▽前回のあらすじ
ヒロと共に花梨の自宅を訪れた二人は、時が止まったような部屋を目にする。過去視によって祖母の想いを知った花梨は、孤独だと思っていた自分が愛されていたことを知って……。
第244話
ポイッ。
◇
「わ……アイスが入ってる~♡ これお気に入りのやつ~♡」
「あははは……花梨ちゃん、アイス好きだもんね」
あれから花梨はキッチンに向かい、冷凍室を開けた。
もし、多紀がここに来て、自分の過去を視ていたとしたら――そう思って、冷凍室を覗いてみたのだ。
冷凍室には数種類のアイスが入っており、お気に入りのものが多めに収納されていた。
冷凍室の上にある冷蔵室は背が足りず覗けなかったので、ヒロに確認してもらったが、そちらはドリンクのペットボトルがあるだけで、他は特に入っていない。
「冷蔵室は……飲み物だけなんだ?」
「腐っちゃうからね」
「それもそうだね!」
「何か飲む?」
「じゃあ、アイスコーヒーをお願い!」
ヒロにアイスコーヒーのペットボトルを取ってもらい、花梨はお礼を言うと、トテトテと対面カウンターの向こう側へ回る。
カウンター席によじ登り、ペットボトルを開けようとした。
「…………くっ!」
蓋を握る小さな手が止まり、震えている。
キッチンにいるヒロは、その様子に思わず吹き出し、肩を震わせた。
「ふふふっ! 開けてあげるね」
「ありがとう……!」
ヒロに蓋を開けてもらい、苦い無糖コーヒーを一口。
「ふぅ……」
「俺はこれ、もらうね」
「どうぞどうぞ!」
冷蔵室からヒロが選んだドリンクはアイスティーだった。
花梨の隣へと腰掛け、まずは一休み……とほっと一息ついたそのとき。
「……あ」
「う、ん?」
「園子ちゃんが送ってくれたっていう招待状、あるかな!?」
ふと、花梨はここに来た目的を思い出し、隣のヒロを見上げる。
「あ、そういえば、それを取りに来たんだったね」
(ははは……花梨ちゃんといると、つい和んで忘れそうになるな……)
ヒロは苦笑いしながらも、白いカウンターの端に置かれた封筒に目を留めた。
「これ、かな……?」
「あ、封筒……」
座ったまま、ヒロが長い腕を伸ばすと、ぽつんと置かれた封筒に手が届いた。その様子を見た花梨が「腕が長くていいなぁ」と呟く。
「『葵 花梨様』……裏っ側は鈴木園子って書いてあるね。はい、どうぞ」
ヒロは花梨に、園子から送られた封筒を手渡した。
封筒の裏にはでかでかと「待ってるわよ!」の一言と、園子の署名がある。
「ありがとう……これだーー! 招待状ゲットーー! ミッションクリアー!!」
「ふふふっ、ゲットだね」
金色の瞳をキラキラと輝かせて封を開ける花梨を見て、ヒロの目の端に、涙がにじんだ。
女子高生の彼女も可愛かったが、今の花梨はあまりにも子供らしくて、愛おしくてたまらなかった。
「七月十四日、鈴木財閥六十周年記念船上パーティーにご招待します! 場所は……」
「横浜港だね」
封筒の中には招待状と、園子の手紙が入っていた。
「『P.S.スペシャルゲストで、達也を呼んだのよ! 余興で歌ってもらうんだから! それと、美味しいものいっぱい用意してるんだから絶対来なさいよね!』……だって」
ごくり。美味しいものに目がない花梨は、思わず喉を鳴らした。
「ふふふ、花梨ちゃんって食べるの好きだもんね」
「ち、違っ! 私は達也さんの歌を聴きたいなと思っただけで……!」
「達也さんて誰だい?」
「あ、えと、木村達也さんっていう歌手なの。レックスっていうバンドの元ボーカルで……――」
花梨は、蘭と園子とともにレックスの打ち上げに参加したときのことを、殺人未遂事件については伏せて、ヒロに説明していく。
「へえ、なんか聞いたことあるかも。彼、二週間くらい前にソロデビューしたとかでテレビに出てたなぁ。そっか、花梨ちゃん、知り合いなんだね」
「うん……達也さん、ソロデビューしたんだ……」
レックスの打ち上げに行ったのは、もう一ヶ月以上前だ。
あのときは、快斗が迎えに来て――。
(快斗、すごく心配してくれて、めちゃくちゃ怒ってたな……)
また快斗を思い出し、胸がきゅっと締め付けられる。
時の流れは早いな――と思いながら招待状の日付を見下ろし、目を伏せた。
「ますますパーティーに行かなきゃならなくなったね」
「えっ?」
「その達也さんの歌、聴きたいって顔してるよ」
「あ……えへへ。わかっちゃった?」
本当は、快斗を思い出していたのだけれど――達也の歌も、確かに聴いてみたい。
そう思いながら、花梨はヒロに笑顔で答えた。
「それじゃ、招待状も手に入ったし……もう帰ってもいいんだけど……花梨ちゃん、自分の部屋に用はないかな?」
「うん! お部屋に行ってくるね!」
「じゃあ、俺はここで待ってるよ。持って行きたいものとか、まとめておいで」
「ありがとう!」
ヒロは花梨が自室に入っていくのを見守る。
“遺書的なもの”……はもう必要ない。
◇
パタン、と静かに自室のドアが閉まる。
「あ……ここも、元通りになってる……」
部屋を見回した花梨の口から、自然とそんな呟きが漏れた。
五月二十九日の金曜日。自分の最期を覚悟して、クローゼットの服を段ボールにまとめておいたはずなのに、それらは影も形もない。
代わりに、整然と並ぶハンガー。花梨はクローゼットを開け、かつて自分が愛用していたお気に入りの服を一着一着、愛おしむように見ていく。
ふと、その手が一枚の白いワンピースの前で止まった。
(あれ……? この白いワンピース……)
キッドと初めて出会ったあの忘れられない夜。そして、快斗と初めてデートをしたときに着ていた、お気に入りの宝物のようなワンピース。
あの日、自分が着ていったはずだから、ここにあるわけがないのに。
「……お婆さまったら……」
わざわざ同じものを新調して並べてくれたのだろう。祖母の不器用で深い愛に気づき、花梨はくすりと微笑んだ。
けれど、さらに服をめくっていくと、今度は見覚えのある黒いドレスが目に留まる。去年、自分の誕生日に、ちょっと背伸びをして新一とディナーに行ったときの大人っぽいドレスだ。
「……せっかく背伸びして買ったドレスなのに……もう、着ることもないのかな……」
今の六歳の身体では、引きずるどころか布に溺れてしまう。二度と戻らないかもしれない十六歳の青春を突きつけられたようで、胸の奥が少しだけしんみりと痛んだ。
「ふぅ……」
クローゼットの扉を閉め、その背にそっと身体を預ける。もう着ることのできない美しい服たちを思い、花梨の唇には複雑な笑みが浮かんでいた。
「……あ。そうだ! 遺書!」
ふと本来の目的を思い出し、花梨は勉強机の上のノートPCを立ち上げた。
画面が起動すると、小さな手でマウスを操作し、残しておいたテキストファイルをゴミ箱へとドラッグする。
カチッ、と軽い電子音が響く。
「えへへ、もういらないもんね? ポイしちゃお……!」
それだけ済ませると、花梨は迷いなくノートPCの電源をオフにした。
「あとは……持っていくもの……」
ヒロの家に居候させてもらう身だ。あまりかさばる荷物を持っていくのは申し訳ない。うーむ、と小さな頭を悩ませた花梨が、迷った末に両腕でしっかりと抱えてリビングに持ってきたのは――。