私は蔵王ガキの状態について、ザオ・サガ本篇時点では「二人目の悪魔と契約し、ガキと悪魔が合一した状態になっている」と推察しました。
本篇においてはトルトゥーガの策略によりガキは太一郎の肉体を使って復活させられることになります。
しかし実際のところ、ザオ・サガ本篇にはこの「二人目の悪魔」についての情報が極端に少なく、その実態を把握するのが困難です。
そこで本稿では、ガキと太一郎の描写から、これらを紐解いていきたいと思います。
まず、ガキと太一郎の本格的な初対面は第12話「偽りの神」になります。
この時、内面世界においてガキは太一郎に以下のように語り掛けます。
※重要な部分のみ抜粋
「太一郎 今のままではただの使い捨ての"駒"だ」
「五家もトルトゥーガも…お前の家族でさえ お前を駒の一つとしか考えていない」
「飛べないと信じ込まされた鳥が 空を見上げるだけで飛ぼうともしないように」
「我が末裔が誰かに利用されたまま 腐っていくのは忍びない」
「再び始めようではないか 一族の物語を」
「かつて我ら"ザオ家"は唯一無二の力を持ち その神の如き力で秩序を守り世界を統治していた しかし小賢しい猿どもが地位をかすめ取りザオの名は葬られた」
「今こそザオ家再興の時―――! 太一郎 我はお前となり お前は我となる お前がザオ家の長となるのだ!」
「この世界をあるべき姿に戻すのだ 立ちはだかるものはすべて ねじ伏せろ!」
「改めて問おう太一郎…お前はどうしたい―――」
まさに教科書通りの悪魔の誘惑です。
人生なにもいいことがないまま生きてきた太一郎を「末裔」と呼びかけ、同族意識を植え付け、「選ばれた血筋」へと一瞬で引き上げる。
さらには「使い捨ての駒」よばわりで現状を否定し、怒りの矛先として五家・トルトゥーガ、さらにはザオ家を貶めた「猿ども」を用意。最後の最後で「選ぶのはお前だ」と自由意志があるように見せかけているわけです。
ここだけ見たら完全に洗脳の一部始終ですよね。
太一郎の境遇を「飛べないと思い込まされた鳥」に例える辺りに、Ryu genkeiの文学的センスを感じます。
さて、この一連のガキの演説から分かることは以下の通りです。
・太一郎はガキの末裔である
これはまず真実として受け取っていいでしょう。ガキ本人の語り口調もありますが、そもそもトルトゥーガが太一郎を依り代に選んだというのが決定的です。
そして太一郎がガキの末裔であるなら、当然磯部家はザオ家の末裔ということになります。
しかしここで、やや奇妙なことに気が付きます。
ガキの演説において、ガキは太一郎の家族についてさほど執着していないのです。むしろ太一郎を駒として扱う悪とまでみなしている。
ここからも「ガキはザオ家の再興を目指している」という点には、かなり疑問符が付きます。
それは、太一郎をその気にさせるためのお題目ではないのか?
さて、これに対して太一郎はこう回答しました。
「俺は―――強くなりたい 誰に蔑まれることもない 何物にも負けない強さが欲しい―――」
これだけいろいろ誘惑されても、あくまで自分自身の変化に拘っている太一郎は立派です。
そういうわけで太一郎とガキの契約は合意に至ったのですが、この後の契約シーンも意味深です。
「ならば捧げるか さすれば我が血、我が魂 ザオ・磯部太一郎とともにある―――」
「我が身を―――捧げる」
まずこの契約シーンを見て真っ先に気付くのは、太一郎が選択した「我が身を捧げる」というのが、トルトゥーガとアブレウスの契約に酷似しているということです。
トルトゥーガは悪魔であるアブレウスに「これ以上何を捧げるつもりだ!?」と戸惑われながらも「俺自身」を捧げました。太一郎とガキの契約にそっくりですよね?
もう一つ分かることがあります。太一郎がガキの末裔であり、ザオの名が奪われ磯部と偽られたならば、呼びかけるべきは「ザオ太一郎」となるはずです。
ところが、ガキは「ザオ・磯部太一郎」と、ザオまたは磯部が姓ではないかのように呼びかけていました。これはどういうことでしょう?
この直後、第13話「一握りの金貨」において太一郎は復活し、トルトゥーガに殴り掛かります。が、やはりこのシーンも奇妙です。
太一郎は復活早々、トルトゥーガに対してこんなことを叫びます。
「おかげで全部分かったぞトルトゥーガ! お前の正体も!一族が受けた仕打ちも!」
まあ普通に考えれば、内面世界においてガキが過去に起きたことを伝えたと取るべきでしょう。
ところがこの2ページ後、大札使いがトルトゥーガの本名である「紅丸」を口走った際、太一郎はこんなことを言います。
「紅丸…それがお前の本名か―――
お前は 金と権力のために親友を売った―――
そして一族の名を汚し我々を呪った
一族の無念はここで晴らしてやる」
変ですよね。
この後のトルトゥーガの回想内において、生前のガキとトルトゥーガは相当に仲が良く、互いに本名で呼び合っています。
もし、太一郎と契約した何者かが本当にガキの過去を話したのならば、トルトゥーガの本名を初めて知ったようなリアクションを取るはずがありません。
このセリフを聞いたトルトゥーガが、大札使いを殺害した黒剣を引っ込め、拳に切り替えたのも意味深でした。
次にガキと思われる存在が出てくるのはやや先、第16話「大きい魚と小さい魚」です。
この時、ダリルの部隊から頭部に狙撃を受けた太一郎は失神し、現代においてもはや使い手のいない古代魔法を使用することになります。
その後、第17話「野生」において太一郎は復活。
こんなことを言いながら、首に縫い目のある男と公用語が通じない男を瞬殺することになります。
「死を与える側だったはずの俺が 今度は自分が試される側になるとは」
太一郎が喋っているものの、明らかに太一郎の台詞ではありません。彼は作中で人を殺したことなどほとんどなかったのですから。
そして「頭に流れ込んでくる」というモノローグの後、宗教画コピペでこんなセリフがあります。
「魂を差し出せ 運命を受け入れろ 意志の強き者だけが道を示すことができる 意志の強き者は生を それが運命 意志の弱き者には死を」
「我と共に この世に新たな秩序を築こうではないか 我が孫、磯部太一郎よ」
このセリフも奇妙です。太一郎を末裔としておきながらも、ザオと磯部家の取り替えについて全く言及していません。彼は先ほど「ザオ・磯部太一郎」とバカ丁寧に呼びかけていたのに。
第18話「一つの母と一つの悪魔」において、太一郎は二人を瞬殺した光景を見ながら、自らを「磯部に災いを運ぶ忌み子」とまで言い切った父の言葉を思い出し、こんなことをのたまいます。
「父さんの言うとおりだ、俺は磯部じゃない 俺は……磯部を滅ぼすものだ!」
さて、台詞だけをとらえれば、これにより太一郎と契約した何かと太一郎が決裂したとすら取れます。
ガキのような何かはザオ家=磯部家の再興を持ち掛け、太一郎の心をくすぐりました。しかしここにきて太一郎は磯部を滅ぼすとまで言い始めました。明らかに矛盾しています。
続く第19話「カインとアベル」において、太一郎は兄である海・竜星と対決するのですが、その時太一郎と契約した何かがこんなことを言います。
「やっちまえ太一郎 こいつらは知らぬ間に 見下してた弟に あっさり殺される運命がお似合いだ」
この時、このセリフを言った何者かは短髪であり、ガキは一貫して長髪で描かれていたことは注目すべきでしょう。
奥の手であったターディグレイドがあっさりと突破され、海は命を落とすこととなります。
そしてこの際、ナレーションは明確にこう述べます。
「終焉の始まりとなったこの事件 磯部ガキは太一郎の精神をのっとり 太一郎の身体を使って 容赦なく長兄・海を屠った」
変ですよね?
「やっちまえ」なんて言ってたのに、実際は太一郎を乗っ取っています。
そして乗っ取られたのは精神であり肉体ではないというのもポイントです。
その後、竜星を介錯した太一郎の内面世界において、ガキは今度はこんなことを言い出します。
「『人』を捨てられたのなら重畳 次は長姉・朝意の番だ」
「やはりまだ人は捨てられぬか」
「いい加減目を覚ませ 我々がなすべきことはまだまだあるのだ」
「我と融合し完全なる悪魔になるのだ」
太一郎の精神をのっとった何者かは、磯部家の殲滅を試み、もはや完全にザオ家の復興を謳っていた頃とは乖離しています。
そして今度は明確に完全なる悪魔という用語を使いました。
これらの矛盾を総合すると、太一郎と契約した存在は「純粋な蔵王ガキ」ではなく、すでに「二人目の悪魔」と融合(あるいは乗っ取られ)た別物である可能性が極めて高いでしょう。
ザオ家再興はあくまで太一郎をその気にさせるための“お題目”に過ぎず、本当の目的は磯部家の殲滅、そして「完全なる悪魔」への覚醒だった――
そう考えると、すべての描写が驚くほど綺麗に繋がります。
蔵王ガキは、生前に二人目の悪魔と契約し、自らが悪魔に食われた形で今も存在している。
だからこそ、復活した「ガキ」はもはやガキではなく、ただの「二人目の悪魔」の傀儡だった――
これならば、トルトゥーガがガキの復活を目指しながらも、ガキをコントロールできるVを探していたことにも、太一郎との最終決戦の際にしきりにガキと太一郎のどちらが主導権を握っているかを気にしていた点にも納得がいきます。
要するにトルトゥーガは、ガキが悪魔と合一している状況を理解し、「二人目の悪魔」を取り除いたガキのみを復活させるためにVを探していたのです。