▽前回のあらすじ
死を恐れず、組織への協力を拒み続ける花梨。銃弾すら弾く神子の力に本能的な戦慄を覚えたジンは、ついにAPTX4869の混合液を彼女の腕に注入する。しかし、細胞の崩壊は神威によって「変化」へと書き換えられ、花梨は六、七歳の子どもの姿へと幼児化してしまう。殺すことも御することもできないその『呪い』を、ジンは組織に「死亡」と偽り、自らの管理下に置くことを決意する。
第217話
ケロケロ。
◇
一方で、月影島の事件を終え、毛利探偵事務所に戻ったコナンは、未だにあの夜の“不自然な嵐”を反芻していた。
(成実さんは助かった。……だけど、あの風は何だ? まるで意志を持って炎を食い荒らすかのように……)
超常現象としか思えない光景。けれど、探偵としてそれを認めるわけにはいかない。
そんな思考を、帰宅した蘭と園子の賑やかな声が遮った。
「そういえば蘭、ついこの前、花梨と話したって言ってたじゃない?」
その名を聞いた瞬間、コナンの心臓が跳ねた。
「蘭姉ちゃん! 花梨姉ちゃんと話したの!? それって本物の花梨姉ちゃん!? いつ!?」
「コナン君? 本物ってなぁに? 失礼ね。私が花梨ちゃんの声を聞き間違うはずないでしょ」
「あ、いやぁ……その……ご、ごめん。でも教えてほしくて……」
「もう、しょうがないなぁ、なにが知りたいの?」
ムッとする蘭を宥めながら、コナンは情報を引き出そうと食いつく。
「いつ話したの!?」
「話したのは、月影島に行く前日の夜よ。ほら」
蘭はササッとスマホを操作し、「ねっ、間違ってないでしょ!」と通話履歴をコナンに見せつけた。
(本当に“ついこの前”じゃねーか!!)
表示されている日付が近すぎる。
自分の電話は通じなかったというのに、蘭の電話だけ通じた。
それは、自分の電話が着信拒否されているのか、単に電源が落ちていただけで、たまたま蘭がかけたときに繋がっただけなのか……そのあたりは分からない。
それでも、花梨が今も生きている可能性は高いはずだ。
「蘭姉ちゃん、その時……電話の向こう、静かだったか?」
「えっ?」
「イギリスにいるはずなんだろ? 昼間だったなら、街の音とか聞こえなかったのか?」
コナンの鋭い問いに、蘭は記憶を辿るように眉を寄せる。
「えっと……ううん。静かっていうか……窓が開いてたみたいでね。波の音みたいなのも少し聞こえたし……それに」
「それに?」
「……カエル、鳴いてた」
コナンの背筋に冷たい戦慄が走った。
「……! カエル……だと?」
「うん。雨上がりみたいな感じでね? ケロ……って、遠くで」
(カエルが鳴いてるわけがねぇ……。イギリスの昼間なんだろ……? おいおい、その設定で押し通す気か……情報統制が甘すぎるだろ……花梨、どこだ……いったいどこにいる……!?)
少しでも花梨に繋がる情報を引き出すために、コナンは子どものふりのまま話に乗り、内心では一言一句を拾い上げていた。
だが、こんな偽りの留学話など、もうたくさんだ。
真実だけが、欲しいというのに……。
蘭の話が進むほど、コナンの中で嫌な予感が形を持ちはじめる。
(待てよ、蘭が電話した次の日……俺たちは月影島にいた。あの島も、夜はカエルが――いや、考え過ぎか?)
思考を巡らせるコナンに、蘭が思い出したように言った。
「そういえばね、カエルだけじゃなくて、誰かの名前も聞こえたの」
「名前?」
「うん。なんか外で男の人たちが騒いでて……」
「どんな名前?」
「さあ……覚えてないよ?」
その名前に、何か花梨に結び付くヒントはないだろうか。
コナンは蘭を鋭く見つめた。
「思い出せねぇか?」
「うーん……名前までは……」
「花梨に関わることなんだ、頼むよ蘭姉ちゃん!」
「え……? うーん……」
蘭の服の袖を掴み、迫力に満ちた目でじっと見つめるコナン。
そのあまりにも必死な様子に、蘭は腕組みをし、考え込む。
「あっ」
「?」
「しみず……だったかな?」
ようやく思い出した蘭に、コナンの動きが止まった。
「……しみず?」
「違うかもしれないけどね?」
「……」
コナンは黙り込む。
(清水……?)
(まさかな……)
(偶然だ)
(月影島の候補者と同じ苗字なんて、いくらでもいる)
まさかそんなはずはない――。
一瞬、脳裏をよぎった島と嵐の光景。
(もし本当に月影島だったなら――)
(いや、考えすぎだ)
コナンはそのあまりにも突飛な結びつきを、一度頭を振って打ち消した。
蘭は「シミズさんって、花梨ちゃんの学校の人かなー?」なんて笑っているが、コナンの目は笑っていない。
(あり得ねぇだろ……)
(月影島にいたなんて)
(そんな偶然、あるわけ……けど、一つだけはっきりしてるのは――)
(花梨は日本に、それも波の音が聞こえてカエルが鳴くような場所にいたっ……!)
新一としての焦燥感と、探偵としての冷静さが火花を散らす。
(六月一日のあの火事場から彼女を連れ去り、偽りの海外生活まで演じさせている
(けど――花梨。生きてんだな……)
身辺整理をし、自ら姿を消した幼なじみ。
何の因果か、自分が追っている組織に囚われてしまった。
彼女はまだ生きている――。
そう信じたいだけかもしれない。
それでも、少ない手掛かりのなかで、彼女が生きていると信じるには十分だ。
「クソッ……どこにいるんだよ……!!(花梨っ!!)」
コナンは目を閉じる。
(花梨……)
『……バイバイ、新ちゃん。元気でね』
目を閉じると、瞼の裏に、最後に会った花梨の優しい笑顔がまだ浮かぶ。
松田から聞いた「花梨は留学した」という話は、結局そのまま覆されていない。松田はコナンを巻き込みたくないという理由で、それを否定せずに、あの火事の日の目撃情報を教えてくれた。
留学が嘘なのは明らかだ。
ところが現在、花梨が“留学”――という話は、どうやら本当にそうなってしまっている。
園子が、以前会ったことのある中森青子から花梨の話を聞いたところ、本当に留学したことになっていた。
“黒羽に聞けば嘘だとわかる”と思ったコナンは、江古田高校まで出向いたが、快斗がずっと欠席で捕まらなかった。
彼の自宅も電話番号も知らない。花梨の女友達の名前も顔もわからない。
……まるで最初から、自分の世界に「葵 花梨」なんて女の子は存在しなかったかのように、すべての手がかりが綺麗に消し去られている。
花梨に何度か電話をかけても、『おかけになった電話は、電源が入っていないため……』というアナウンスが流れるだけで繋がらない。
あの日から、何が真実で、何が嘘なのか……花梨に関することは、霧の中を駆けているようではっきりと掴めないまま、コナンは日常に戻っていた。
そんな中での、蘭の、“花梨と電話した”という話……。
驚かないわけがなかった。
「コナン君……花梨ちゃんと話したかったんだね……私もあのとき以降、電話繋がらないんだよね……忙しいんだよ、きっと」
コナンが花梨を好きだとわかっている蘭は、彼の頭を撫でながら「急すぎるよね……」と、眉を下げて宥める。
(やっぱり、たまたま繋がっただけなんだな……花梨)
もう、スマホは取り上げられているかもしれない。
コナンは園子を見上げ、口を開いた。
「……ねえ、園子姉ちゃん」
「何よガキンチョ」
「花梨姉ちゃんの友達が言ってた、“留学”って本当の話なの?」
「そうよ~? ホームルームのときに『担任の先生が言ってた~』って聞いたもの! まったく、別れの挨拶くらいしてくれればいいのに。見送りできなかったじゃない」
「……っ……」
園子の話にコナンは絶句する。
そんなはずはない。
花梨は今、日本にいるというのに――。
学校までもが花梨の“留学”を肯定してしまっている。
それは“白河”による裏工作なのか、“組織”による隠蔽工作なのか……。
今のコナンには、真実に辿り着く材料が足りていない。
「こんなことなら、もっと一緒に遊んでおくんだったわよ」
「だよね~」
園子と蘭が、花梨と撮ったスマホ写真を見つめ、悲しげに微笑む。
その写真は、花梨が以前、探偵事務所に遊びに来たときに撮ったものだ。
女の子同士、身体を寄せ合って幸せそうに笑っている。
幼なじみ三人娘の、最高の笑顔だった。
昔見た、花梨を間に挟む構図と一緒だが、あの時の花梨は“葵”という王子様で、蘭と園子という姫の間でほんのり微笑んでいただけ。
園子のスマホの画面に映る花梨は、弾けるような笑顔が眩しい、三人目のお姫様だ。
「お休みのときはたまに日本に戻って来るって言ってたけど……いつ帰って来るのかしらね。招待状、送っちゃったのよねー」
「なんの~?」
「なんのって、ほらっ、来月十四日の船上パーティーよ!」
「船上パーティー?」
「ええ、蘭、あんたも来なさいよ。超豪華な船上パーティーなんだから♡ 絶対楽しいわよ!」
園子が「コレよ!」と、鞄から取り出した船上パーティーの招待状を、蘭に手渡した。
コナンは二人の会話を、花梨がついた“優しい嘘”だと知っている。
軽く聞き流しながら、花梨が今どうしているのか、思いを馳せた。
(花梨……絶対助けてやるからな……すまない。もう少し、耐えてくれ……)
組織が絡んでいるとなると、花梨に辿り着くのは至難の業だ。
ましてや、彼女の親戚――“白河家”は厄介すぎる。
国家権力を行使でき、人智を超えた力まで持つ当主。
頭に触れただけで、コナンの正体が新一だと見抜いた。
松田にも「首を突っ込むのは禁止」だと釘を刺されてしまっている。
とはいえ、松田が組織について知っている様子はなかった。
彼は“白河”絡みの案件で捜査しているのだろう。
だが、もし、白河が組織と裏で繋がっていたとしたら……?
花梨の命を狙っているのは、彼女の親戚……一条稀華。
一条家も白河家と同じく、決して表舞台に出てこない黒い噂の絶えない家だ。
彼女が組織に拐われた理由は、恐らく――現当主と同じ力を、花梨も持っていたからだ。
一条家と白河家で手厚い保護を受けている稀華が無理なら、警護が手薄な花梨を……と狙っていたのだろう。
(……厄介な事件だぜ……)
けれど、諦めるつもりはない。
いつかきっと、花梨を闇の中から光の中へ連れ戻してみせる。
コナンは、楽しそうに船上パーティーの話題に花を咲かせる蘭と園子のそばで、ポケットの中で拳を強く握りしめ、新たに誓うのだった。