▽前回のあらすじ
骨折した花梨のため、ヒロは目隠しをしながら入浴を介助する不器用な同居生活を送る。エアコン業者に「父親」と勘違いされ、快斗への対抗心を燃やすヒロだったが、キッチンで多紀から貰った信州そばの箱を開けると、中から大量の札束と不気味なメッセージが現れた。
第228話
久しぶりの快斗パートです!
◇
時は遡り、六月半ば――。
花梨が姿を消し、二週間以上経った。
快斗は花梨ロスのため呆然自失のまま、自宅で鬱々とした日々を過ごしていたが、教室に花梨が現れたことを知るや否や家を飛び出し学校へ。
ところが、花梨の机には黒いチューリップと、一枚のメモ。
心は完膚なきまでに打ち砕かれた。
……メモの内容は、こうだった。
“What is the language of flowers?”
“I’m afraid I might have fallen for someone else…”
『花言葉はなに?』
『もしかしたら、私は他の人に恋をしてしまったのかもしれません』
二行目以降は、快斗にとってはただの背景となり頭に入らず、文字は認識できないまま、ぐしゃりと握り潰した。
黒いチューリップの花言葉は「私を忘れて」。
現実を受け入れられないまま、快斗は学校をあとにした。
自宅までの帰り道、謎の集団に囲まれた快斗は逃走。
敵はしつこく、目的がわからない。
なんとか寺井のもとへ辿り着き、そこで出会ったのは、花梨が寺井に贈った“勿忘草”……花言葉は「私を忘れないで」。
快斗には、花梨が何を考えていたのかわからない。
警察を騙る、謎の集団を得意の変装でかわしながら、数日後の朝――快斗はどうにか自宅に戻ってきた。
登校時間はとっくに過ぎている。隣家の青子はもう学校に行ったあとだ。
「はあ……花梨……オメーはよー、なんでオレを頼らねぇんだよ……バーロ」
寺井から預かった勿忘草に向けて、目を細めムッとする。
勿忘草から返事なんてあるわけない。快斗の腕の中で小さく揺れるだけ。
けれど、花梨が「私を忘れないで」と訴えているようで、快斗の唇は弧を描いた。
「ぜってぇ、忘れてなんてやらねえから。たとえ、本当に留学してたとしても、見つけたら連れ戻してやる」
快斗は明かりのない薄暗い部屋に戻り、まだ追っ手がうろついているかもしれないため、こっそりとカーテンの外に勿忘草の鉢を置く。
その小さな花が咲いているうちに、彼女を連れ戻す。
寺井から託された花梨そのもののように思えた。
「……花梨。オレ、シャワー浴びてくっから。ここで待ってろよ」
快斗は、充電器に繋いだスマホの待ち受けの花梨に語りかけ、浴室へと向かう。
寺井のところで数日間世話になって、身綺麗に一度はなったが、そのあとまた追いかけられて、髪も服もボロボロになっていた。
「……あ、覗くなよ? まあ、覗いてもいいけど」
いや、どっちなんだよ、オレ……。
そう思いながら、快斗は服を脱いでいく。
花梨がここにいたら、「やだっ、覗かないもん」と顔を真っ赤にして恥ずかしがるに決まっている。
まだまだ容易に想像できるほど、花梨という少女は、快斗の中で過去にはなっていない。
「……あいつら、本当に警官だったのか……? でも怪しかったんだよな……。花梨のことで聞きたいことがあるって……なんなんだ……」
警察手帳を見せてきた、男たち。
気がついたら、どんどん人数が増えていた。
十人以上はいた気がする。高校生一人を捕まえるためだけに?
キッド関連ではなく、花梨絡みだと途中で理解した快斗だが、彼女が何者であるか――までは、まだ知らなかった。
浴室の扉を開け、シャワーのレバーを上げる。
ザァーと頭から熱い湯を浴び、浴室が蒸気で満たされる。
自宅でも花梨と一緒に風呂へ入ったことがある快斗は、湯の張られていない空になった浴槽をちらりと見た。頭を洗っていると、彼女は自分をじっと見てたっけ、花梨って、結構……――なんて思い出してしまう。
「……花梨、コンディショナー取って――って、あ」
つい、口に出してはっとする。
そのあとは黙々と身体を洗ってシャワーを浴び終えた。
脱衣所に出れば、花梨といちゃついた場面が浮かぶ。
キッチンに行けば、一緒に料理した記憶を思い出す。
リビングのソファに座れば、一緒にテレビを見て笑った。
ミネラルウォーターのペットボトルを傾け、喉を潤す。
……久しぶりに、さっぱりした。
自室に戻れば、一緒に過ごしたベッド……。
“秘密の部屋”にも入れたことだってある。
花梨は「すごいね~♡」なんて瞳をキラキラと輝かせていた。
「……はー……忘れられるわけねえだろ……家ん中、どこに行っても、オメーとの思い出だらけだわ」
快斗の口から「ははっ」と、乾いた笑いが漏れた。
「……勿忘草が花梨の本音だとすると、このメモ……」
くしゃくしゃになったメモを開き、快斗は見下ろす。
ようやく意味を理解した、“I’m afraid I might have fallen for someone else…”の文字……。
「他の人に恋をしてしまったのかもしれない……だと? ありえねえ……あいつ、あんなにオレに惚れてたじゃねーか」
身を投げ出してまで自分を守ろうとした女が、他の男に現を抜かすとは思えない。もしそれが本当なら、花梨は大した女優だ。
「……まぁ、あいつ、誰にでも優しいとこあるからな……オレ以外でも庇いそうではある……認めたくねーけど……」
(けど、絶対花梨はオレしか愛してねぇ!!)
快斗は自分に言い聞かせるようにスマホを手に取り、画像フォルダを開いた。
「なあ、花梨。お前、今どこにいるんだ? オレから離れて、平気なのかよ……オレは、平気じゃない。けど……」
ただ待っているだけじゃ、きっと花梨は戻ってこない。
……なら自分が迎えに行くしかない。
そのためにもまずは、日常を取り戻さなければならない。
快斗の日常……それは。
「……工藤新一は役に立たなかった。なら、あのボウズ……なんか知らねーかな……」
花梨と仲が良い、生意気な小学生――江戸川コナン。
あんな小さな少年に、花梨が何か言い残しているとは思えないが、その後、何か連絡があったかもしれない。
あいつは、毛利探偵事務所で居候していると聞いている。
会うためには……。
服を着替えたあと、快斗は“秘密の部屋”へと向かう。
「――しばらく大人しくしてたからなぁ……世間様は忘れちゃってっかな? まあ、元々狙ってたヤマだったし、肩慣らしがてら、まずは自己紹介といくか……」
快斗の脳裏に、以前見た、花梨の幼なじみである鈴木園子の顔が浮かぶ。
(……あの鈴木財閥の令嬢なら、キッドが動けば必ずあの『眠りの小五郎』に泣きつくだろう。……そうなれば、妙に勘の鋭いボウズもセットでついてくる……)
花梨の周囲を嗅ぎ回っている“警察を騙る集団”の目を盗み、なおかつ自分に敵対心のない(と快斗は思っている)コナンに接触するには、これが一番確実で安全な方法だ。
カタカタと、運命を動かすタイピング音が秘密の部屋に響く。
「月が二人を分かつ時――……と、うん。いい出来だ」
最後に署名として「怪盗キッド」と入力し、印刷する。
手袋をはめて、プリンターから出てきた予告状を手にして眺め、快斗はニヤリと笑った。
「……ボウズ、オメーには聞きたいことが色々あるけどよ……黒羽快斗としては接触したくねーんだわ、悪ぃな」
黒羽快斗として、花梨抜きで会おうとは思わない。
あの鋭い観察眼は、花梨がいれば彼女に向くけれど、黒羽快斗個人で会ったとき、キッドとしての自分に向くのは、遠ざけたい。
(あの目がな……『男の子』っつーより、『男』だったんだよな……オレと同じ目、してたよな)
あの小さな少年の、花梨を見る目は自分と同じ。
ただの直感だが、侮れない。
いつか、彼が真実に辿り着いてしまいそうで……。
彼女と付き合っているのが犯罪者だと思われては困るのだ。
花梨は快斗の光。
本当は、明るい光の中で輝いていて欲しいけれど、彼女はきっと、暗闇の中でも輝き続けることのできる“光”そのもの。
……いまさら手放すことなどできるものか。
快斗は、気休めかもしれないが、せめて、自分の存在がばれないように注意を払っておきたかった。
そうして後日、予告状は無事、鈴木財閥へ届けられた。