンは指示書を乱暴にテーブルに叩きつけると、一度も振り返ることなく部屋を後にした。

 

 ……重い扉が閉まる音。

 独り残された花梨は、握りしめていたシーツをゆっくりと離し、再びこみ上げる涙を堪えて、窓の外の遠い空を見つめた。

 

 

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