疾風走破と黄金姫   作:火屋

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第四章 異世界からの来訪者
第一話 必要悪の教会


 

季節が二つ巡り、リ・エスティーゼ王国の王都には、深まりゆく秋の気配が満ちていた。

 

空は高く澄み渡り、吹き抜ける風には冬の訪れを予感させる冷たさが混じり始めている。

だが、石畳を行き交う人々の表情は、その寒さとは裏腹に、奇妙なほどの熱と活気に満ちていた。

 

王城へと続く大通りを、一台の馬車が進んでいく。

 

窓の隙間から外を眺めるクレアの瞳には、半年前とは明らかに異なる王都の姿が映っていた。

 

以前の王都は、巨大な澱のようだった。

 

腐敗した貴族が我が物顔で闊歩し、貧民街からは絶望の臭いが漂い、衛兵たちはやる気を失って賭け事に興じる。

 

門を通るたびに不当な通行税を巻き上げられ、物価は高騰し、商人の悲鳴が絶えなかった。

それがリ・エスティーゼの日常だったはずだ。

 

だが、今の景色は、その構造からして変容している。

 

市場には他国からの物資が溢れ、商人の活発な声が響く。

だがそれは無秩序な喧騒ではない。

 

荷馬車の動線は整理され、搬入と搬出が滞りなく行われている。以前なら検問のたびに発生していた「袖の下」のやり取りが消滅し、物流の速度が劇的に向上していた。

 

路地裏に蔓延っていた質の悪いゴロツキ──裏組織「八本指」の末端構成員たちは姿を消し、代わりに正規の腕章をつけた自警団が巡回している。

 

彼らはただの市民ボランティアではない。

八本指の警備部門から引き抜かれた、腕利きの荒くれ者たちだ。

ラナーとレーヴァルト侯爵は、彼らに正規の給与と身分を与えることで、その暴力を治安維持という生産的なエネルギーへと転換させたのだ。

 

クレアは、外套の下で愛用のスティレットの柄を指先で弾いた。

 

街が綺麗になった。

 

だが、それは慈悲や善政による単純な浄化ではない。

もっと冷徹で、計算され尽くした構造改革の結果だ。

 

王都の貴族派や八本指たちの既得権益を、王家とレーヴァルト派閥の利益になるよう、強引に繋ぎ変えたに過ぎない。

 

クレアは馬車を降り、王城の回廊を歩く。

 

すれ違う文官たちの足取りも速い。

彼らは以前のように派閥争いに明け暮れるのではなく、目前の数字と格闘しているようだった。

 

竜王国での激闘を経て帰還した彼女の目には、この平和で整然とした王都が、何よりも精緻で、そして維持することの難しい巨大な機械仕掛けのように映っていた。

 

 

 

 

執務室の扉をノックする。

 

中から聞こえた返答は、以前と変わらない、鈴を転がすような声だった。

 

 

「どうぞ。待っていましたわ、クレア」

 

 

扉を開けると、そこには変わらない黄金の姫がいた。

 

執務机の上には山のような書類が積まれている。

税収報告書、物流に関する資料、貴族家ごとの資産推移表。

それらの数字の海に埋もれながら、彼女自身は優雅にティーカップを傾けている。

 

窓から差し込む秋の陽光が、その黄金の髪を透かし、柔らかな輝きを作っていた。

 

 

「待たせたわね……お土産は期待通りだと思うわよ」

 

「ええ、報告書は読みましたけれど、貴女の口から直接聞きたかったのです。座って。お茶を淹れますね」

 

 

ラナーは自らティーポットを傾けた。

 

本来なら侍女のルミィの仕事だが、彼女は今、別室で大量の寄付金集計に追われているらしい。

 

二人きりの空間で、湯気と共に甘い香りが立ち昇る。

 

 

「ドラウディロン女王からの親書も届いていますよ。

『そなたの友人たちに我が国は救われた。いつでも爵位と領地を用意して待っている』

 ……ずいぶんと気に入られたようですね」

 

「勘弁してよ。あそこの料理、イマイチなのよ。それに、あの女王陛下はかなりの食わせ物よ」

 

 

クレアは苦笑し、カップを受け取った。そして、表情を引き締める。

 

 

「……で、報告の続きだけど。敵将ザイード・オラスルダルについて」

 

「ええ。どの程度の実力だったのでしょう?」

 

「間違いなく。私が知る英雄級……かつての漆黒聖典の連中と比べても、生物としての格が違ったわ」

 

 

魔法障壁を素手で引き裂き、私の刃を通さない筋肉の鎧を持っていたザイード。

 

「本気で殺しに来られたら、蒼の薔薇でも十分も持たずに全滅していたでしょうね」

 

 

クレアは、戦場での感覚を反芻するように言葉を選ぶ。

 

生物としての絶対的な差。

 

それを、個の武力ではなく、機転で覆したのだ。

 

 

「勝因は相性と道具、そして連携よ。

 獣人の神具で隙を作り、蒼の薔薇が足止めし、思考を誘導して、一点を貫いた。……正直、二度目は御免だわ」

 

「素晴らしいですわ」

 

 

ラナーは、クレアの手を取り、その指先にある無数の小さな古傷を撫でた。

 

 

「貴女は壁を越えましたね。自分より強い存在を前にして、萎縮せず、盤面全体を見て勝利への道筋を描き切った。

 それこそが、私が貴女に求めていた強さです」

 

 

ラナーの瞳が、熱っぽく潤む。それは、手塩にかけた最高傑作の完成を喜ぶ、無邪気な創造主の目だった。

 

 

「貴女はもはや、単なる暴力装置ではありません。

 戦局を支配できる指揮官たる器。だからこそ──次の仕事を任せられます」

 

 

クレアは軽く肩を竦め、話題を強引に変えた。

 

 

「……はいはい、買い被りすぎよ。で、そっちはどうだったの? 私がいない間に、随分と王城の空気が良くなったみたいだけど」

 

「ええ。レーヴァルト侯爵との共同戦線は順調です」

 

 

ラナーは満足げに頷き、机の上の資料を指差した。

そこには、国内の貴族派閥の相関図や、詳細な税収が記されている。

 

 

「八本指から押収した裏帳簿を元に、腐敗した貴族派の有力者たちを随分と説得しましたから。

 単に脅すだけではありません。彼らには、これまでの不正な利権を放棄させる代わりに、我々が新たに構築した正規の流通ルートにおける優先権を与えました」

 

「飴と鞭、ね。でも、八本指の残党を生かしておくのは解せないわ。

 いっそ綺麗さっぱり掃除したほうが、後の憂いがないんじゃない?」

 

 

クレアの問いに、ラナーはカップを置き、教師が生徒に教えるような口調で言った。

 

 

「クレア、貴女は『掃除』と言いましたが、彼らを排除してどうするつもりですか?

 八本指の末端構成員は、王都だけで数千人います。彼らの多くは戸籍を持たない貧民や、暴力を売ることでしか生きられないあぶれ者です。

 組織を潰せば、彼らは職を失い、路頭に迷う。するとどうなると思いますか?」

 

「……野垂れ死ぬか、野盗になるか、ね」

 

「ええ。数千人の飢えた犯罪者予備軍が、統制を失って街に放たれることになります。

 彼らは生きるために見境なく奪い、殺すでしょう。

 それを防ぐために衛兵を増やせば、莫大な税金がかかります。今の王国の財政に、スラム街の治安維持を行う余裕はありません」

 

 

ラナーは指を一本立てた。

 

 

「ですから、組織は必要なのです。

 彼らを『組織』という檻に入れて管理させ、最低限の食い扶持と、守るべき掟を与える。

 スラムの揉め事を組織内で処理させれば、衛兵の負担は減ります。

 みかじめ料や違法な商売は、彼らが治安を維持するための『必要経費』であり、国が払えない福祉予算の代わりなのです」

 

「……なるほどね。行政が手の届かない下水道の管理を、ドブネズミ自身にやらせるってわけだ」

 

「言い得て妙ですわ。

 無秩序な悪は制御できませんが、組織化された悪は交渉が可能です。

 彼らの首根っこ──幹部たちさえ押さえておけば、王都の裏側は平穏に保たれます。

 私は彼らに『新しい掟』を与えました。

 麻薬と人身売買の禁止。その代わり、物流と賭博の利権は保証する。

 これで、彼らは私の忠実な僕となりました」

 

 

クレアは呆れたように息を吐いた。

この主人は、正義感で悪を断罪する気など毛頭ない。

ただ、国の機能不全の穴埋めとして、犯罪組織を利用しているだけなのだ。

 

 

「おかげで、王族派の発言力が盤石となり、お父様の心労も減ったようです」

 

「へえ。じゃあ、あの生真面目な戦士長殿も、少しは楽になったのかしら?」

 

「ええ、王都のあり方には多少の不満はあるようですが、彼が本来の仕事に集中できるようになったのが一番の成果ですわ」

 

 

ラナーは執務机のペンを指で弄る。

 

 

「これまでは貴族派の嫌がらせで、戦士長は雑用のような辺境巡回ばかりさせられていました。

 村のゴブリン退治だの山賊の討伐だの、本来なら冒険者に任せるべき仕事で、王都から引き剥がされていたのです。

 それはつまり、王の懐刀を錆びつかせ、同時に王都の守りを薄くする愚策でした」

 

「……なるほど。王の盾を王都から遠ざけて、その隙に何か仕掛けようって魂胆だったわけね」

 

「ですが、もうその必要はありません。

 貴族派が大人しくなった今、ガゼフ戦士長は王都に留まり、近衛の練度向上に専念できています。王の懐刀が、本来あるべき場所に納まっている。……極めて健全な形ですわ」

 

 

ラナーは何気なく言ったが、クレアはその意味を正確に理解した。

 

王国最強の戦士が、万全の状態で王都に睨みを利かせている。

 

それはつまり、帝国や他国の工作員が、迂闊に国内で動けなくなったことを意味する。

 

以前のような不安定な政情であれば、スレイン法国やバハルス帝国がガゼフの暗殺を画策したかもしれない。

 

だが、今の王国の盤面には、そんな隙間はどこにもないのだ。ガゼフ・ストロノーフは王の傍らにあり、その武名は国境を越えて届いている。

 

 

「国内のパワーバランスが整ったことで、つけ入る隙が消えました。帝国も法国も、今は国境付近での活動を控えています」

 

「平和なのは結構なことだけど……アンタがそんな顔をする時は、大抵ろくでもないことを考えてる時よね」

 

 

クレアの指摘に、ラナーはクスクスと笑った。

 

 

「失礼ですね。私はただ、平和なうちに次の種を蒔こうとしているだけです。クレア、帝国の魔法省の話は知っていますか?」

 

「ああ、あの鮮血帝が作った魔法使いを官僚として抱え込む省って聞いたけど」

 

「ええ。あの大魔法詠唱者、フールーダ・パラダインを筆頭に、魔法技術を国家資格として体系化しています。

 国として立場を保証するのは非常に重要なことです」

 

「それはそうよねぇ」

 

「生活に密着した魔法具の開発、軍事利用、そして教育。すべてが国益に直結する形で作られています。

 特に、食品の冷蔵保存や、建築資材の加工における魔法利用は、帝国の物流の費用を劇的に下げています」

 

 

ラナーの瞳に、冷徹な理性の光が宿る。

 

彼女が見ているのは、目の前の平和ではなく、十年後、二十年後の国家間の格差だ。

 

 

「帝国の強みは、魔法詠唱者を『国家の資産』として運用している点にあります。

 一方、我が王国はどうでしょう? 未だに魔法使いを怪しい手品師程度にしか見ず、冒険者組合に丸投げしている。

 優秀な人材は帝国の待遇に惹かれて流出していくばかり。

 ……これでは、百年経っても帝国には勝てません」

 

「……耳が痛い話ね。冒険者としては、国に縛られないのが美徳でもあるんだろうけど」

 

「ですが、国としては損失です。ですから、作ります。

 王国にも、帝国に負けない魔法院や技術局を。そのために、まずは模範となる都市が必要です」

 

 

ラナーは、壁に貼られた王国の地図へ歩み寄り、その一点を指し示した。

 

王国の東端。バハルス帝国とスレイン法国、双方に睨みを利かせる城塞都市。

 

 

「物流の要所であり、多くの冒険者、すなわち魔法詠唱者が集まる場所──エ・ランテル」

 

「……なるほど。盤面がでかくなるわね」

 

「ええ。私は王都で法整備を進めます。貴女は現地へ飛び、その地盤を固めてください」

 

 

ラナーは、用意していた数枚の書類をクレアに渡した。

 

 

「一つ目の任務は、八本指から保護した女性たちの移住計画です。

 彼女たちをエ・ランテルで雇用し、私の直轄商会を立ち上げます。

 貴女はその代表として現地に入り、アインザック組合長やパナソレイ市長といった実力者たちとパイプを作りなさい。彼らは食えない男たちですが、都市の発展には意欲的です」

 

「商会の代表ね。そんなのやったことないわよ……」

 

「あなたなら、なんとかするでしょう。そして、真の狙いは人材のスカウトです」

 

 

ラナーが次に指差したのは、一枚の人相書きだった。気難しそうな、眼鏡をかけた老婆の顔が描かれている。

 

 

「リィジー・バレアレ。王国最高位の薬師です。

 彼女のポーション製造技術は他国の追随を許しません。

 彼女を何としてもこちらの陣営に引き込み、技術顧問として迎え入れたいのです。彼女の技術があれば、安価なポーションを軍に配備し、兵の生存率を劇的に向上させることができます」

 

「頑固そうなお婆ちゃんね。金で靡くタイプ?」

 

「いいえ。職人は金ではなく、理解と環境で動くものです。

 それと、こちらの少女……ニニャという魔法詠唱者も探してください。王都で保護した八本指の娼婦の妹です。

 彼女もまた、魔法の才能を持つ原石の可能性があります」

 

 

クレアは書類を眺め、ふむ、と唸った。

 

 

「商人の顔だけで、あの閉鎖的な職人や荒くれ者の冒険者に食い込めるかしら?

 特に薬師なんて、余所者を一番嫌う人種よ。

 それに、アインザック組合長だって、王都からの干渉を嫌うタイプでしょう」

 

「ええ。ですから、もう一つ顔を用意しました」

 

 

ラナーは、悪戯っぽく微笑み、机の引き出しから一着の衣装の設計画を取り出した。

 

純白の生地に、金の刺繍が施された神官服。

どこか、スレイン法国の儀礼服を思わせるような聖職者の衣装だ。

 

 

「王都から派遣された、慈悲深き高位治癒師。……それが、エ・ランテルでの貴女の表の顔です」

 

 

クレアの表情が、一瞬で凍りついた。

 

 

「……本気? 私に聖女ごっこをしろっての?」

 

「適任ではありませんか。貴女の治癒魔法は第三位階──この国では最高峰です。

 怪我人を治療すれば、感謝と共に情報が集まります。

 リィジーのような職人も、同業者である高位の治癒師には興味を持つはず。

 そして何より、冒険者たちは常に怪我と隣り合わせ。

 腕の良い治癒師には、誰だって頭が上がりません。彼らの懐に入り込むための、これ以上ない立場です」

 

 

逃げ道は塞がれていた。

 

ラナーはクレアの過去──元・漆黒聖典第九席次としての経歴を知り尽くしている。

死者への祈りも慈愛に満ちた説法が行えることも。

 

それが彼女の呪いであることを理解した上で、この主人は冷徹に計算に入れているのだ。

 

 

「……チッ」

 

 

クレアは大きく舌打ちをし、その設計画を引ったくった。

 

 

「分かったわよ。やってやるわ。昼は怪我人を救う聖女様。夜は裏社会を調整する顔役。……趣味が悪いったらありゃしない」

 

「期待していますわ、私の可愛い番犬さん」

 

 

ラナーは満足げに微笑むと、再び窓の外、東の空へと視線を戻した。

 

 

「クレア。貴女が地盤を固めた頃に、私も視察という形でそちらに行きます。

 現地での魔法技術改革を宣言し……エ・ランテルを完全に私の箱庭に組み込みます」

 

「はいはい。精々、道中を襲われないように気をつけることね」

 

「心配いりませんわ。恐らく戦士長に護衛を依頼することになりますから」

 

 

ラナーは、自身の計算が完璧に機能していることに満足し、静かに紅茶を啜った。

 

クレアは衣装の図案を丸めて懐に入れると、踵を返して部屋を出た。

 

人使いの荒い主人に辟易しながらも、その期待の重さに少しの心地よさを感じるのであった。

 

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