疾風走破と黄金姫   作:火屋

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第五話 見えざる花道

 

夜明けと共に、大地が震えた。

東の地平線から響いてくるのは、数万の獣の咆哮と、腹に響く太鼓の音だ。

 

東部戦線、最前線の砦。

 

急造された土壁の上に並んだ竜王国の兵士たちが、槍を握る手を震わせていた。

 

彼らの視線の先、平原を埋め尽くす黒い波が押し寄せてくる。

獣人(ビーストマン)の軍勢だ。

 

二足歩行する虎、巨大な戦斧を持つ牛頭(ミノタウロス)、俊敏な狼男(ワーウルフ)

 

個体としての身体能力において、人間種は彼らに遠く及ばない。それが「群れ」となって襲ってくる恐怖は、徴募されたばかりの農民兵たちの心を折るには十分すぎた。

 

 

「ひ、ひぃ……勝てるわけない……」

 

「逃げよう、今ならまだ……!」

 

 

武器を取り落とし、背を向けかけた兵士たち。

恐慌状態に陥りかけた前線。

 

その空気を、凛とした声が切り裂いた。

 

 

「──怯むな! 背中を見せれば喰われるだけだ!」

 

 

城壁の最前列に、黄金の輝きが立った。

蒼の薔薇のリーダー、ラキュースだ。

 

彼女は愛剣である魔剣『キリネイラム』を抜き放ち、朝日に向かって掲げる。その刀身から放たれる闇色の波動が、周囲の空気を震わせた。

 

 

「我が名はラキュース・アルベイン・デイル・アインドラ!

 リ・エスティーゼ王国のアダマンタイト級冒険者チーム『蒼の薔薇』が、貴公らの盾となる!」

 

 

名乗りと共に、隣に立つ巨影が前に出る。

 

赤い鎧に身を包んだ戦士、ガガーラン。

彼女は身の丈ほどもある巨大な戦鎚(ウォーピック)を軽々と回し、不敵な笑みを浮かべた。

 

 

「おいおい、小便漏らすなよ羊ちゃんたち。

 テメェらの前に立ってるのが誰だと思ってんだ? 人間ナメんじゃねえぞ!」

 

「……来るぞ」

 

 

小柄な魔法詠唱者、イビルアイが静かに告げると同時、獣人の先陣が防衛ラインに殺到した。

 

開戦の合図は、ガガーランの一撃だった。

城壁から飛び降りた彼女は、着地の衝撃と共に戦鎚(ウォーピック)を大地に叩きつけた。

 

 

「オラァッ!!」

 

 

爆音。

衝撃波が走り、先頭にいた牛頭の重装歩兵たちが、まるで木の葉のように宙を舞う。

 

純粋な筋力による暴力。巻き込まれた後続が将棋倒しになり、黒い波に巨大な穴が空いた。

 

 

「す、すげぇ……!」

 

 

兵士たちが呆気にとられる中、さらに影が走る。

 

 

「「そーれっ!」」

 

 

ティアとティナ、双子の忍者が戦場を駆ける。

 

彼女たちは真正面からぶつからない。敵の陣形が崩れた隙間を縫い、指揮を執る小隊長クラスの獣人の喉を正確に切り裂いていく。

 

それにより、混乱が広がる。

 

 

「──闇よ、敵を討て!」

 

 

ラキュースの魔剣が閃く。

 

漆黒の刃から放たれる衝撃波が、密集した獣人の一団をなぎ倒す。彼女は前線に立ちながらも、戦況全体を見渡し、声を張り上げた。

 

 

「右翼、押されているわ! イビルアイ!」

 

「分かっている!」

 

 

イビルアイが空へ舞い上がる。

 

彼女の手から放たれるのは、無数の結晶の(つぶて)

 

 

結晶散弾(クリスタル・バレット)

 

 

雨のように降り注ぐ魔法の弾丸が、硬い毛皮や鎧を貫通し、獣人たちを蜂の巣に変えていく。

 

第五位階魔法を行使する圧倒的な殲滅力。

 

その光景は、まさに英雄の舞踏だった。

 

絶望的だった戦況が、たった数人の介入によって押し留められている。

 

 

「うおおおおおっ! いける、いけるぞ!」

 

「続け! 蒼の薔薇に続け!」

 

 

兵士たちの目に、狂熱に近い光が宿る。

だが、その熱狂の裏側で、ラキュースは冷や汗を流していた。

 

 

(……キリがないわね)

 

 

剣を振るいながら、彼女は舌打ちする。

 

倒しても倒しても、次が湧いてくる。

獣人の総数は万を超えているだろう。

対して、こちらの最高戦力は五人。

 

竜王国のアダマンタイトであるクリスタルティアは挟撃を防ぐために、後方に回ってもらっている。

 

つまり、この前線は蒼の薔薇で維持しなければならない。

 

持久戦になれば、いずれ魔力と体力が尽きる。

さらに、敵の本陣──遥か後方に控える「本命」が動けば、戦況は一変するだろう。

 

 

「なかなか厳しい闘いになるわね」

 

 

ラキュースはそう、ひとりごちるのだった。

 

 

 

 

戦場を見下ろす丘の上。

獣人軍の本陣には、異様な威圧感を放つ男がいた。

 

身長三メートルを超える巨躯。黄金のたてがみを持つ、獅子の獣人。

 

手には身の丈ほどの戦斧を持ち、全身に無数の傷跡を刻んだ歴戦の将軍だ。

 

 

「……フン。人間にしてはやるようだな」

 

 

将軍は、前線で暴れる蒼の薔薇を見ても、眉一つ動かさなかった。

 

 

「だが、個の力が突出しているだけだ。囲んで摩耗させれば、いずれ潰れる」

 

彼は戦斧を振るい、脇に控える部下たちに指示を飛ばした。

 

 

「精鋭部隊『赤牙』を右翼の森へ回せ。

 あの派手な女どもに気を取られている間に、砦の側面を突く。

 防壁さえ崩せば、あとは羊狩りだ」

 

 

「ハッ! 直ちに!」

 

 

俊敏な狼の獣人たちが、数十名単位で森の中へと消えていく。

彼らはこの軍における狩りの専門家だ。音もなく忍び寄り、喉笛を食いちぎる。

 

正規の兵士ですらない竜王国の民兵に、彼らを止める術はない。

 

将軍は満足げに鼻を鳴らした。

勝利は揺るがない。

だが──彼は知らなかった。

自分たちが放った「狩人」たちが、森に入った瞬間、さらに上位の捕食者によって「処理」されることを。

 

 

 

 

主戦場の喧騒から離れた、砦の右翼側に広がる森林地帯。

クレア──クレマンティーヌは、太い枝の上にしゃがみ込み、眼下の様子を観察していた。

 

 

(……やっぱり、来た)

 

 

木々の間を縫うように、獣人の精鋭部隊が移動している。

足音を殺し、気配を絶つ技術はなかなかのものだ。

 

あれが砦の裏に回れば、ラキュースたちが正面を支えていても、内側から崩壊する。

 

 

「仕事の時間ね」

 

 

クレアは音もなく立ち上がった。

本来なら、ここで奇襲をかけ、足止めをするのが彼女の役目だ。

 

だが──彼女が動くより先に、森の空気が変わった。

 

ピタリ、と。

風が止まる。

鳥の声も、虫の羽音も、遠くの戦場の音さえも、分厚い壁に隔てられたように消え失せる。

 

 

「……?」

 

 

先行していた獣人の斥候が、異変を感じて足を止めた。

鼻をひくつかせ、何かの匂いを嗅ぎ取る。

 

 

「グルゥ……?」

 

 

獣臭ではない。

もっと鼻を刺すような、酸と腐敗の──

 

音がした。

 

何かが落ちる音ではない。何かが潰された音だ。

先頭を走っていた数名の姿が、忽然と消えていた。

 

悲鳴もない。血飛沫もない。

 

ただ、彼らがいたはずの空間が、ごっそりと抉り取られ、地面ごと無くなっていた。

 

 

「ガ、ア……!?」

 

 

残された獣人たちが、パニックを起こして武器を構える。

だが、敵の姿は見えない。

 

ズルリ。

頭上の枝から、太いロープのようなものが垂れ下がった。

いや、違う。

それは、粘液にまみれた巨大な()だった。

 

一瞬だった。

舌が鞭のようにしなり、獣人の一匹を絡め取る。

抵抗する間もなく、彼は森の闇へと引きずり込まれた。

バキ、グシャ、という湿った咀嚼音が一度だけ響き、すぐに静寂が戻る。

 

(……うわ)

 

枝の上で見ていたクレアは、顔をしかめた。

 

見えた。

 

森の奥、木々の影に同化するように蠢く、巨大な爬虫類の瞳。

そして、その背に乗る小さな人影。

 

 

「逃ゲロ! バケモノダ!」

 

 

精鋭部隊が壊乱する。

蜘蛛の子を散らすように逃げ惑う彼らを、影は逃さない。

 

狩りではない。

これは、ただの清掃だ。

ゴミを片付けるように、淡々と、確実に、一つずつ命が摘み取られ、胃袋へと収まっていく。

 

数分後。

 

森には再び静寂が戻った。

数十名の精鋭部隊は、装備品ひとつ残さず消滅していた。

残されたのは、森を一直線に貫く、踏み荒らされた獣道だけ。

 

クレアは、その場に降り立った。

地面には、強烈な酸の臭いが染み付いた粘液が光っている。

 

その道は、砦の側面から、敵の本陣──あの獅子の将軍がいる場所へ向かって、定規で引いたように真っ直ぐ伸びていた。

 

 

(……ッ、ふざけないでよ)

 

 

クレアは吐き気をこらえ、口元を押さえた。

分かる。分かってしまう。

これは「花道」だ。

 

兄が、妹のために用意した、舞台へと向かう花道。

 

──ここを通れ。

──邪魔な雑草は、すべて我が(しもべ)が片付けた。

──お前はただ、神の敵を討てばいい。

 

声が聞こえるようだった。

 

あのねっとりとした、慈愛に満ちた声が。

 

彼はここにいない。姿も見えない。

だが、この異常な空間そのものが、兄の視線を感じさせた。

 

どこかで見ている。

 

クレアがこの道に気づき、どう動くかを、楽しそうに観察しているのだ。

 

 

「……気持ち悪い」

 

 

心底からの嫌悪が漏れる。

感情はこの道を使うことを否定したがっている。

 

だが。

 

 

(……ラナーなら、どうする?)

 

 

その思考が、クレアの足を止めた。

あの箱庭の主なら、この状況を見て何と言うか。

 

おそらく、扇子で口元を隠して、クスクスと笑うだろう。

『あら、便利な道ですこと。手間が省けましたわね』と。

 

別のルートを行けば、敵に見つかるリスクが増えるだろう。

 

最も合理的で、最も任務達成に近いのは──この、反吐が出るほど完璧に整えられた花道を利用することだ。

 

 

「……あーあ。ホント、クソみたいな選択肢」

 

 

クレアは、一度だけ天を仰ぎ、そしてニヤリと笑った。

それは、修道女の仮面の下にある、狂犬の笑みだった。

 

 

「いいわよ。使ってあげる」

 

 

感謝などしない。

兄妹の絆など感じない。

 

ただ、使える道具が落ちていたから拾う。

それだけだ。

クレアは、身体の力を抜いた。

 

 

「能力向上、流水加速」

 

「能力超向上」

 

 

武技を発動させる。

 

世界の動きが遅くなる感覚。

 

クレアは地面を蹴った。

 

兄が作ったその道を、一陣の風となって疾走する。

 

障害物は何もない。罠もない。

 

ただひたすらに、走りやすい道が続いている。

 

その事実が、生理的な不快感を加速させ、同時に──物理的な速度を極限まで高めていく。

 

 

(見てるんでしょ、クソ兄貴!)

 

 

森を抜ける。

視界が開けた。

そこは、敵の本陣の真横だった。

 

 

「──む?」

 

 

獅子の将軍が、ふと横を向いた。

側面を守らせていた精鋭部隊からの連絡が途絶えたことを、不審に思ったのだろう。

だが、彼の目に映ったのは、帰還した部下たちではなかった。

 

 

森の闇から飛び出した、一陣の風。

 

 

「なっ……!?」

 

 

将軍が斧を上げようとする。

 

速い。

 

その巨体に似合わぬ反応速度。

並の戦士なら、その一撃で叩き潰されていただろう。

 

だが、遅い。

 

クレアは滑走路を最大限に活かし、既にトップスピードに乗っていた。

 

 

「ごきげんよう、ワンちゃん♪」

 

 

クレアの声が届くより速く、スティレットが閃いた。

 

将軍の戦斧が振り下ろされる軌道の内側、懐へと滑り込む。

鋼鉄のような筋肉も、分厚い毛皮も関係ない。

 

狙うのは一点。

 

眼窩の奥、脳へと繋がる針の穴ほどの隙間。

 

スッと吸い込まれるように細剣が深々と突き刺さる。

手首をひねる。脳漿を掻き回す。

 

 

「ガ、ァ……」

 

 

断末魔すら上げられず、将軍の巨体が揺らいだ。

その瞳から光が消え、どうと音を立てて崩れ落ちる。

 

周囲にいた護衛たちが、何が起きたか分からずに呆然としている。

 

あまりに一瞬。あまりにあっけない幕切れ。

 

指揮官の死。

 

それは、群れで動く獣人軍にとって、事実、()()を意味した。

 

 

「てっしゅ~」

 

 

クレアは、装飾のついた将軍の耳を引きちぎると、残りの雑魚には目もくれずに森へと跳んだ。

 

混乱が広がり、戦線が崩壊するのは時間の問題だ。

 

森の入り口まで戻った時、クレアは足を止めた。

 

そして、ふと視線を上げた。

 

戦場から数キロ離れた、小高い丘の上。

肉眼では豆粒ほどにしか見えない距離。

 

だが、クレアの動体視力は捉えた。

 

その上に立つ、金髪の小さな人影を。

 

影は、こちらに向かって手を振ったりはしない。

ただ、じっとこちらを見ていた。

 

妹が自分の作った道を通り、完璧な仕事をしたことを確認し、満足げに頷く気配が、風に乗って伝わってくるようだった。

 

 

(……気色悪すぎ)

 

 

クレアは、表情を消して背を向けた。

反応すれば、それが「対話」になってしまうからだ。

 

無視。

 

徹底的な無関心。

それが、今の彼女ができる最大の拒絶であり、勝利だった。

 

丘の上の影が、ふっと消える。

まるで最初から何もいなかったかのように。

だが、森に残された空白の道だけが、確かにそこにあった狂気を物語っていた。

 

 

「……帰ったら、お風呂入ろ」

 

 

クレアは、誰に聞かせるでもなく呟いた。

 

身体にこびりついた、兄の気配と戦場の臭いを洗い流すために。

 

彼女はスティレットを鞘に収め、蒼の薔薇が待つ戦場へと、足取り軽く駆け戻っていった。

 

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