▽前回のあらすじ
退院した二人は、明日の船上パーティーへの参加を決める。帰りの道中、テレビのキッドに反応していた花梨に、ヒロは「キッドの正体は快斗」だと告げる。しかしなぜか花梨はそれを頑なに拒絶し、涙を流した。
第243話
ただいま!
◇
「うーむ……」
花梨の自宅マンションの最寄り駅――江古田駅に降り立ち、花梨……今は“あおい”と名乗っている彼女は、切符を自動改札機に入れるのに苦戦していた。
平日昼間の空いている時間だからか、改札はそれほど混雑していないが、小さな子供が改札でまごまごしているのは、少々邪魔になる。
「はい、どうぞ」
「わっ!? ありがとう!」
見かねたヒロがひょいっと花梨を抱え上げ、改札に切符を入れるのを手助けしてくれた。
「くっ……!(なんか悔しい……)」
花梨はヒロに抱えられたまま、無事自動改札を通り、駅の外へ。この小さな身体で生活する難しさをまた一つ学び、幼児化の先輩――新一の苦労を知ることができてよかったと思った。
「やっぱり、あおいちゃんの身長だと、ちょっと高いかな?」
「だね……」
ヒロに抱えられた花梨は、まるで子猫のようだ。
先ほど電車に乗るときにも苦戦した自動改札だが、子供の姿では実に厳しい。
改札を通るときは、駅員に頼むのがベストだなと、花梨は窓口にいた駅員をじっと見つめる。
すると、目が合ってしまい、花梨はにこっと微笑んでおいた。
花梨の笑顔に思わず微笑み返した駅員に見送ってもらい、骨折した左腕を庇いながら小さく手を振り、駅を後にした。その姿を、ヒロは隣で目を細めて愛おしそうに見つめている。
そうして、昼食を花梨おすすめの中華料理店で済ませ、マンション前までやって来たそのときだった。
「あれ……? ちょっと待って、ヒロお兄ちゃん」
「ん?」
「……招待状って、届いてるのかな……?」
「どういうことだい?」
「んと、私ね、パソコンに遺書的なものを残してて……お部屋の片づけとか、陽翔おじさまにお任せしようと思って、新ちゃんにお願いを書いておいたんだ」
「遺書って……」
ヒロから、呆れた声が返ってくる。
「だ、だって、こんな風になるなんて思ってなかったから」
「神子様は、自分の未来は見えないんだ?」
「そうなの。自分の未来は見えないの」
神子は、他人の未来を視ることはできるが、自分の未来を視ることはできない。
そして、神子の親子間で未来を視ることは禁じられていた。
もしそれを破ると、天から相応の罰を受けることになる――と、花梨は多紀から聞いている。
母は、花梨の未来を視てしまい、翌日亡くなってしまった。
なぜ、母が自分の未来を視たのか……理由は恐らく、白神子のせいだろうとは思うが、はっきりとはわからない。覚悟の上で禁忌を破った――ということなのだろう。
「不便だね」
「あはは……。ねっ」
話しながら花梨がエントランスの自動ドアに近づくと、扉が開く。
どうやらエントランス部分の鍵はまだ生きているらしい。
「じゃあ、ポストを見てみよう」
花梨はヒロに抱き上げられ、自分のポストを覗いた。だが、何も入っていない。
ダイレクトメールすらもなかった。
「届いてないね……」
「部屋まで届けてくれた……とか、かな?」
このマンションは高級マンションだ。
コンシェルジュが部屋まで手紙を送り届けることもある。
ヒロはコンシェルジュに目を向けた。
新人なのだろうか。花梨は初めて見る顔だった。目が合うとコンシェルジュの女性が会釈した。
「部屋に行ってみようよ。もし部屋が他の人のものになっているなら、鍵が合わないかもしれないし。そうしたら戻ってくればいい」
(あの時の多紀さんの様子だと……たぶん、そのままにしてくれてると思うんだけど……)
多紀が自分に触れて、花梨のことを未来視で知っていたとするなら、今も花梨が生きていることを把握しているはずだ。
ならば、可愛い孫の家の荷物を処分してしまうなんてこと、するわけがない。
ヒロは花梨の頭を優しく撫でて、「行こう」と促した。
「なるほど! さすがはヒロお兄ちゃん!」
花梨はヒロとともにエントランスを抜け、エレベーターで七階へ。花梨の部屋へ向かった。
「鍵、合うかな~」
鍵はポシェットの中に入っている。ハンズフリーキーだから、玄関の扉についているタッチボタンを押せば解錠されるはずだが、開くだろうか。
ヒロが見守る中、花梨は恐る恐る小さな指をタッチボタンに伸ばした。
“ピッ……シュルッ”
花梨の指がタッチボタンに触れると、内部の電子キーがくるりと回転し、解錠された。
「あ! 大丈夫だった!」
「…………よかったね」
(やっぱりね。多紀さんも、陽翔さんも……花梨ちゃんの味方なんだな)
驚いて目をぱちぱちさせる花梨を見下ろし、ヒロは確信を持って目を細め、ドアハンドルに手を掛けた。
今の彼女に、玄関の扉は重いだろう。
ガチャリと扉を引くと、しばらく人の気配がなかった部屋の、しんとした空気が二人を出迎えた。
「あれ……? なんだか……私がいたときのまま……?」
玄関ポーチで何気なく靴箱の戸を開く。
すると、中には花梨が段ボールにしまったはずの靴が綺麗に並べられていた。
「……? 私、確か……段ボールに詰めたはずなんだけど……(なんで、全部新品になってるの……?)」
五月の終わり、自分の最期を覚悟していた花梨が、まとめて捨ててもらえるようにと、段ボールに詰めた靴たち。
数は五足しかないが、すべて新品の靴に入れ替えられ、等間隔に綺麗に並べられている。花梨は、その光景に黙り込んだ。
「……花梨ちゃん?」
「……もしかして」
花梨は、一度靴箱の靴を手に取って確認すると、元の場所に戻した。今履いている靴を脱ぎ、すぐにリビングへと向かう。
ヒロもあとに続く。
「どうして……」
「……どうかしたかい?」
「あ……えと、私ね、部屋の片づけの手間を少しでも減らせないかなと思って、家を出るとき、段ボールに荷物をまとめておいたの。でも、段ボールがなくなってて。片づけておいた荷物が全部……」
部屋を見回すと、花梨が片づけておいた荷物はすべて元の位置に戻されていた。
「全部、元通りかな? 前に来たときと変わらない感じだね」
「……うん、そうなの」
「つまりここは、花梨ちゃんの家のままってことだね」
「あ……そう、いう、こと……だよね?」
花梨は戸惑うように、いつも座るソファに腰掛け、背を預けると「ふぅ」と小さく息をついた。
何気なく柔らかいクッションに小さな手で触れ、すっと目を閉じる。
――その瞬間、脳裏に流れ込んできたのは、数日前、この部屋で起きた光景だった。
(あ……お婆さま……)
遠い過去ではなく、つい最近この場所にいた多紀の切なそうな微笑みが浮かび上がる。
彼女は、『あの子が戻ってきたとき、不自由なく過ごせるように元に戻しときな』と、連れてきた使用人たちに指示を出していた。
いつも厳しかった祖母が、あんな表情を見せるなんて……。
当主のお役目のかたわら、多紀が様子を見に来てくれたのだ。
『……帰りたくはないだろうけどね。たまには、長野に顔を出すんだよ?』
まるで自分が視るのをわかっているかのように、片づけが終わった無人の部屋に向かって、去り際多紀がそう言い残し、リビングのドアが閉じた。
ふと垣間見た過去の出来事に、花梨の頬を透明な雫が伝う。
「……私、思ったより愛されてたみたい」
「…………ふふ。やっと気づいたかな?」
「うん……。気づくの、遅くなっちゃったけど……」
「花梨ちゃん……。人の想いに気づくのって、難しいものだよね。よく、気づけたね……」
ヒロは隣に腰を下ろし、花梨の頭をぽんぽんと撫で、微笑む。
白河家の中で、現在何が起こっているのかヒロは知らないが、一条稀華と花梨の後継争いは、いつか再燃することになるのだろう。
そのとき、小さな花梨が傷つかないように、自分がどうにか守ってあげたいとヒロは思うのだった。