疾風走破と黄金姫   作:火屋

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第五話 王国戦士長

 

城の中庭に設けられた訓練場は、朝から砂埃と掛け声で満ちていた。

 

木剣がぶつかり合う鈍い音。

重い鎧のきしむ音。

汗と土と、わずかな鉄の匂い。

 

その中心に、ひときわ目立つ男が立っている。

 

王国最強の戦士長、ガゼフ・ストロノーフ。

 

 

「そこ、重心が乗ってないぞ! 剣は腕だけで振るんじゃない!」

 

 

怒鳴り声が飛ぶたびに、若い兵士たちがびくりと背筋を伸ばす。

 

その少し離れた位置で、痩せた男が壁にもたれてそれを眺めていた。

 

青い髪。細い目。どこか投げやりな立ち姿。

 

ブレイン・アングラウス。

 

今は、正式な立場などない。

ただ、ラナー第三王女の紹介で、時折こうして訓練場に顔を出している。

 

 

「……相変わらずだな」

 

 

ブレインは、ぼそりと呟いた。

 

 

「何がだ」

 

 

耳ざとく拾ったガゼフが、振り向きもせずに返す。

 

 

「声。よく通る。兵の足が止まる」

 

「褒めてるのか?」

 

「半分は」

 

 

ブレインは肩をすくめた。

 

 

「残り半分は、そんな吠えても弱いやつは弱いままだろってところだ」

 

「ほう」

 

 

ガゼフの口元に、わずかな笑みが浮かぶ。

 

 

「じゃあ、その嫌いな犬が鍛えた兵の様子でも、じっくり見ていくといい」

 

「見てるさ」

 

 

ブレインは、訓練場の一角を顎で示した。

 

 

「さっきから、剣よりも別のことで頭いっぱいそうな奴が数人いる」

 

「……どいつだ」

 

「ほら」

 

 

ブレインが視線で示した先。

 

そこで、二人組の兵が稽古をしていた。

片方は動きが硬く、もう片方はどこか落ち着きがない。

 

 

「――えいっ!」

 

 

硬い方の兵が振るった木剣を、落ち着きのない方は遅れて受ける。

 

 

「集中しろ、ハインツ!」

 

 

兵士の一人にガゼフの怒鳴り声が飛ぶ。

 

 

「す、すみません!」

 

 

怒鳴られた兵士が慌てて応じるが、そのあともとても身が入っているとは言えない状態だった。

 

 

訓練が一通り終わり、兵たちが水桶の周りに集まった頃。

 

 

「ハインツ」

 

 

ガゼフは、その落ち着きのない方の兵を呼び止めた。

 

 

「はいっ!」

 

 

背筋を伸ばしたものの、その目はやはりどこか泳いでいる。

 

 

「足の動きは悪くない。呼吸も乱れていない。

 だが、剣筋が迷っている」

 

「……申し訳ありません」

 

「迷っている理由は、剣のことじゃないのか」

 

 

ガゼフの視線が、ハインツの顔を射る。

 

ハインツは、一瞬ためらったあと、意を決したように口を開いた。

 

 

「戦士長様、その……」

 

「言え」

 

「いえ、あの、その……」

 

 

視線が、周囲の兵士たちをちらりと掠める。

 

ブレインが、退屈そうに石垣から腰を上げた。

 

 

「解散してからやったらどうだ、ガゼフ」

 

「……そうだな」

 

 

ガゼフは、周囲に向き直った。

 

 

「今日の訓練はここまでだ! 各自、装備を点検して休め!」

 

「「はっ!」」

 

 

兵たちが散っていく。

訓練場に残ったのは、ガゼフとハインツ、それにブレインだけになった。

 

ガゼフは水桶から木椀で水を汲み、ハインツに差し出す。

 

 

「飲め」

 

「し、失礼します」

 

 

喉を鳴らして水を飲み干した兵の肩から、少しだけ力が抜けた。

 

 

「で、何を迷ってる」

 

 

ガゼフは、あくまで淡々と問う。

 

ハインツは、しばらく唇を噛み、それからポケットからくしゃくしゃになった紙切れを取り出した。

 

 

「……これを、算学小屋で書かされました」

 

「算学小屋?」

 

 

ガゼフの眉がわずかに動く。

 

ブレインは壁際に寄りかかり直し、懐から干し肉を取り出してかじった。

 

 

「最近、第三王女殿下の教会の裏でやってるっていう、アレか」

 

「はい」

 

 

ハインツは、紙を両手で広げた。

 

そこには拙い字と数字で、家の収入と支出が表のように書かれている。

 

 

「親父が荷運びを仕事にしているんですが、日に銅貨を十枚をもらえるはずなのに、

 『二枚取られて、また訳の分からんのまで引かれて、三枚しか残らん』って言ってたんです。

 算学小屋で“数ができるようになったなら、家の帳簿を一度見てみなさい”って言われてたのを思い出して……」

 

「なるほど。で?」

 

「そもそも、家には帳簿がなかったので、ちゃんと数えてみようって思ったんですけど」

 

 

ハインツは、指で表の一行をなぞった。

 

 

「そもそも、十枚の中から、宿代と飯代で四枚は天引きされていて、

 六枚が支給されるはずというのがわかり、支払いのときに渡される紙を見ると、

 管理代や謝礼金などよくわからない理由で三枚も抜かれてたんです」

 

 

ガゼフとブレインの視線が、紙に落ちる。

 

ハインツは、紙を握りしめた。

 

 

「きちんとした説明もないのですが、これ、変だって言っていいんでしょうか」

 

 

静かな問いだった。

 

ガゼフは、紙を受け取ってじっと見つめる。

 

読み書きは問題ない。数字も、一応はわかる。

こうしたことに詳しくはないが、何か不穏なものをガゼフは感じ取った。

 

誰かが悪さをしている。

 

 

「……その気づきは大事だ」

 

 

低い声で言った。

 

 

「だが、“どこにどう言うか”を間違えると、お前の家も、お前自身も潰れるかもしれん」

 

 

ハインツの喉が、ごくりと鳴る。

 

管理代としてせしめているのは一体誰なのだろうか。

荷運びの仲介なのか、元締めなのか、はたまた貴族なのか。

 

この国で貴族や八本指に睨まれた平民が生きていける道はない。

 

ブレインが不意に口を開いた。

 

「でも、それはもう第三王女のところに一枚行ってるだろ」

 

「え?」

 

「算学小屋でそういう紙を書かせてるってことは、写しを取ってるはずだ。

 数字を間違っていないか確認するとか言ってな」

 

 

ブレインの目が、細くなる。

 

 

「だからお前が一人で抱え込んでる話じゃない」

 

「……そう、なんでしょうか」

 

「そういうふうに、仕組んである」

 

 

ブレインは、どこか他人事のように言った。

 

 

「殿下は、そういう人だ」

 

 

ハインツが驚いたように顔を上げる。

 

 

「殿下のことをご存じなんですか?」

 

「少しだけな」

 

 

ブレインは視線をそらした。

 

ラナーと初めて会ったときのことを、ふと、思い出す。

ガゼフに御前試合で負け、どうしようかと思っていたブレインに、

「あなたはまた王国に戻ってきてくれますか?」と笑った顔。

 

即答はできなかったが、今こうして王国を訪れる理由の一つにはなっている。

 

ガゼフが、紙を折りたたんでハインツに返した。

 

 

「それは、お前が持っていろ」

 

「は、はい」

 

「今は表立って言うべきじゃないとは思う。

 だが、変だと感じたことは忘れるな」

 

 

ガゼフは、訓練場の入り口の方を顎で示した。

 

 

「同じような声がどのくらい集まっているかが重要だ。

 お前一人の話ではなく、城下全体の話に出来るなら――」

 

「出来るなら?」

 

「その時は、王は聞き届けてくれるかもしれぬ」

 

 

ガゼフの目が、真っ直ぐにハインツを見詰める。

 

 

「今は耐えてくれ」

 

 

ハインツは、ぎゅっと拳を握った。

 

 

「……はい!」

 

 

その返事には、さっきまでの迷いが、少しだけ薄れていた。

 

 

 

 

訓練場を後にしながら、ブレインは小さく笑った。

 

 

「甘いな、ガゼフ」

 

「何がだ」

 

「集まれば叩けるなんて話は夢物語さ」

 

 

ブレインは、手を頭の後ろに組んだ。

 

 

「この国の王や貴族が、それをそのまま受け入れると思うか?」

 

「王ならば……いや、貴族たちを考えると難しいか」

 

 

ガゼフは答える。

 

 

「だが、受け入れざるを得ない形にすることは出来る」

 

「誰が」

 

「さあな」

 

 

ガゼフは空を見上げた。

 

 

「第三王女か」

 

「……ふん」

 

 

ブレインは、鼻で笑った。

 

 

 

 

小さな紙の束が、机の上に積み上がっていた。

 

城の一角にあるラナーの私室。

 

簡素な机。壁際の本棚。

窓から見えるのは城下町の屋根と、遠くの城壁。

 

その机の上で、教会や算学小屋で集めた紙が静かに増えていた。

 

 

「……また増えましたね」

 

 

ルミィが、申し訳なさそうな声で言った。

 

彼女の腕には、新しく運んできた紙束が抱えられている。

机の上の山にそっと重ねると、紙がぱらりとずれて、幾つかが滑り落ちた。

 

 

「ごめんなさい、殿下。少し雑に持ってきてしまって」

 

「いいんですよ。落ちたのも、また拾えば戻りますもの」

 

 

ラナーは微笑を崩さずに言った。

 

クレア――クレマンティーヌは、ソファの背にもたれ、片足を組んでいる。

 

 

「兵士の紙も混ざってるのね」

 

 

クレアが、ルミィから一枚ひょいと抜き取る。

 

『十枚から四枚とられるはずなのに、三枚しか残らないことがある』

 

拙い字で、そう書かれていた。

 

 

「……ああ」

 

 

ルミィが小さく頷く。

 

 

「子供たちだけでなく、話を聞いた兵まで来てたみたいです。

 戦士長様のところにも、同じような紙が届いているかもしれません」

 

「ガゼフのところへ?」

 

「はい。平民からするとガゼフ様は貴族と話ができる唯一の平民ですから、

 ガゼフ様に申し出る平民も多いと侍女仲間から聞きました」

 

「ふうん」

 

 

クレアは、紙をくるりと指で回した。

 

「十枚から四枚取られて三枚しか残らないなら、三はどこに行ったのか、ってわけね」

 

「“途中で使われた”か、“最初から十枚もなかった”か、“誰かが多く取っている”か」

 

 

ラナーは、別の紙を取り上げる。

 

国に納められる税と各組合の賃金表。

様々な数字が並んでいる。

 

 

「そういう意味を持った数字が書かれた紙が、城下のあちこちから届くようになってきました。

 教会から。算学小屋から。診療所から」

 

「診療所?」

 

 

クレアが片眉を上げた。

 

 

「私の問診票も、そっちに混ざってるわけ?」

 

「ええ。とても優秀ですよ、クレア」

 

 

ラナーは楽しそうに笑った。

 

 

「“酒”、“娼館”、“お友達”。

 こういうのが好きな人たちはとても分かりやすいです」

 

 

ラナーは、机の上の紙束を三つに分けた。

 

ひとつは、八本指の名が絡むもの。

ひとつは、明らかに特定の貴族の名が挙がっているもの。

ひとつは、誰の名も具体的には出てこない、漠然とした不満。

 

 

「ここ」

 

 

八本指の束を、指でつつく。

 

 

「これは、いずれ“城とは別のところ”で、まとめて切る必要があります。

 まとめて相手にできる力はまだありませんから一旦は保留します」

 

「楽しみにしとく」

 

「次はここ」

 

 

貴族の名が挙がっている束。

 

 

「この人たちは然るべき時になればきちんと裁けます。みせしめに丁度いいですね」

 

「チエネイコも、そっち」

 

「そうですねぇ」

 

 

ラナーの目が、少しだけ楽しそうに細められる。

 

 

「そして、ここ」

 

 

住民の書いた紙の写しや投書箱に入れられた漠然とした不満の束。

 

 

「これは、たぶん今すぐには変えられないところです。

 けれど、集めておけばどこかで役に立つかもしれない」

 

「“かもしれない”ね」

 

 

クレアは、机から一枚引き抜いた。

 

『仕事がない』『腹が減る』『寒い』

 

ただそう書かれている紙。

こんな些末なことさえも集めている。

 

 

「こんなのほっとくとどんどん増えると思うけど」

 

「ええ、そうでしょう」

 

 

ラナーは、紙をクレアの手から取り上げ、自分の束に戻した。

 

 

「ひとつひとつに意味はなくても、思わぬ宝が隠れているかもしれません。

 人の不満の山。ここを鉱山と見立てるのもまた趣深いとも思います」

 

「趣味が悪い」

 

「そうですね」

 

 

ラナーは認める。

 

 

「でも、私はこういうのも好きなんです。

 “どれだけ助けられなかったか”も、ちゃんと数えておきたい」

 

 

クレアは、わずかに目を細めた。

 

その言葉には、妙な重さがあった。

 

ラナーは、少しだけ声の調子を変える。

 

 

「それに――」

 

「それに?」

 

「誰かの“助けて”を全部拾うなんて、誰にも出来ませんから」

 

 

ラナーは、机の上の紙束を軽く叩いた。

 

 

「出来ないことを出来るふりをするのは、嫌いなんです。

 “ここからここまで”と決めて、その範囲だけはきっちりやって、

 あとは“出来なかった”と数えておく方が、まだ正直でしょう?」

 

 

クレアは、しばし黙ってラナーを見ていた。

 

そして、ソファから腰を浮かせ、机の近くまで歩み寄る。

 

紙を一枚、二枚と手に取る。

診療所で見た怪我の記録。

兵士の訴え。

侍女の小さな愚痴。

 

それらが、同じ紙束の上で並んでいる。

 

 

「……なるほど」

 

 

クレアは、短く息を吐いた。

 

 

「少しは分かったわ。

 私の兄と違って、"全部"を助けるつもりは最初からないのね」

 

「私にはそんな力はありませんもの」

 

「それでも、六大神が再び降臨すればすべて救えると思ってるんだよね~アイツは」

 

 

ラナーは穏やかに微笑んだ。

 

ルミィが、二人のやり取りを見て、小さく笑う。

 

 

「私はそうして殿下が決めてくださるのをありがたく思っていますよ。

 一人で動いても何も起こせないですから」

 

「私も助かっています」

 

 

ラナーは頷いた。

 

 

「とにもかくにも、今はたくさん紙を集めてみましょう」

 

「……コレクターねえ」

 

 

クレアは肩を回しながら、革手袋をはめ直した。

 

 

「じゃあ、診療所の方も、もう少し真面目に書いたげるわ」

 

「とても助かります」

 

 

ラナーが頭を下げると、クレアは鼻を鳴らした。

 

紙束は、少しずつ、しかし確実に重さを増していくのだった。

 

 

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