疾風走破と黄金姫   作:火屋

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第七話 死の舞踏

 

太陽が天頂を過ぎても、狂宴は終わる気配を見せなかった。

東部戦線の平原は、死の舞踏の会場と化していた。

 

大地を埋め尽くすのは、黒と茶褐色の波濤。

獣人国の王族直属軍『大食』。

 

彼らは個々の戦闘力が高いだけではない。

その名の通り、異常なまでの食欲と生への渇望に突き動かされていた。

 

 

「喰らえ! 肉を、命をよこせぇぇッ!」

 

「進め! 止まるな! 止まれば後ろから喰われるぞ!」

 

 

前線に立つ兵士たちにとって、それは悪夢そのものだった。

 

槍で突いても、剣で斬りつけても、獣人たちは痛みを感じていないかのように突進してくる。腸がはみ出しても、腕が飛んでも、残った牙で人間の喉笛を喰いちぎろうとする。

 

彼らを突き動かしているのは、二重の恐怖だ。

 

目の前の人間を喰らわねば飢えるという生物的恐怖。

 

そして、後ろに下がれば「何か」に喰われるという、根源的な恐怖。

 

 

「しつこい……ッ! これじゃあ、キリがないわ!」

 

 

ラキュースが叫び、魔剣を振るう。

 

漆黒の斬撃が奔流となって迸り、最前列に密集していた数体の獣人を一撃でなぎ払う。

 

だが、倒れた死体を踏み台にして、次の敵が殺到してくる。

 

彼らの目に恐怖はない。あるのは、濁った狂気だけだ。

 

 

「おいおい、こいつら死ぬのが怖くねえのか!?」

 

 

ガガーランが戦鎚を振り回し、虎の獣人の頭蓋を粉砕しながら毒づく。

 

彼女の全身は返り血で赤く染まり、荒い息を吐いている。

 

蒼の薔薇の奮戦によって前線は維持されている。だが、それは薄氷の上の均衡だった。

 

こちらの疲労は蓄積していくが、敵の勢いは衰えるどころか、死兵特有の切迫感を増していく。

 

 

「──下がれ! ここは私が支える!」

 

 

イビルアイが空中に浮遊しながら、結晶の弾幕を張る。

だが、それさえも、獣人たちは爪と牙で削り取ろうとしていた。

 

竜王国の正規兵たちは、既に恐怖で足が竦み、ただ蒼の薔薇の背中に隠れて震えることしかできていない。

 

その混沌の只中を、一陣の風が駆けていた。

 

クレア──クレマンティーヌだ。

 

彼女は戦場の隙間を縫うように疾走していた。

 

正面からぶつかり合う力の渦には巻き込まれない。人の視界の死角、意識の空白、喧騒の裏側。

 

そういった影の部分だけを選んで踏み込み、小隊長クラスの首を刈り続けていた。

 

シュッ、という風切り音。

 

次の瞬間には、狼男が喉から血を噴き出して沈んでいる。

 

クレアの動きに迷いはない。無駄もない。

ただひたすらに効率だけを追求した、殺戮の舞。

 

だが、クレアの背筋には、常に冷たいものがへばりついていた。

脂汗とも、返り血とも違う、もっと粘着質な不快感。

 

 

(……見られている)

 

 

視線を感じる。

戦場のどこか、安全な特等席から、この演舞を鑑賞している観客がいる。

あのねっとりとした、冒涜的なまでの慈愛に満ちた視線。

 

兄だ。

第五席次、クワイエッセ・ハゼイア・クインティア。

彼は手を出さない気だろう。

 

この激戦の中に介入してくることもなく、かといって立ち去るわけでもなく。

 

ただ、じっと見ている。

 

それがどうしようもなく不気味で、クレアの神経を逆撫でする。

 

まるで、品評会に出された家畜になったような気分だった。

あるいは、初めての()()()()を見守る過保護な親か。

どちらにせよ、反吐が出る。

 

 

(いいわよ。見てなさい)

 

 

クレアは吐き気を殺意に変換し、さらに加速した。

 

スティレットを握る手に力を込める。

 

今の自分は、かつてのような兄の所有物ではない。

その価値を、その鋭さを、あの腐った目に焼き付けてやる。

 

 

 

 

戦場を見下ろす小高い丘の上。

そこには、眼下の喧騒とは無縁の、奇妙な静寂があった。

風が吹き抜け、枯れ草を揺らす音だけが響く。

 

瓦礫の上に腰を下ろし、優雅に脚を組む男が一人。

 

金色の髪が風になびき、整った顔立ちには、聖人のような穏やかな微笑みが張り付いている。

 

彼の周囲には、護衛の兵士もいない。

だが、いかなる獣人も、はぐれた魔物も、この丘には近づこうとしなかった。

本能が告げているのだ。

そこに座っているのは単なる人間ではなく、捕食者の王であると。

 

 

「……ああ、素晴らしい!」

 

 

クワイエッセは、遠眼鏡の魔法を通じて、戦場を──その中を駆ける妹の姿を眺めていた。

 

その瞳は、美しい芸術品を見るような恍惚に潤んでいる。

 

 

「以前よりも速い。そして鋭い。何より……迷いがない」

 

 

クワイエッセの記憶にある妹は、いつも不満げだった。

 

才能はある。英雄の領域を越えうる素質もあった。

 

だが、それを(ふる)う場所を間違えていた。

退屈な要人警護。形式的な儀礼。政治的な配慮。

 

それらが彼女の刃を錆びつかせ、精神を摩耗させていた。

彼女は壊れかけていた。いや、壊れていた。

 

だが今はどうだ。

 

彼女は水を得た魚のように神の敵を屠っている。

 

ただただ、最適解をなぞるように、敵の喉だけを貫き続けている。

彼女は殺戮の天才であると再認識する。

 

たった数日で、一個師団にも匹敵する戦果だ。

 

 

「彼女の今の飼い主は、彼女という道具の性能を──我々以上に理解しているようだね」

 

 

クワイエッセは、独りごちた。

 

彼は知っている。妹が法国を裏切り、重要な魔道具を強奪して逃亡したことを。

 

本来なら、激昂すべき事態だ。

 

だが、目の前の光景を見せられては、怒りなど湧いてこない。

あるのは、純粋な感嘆と、感謝だけだ。

 

 

「ここには、彼女を縛る、"上辺だけの教義"も"体面"もない。

 あるのは、殺すべき敵だけ。

 ああ……これこそが、彼女があるべき姿だったのか」

 

 

彼は、懐から羊皮紙の束を取り出した。

 

法国上層部からの指令書だ。

 

そこには、逃亡したクレマンティーヌの捜索指令と、発見次第の拘束、あるいは処分の許可が記されている。

 

クワイエッセはペンを取り出し、指令書の上で指を止めた。

 

本来なら、ここで「発見」の報告を書き入れ、捕獲部隊を要請するか、自ら拘束に向かうのが手順だ。

 

彼の戦力をもってすれば、多少手こずるだろうが、今の消耗したクレアを捕らえることもできるだろう。

 

 

「……連れ戻す?」

 

 

彼は首を傾げた。

 

なぜ?

 

ここで彼女は、こんなにも生き生きと「善行」を積んでいるのに?

 

人類の敵である亜人を殺し、生存圏を守る。

 

それは六大神の教えそのものだ。

 

彼女がどこに所属していようと、誰に仕えていようと、結果として彼女が生み出しているのは「膨大な数の亜人の死体」と「人類の生存圏」だ。

 

これ以上の奉仕があるだろうか。

 

 

「そうか……妹は……我が妹は!!

 初めて、自分の意志で持って!! 神への奉仕を始めたのだな!!

 法国だけではなし得ない、より広い視点を持ち、この兄の想像を越え、黄金の姫を人類のために奉仕する聖女へと改心させ!!

 そして、今、亜人たちを否定し、人類への限りない奉仕に身を捧げている!!!!」

 

「ああ、我が最愛の妹よ!! 兄は間違っていた!!

 神が作りたもうたこの尊い国で奉仕に邁進することこそが我が使命であり幸福な日々だと思っていた!!

 しかし、そんな、小さな幸福ではない、より大きなものを掴み取ろうとしているのですね!!!!」

 

「それならば、あなたは、あなたの道を行きなさい!!

 兄も神の国から、六大神様に喜んでいただけるように、精一杯奉仕を致しましょう!!

 内と外から!!兄妹で!!世界をより美しくしていきましょう!!愛しい()()()()よ!!!!」

 

 

クワイエッセは止めどなく溢れてくる信仰の心に、喜び、打ち振るえ、滂沱の如く涙を流していた。

 

ペンと報告書を乱雑に懐にしまい込む。

 

 

「報告は……必要ありませんね」

 

 

彼は微笑んだ。

 

それは、妹を思う兄のような、秘密を共有する共犯者のような、遠方の地で必死に頑張る恋人を思うような、複雑な笑みであった。

 

 

「法国は()()()()の行いを理解しない可能性もあります。あまりに、正しく、美しい行為は悲しいかな、凡人には伝わらないことがある」

 

 

情報を遮断する。

 

そうすれば、法国の目は彼女に届かない。風花聖典も、火滅聖典も動かない。

 

本物の彼女を見つけられるのは、この私だけでいい。

誰にも彼女の使命を邪魔させない。

 

クワイエッセは立ち上がり、満足げに戦場を見下ろした。

 

妹はまだ戦っている。

 

ならば、兄として、少しばかり、愛を表現しても良いだろう。

 

彼女がより良く踊れるように。

舞台を美しく飾るのが、兄の務めだ。

 

 

「行こうか」

 

 

クワイエッセが指を鳴らす。

彼の足元に侍っていた影──空間の歪みから、巨大な多頭の蛇が姿を現す。

 

全身が刃のような鱗で覆われた、伝説級の魔獣。

ヒュドラの亜種。

 

 

「あそこの後ろにいる食べ残したちは全部、君のご飯にしていいからね」

 

 

彼は、獣人軍の後方を指差した。

そこには、前線に押し出されるのを待つ予備兵力や、逃げ帰ろうとする臆病者たちが密集している。

 

妹のために退路を断ち、より大きな戦果を与える。

それで戦場は綺麗に片付く。完璧な協同作業だ。

 

 

「さようなら、愛しき妹よ。

 ともに、神への奉仕を続けていきましょう」

 

 

クワイエッセは背を向けた。

 

一度も振り返ることなく、陽炎のように揺らぎながら、何処かへと消えていく。

 

残されたのは、解き放たれたヒュドラの歓喜の咆哮だけだった。

 

 

 

 

けたたましい咆哮が戦場を切り裂いた。

 

突如、敵陣後方に現れた巨大な魔獣により、獣人たちは及び腰になっていた。

しかし、自分たちではどうにもならないことを悟ると、獣人たちは、クレアたちのいる前線へと殺到した。

 

見えざる捕食者の圧とは比べものにならない、圧倒的な暴力によって追いたてられている。

 

 

「やってくれたわね……!!クソ兄貴!!」

 

 

クレアはそう悪態をつく。

 

 

「クレア!!あの怪物はなんなのよ!!」

 

 

ラキュースがお前はなにを知っているのだと問い質す。

 

 

「あんな魔獣を呼び出せるのは一人しか知らない!

 法国特殊部隊、漆黒法典第五席次『一人師団』クワイエッセ・ハゼイア・クインティアってやつよ!!」

 

「クインティアってことはお前の"お兄様"ってことか!?」

 

 

ガガーランが驚愕に目を見開く。

漆黒法典という法国の切り札の想像以上の戦力に、そして、クレアの兄が、本当に、この圧倒的な才に溢れるクレアを上回る実力者であるという事実に。

 

 

「お前は!ヤツが居ることに気づいてたんだろ!?何故黙っていたんだ!!」

 

 

イビルアイはクレアを糾弾する。

 

 

「あの気狂いの兄貴のことだから、いつもみたいに、私を眺めて終わりだと思ってたわけ!!

 なんでこんな変なことになるのか、私もわかんないわよ!」

 

 

クレアは兄の笑みを想像し、悪寒を感じた。

昔から自分を見るあの目が嫌いだった。

 

 

「ひとまず、遙か先の怪物を気にしても仕方ない」

 

「目の前の雑魚を片付けるのが先。それに獣人の本隊もあの怪物を放置はしないはず」

 

 

双子が冷静に分析している。

また、ガガーランからはぼやきがこぼれる。

 

 

「やれやれ、まだ厳しい戦場は終わらないみたいだぜ」

 

 

死の舞踏はより一層に苛烈さを増していくのだった。

 

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