▽前回のあらすじ
コナンを求めヒロと米花町へ向かった花梨。放課後の公園で、何かを探す少年探偵団と合流する。コナンは幼児化した花梨との再会に驚愕するが、歩美の勘違いにより、あっさりと花梨の偽名が決まってしまい――!?
第237話
偽名が決定しました!
◇
「ヒロお兄ちゃん……偽名が決定しちゃった」
「ん?」
米花公園での新一との、あまりにも波乱に満ちた再会を終え、花梨はヒロの大きな手に自分の小さな手を包まれながら、のんびりと家路についていた。
実は、現在のヒロのセーフハウスは、他ならぬこの米花町にある。
黄金色の夕暮れに染まる街並みはどこか懐かしく、けれど幼い頃の記憶とは少しだけ様相を変えていた。今日の夕飯の買い出しも兼ねて、二人はこのまま近くのスーパーに寄るつもりで、歩調を合わせて歩いていく。
「今日から私は、『黒羽あおい』です……!」
「く、黒羽あおいって……それっ!」
ヒロが思わず目を見張り、驚きの声を漏らした。それもそのはず、その苗字は花梨が今も一途に想い続けている、あの江古田の少年のものなのだから。
花梨は困ったようにはにかみ、笑みを浮かべた。
「うん……なんかそうなっちゃったの……」
歩きながら花梨は、つい先ほど米花公園で起こった怒涛の出来事を、愛おしそうに思い出していく。
……歩美にあっさり【黒羽あおい】と命名された、直後のことだった。
「楽譜が見つかりましたー!」と大声を上げながら、植え込みの奥から光彦と元太がドタドタと走ってきたのだが、彼らは花梨の姿を認めるやいなや、まるでゆでダコのように顔を真っ赤にして、その場で硬直してしまったのだ。
「く、黒羽あおいさん! ボ、ボクは円谷光彦と申します! よ、よろしくお願いします!!」
「オ、オレは、小嶋元太って言うんだ! よ、よろしくな……!」
歩美から花梨の偽名を聞いた光彦と元太が、それぞれ勢いよく手を差し出す。
目の前で頬を林檎のように赤く染め、もじもじと指を動かす純情な少年たち。その分かりやすすぎる反応が微笑ましくて、花梨はにこにこと花が咲くような笑顔で彼らの小さな手を握った。
「よろしくね!(ふふ、可愛いなぁ~)」
「はいっ!」
「おう!」
横でコナンだけが、「おいおい、なに鼻の下伸ばしてんだよお前ら……。っつーか花梨、オメーも笑顔振りまいてんじゃねえよ……」と言いたげに不満そうなジト目を投げかけてきたが、花梨はそんな視線をどこ吹く風で受け流し、少年たちとそれぞれ丁寧に握手を交わして挨拶を終えた。
「コナン君。楽譜が見つかったので、早速先生に渡しに行きましょう!」
「そうだね! じゃあ、黒羽さん! またね!」
「今度一緒に遊ぼうぜ!」
すっかり花梨のファンになってしまった光彦、歩美、元太の三人は、肝心のコナンを置き去りにする勢いで、元気に公園の出口へと走り出していく。
「あっ、おい、お前ら勝手に行くなって……!」
慌てて引き留めようとするコナンの背中に、花梨がクスッと笑って声をかけた。
「コナンくんも行ったら?」
「バーロ、オメーを置いて行けるかよ。オメーには聞きたいことが山ほどあんだよ……!」
ガシガシと頭を掻きむしり、コナンは焦れたように声を低くする。
目の前にいるのは、ずっと行方を探していた、自分と同じ“幼児化”という過酷な運命に巻き込まれた幼なじみなのだ。今すぐ場所を変えて問い詰めたいのが本音だった。
「でも、大事なカギなんでしょ? 事件は今、起こってるんだよ? なうなう!」
少年探偵団たちが向かったほうへ「行って」と親指でさす花梨に諭され、コナンはぐっと言葉を詰まらせる。
探偵としての使命感と、幼なじみへの心配が天秤にかけられ、苦渋の表情を浮かべた。
「っ、そうだけど! オレはっ……!!」
「私なら今はもう安全なんだ~。保護してくれてる人がいるから、大丈夫だよ?」
花梨は目をぱちぱちと瞬かせたあと、柔和に微笑んだ。いつもの……ほんわかした彼女だった。
その微笑みにコナンは、いったい今までどう過ごして、どうやってここに来たのかまではうかがい知ることはできなかったが、今彼女が危険な目に遭っているわけではないことだけは理解した。
「っ……花梨。また、すぐ連絡取れるか?」
「ん? うん、もちろん! 新しいスマホがあるから!」
そう言って、花梨はポシェットからヒロに買ってもらった最新のスマートフォンを誇らしげに取り出してみせる。
花梨のスマホは相変わらず壁紙すら変えていなくて、コナンは(やっぱ、本物の花梨だな)と納得して、自分のスマホを取り出した。
「……わかった。じゃあ、とりあえずID交換して……」
「うん、私も新ちゃんに話したいことがあるから、次は二人きりで会おうね♡」
スマホの画面を操作しながら、花梨は少しだけ上目遣いになり、悪戯っぽく可憐に微笑んでみせた。
「っ、二人きりでって……」
至近距離で放たれた無自覚な殺傷能力に、コナンの喉がコクリと鳴る。中身は高校生だが、今は小学生――分かっていても、その愛らしい容姿と甘えるような響きに、少年の心臓はうるさいほどの警報を鳴らし始めていた。
(っ、なんだよ、なんでそんな可愛く誘うんだよ……! そんな顔されたら、断れるわけねーだろ……!)
「ふふっ♡ 楽しみにしてるね♪」
「っ……またなっ!!」
これ以上まともに顔を見ていられなくなったコナンは、耳まで赤く染め上げ、踵を返し、脱兎のごとく走り去っていった。
花梨はその後ろ姿を、小さく手を振りながら見送ったのだ。
「――ということがありまして……」
そこまで歩美たちに名付けられた経緯や、コナンとのやり取りを一通り話し終えると、隣を歩くヒロの顔がなんとも言えない複雑な形に引き攣っていた。
「……な、なるほど……?」
「快斗の苗字を勝手に名乗るなんて、本当に申し訳ないんだけど……(いつか快斗に謝れたらいいけど……無理かな……)」
夕日に照らされながら、花梨は少しだけ申し訳なさそうに、切ない寂しさをにじませて笑う。
けれど、ヒロはその小さな頭を優しく撫でながら、声音を和らげた。
「いや……仕方ないよ。その場の流れでそう呼ばれることになっちゃったんだし」
慰めつつ、ヒロは心の中で――。
(いや、むしろ黒羽君がこの事実を知ったら、狂喜乱舞して喜ぶんじゃないかな……)
かつてポアロで必死に花梨への想いを語っていた少年の顔を思い浮かべ、密かに苦笑した。
「うん……。それでね、コナンくんに、今夜、さっそく電話してみようと思うの」
花梨は、気持ちを切り替えるように一度頷くと、いつもの柔らかい笑顔を見せる。
「そうだね。順を追ってゆっくり説明したほうがいいから、一度連絡を取って、改めて訪ねるといいと思うよ」
コナン君は聡い子だから、きっと花梨の話もきちんと理解してくれると思う。
ヒロは花梨に助言し、微笑んだ。
「うんっ! そうだよね。今日は急に訪ねちゃったから、びっくりしてたもの。でも、無事に会えてよかった~♪ 新ちゃんならきっと何か気づいてくれると思う!」
「工藤新一君か……。コナン君経由になるなら、少し時間がかかるかもしれないね」
「あっ、大丈夫だよ。コナンくん、新ちゃんと“つうかあ”だもん。すぐ連絡くれると思う」
(だって、本人だし……ね?)
ヒロに真実を教えてあげたいが、それはコナンの許可を得てから。
もうちょっと待ってね……と花梨は打ち明けられないもどかしさを胸に、笑顔をキープしたまま、深く頷く。
「そうなんだ? 彼、確か難事件を追って消息不明なんだろう?」
「うん……でも、新ちゃんは私のヒーローだから。いつでも、どこにいても力になってくれるんだ」
「随分、信頼してるんだね」
以前ヒロたちは、一度花梨から、幼なじみの工藤新一を紹介したいと言われていたが、機会がないまま今となってしまった。
花梨から時折名前が出ていた幼なじみの彼は、ちょっとした有名人だ。今はどこかで事件を追っているという話だが、花梨の様子を見る限り、頻繁に連絡を取り合っていたのだろう。
ヒロは目の前の自分よりも、そばにいない“幼なじみの彼”のほうを信用しているように思えて、ちょっぴり面白くない。
だからだろうか、どうやら表情に出てしまっていたようで――花梨は、慌てて繋いだ手に力を込めた。
「うん……あっ! ヒロお兄ちゃんも私のヒーローだよ!? 私の周り、ヒーローがたくさんいて、ありがたいなぁ♡ これでお姫さまがいれば、物語になるんだけどな。お姫さま、お姫さま…………あ、蘭ちゃんがいた! 私、蘭ちゃんのヒーローになれるかな!?」
にこにこと笑顔を見せる花梨。
まるで自分はお姫さまなんかじゃないと言わんばかりに、蘭のヒーローに……と、大きな瞳を輝かせた。
「…………えぇ……?」
(お姫さまは花梨ちゃんでしょ……)
花梨の発言に、ヒロは呆れた声を出す。
「いつか、蘭ちゃんを格好よく守るヒーローになれたらいいなぁ♡」
「花梨ちゃん……」
(毛利蘭さんって……前に少し調べたけど、空手がとてつもなく強い子だったよね……。花梨ちゃんは弓は扱えるけど……体術はからきしだよな……たぶん、彼女が逆立ちしても敵わないんじゃないかな……?)
少々ピントがずれている小さな天使が、今日も最高に可愛い。
さあ、今日もしっかり甘やかしてやろうと、ヒロは再び口を開く。
「さて。じゃあ、今できることは終わったし、今晩は何が食べたいかな?」
「ん~~。じゃあ、ミートソーススパゲッティ~!」
「オッケー。それじゃ、早いとこスーパーに寄って帰ろう」
「わ~い♡」
今夜は愛情たっぷりの手作りミートソーススパゲッティだ。
ヒロは眩い笑顔の天使とともに、黄昏の雑踏へと紛れていった。