第一話 箱庭の外へと続く道
王都直轄地であるエ・ランテルの城門は、少しだけ空気が変わっていた。
王都を中心とした搾取の取締りにより、他地域と王国の交易の拠点であるエ・ランテルとの往来が以前より増えている。
城門前の広場では兵士と役人がせわしなく動き、荷を積んだ馬車が行列を作っていた。
その列の一角で蒼の薔薇の面々が馬車の荷台を眺めていた。
「……にしても、随分と立派な馬車を用意してくれたわね」
ラキュースは軽くため息をついた。
王家の紋章が刻まれた側板。厚めの板で補強された車輪。
冒険者に似つかわしくない王国の使節としての馬車である。
「いいじゃねぇか。長距離移動だからな。
道が悪いとこも多いし、いい馬車ほどありがたいだろ」
ガガーランが荷台の縁に腰を預けて笑う。
「それに、王家の使節ってのは名誉なんだろ。
ラキュースもたまには貴族としての箔をつけとけよ、なぁ、イビルアイ」
「……帝国がどのような対応かにはよるがな。
場合によっては乗り心地などよりよほど面倒なことに巻き込まれるかも知れん」
仮面越しにぼそりと返すイビルアイの声には、朝から既に疲労の色が混じっていた。
ガガーランが喉を鳴らして笑い、双子は荷物の重さを確認しながら無言で頷き合う。
そのとき、城門から少し離れた場所で、落ち着いた声が響いた。
「お待たせしました、蒼の薔薇の皆様」
声の主は、濃紺の詰襟服に身を包んだ男だった。
黒髪をきちんと撫でつけ、脇には書類の挟まった革の筒。年の頃は三十手前といったところだろうか。
王家直轄地都市長代理――ローデンと名乗った文官である。
「王都よりの正式な命と、殿下からのお預かり物をお持ちしました」
「預かり物?」
ラキュースが首を傾げると、ローデンは微笑を浮かべて革の筒から封蝋のされた書状を数通取り出した。
「こちらが、竜王国派遣の命令書。それから、ラナー殿下からの書簡と……」
言葉を切って、手のひらをこちらへ向ける。
そこには、小さな布袋が三つ乗っていた。掌に収まるほどの大きさで、口は糸で縫いとめられている。
「この手紙と一緒に、ラキュース様に預けるようにと言われております」
手紙には少し癖はあるが美しいラナーの字で短い文が綴られていた。
『一の袋は帝国境に入る前、二の袋は竜王国に入る前、三の袋はどうにもならないときに開けてください。お土産話を期待しております』
ラキュースの眉がぴくりと動く。
「……あの子らしいわね」
ラキュースは苦笑しながら布袋を受け取る。袖の内に滑り込ませたのを見届けて、ローデンは軽く咳払いをした。
「ともあれ、これで形式は整いました。エ・ランテルから帝国境までは、こちらの馬車で。帝国側にも、既に通行の手筈を整えてあります」
「助かるわ。国境で足止めを食らうのはごめんだもの」
「同感ですね」
ここで、別の声が割って入った。
「どうもー。お役所仕事をすっ飛ばしてもらえるのはありがたいわね」
のんきな調子で現れたのは、一見修道女のような服装をした女はクレア――クレマンティーヌである。
いつもの修道服に、今日は動きやすい革の外套を羽織っている。髪は後ろでざっくりとまとめ、肩には簡素な旅鞄。
腰にはちゃっかり非常に作りの良いスティレットを二本差している。
「おはようございます、ローデンさん。ラナーは元気?」
「殿下は、いつも通りお元気でしたよ。……私の机の上の紙の山も、いつも通り増えていますが」
「それはご愁傷様」
「それはそれと、クレアさんは王城でたまにお会いする時と随分調子が違いますね」
「しばらくは一緒に旅するワケだからね。ラキュースたちと一緒なのにずっと堅苦しいのはしんどいから」
クレアは肩を竦め、馬車と荷物をざっと一瞥する。
「元気そうね、クレア。準備はできている?」
「できてるできてる。こっちはラナーに頼まれた記録をつけるだけだから大したことないわよ」
クレアは手をひらひらさせる。
「……ともかく、これで顔ぶれは揃ったわね」
ラキュースは周囲を見渡す。
ガガーラン、イビルアイ、ティア、ティナ。そこにクレアが加わり、ローデンと数名の兵士が同行する。
「竜王国はそんなに切羽詰まってるの?」
クレアの問いに、ローデンがわずかに表情を硬くする。
「詳しい戦況は前線からの報告待ちですが……少なくとも、彼らだけで押し返せる状況ではないようです」
「獣人どもが、か」
ガガーランが腕を組む。
「こっちの兵じゃ、正面からぶつかっても厳しい連中だ。数が増えりゃ、なおさらな」
「だからこそ、王国のアダマンタイトである蒼の薔薇と第三王女の御墨付きの治癒師を派遣するのです」
ローデンは軽く頭を下げた。
「帝国は我関せず、法国もほどほどにしか手を貸さない状況なので、かなり恩は売れるかと。
いつもの筋から上がってくる数は増加してるとのことです」
戦死者数、行方不明者数、避難民の数。そのどれもです。と続ける。
「じゃあ、私たちが色々確かめに行かないと、って感じね」
「ええ。そのつもりでお願いします」
ローデンは短く頷き、兵士に指示を飛ばした。荷の固定、馬のつなぎ直し、護衛の配置。
城門の外では、別の馬車が一台、冒険者ギルドの方からこちらへと回ってきていた。
荷台には木箱と樽。その横に、若い薬師らしき青年がぎこちなく腰を下ろしている。少しくすんだ金髪に大きな背嚢。背嚢からは乾かした薬草の束が少し覗いていた。
「……あれも一緒に?」
クレアが顎で示すと、ローデンは軽く頷く。
「カルネ村行きの荷ですね。ギルド経由の護衛依頼が出ていましたので、同じ道を行く間はこちらの護衛の恩恵にあずかろうという所でしょう」
「悪くない判断だわ」
ラキュースが素直に認める。
「彼らにも事情があるでしょうし、こっちも人数が多い方が何かと助かる」
「ま、手が回るうちは守ってやるさ」
ガガーランが笑いながら肩を鳴らす。
少し離れたところで、青年が御者と何か話しているのが見えた。紙束を受け取った拍子に数枚落とし、慌てて拾い集めている。
その様子を横目で見ていたクレアは、なんとなく目を細めた。
――どこか、
遠い記憶の中、そういったものたちが集められた、祈りと訓練だけしか許されないあの空間を思い出す。
「クレア?」
隣に立ったイビルアイが、小さく声をかけた。
「んーん。なんでもない」
クレアは首を振り、足元の石畳を軽く蹴る。
「さっさと出よっか。座ってる時間が長いほど、あたしの機嫌は悪くなるから」
ラキュースが呆れた声で返す。
「はいはい。じゃあ、馬車の中で愚痴聞いてよね、リーダーさん」
「……仕方ないわね」
なんだかんだ付き合ってしまうのが善良なこの女である。
そんな軽口の応酬を背に、ローデンは御者台に近づき、出立の合図を送る。
城門がゆっくりと開き始めた。
車輪が軋む音とともに、王家の紋章を掲げた馬車が動き出す。その後ろに、薬師を乗せた荷馬車と数人の兵が続いた。
城門をくぐる瞬間、ラキュースはふと振り返る。
城壁の上に掲げられた王家と直轄地の旗。
私もいつか、領地にこの身を捧げるときがくるのだろうか。
「……行きましょうか」
ラキュースは小さく呟き、馬車の中に戻る。
狭い空間に、六人分の気配が収まった。
窓の外で、エ・ランテルの街並みが少しずつ遠ざかっていく。代わりに見えてくるのは、畑と林と、春先のまだ色の浅い空だ。
揺れ始めた馬車の中で、クレアは腰から外して後ろ手に置いたスティレットに指を這わせる。
これに触れると安心がやってくる。
長年の習慣であり、ベッドに持ち込まないと未だにろくに寝ることすらできない。
楔が抜けるときがこの先くるのだろうか。
窓の外では、街道に沿って低い丘が続いている。その先に、帝国。そのさらに先に、竜王国。
人が作った境界線。
クレアはわざと大きく伸びをして、反対側の座席にもたれかかった。
「さーて、とりあえず帝国までは寝よっかな。何かあったら起こして」
「何もなくても起こしてあげるわよ。どうせうなされるんでしょうし」
「やだなぁ。あたし、最近はけっこういい夢見るんだよ?」
馬車の揺れが少しずつ一定になっていく。
エ・ランテルの城壁は、もう見えない。
その代わりに、まだ見ぬ戦場と無数の誰かの命が、ぼんやりとした輪郭で浮かんでいるような気がした。
第三章スタートです!
第二章までの感想、お気に入り、評価ありがとうございました!
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