白月の君といつまでも   作:はすみく

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-- Summer, about 17 years old

▽前回のあらすじ
電話越しに新一から不器用な過保護で叱られる花梨。快斗を組織の闇に巻き込むまいと、独り決意を新たにする。しかし、具体的な再会の約束を交わそうとした瞬間、ヒロから「三日間の検査入院」を告げられて――?

第241話
にゅぅぅういんっ!


241:魂が知る白き怪盗

 

 

 

 

 そして、三日後。

 都内某所にある、どこかアットホームな雰囲気を残した民間の総合病院。その一角にある病室にて――。

 

 

「はぁー……終わった……」

 

 

 すべての検査を終えてベッドに戻ってきたヒロは、シーツに深く身を沈め、大きく息を吐き出して脱力していた。

 ベッドの横に置かれた丸椅子にちょこんと座る花梨は、小さな手で、隣のベッドの患者から貰った大粒のブドウを美味しそうに頬張りながら、疲れ切った顔のヒロをのんびりと見つめていた。

 

 

「パパ、おつかれさま。MRI検査どうだった?」

 

「っ♡(パパ!)」

 

 

 ふんわりとしたひだまりのような笑顔で労う花梨に、不意打ちで「パパ」と呼ばれ、ヒロの瞳が一瞬大きく見開かれた。胸の奥を激しく撃ち抜かれたような衝撃に、思わず顔がニヤけそうになるのを必死に堪える。

 

 入院の手続きをする際、現在の複雑な状況を考慮して、小さな花梨を「黒羽あおい」という実の娘として申請してあった。だが、実際にその愛らしい声で呼ばれたときの破壊力は凄まじいものだった。

 

 ちなみに、病院側に説明した設定は、“元妻から諸事情で一時的に預かった娘……”ということになっている。

 

 

(元妻って誰だよ……もしこれを、零や松田たちが聞いたら、転げ回って大笑いするだろうな……)

 

 

 ヒロは心の中でそんな気恥ずかしい苦笑いを浮かべた。

 

 

「あのMRIって、とにかく音が凄いんだよ。工事現場の中にいるみたいでさ。一応ヘッドホンをつけて音楽が流れるんだけど……。これなら、あおいちゃんの歌を録音して持ってくればよかったなぁ。あおいちゃんの可愛い子守歌だったら、検査の間にぐっすり寝て終わってたんじゃないかな?」

 

「うふふ♡ そうなんだ? 結構大変だったんだね」

 

「まあね。でも、脳の状態は前とあまり変わってないらしいよ。あとは医師から詳しい検査結果を聞いたら、もう帰っていいってさ」

 

 

 検査結果が出るのは、午前十一時頃。

 時計の針は、ちょうど朝の九時を回ったところだった。朝一番の枠で検査を終えたため、あとは結果を待つだけの自由な時間だ。

 

 ヒロの脳には、あの悪夢のような自決の夜に負った一部欠損がある。今回は、その状態が安定しているかを確認するための定期検査だった。

 時折、酷い頭痛が襲ってくる程度で、幸いにも今のところ普段の生活に支障はない。

 

 とはいえ、彼は組織に潜入していた「スコッチ」であり、記憶を失っているものの、組織の根幹に関わる無数の機密情報を有している存在。

 万が一、組織の人間に生存を知られれば、その瞬間に命を狙われる。

 それに、所属している公安部という部署の性質上、現場復帰にはまだ相当な時間がかかるだろうとのことで、あの米花町のセーフハウスでの静かな生活は、まだしばらく続きそうだ。

 

 今入院しているこの病院は、関係者が立ち寄る可能性のある警察病院を意図的に避け、ヒロ自身が徹底的に調べ上げて選んだ一般の民間病院である。

 すべては、大切な花梨の安全を第一に考えてのことだった。

 

 

「じゃあ、お家に帰ったら子守歌、本当に歌ってあげるね」

 

「ははは、それはいいね。楽しみにしているよ」

 

 

 ヒロが花梨の無邪気な言葉に心から癒されていると、シャッと隣のベッドを区切っていた白いカーテンが開いた。

 そこから、上品で人の良さそうな顔立ちをした白髪のお婆さんが、親しみやすい笑顔で話しかけてくる。

 

 

「あらあら、お兄さんはもう退院かい?」

 

「あ、ええ。娘にブドウを頂いたみたいで……ありがとうございました」

 

「いえいえ。あおいちゃん、パパの検査が何事もなくて本当によかったねぇ」

 

 

 お婆さんの皺の刻まれた温かい手が、花梨の柔らかな白い髪をそっと撫でる。花梨は目を細め、にっこりと満面の笑みを返した。

 

 

「はい!」

 

「うふふ。まだこんなに小さいのに、三日もパパの付き添いでお泊まりして、本当に偉かったねえ。ほら、これも半分こしてお食べよ」

 

 お婆さんはそう言って、ベッドのサイドテーブルから、ツヤツヤと輝く真っ赤なリンゴと、立派な大きなメロンを花梨の小さな腕に抱えさせた。

 さっきも高級なブドウをいただいたばかりなのに、これほどのお見舞いの品を頂戴してしまうのは、さすがに申し訳ない。そう思いながらも、お婆さんの気持ちを無下にはできず、花梨は恐縮しながらそれらを受け取った。

 

 

「え、わぁ……ありがとうございます!」

 

 

 お婆さんのベッドの周りには、数々のお見舞いの品や色鮮やかな花瓶が並んでおり、彼女が家族からどれほど深く愛され、大事にされているかが一目で伝わってきた。

 

 

「あの……おばあさん」

 

「ん?」

 

「……その……ご家族は、今日は……来られないんですか?」

 

「あ~、みんな仕事が忙しいからねえ……こんなババアのお見舞いに何度も足を運んでもらうのは、なんだか悪いかなと思ってねぇ。明日になれば、また誰かしら顔を出してくれるとは思うんだけどね」

 

「でも、あの……」

 

 

 花梨はそこで、喉の奥に言葉を詰まらせて黙り込む。

 

 お婆さんからブドウを手渡された際の、わずかな指先同士の接触。

 花梨の脳裏に、突如としてノイズのように走ったのは――このお婆さんの、すぐそこにまで迫っている『最期の光景』だった。

 

 今夜、誰もいない暗い病室。

 突如として容態が急変し、激しい苦痛に襲われる。

 けれど、弱り切った手ではナースコールに届かない。誰を呼ぶこともできずに、静かに、一人きりで息を引き取る――。

 

 ……間違いない。

 今夜、彼女の魂は黄泉の国へと渡ってしまう。

 

 花梨が持つ異能の力は、未来を視るだけではない。運命そのものに直接干渉し、書き換えることすらできる。

 けれど、それには花梨自身の身体への大きな負担が伴う。月影島で言霊を使ったときも、彼女はその直後に意識を失っていた。

 

 ……身体が小さくなった今、どれほどの負担がかかるのかも未知数……。

 さらに、運命を書き換えたことで、その先にどんな影響が生じるのかも分からない。

 

 そもそも、人の運命に簡単に触れ、本来あった人生の流れを書き換えてはいけないのだ。

 だから花梨は、その力を決して軽々しく使おうとはしなかった。

 

 けれど。最期の瞬間に、あんなに大切に思ってくれている家族が誰もそばにいないなんて、あまりにも悲しすぎる。

 せめて、温かい手を握られながら、看取られてほしい。

 

 花梨が悲痛な面持ちで小さく俯いていると、彼女の微かな異変を察したヒロが、静かに口を開いた。

 

 

「……お婆さん、よかったら、俺からご家族の方に『今日、面会に来てほしい』と連絡を入れましょうか?」

 

「ええぇ? ……でも、そ、そうかい? 急に呼び出したりしたら、変に心配をかけてしまって悪いんじゃないかねぇ?」

 

「そんなこと思いませんよ。ご家族の方、俺が入院した日もいらっしゃっていたし、昨日も熱心に来られていたじゃないですか。とても仲が良い、素敵なお身内だなぁと拝見していました」

 

「そうなの、一日おきに来てくれるんだよねぇ、あの子たち。本当にありがたいことだよ」

 

 

 それじゃあ、お兄さんのお言葉に甘えて……と、お婆さんは嬉しそうに目元を綻ばせると、ベッドの棚から大切そうに鞄を取り出し、中から一枚の名刺を抜き取ってヒロに手渡した。

 

 

「この名刺……息子さんのですか?」

 

「ええ、ええ。長男の連絡先だよ」

 

「分かりました。では、おばあさんが早く会いたがっていると伝えておきますね」

 

「ふふふ、なんだか年甲斐もなく恥ずかしいねえ」

 

 

 お婆さんは皺の刻まれた頬にそっと手を添え、少女のように照れくさそうに微笑んだ。

 

 

「あおいちゃん、パパが電話してくる間、ちょっとおばあさんの相手をしていてね」

 

「はーい!」

 

 

 ヒロは花梨の頭を一度ポンと叩き、名刺を手に病室のドアから廊下へと出て行った。

 

 

「本当に優しいパパさんだねえ。顔立ちも凛々しくて男前だし」

 

「はい、とっても優しいんです! 私、パパだいすき♡」

 

「ふふ、そんなに慕われて、パパさんも幸せ者だねぇ。……それにしても、あおいちゃんのママは、どうしてあんなに素敵でいいパパと別れてしまったんだろうねぇ……。男前だし、優しいし……ああ、まさか、ありがちな……浮気……!?」

 

「……あははは……」

 

 

 さっきまでの穏やかで切なげだった表情はどこへやら、ゴシップ好きの血が騒いだのか、興味津々とばかりにお婆さんの瞳の奥がキラリと光る。

 そのあまりの豹変ぶりに、花梨は引き攣った乾いた笑いを浮かべて誤魔化すしかなかった。

 

 

「ああ、もうこんな時間だね。この時間のテレビ、テレビっと……。いつもこれを見るのが日課なんだよ」

 

 

 お婆さんがベッドの横のテレビのリモコンを押し、液晶画面に電源が入る。

 すると、朝のワイドショーの画面に、あまりにも見覚えのある『白い怪盗』の姿が鮮烈に映し出された。

 

 

「っ……! こ、この人……!」

 

 

 花梨の身体に、電流が走ったような衝撃が駆け抜け、硬直する。

 

 

「ああ、巷で噂の怪盗キッドだね。世界中で華麗に宝石を盗み出す、大怪盗らしいねぇ。へえ……明日、クイーン・セリザベス号に現れる……だって」

 

 

 ワイドショーのレポーターが、「明日の鈴木財閥六十周年記念船上パーティーに、怪盗キッドから予告状が届きました!」と、横浜港に入港してきた巨大な豪華客船『クイーン・セリザベス号』の前から熱を込めて中継を行っている。

 

 

『船内は、これから明日の本番の準備と、厳重な警備体制の強化で、大忙しとなっております……!』

 

 

 テレビのスピーカーから流れる実況の声と、画面の中で華麗にマントを翻す、白い怪盗のVTR。遠目からの映像のせいで、その顔の造形までははっきりとは見えない。

 

 けれど、その姿を見た瞬間――花梨の魂が、激しく警鐘を鳴らした。

 

 

「怪盗、キッドさん……わ、私、この人……知ってる……!?」

 

「おや……そうかい。ああ、最近は女子高生たちや、若い女の子たちに絶大な人気らしいねぇ。あおいちゃんも、もしかしてファンなのかい?」

 

「そ、そういうわけじゃ、ないけれど……でも」

 

 

(どうして……? 私、キッドさん……あなたと、どこかで会ったことがある気がする……)

 

 

 夜の闇に浮かび上がる白いシルクハットに、右目に妖しく光るモノクル。仕立ての良い白いスーツに、鮮やかな青いシャツ。風を孕んで大きく翻る、まるで白い巨大な翼のようなマントと、揺れるピンクのネクタイ。

 

 不敵に、けれどどこか寂しげに笑うキッドの口元が、なぜだか狂おしいほどに胸を焦がす。

 

 花梨は、キッドが映し出された画面に、完全に釘付けになってしまった。

 

 

(どうしてだろう……すごく、胸が……締め付けられる……)

 

 

 VTRが切り替わり、彼の白い姿が画面から消え去るその瞬間まで――身動き一つできず、瞬きすら忘れ、息をすることさえ忘れて、ただただその残像を見つめ続けていた。

 

 通話を終え、静かに病室へと戻ってきたヒロが、そんな花梨の尋常ではない様子を入り口で見つける。

 

 

「…………」

 

 

(そういえば、ナースステーションのテレビ画面にキッドの映像が流れてたな……)

 

 

 画面が次のニュースに切り替わってもなお、テレビを、まるで恋い焦がれるかのような切ない瞳で追い続けている花梨。

 

 

(花梨ちゃん……。君が本当に会いたいのは……。君の心を今も引き付けているのは、その白い怪盗……なんだね……?)

 

 

 最愛の少年――黒羽快斗への想いを胸に秘め、その正体を無意識に追いかける花梨の後ろ姿を、ヒロは切なく眉を下げ、胸を痛めながら静かに見守っていた。

 

 

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