疾風走破と黄金姫   作:火屋

3 / 46
第二話 境界

 

森の匂いがすこしだけ変わった。

 

湿った土の匂いに、水の気配が混じる。

夜の闇に慣れた視界の向こうに光を反射する帯が見える。

 

 

(……川だ。もうすぐ国境線)

 

 

クレマンティーヌは一度だけ足を止めて耳を澄ました。

 

風の音。

梢のざわめき。

鳥の羽音。

 

――それに、わずかな金属音。

 

鎧の留め金が擦れる、くぐもった音だ。

慎重ではあるが、隠しきれない緊張と疲労が滲んでいる。

 

 

(三……四。前にもいたわね、この音)

 

 

追ってきた神官戦士たちの顔までは覚えていない。

だが、歩き方のリズムは数日の逃亡の中で嫌でも頭に刻み込まれている。

 

ここで振り返るか。

それとも、このまま川まで走り抜けるか。

 

選択肢を並べ、ぱちりと瞬きを一つ。

 

 

(……殺しておいた方が後で楽、か)

 

 

決めたら早い。

 

クレマンティーヌは包みを胸から背中へ回し、外套の下に括りつけた。

両手を自由にするためだ。

 

深く息を吸い込み、肺の隅々まで冷たい空気を満たす。

 

 

「<能力向上>」

 

 

足元で空気が鳴った。

一瞬だけ本来のキレを取り戻したかのように身体が軽くなった。

 

茂みを蹴り破って飛び出し追跡者を視界に捉える。

 

先頭にいた神官戦士が、驚愕に目を見開くのが見えた。

 

 

「っ――襲撃!」

 

 

大盾を構えた男が、反射的に聖印を掲げながら詠唱を始める。

詠唱が終わる前にクレマンティーヌは踏み込んだ。

 

盾の縁を踏み台にして跳躍。

男の頭上を越えざま、細剣を走らせる。

 

眼窩を貫き脳に達する感触。

悲鳴も上がらない。

 

ひとり。

 

振り返り即座に距離を詰め、別の神官の心臓をひと突き。

詠唱が途中で止まり光の塊が虚空に弾ける。

 

眩しさに目を細めながら、クレマンティーヌは残った二人の位置を足音だけで測る。

 

 

「――信徒よ、悔い改めるなら今のうちだ!」

 

 

背後から飛んできた怒声。

そこに込められた本気の怒りに、思わず笑いが込み上げた。

 

 

「当然のように信徒だと決めつけんなよ」

 

 

踏み込み。

細剣と拳を喉と鳩尾に同時に叩き込む。

 

息が止まり、目を見開いたまま崩れ落ちる男を背中で押し出し、最後のひとりとの間に壁として使う。

 

その一瞬の隙に足の筋肉が悲鳴を上げた。

 

武技で無理やり引き出した瞬発力がそろそろ限界を迎えつつある。

 

最後の神官戦士は短い祈りの言葉を紡ぎながらクレマンティーヌを睨みつけた。

 

 

「……あなたは神を裏切った。たとえこの身が滅びようとも、必ず――」

 

「うるさい」

 

 

喉を刺し、黙らせる。

男の身体が崩れ落ちた。

 

森の中にようやく静寂が戻る。

 

血の匂いと焦げた木の匂い。

それらの上にゆっくりと冷気が降りてくる。

 

クレマンティーヌは肩で息をしながら、その場にしゃがみ込んだ。

 

 

(……あと、何人殺せばいいのかしらね)

 

 

自嘲気味に口の端を吊り上げる。

 

六大神の名のもとに殺し、

六大神を裏切って殺し、

その先でまた、誰かを殺そうとしている。

 

細剣を布で拭い、鞘に戻す。

 

倒れた神官戦士たちの顔をひとりひとりざっと見回した。

 

知った顔はいない。

それを確認すると同時に胸の奥で安堵と失望が同時に揺れた。

 

立ち上がり、包みを胸の前に戻し歩みを進める。

 

足を踏み出すたびにそれが胸骨に当たる。

 

この冠がくれる冷たさがある限り、私は裏切り者でいられる。

法国に戻る道が残されていないことを強く刻み込まれる。

 

進むしかない。

 

拾い直されるために。

 

 

 

 

「あなたが本気で法国を裏切る時――」

 

 

記憶の底から、柔らかな声が浮かび上がる。

 

王城の一室。

外には出さないはずの冷たい笑みを惜しみなく見せる少女。

 

金髪の姫は対面のソファに座るクレマンティーヌを楽しそうに眺めていた。

 

 

「冠を、持ってきてください」

 

「……冠?」

 

 

ラナーの口から出たその単語にクレマンティーヌはわずかに眉をひそめた。

 

冠が指すものを察するのにさほど時間はかからなかった。

 

 

「叡者の額冠のことをあなたが知っていると私は思っておりますの」

 

「……何をどこまで知ってるのよ、あんた」

 

 

思わず素が出る。

ラナーは楽しそうに扇子で口元を隠した。

 

 

「法国内部のことを詳しく知っている、ただの第三王女だと思っていただければ」

 

「ただの、ねえ」

 

 

そんな人間がいるものか。

 

クレマンティーヌは相手の瞳をじっと見つめる。

 

そこには、六大神の信徒たちが口にするような信仰も正義もない。

あるのは純粋な観察者の冷たさだ。

 

 

「……あれがどんな代物か、知ってて言ってるの?」

 

「ええ、もちろん」

 

 

即答。

 

 

「百万人に一人の少女にしか適合しない、巫女姫様専用の冠。

 被せられた方は、自我を捨てて神のために魔法を吐き続けるだけの器になる。

 外せば発狂、でしたかしら?」

 

 

クレマンティーヌは反射的に額に手をやりそうになった。

 

そこに冠はない。

だが、そこを冷たい指でなぞられたような感覚が走る。

 

 

「……よくご存じで」

 

「そしてあなたは、それを醜悪だけど素晴らしい秘宝だと思っている」

 

「どんな代償を払ってでも成し遂げたいことがある人間は少なくないと思いますけど」

 

「そうかもしれません。でも、わたくしはそこで踏み出せる人間こそを愛しているのです」

 

 

その態度に不信感を持ちつつもクレマンティーヌは、意外なほどの安堵を覚えた。

 

信仰や道徳ではなく、効率と役割で物事を判断する女。

自分と似た、気持ちの悪い同類。

 

だからこそ、問いかける。

 

 

「その冠をどうするつもり?」

 

 

ラナーは少しだけ目を伏せ、言葉を選ぶように間を置いた。

 

 

「……人類が、外から来る“何か”に対抗する手段のひとつに」

 

 

その時点では、クレマンティーヌには意味がよく分からなかった。

 

ただ、ラナーの言葉の一部だけが、妙に耳に残る。

 

 ――“手段のひとつ”。

 

 

「巫女姫をまた作るの?」

 

「さあ。巫女姫の代わりになる誰かが見つかるのか、私にはまだ分かりませんわ」

 

 

そこでラナーはくすりと笑う。

 

 

「ですが、たとえば――あらゆるマジックアイテムを使えるものがいるとしたら」

 

「?」

 

 

そのときは深く考えなかった。

 

王国のどこかにいるかもしれない“素材”の話だと受け取って、聞き流した。

 

重要なのはそこではない。

 

 

「とにかく、あなたが本当に法国を裏切る時には、

 叡者の額冠を手土産に、ここへいらっしゃい」

 

 

ラナーは軽い口調で言った。

 

 

「あなたを拾う理由としては、それで十分ですわ」

 

 

 

 

川の流れは思ったよりも速かった。

 

雪解け水が混じっているのだろう。

足を入れた瞬間、骨まで凍るような冷たさが襲ってきた。

 

膝まで浸かり、慎重に一歩ずつ進む。

 

背後からの追撃はもうない。

 

法国はこの川を境界として深追いを控える。

クレマンティーヌ自身がこれまでの任務で何度も確認してきたことだ。

 

 

(ここまで来ればいったんは安全)

 

 

問題はその先だ。

 

国境を越えた瞬間、彼女は“法国の裏切り者”ではなく、“王国に流れ込んだ危険人物”になる。

 

拾われるのか。

狩られるのか。

 

どちらになるのかは――あの女の気分次第だ。

 

川を渡り切り対岸の土を踏む。

 

靴の中で足がぐしょりと音を立てた。

震えを押さえ込むように息を吐き、クレマンティーヌは森の中へと歩を進める。

 

しばらく進むと、木々の隙間にぽっかりと空いた小さな空き地が現れた。

 

廃屋同然の小屋。

崩れかけた石垣。

打ち捨てられた荷車の残骸。

 

 

(目印通り、ね)

 

 

何年前だったか。

 

表向きは別の任務で王国に派遣された折、ラナーが提示した場所だ。

 

 

『もし、あなたが逃げてくるなら、この辺りがよろしいかと』

 

 

そのときも、楽しそうに笑っていたことを憶えている。

 

クレマンティーヌは崩れかけた石垣の上に腰を下ろした。

背中の包みを前に回し、そっと抱きしめる。

 

 

「……さて」

 

 

深く息を吸い込む。

 

森の匂い。

湿った土と枯れかけた草の匂い。

法国とさほど変わらないはずなのにどこか違って感じられる。

 

この空き地のどこかに合図用の仕掛けがあるはずだ。

 

しかし、探す必要はなかった。

空を見上げた時にはすでにそれは上がっていたからだ。

 

王都の方向。

遠く離れた空にわずかに色の違う煙が立ち上っている。

 

一度、二度、三度。

 

間を置いて、同じ色が繰り返される。

 

 

(……気持ち悪!)

 

 

思わず引きつった笑いが漏れる。

 

完璧すぎるタイミング。

あの女ならば不思議ではないとも思うが。

 

 

「ようこそ王国へ、か」

 

 

ラナー・ティエール・シャルドロン・ライル・ヴァイセルフ。

 

箱庭の姫はきっと全て知っている。

 

自分が何を捨て、何を抱えてここまで来たのか。

これから何をしようとしているのか。

 

その上で――拾うかどうかを選ぶ。

 

 

「……気に入らないわね、ほんと」

 

 

言葉とは裏腹に頬がわずかに緩む。

 

この世界の在り方に疑問を持ちながらも、答えを持たないクレマンティーヌと。

この世界を箱庭とみなし、次に来る“何か”に備えて駒を並べるラナー。

 

境界線に今、彼女は立っている。

 

森の闇の向こうで乾いた車輪の軋みが聞こえた。

どうやら迎えが来たらしい。

 

クレマンティーヌは一度だけ深呼吸をし、立ち上がった。

 

叡者の額冠を抱き、箱庭の姫の元へと向かう。

 

その選択が自分をどこへ運ぶのかも知らないままに。




お気に入り登録ありがとうございます、励みになります!
もしよろしければお気に入り評価してくださるとモチベにつながります!
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。