疾風走破と黄金姫   作:火屋

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第四話 才能

 

王都直轄施療所は深夜の静寂に包まれていた。

 

日中の戦場のような喧騒が嘘のように、廊下は静まり返っている。

消毒用アルコールと鉄の臭いが染み付いた冷たい空気が、足元を這うように流れていた。

 

だが、最奥にあるクレアの執務室だけには、まだ灯りがともっていた。

 

 

「……はぁ」

 

 

クレアは羽ペンを置き、重い溜息をついた。

 

目の前には、書きかけの報告書と、数枚の羊皮紙が散らばっている。

王都のラナーへ送る定期報告だ。

 

施療所の運営状況、ポーションの流通量、自警団による治安維持の成果。

表向きの業務は概ね予定通りに進んでいる。

 

だが、クレアの表情は晴れない。

疲労の色が濃く滲んでいた。

 

 

「……少し、根を詰めすぎたかしら」

 

 

こめかみを揉みほぐす。

 

ここ数日、睡眠時間を削って働いている。

施療所の現場指揮、八本指残党への指示出し、そしてスレイン法国やズーラーノーンの監視。

 

施療所には患者が溢れるようになっていた。

選別を受け入れた市民たちが、助かるための列を作っているのだ。

 

それは喜ばしいことだが、選別の最終判断を下せるのはクレアしかいない。

 

魔力より、精神が摩耗していく。

 

生かすか、見捨てるか。その決断を繰り返す重圧は、確実に彼女の神経を擦り減らしていた。

 

 

「失礼します、クレアさん」

 

 

控えめなノックと共に、扉が開いた。

入ってきたのは、ンフィーレアだ。

 

彼はもう帰宅したはずだったが、手には湯気の立つポットと、夜食の入ったバスケットを持っている。

 

 

「まだ起きていたの? ンフィーレア君」

 

「はい。明日の準備が終わらなくて……灯りが見えたので、差し入れを持ってきました」

 

 

彼は照れくさそうに笑いながら、カップに温かい飲み物を注ぐ。

 

薬草の香りが部屋に満ちた。

疲労回復に特化した特製のハーブティーだ。

 

 

「ありがとう。……助かるわ」

 

 

クレアはカップを受け取り、一口含む。

温かさが胃に落ち、強張っていた身体が少しだけ緩むのを感じた。

 

 

「……クレアさん、顔色が優れませんよ。無理をしすぎなんじゃないですか?」

 

 

ンフィーレアが心配そうに覗き込んでくる。

その瞳は、相変わらず澄んでいて、裏がない。

 

 

「大丈夫よ。これが私の仕事だから」

 

「でも……このままじゃ倒れちゃいます。クレアさんは、一人で背負いすぎです」

 

 

ンフィーレアは一歩踏み出した。

 

その表情には、いつもの気弱さはなく、ある種の決意のようなものが浮かんでいる。

 

 

「あの、クレアさん。相談があるんです」

 

「相談?」

 

「はい。……もっと、僕にできることはありませんか?」

 

 

クレアは首を傾げた。

 

 

「十分やってくれているわ。薬の納品も、仕分けも、現場での手伝いも。

 君がいなければ、この施療所は回らない」

 

「そういうことじゃなくて……もっと、直接的な力になりたいんです」

 

 

ンフィーレアは拳を握りしめ、少し言い淀んでから、意を決したように口を開いた。

 

 

「クレアさんの負担を減らしたいんです。

 重傷者の治療、ほとんどクレアさん一人でやってるじゃないですか。

 僕も手伝いたい。……魔法は使えなくても、道具を使えば」

 

「道具?」

 

 

クレアは苦笑した。

 

 

「気持ちは嬉しいけれど、高位の治癒の杖や巻物は、それを使える『職』に就いていないと発動できないのよ。

 君は薬師でしょう?

 専門外の魔道具を使おうとしても、不発に終わるか、最悪の場合は暴走して怪我をするわ」

 

 

それは、この世界の常識だ。

 

魔道具(マジックアイテム)には厳格な使用制限がある。

聖職者用の杖は聖職者にしか、魔法使いの巻物は魔法使いにしか使えない。

 

種族や職業の条件が合致して初めて、魔道具(マジックアイテム)は機能する。

 

だからこそ、クレアのような高位の神官職は貴重であり、代えが利かないのだ。

 

だが、ンフィーレアは首を横に振った。

 

 

「いいえ、使えるんです。……僕なら」

 

「……え?」

 

「誰にも言うなって、お婆ちゃんには言われてるんですけど……クレアさんなら、信用できますから」

 

 

ンフィーレアは、バスケットの底から一本の短杖を取り出した。

 

それは、以前クレアが「使用不可」として倉庫の隅に放り込んでおいたものだ。

神殿から寄付されたものの、術式が特殊で、特定の信仰系職業を持つ者以外には起動できない、扱いづらい魔道具。

 

 

「見ててください」

 

 

ンフィーレアが短杖を握る。

呼吸を整え、意識を集中させる。

 

その瞬間。

 

ボゥ、と杖の先端に柔らかな光が灯った。

 

 

「──ッ!?」

 

 

クレアは息を呑んだ。

 

魔力の流れがスムーズすぎる。

 

本来なら、その杖を使うには神への信仰と、長年の修練による位階が必要なはずだ。

 

薬師である彼が、それもこんなにあっさりと起動できるはずがない。

 

 

「『病気治癒(キュア・ディジーズ)』」

 

 

ンフィーレアが唱えると、光は確かな治癒の波動となって部屋を満たした。

 

まるで、その杖が最初から彼の手の一部であったかのように、従順に従っている。

 

 

「……どういう、こと?」

 

 

クレアの声が震えた。

ンフィーレアは、少し誇らしげに、そして申し訳なさそうに微笑んだ。

 

 

「僕には、生まれつき才能(タレント)があるんです。

 ……どんな魔道具(マジックアイテム)でも、制限を無視して使えるっていう、才能が」

 

 

時が止まったようだった。

 

クレアの脳裏で、これまでのラナーとの会話、そして漆黒聖典時代の記憶が、走馬灯のように駆け巡る。

 

 

『あらゆるマジックアイテムを使える者がいるとしたら』

 

『叡者の額冠。あれを起動させるには、資格を持つ者が必要です』

 

『巫女姫の代わりになる誰か』

 

 

カチリ、とパズルのピースが嵌まる音がした。

嵌まってしまった。

 

目の前の少年は、ただの優秀な薬師ではない。

スレイン法国が国是として追い求めている、神の遺産を使いこなせる唯一の「鍵」。

 

そして、ラナーが王国のパワーバランスをひっくり返すために欲している「切り札」。

 

 

「……僕、これでもっと役に立てませんか?」

 

 

ンフィーレアは、クレアの沈黙を好意的に解釈したのか、言葉を続けた。

 

 

「施療所に眠っている高位の杖や、巻物……もしクレアさんが持っているなら、僕が代わりに使います。

 そうすれば、クレアさんが魔力を使い果たして倒れることもなくなる。

 僕、もっと皆を救いたいんです。クレアさんの助けになりたいんです」

 

 

純粋な善意。自分への信頼。

 

彼は、自分の持つ力が、どれほど世界を揺るがす禁忌であるかを知らない。

ただ、目の前の疲れた女性を助けたいという一心で、命取りになりかねない秘密を明かしたのだ。

 

吐き気がした。

彼の善意にではない。

その善意を利用し、搾取する側である自分自身に。

 

そして、彼を待ち受けるであろう、地獄のような運命を想像して。

 

 

「……馬鹿」

 

「え?」

 

「大馬鹿者ッ!!」

 

 

クレアは叫び、机を叩いて立ち上がった。

ンフィーレアが驚いて肩を跳ねさせる。

 

 

「二度と! その力を見せるんじゃないわよ! 私の前でも、誰の前でも!」

 

「ク、クレアさん……?」

 

「アンタ、自分が何を言ってるのか分かってるの!?

 どんなアイテムでも使える? そんな力が知れ渡ったら、アンタはどうなると思う!?」

 

 

クレアはンフィーレアの胸倉を掴み、引き寄せた。

かつてないほどの剣幕に、少年が怯えた目を向ける。

 

だが、クレアは止まれなかった。

 

 

「便利な道具として飼い殺されるか、危険因子として消されるか、そのどっちかよ!

 世の中はね、アンタが思ってるよりずっと汚いの!

 善意? 協力? 笑わせないで!

 力があるってだけで、自由を奪われて、意志を奪われて、最後には壊れるまで使い潰される……そんな連中が、そこら中にいるのよ!」

 

 

それは、ンフィーレアに向けた言葉であり、かつての自分への叫びでもあった。

 

兄に、法国に、期待という名の呪いをかけられ、心を殺して戦い続けた日々。

 

この少年は、今まさにその入り口に立っている。

 

しかも、自分からその扉を開けてしまったのだ。

 

 

「……ご、ごめんなさい。僕、ただ……」

 

 

ンフィーレアの目から涙が溢れる。

 

彼は、クレアがなぜ怒っているのか、その深層までは理解できていないだろう。

 

ただ、自分の浅はかさが彼女を傷つけたのだと思い、萎縮している。

 

クレアはハッとして、手を離した。

 

乱れた呼吸を整える。

指先が震えていた。

 

 

「……忘れて」

 

「え?」

 

「今のは見なかったことにする。アンタも、二度と口にしないこと。

 ……いいわね? お婆様との約束を守りなさい。

 私みたいな、他所から来た人間に、簡単に心を許すんじゃないわよ」

 

 

冷たく突き放すような言葉。

だが、そうするしかなかった。

 

優しくすれば、彼はまた近づいてくる。

そして、いつか本当に取り返しのつかない場所に連れ去られてしまう。

 

 

「……はい。ごめんなさい、クレアさん」

 

 

ンフィーレアは杖を置くと、逃げるように部屋を出て行った。

パタン、と扉が閉まる音が、酷く大きく響いた。

 

静寂が戻った部屋で、クレアは椅子に崩れ落ちた。

 

 

「……何やってんのよ」

 

 

最悪だ。

 

ラナーに報告すれば、確実に予定を繰り上げ、彼と叡者の額冠を使った情報収集が始まるだろう。

 

それは、"ぷれいやー"に備える最善手であることは明らかだ。

 

しかしそれは、彼をあの、あの巫女姫たちと同じにするということだ。

 

あの屈託のない笑顔は消え、ただの駒になる。

 

クレアは羽ペンを手に取った。

羊皮紙に向かう。

 

『重要報告:特異なタレントを持つ人物の発見について』

 

インクを含んだペン先が、紙の上で震える。

 

書けない。

 

どうしても、あのアホみたいに純粋な笑顔がちらつく。

『クレアさんの助けになりたいんです』

その言葉が、鎖のように腕に絡みつく。

 

 

「……クソッ」

 

 

クレアはペンを投げ捨てた。

インクが飛び散り、書きかけの報告書を汚す。

彼女は頭を抱え、深く項垂れた。

 

その時だった。

 

 

「──迷っていますね、センパイ」

 

 

窓辺から、鈴の音のような、しかし感情のない声が聞こえた。

 

クレアは弾かれたように顔を上げる。

いつの間にか、窓枠に一人の人影が腰掛けていた。

 

小柄な少年だ。

灰色の髪に、灰色の瞳。美しい顔立ちをしている。

その身のこなしは気配を完全に殺している。

 

 

「……誰よ」

 

 

クレアはスティレットに手を伸ばすが、少年は動じる様子もない。

ただ、ガラス玉のような瞳でクレアを見つめている。

 

 

「忘れてしまいましたか?

 まあ、無理もありません。僕は平凡そのもの、誰の記憶にも残らない。僕はミューと言います。」

 

 

少年は、トン、と床に降り立った。

足音がしない。

 

その動きを見て、クレアは理解した。

 

同類だ。

 

感情を去勢された道具の成れの果て。

 

 

「……法国の犬が、何の用?」

 

「貴女が祖国を裏切り、異国の王女に尻尾を振っているという情報は届いていました。

 ですが、どうやら新しい飼い主にも、完全には忠誠を誓えていないようですね」

 

 

ミューは、床に落ちた羽ペンを拾い上げた。

そして、インクの染み付いた報告書を一瞥する。

 

 

「書けないのですか?

 あの薬師の少年のこと。

 ……彼が『鍵』であることは、僕でも気づきましたよ。貴女が気づかないはずがない」

 

「……ッ、覗いていたの?」

 

「任務ですから。

 貴女が報告しないのなら、僕が報告しましょうか? 祖国へ。

 そうすれば、漆黒聖典が彼を回収に来ます」

 

 

ミューの声には、悪意も善意もない。

ただ、事実を淡々と述べる機械的な冷徹さがあるだけだ。

それが余計に、クレアの神経を逆撫でする。

 

 

「……余計な真似をしたら、殺すわよ」

 

 

クレアから放たれた殺気に、ミューは小首を傾げた。

 

 

「なぜ怒るのですか?

 我々は道具でしょう。道具が道具としての機能を果たせないなら、廃棄されるか、修正されるべきです。

 あの少年も同じ。彼には才能がある。ならば、組織のために消費されるのが最も効率的だ」

 

「……黙れ」

 

「貴女は壊れていますね、センパイ。

 あの薬師に、かつての自分を重ねているのですか?

 無駄ですよ。個人の感情など、国家の前では誤差に過ぎない」

 

 

ミューは、興味を失ったように報告書を机に戻した。

 

 

「まあ、いいでしょう。

 僕は観測者。手出しはしません。貴女がどうするのか、最後まで見届けさせてもらいます」

 

 

ミューは再び窓枠に足をかけた。

夜風が彼の灰色の髪を揺らす。

 

 

「……ただ、忠告しておきます。

 あなたに残されている時間はそんなに長くはないですよ」

 

 

それだけ言い残し、影が溶けるように少年は闇へと消えた。

後には、再び静寂だけが残された。

 

クレアは、ギリギリと歯を食いしばった。

口の中に鉄の味が広がる。

 

 

「……上等よ」

 

 

彼女は机の上の報告書を掴み取ると、蝋燭の火にかざした。

 

炎が紙を舐め、黒い灰へと変えていく。

『重要報告』の文字が、炎の中でねじ切れるように消えていく。

 

報告書が完全に灰になるまで、彼女はその炎を見つめ続けた。

 

それは、ラナーへの裏切りであった。

 

 

*

 

 

エ・ランテルの地下深く。

祭壇の前で、男が狂喜していた。

 

 

「素晴らしい……!」

 

 

カジット・デイル・バダンテールはズーラーノーンより届いた知らせに興奮を隠せずにそう声を上げる。

 

ズーラーノーンより、()()()()()の殺害命令が出たのだ。

 

そして、そのためにズーラーノーンの中でも指折りの実力者たちがエ・ランテルへ派遣されるとのことだ。

 

のらりくらりと裏切りの疑いを躱していたクレマンティーヌをとうとう組織は見限ったのだろう。

 

カジットの後ろでは喪服の女──ヴィエラが、艶然と微笑む。

その手には、巨大なモーニングスターが握られていた。

 

静寂な笑み。

だが、その瞳孔は獲物を見つけた興奮で、針のように細く収縮していた。

 

 

「これは死の螺旋を完成させるまたとない好機だ……!!」

 

 

カジットはヴィエラを一瞥し、その確かな力の波動を感じ、より強く確信する。

 

これに加え、英雄級の実力者がもう一人加わる。

 

カジットは悲願が叶うことを夢想し、笑みを深くするのだった。

 

 

 

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