疾風走破と黄金姫   作:火屋

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お待たせしました。


閑話 天井を見つめる

 

王城の奥、窓の小さな一室に灯りがひとつともっている。

 

ラナー・ティエール・シャルドロン・ライル・ヴァイセルフは、

机の上に広げた紙束から顔を上げた。蝋燭の炎が、彼女の金の髪と紙の縁を薄く照らしている。

 

 

「……ひとまず、今日の分はここまでですわね」

 

 

机の向かいで椅子に深く腰を下ろしていたラキュースが、軽く伸びをした。

 

 

「教会に寄せられた分が思ったより多かったわね」

 

「最初の頃に比べれば、ずいぶん落ち着きましたわ。

 ここ数週で目に見えて減っておりますもの」

 

 

そう言って、ラナーは脇に置かれた紙を手に取る。

ルミィがまとめた簡単な表だ。

 

週ごとの、救貧教会に届いた訴えの件数。

 

一番上の行には、

百二十、百、八十五、七十――と数字が並び、

下の方になるにつれて、

五十、四十五、四十二、四十……と、ゆるやかに減っていく。

 

 

「最初は本当にすごい勢いでしたねぇ」

 

 

ルミィがしみじみと言う。

 

 

「でもここ最近は減り方も穏やかになってきました」

 

「そうみたいね。内容も本当に生活が立ち行かないってやつじゃなくなってきてる」

 

 

ラキュースが表を覗き込みながら頷いた。

 

 

「おかげさまで。

 あとは、ここから先が安定な形なのかどうか、ですわ」

 

「安定な形、ね」

 

 

ラキュースがその言葉を繰り返した時、軽いノックの音がした。

 

 

「どうぞ」

 

 

ラナーが返事をすると、扉が開く。

 

 

「失礼しまーす。お仕事お疲れ様でーす」

 

 

入ってきたのはクレア――いまはそう呼ばれている女だった。

 

普段はボブカットの髪が後ろの高い位置でゆるくまとめられている。

修道服ではなく、緩い寝巻に上着を羽織っただけの姿である。

 

手には、革で綴じられた小さな帳面を二冊ぶら下げている。

 

ラキュースはジトっとした目でクレアを見る。

 

 

「淑女にあるまじき迂闊な格好ね。どっかの貴族連中に見られたら襲われるわよ」

 

「えー、ラキュースさんは私にそんな不埒な視線で見てるんですか~。きゃ~」

 

 

クレマンティーヌはけらけらと笑いながら、からかい半分にしなを作る。

 

 

「あなたねぇ!」

 

「まあまあ、とっても色っぽいじゃありませんの」

 

「ありがと、ラナー」

 

「そうやって甘やかすから調子に乗る……!」

 

 

ラキュースは貴族の令嬢として憤慨する。仮にも王女殿下の前で取る態度ではないと。

 

「ラナーもラナーよ。私には今まで欠片だってそういう態度は見せてこなかったじゃない。

 とても素敵な王女殿下であったのは間違いないけど、友人としてはそういう部分を隠してたことには傷つくわよ」

 

「ふふふ、だってラキュースとはお仕事の関係でしたから。

 これでもとっても役に立つ駒だとは思ってましたのよ」

 

「駒ってゆーな!駒って!」

 

 

貴族令嬢は何処に行ったのか滅茶苦茶な口調でラキュースは反論する。

 

その光景をみてクレアは少し暖かいものを感じた。

 

 

「まあまあ、ラキュース。これからは優秀な駒同士仲良くしよっか」

 

 

そういってクレアは肩を組む。ラキュースは顔を赤らめている。

 

 

「あなたも!急に馴れ馴れしくしないでよね。

 知ってるわよ、あなた私のこと嫌いだったでしょ!」

 

 

それにはクレアも一瞬、黙ってしまう。

 

 

「んー。まあね。だってあんた貴族とか冒険者とか役割ばっか表に出して、

 年下のくせに窮屈な理想を押し付けてくるんだもん」

 

「まあ、私も立場や信仰に疑問に思ってた時期だったから、耳が痛いってのもあったけど。

 でも、どんだけ人付き合い下手なんだよとは思った」

 

「私、人付き合い下手だったんだ……」

 

 

ずーん、と沈むラキュース。

 

 

「まあでも仮面のちびとか双子よりはだいぶマシじゃない?」

 

「そ、その程度なのね……」

 

「まあ、私もこのまま法国に居たら快楽殺人者になって冒険者狩りとかしちゃいそうだったし、他人のこと言えないけどねー」

 

「冗談でもそういうことは言わないでよね!」

 

 

クレアも冗談、冗談と流す。

 

それをすっと目を細めてラナーは見る。

 

 

「お話はじゅうぶんですわ。クレアは本題の記録を見せてください」

 

「記録?」

 

 

ラキュースが首をかしげる。

 

 

「そ。村から集めた家畜の数の記録と、油遊びの結果。ラナーが好きそうなやつ」

 

「油遊び?」

 

 

疑問を浮かべるラキュースと対照的に目を輝かせるラナーを見て、ルミィが小さく苦笑した。

 

 

「殿下が以前、学者の方々にお願いして作らせた装置の記録です。

 粘りのある油を入れた筒に鉛玉を落として、目印ごとの時間を数えさせてるんです」

 

「まあ、覚えていてくださったのですね、ルミィ」

 

「忘れろっていう方が無理ですよ、あんなことさせたら」

 

 

クレアが机に近づき、帳面をぽん、と置いた。

 

 

「玉が目印を通り過ぎるのを見張って、“一、二、……”って数えさせるんだもん。

 あんなん数時間もやらされるのは拷問よ。学者連中はよくやるわ」

 

「拷問!そうすればたくさん資料があつまりますわね。これから王都でも拷問の機会は増えそうですから」

 

 

ラキュースは本気で嫌な顔を浮かべている。

 

 

「それでこれは結局何をしてるわけ?」

 

「速さの頭打ち、の実験ですわ」

 

 

ラナーは嬉しそうに頷く。

 

 

「せっかくなので、その帳面も見せていただけます?」

 

「どうぞどうぞ。

 ついでに、別の村の家畜の頭数も持ってきましたよ。

 そっちは教会経由のお願いで集めたやつ」

 

「家畜?」

 

「毎年何頭いるかって記録です。……まあ、一度見たら殿下は

忘れないでしょうけど」

 

 

ラナーは帳面を開き、油の方から目を通した。

 

ページの上には、縦に並んだ数字。

次のような表が書かれていた。

 

【油柱の実験】

年数   拍数 

1→2   3.0

2→3   3.0

3→4   2.0

4→5   1.5

5→6   1.2 ←このあたりからほぼ一定

6→7   1.1

7→8   1.1

8→9   1.1

9→10   1.1

 

 

のように書かれている。

時間を測ることは難しく長年の問題となっているが、

どうやら同じ学者の脈拍を使って大体で測っているらしい。

 

ルミィがやらされた時は歌を歌うときのように手で拍子をとって測っていたが、

それよりは幾分改善しているようだった。

 

 

「……やっぱり、きれいですわね」

 

 

ラナーがぽつりと言う。

 

 

「きれい?」

 

 

ラキュースが不思議そうに首をかしげる。

 

 

「はい。

 最初の方は、印と印のあいだを通り抜けるのにかかる時間が、

 毎回少しずつ短くなってるでしょう?

 つまり落ちるものはどんどん速くなっていくのです」

 

 

ラナーは指で行をなぞる。

 

 

「でも、このあたりから下は、ほとんど同じ。

 速さは変わっているように見えて、実は、もうあまり変わっていないのですわ」

 

「つまり、落ちる速さに“天井”があるってことね」

 

 

ラキュースが言葉を補う。

 

 

「そうですわ。

 それ以上は、いくら時間が経っても、ほとんど速くならない」

 

 

楽しそうに結果を眺めるラナーを見てクレアは肩をすくめる。

 

 

「初めてこれ見た時、妙に嬉しそうだったんですよねぇ。

 “ほら、こことここで増え方が違う”って」

 

「だって、楽しいではありませんか」

 

 

ラナーは悪びれもせずに笑った。

 

 

「同じ距離を進むのにかかる時間を並べていくと、様子が見えてきますもの。

 最初は三から二、二から一・五、一・二……と、減り方も大きい。

 でも、途中から、減り方そのものがほとんどなくなる」

 

「前に言ってた“減り方の減り方”ってやつですね」

 

 

クレアが口を挟む。

 

 

「はい。落ちる速さの方で言うと、速さの“増え方の増え方”はだんだん小さくなっていく。

 そのうち、“ほとんど増えないところ”に張り付いてしまう」

 

 

ラナーは帳面を閉じ、次の帳面――村の家畜の記録――を開いた。

そこには、いくつかの家畜の年ごとの頭数が並んでいる。

 

【村の鳥の羽数の記録】

年数 羽数 増加

1   10  -

2   14  +4

3   19  +5

4   26  +7

5   33  +7

6   41  +8

7   49  +8

8   56  +7

9   62  +6

10   67  +5

 

「十年目までの記録、ですか」

 

 

ルミィが覗き込む。

 

 

「最初の年が十羽。

 次の年は十四羽、その次は十九、二十六、三十三、四十一……」

 

 

ラナーは、頭数の横に、小さく数字を書き足した。

 

 

「増えた分は、四、五、七、七、八、八、七、六、五……」

 

「“増え方の増え方”がまた頭打ちになるのかしら……」

 

 

ラキュースが小さく息を呑んだ。

 

 

「まだ十年ですからね。もう少ししたら結果がわかるでしょう」

 

「ええ」

 

 

ラナーはゆっくり頷いた。

 

 

「落ちる速さにも、増える命の数にも、恐らく“頭打ちになる形”がありますの。

 並べ方は違っても、“増え方がだんだん小さくなる”という点ではよく似た親戚ですわ」

 

「親戚ねぇ」

 

 

クレアが笑う。

 

 

「油の中で落ちてる玉と、鳥が一緒くたにされるなんて、さぞかし驚いてるでしょうね」

 

「驚いていたら、謝らなくてはなりませんわね」

 

 

ラナーは冗談めかして返した。

 

 

「でも、わたくし、こういう“遠い親戚”を見つけるのが好きなのです。

 まったく別の紙に書かれた数字なのに、並べ替えて眺めると、同じ形をしているように見えてくる」

 

 

机の上には、油柱の記録と家畜の記録、そして嘆願書の件数が

並んでいる。

 

ラナーは最後の一枚――王都に届いた訴えの総数の記録――に指先を滑らせた。

 

 

「こちらも、少しだけ似てきましたわ」

 

「似てきた?」

 

【訴えの総数の記録】

週  件数 減少分

第1週 120 -

第2週 100 -20

第3週 85  -15

第4週 70  -15

第5週 50  -20

第6週 45  -5

第7週 42  -3

 

 

ラキュースが身を乗り出す。

 

 

「ほら。最初の週は百二十。それから百、八十五、七十……と、ぐっと減っております。

 でも最近は、五十、四十五、四十二、四十、と。減り方そのものが、小さくなってきている」

 

「……ああ、なるほど」

 

 

ラキュースの表情が僅かに和らぐ。

 

「最初は“変わった実感”が大きかったけど、今は、少しずつ落ち着いてきてる、ってことね」

 

「そうですわ。

 これが、ずっと大きく減り続けているなら、落ちている最中。

 逆に、減りもしないし増えもしないなら、何も変わっていない。

 今は、そのどちらでもないところにいます」

 

 

ラナーは、油柱の帳面に視線を戻した。

 

 

「落ち始めの玉と、増え始めの家畜と、今の王都。

 どれも、最初は大きく変わりますけれど、やがて“変わり方”が小さくなって、

 あるところに張り付いていく。それが、“安定した形”です」

 

「この安定した形が続くと良いのですが」

 

 

ラナーは目を伏せる。

 

 

「続かない可能性もあるの?」

 

 

ラキュースが問う。

 

 

「油の玉は、まあ安心ですよ。

 どれだけ落としても、状況が変わらないので」

 

 

クレアは家畜の帳面をなぞる。

 

 

「こっちは、そうはいきません。

 “頭打ちになったから安心だ”って思ってても、病気が流行ったり、

 誰かがこっそりまとめて売り払ったりしたら、あっという間に崩れる」

 

「……“頭打ち”のあとに、下に落ちる可能性がある、ということ?」

 

 

ラキュースが眉を寄せる。

 

クレアは薄い笑いと少しだけ刺のある声で言う。

 

 

「捕る側が調子に乗るとね。

 “どうせすぐ増える”と思って、頭打ちを無視して刈り取り続ける。

 森も、群れも、ある日急に底が抜ける」

 

 

ラナーはその言葉を静かに受け止めた。

 

 

「ですから、わたくしは“頭打ちになったかどうか”だけでなく、

 “その頭打ちがどれくらい安定しているか”も気になっているのですわ」

 

 

ラキュースが机の上の表を見比べる。そしてつぶやく。

 

 

「まあでも、安定しているから良いとは言えないとは私は思うけどね。

 例えば、貧しい子供が親となりまた貧しい子供が生まれる。

 これがずっと続く安定というのは、安定しているから良いとは言い切れないわよね」

 

「ええ。そうなのです」

 

 

紙を撫で、ラナーが続ける。

 

 

「わたくしは、こうして紙の上の数字を並べて、予想することはできます。

 油柱の玉と、村の家畜と、王都の訴えが、同じ列の親戚だと見抜くことはできる。

 けれど、その対象がどんな様子なのかは、数字だけでは見えてきませんわ」

 

「それを見るのが私たちの仕事、ってこと?」

 

「はい。皆様にはそれぞれ違った目線があります」

 

 

ラナーは自分の胸に手を当てた。

 

 

「わたくしには、皆さんのような目線はありませんから」

 

 

ラキュースは、しばらく黙っていた。

そして、少しだけ肩の力を抜いた。

 

 

「……ラナー」

 

「はい?」

 

「正直に言うとね。私は、あの日のラナーを見てから、ずっと迷ってたの」

 

「民の訴えを拾って、貴族を睨みつけるラナーは格好いいと思った。

 でも同時に、それも打算なんだろうって怖くもなった」

 

 

ラキュースは、ラナーから視線を外さずに続ける。

 

 

「だから、こうしてここに残って、ラナーを手伝ってるのは、

 冒険者の代表で貴族だから、って理由だけじゃないの」

 

「ラナーが行き過ぎてしまわないか心配なの。

 そして、そうなって、ラナー自身が傷ついてしまわないように一人の友人として隣に居たいと思ってるの」

 

 

ラキュースはためらわずに言った。

 

 

「あなたには他人には見えないものが確かに見えてる。

 油と家畜と王都の訴えなんて、一見ばらばらなものを見て、

 “ここに同じ形がある”って言い出す人間なんて、そうはいない」

 

 

クレアがふっと笑った。

 

 

「それはまあ、同意だよねぇ。

 普通の人間は、油は油、鳥は鳥、民は民で精一杯よ」

 

 

ラナーは苦笑した。

 

ラキュースは立ち上がり、机の上の表を軽く整えた。

 

窓の外では、夜風が城壁を撫でている。

遠くの街の灯りは、少しずつ減り始めていた。

 

机の上には三種類の表が並んでいる。

 

どれも、最初は大きく変わり、やがて変わり方が小さくなり、

あるところに寄り添っていく。

 

それが、この先も続く皿の底なのか。

それとも、次の揺れで崩れ落ちる山の上なのか。

 

今はまだ、誰にも分からない。

 

それでもラナーは、その夜、そっと紙束を重ねながら思う。

 

――安定した形を考えることと、人の営みをもう少しだけ上手に繋げられたなら。

 

いままでにはなかった淡い願いと蝋燭の炎が小さく揺れた。

 





修正作業で遅刻をしましたが、この閑話で第二章は完結です。
第三章では国外に舞台を移していこうと思いますが、二週間の連続更新でだいぶ元々のプロットからずれてきたので、数日お時間をいただこうと思います。

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