疾風走破と黄金姫   作:火屋

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性的描写と暴力描写があります。
苦手な方はご注意ください。
※R-18タグの境界がわからないので問題がありそうなら修正致します。


第五話 母

 

その夜、エ・ランテルの空気は粘りつくように重かった。

 

季節外れの湿った風が吹き抜け、どこか鉄錆のような臭いを運んでくる。

空には厚い雲が垂れ込め、月明かりを遮断していた。

 

まるで、都市全体が巨大な蓋をされ、その中で何かが発酵し始めているかのような不快感。

 

王都直轄施療所の執務室で、クレアは窓の外を睨み続けていた。

 

 

「……嫌な予感がするわね」

 

 

彼女の野生の勘が、警鐘を鳴らし続けている。

 

肌が粟立つような感覚。これは、単なる強敵の気配ではない。

もっと生理的に受け付けない、ドロドロとした悪意の波動だ。

 

 

「クレア様、自警団からの報告です」

 

 

サンドラが足早に入室してくる。その表情は硬い。

 

 

「墓地周辺で、アンデッドの発生率が急上昇しています。

 それも、自然発生するゾンビやスケルトンだけではありません。

 グールやワイトといった、中位のアンデッドが目撃されたと」

 

「……始まったわね」

 

 

クレアはスティレットを腰に差した。

 

ズーラーノーンが本格的に動き出したのだろう。

 

これだけの規模で動くなら、もう隠密行動の段階は過ぎている。

都市を盤面に見立てた、力尽くの陣取り合戦だ。

 

 

「サンドラ、施療所を封鎖しなさい。

 入院患者と職員を最奥の部屋へ避難させて。

 入り口に自警団の精鋭を護衛に回して」

 

「ハッ! ……おい、野郎ども! 配置につけ! 姐さんの命令だ、遅れたら殺されるよ!」

 

 

サンドラの怒声に、廊下に控えていた強面の男たちが弾かれたように動き出す。

 

彼らは、王都から連れてきた手勢ではない。

このエ・ランテルの裏社会に巣食っていた、賭博の元締めや用心棒といった地元のゴロツキたちだ。

 

本来なら、王都の女になど従う連中ではない。

だが、彼らの顔には明らかな恐怖が張り付いていた。

 

無理もない。

着任した翌晩、クレアは挨拶回りと称して彼らのアジトへ単身乗り込んだのだ。

そして、舐めた口を利いた顔役の腕をへし折り、スティレットで眼球だけを刺し、それを抜き取る"躾"を行ったのだ。

 

その圧倒的な暴力と殺気を見せつけられた彼らにとって、墓場のアンデッドよりも、この聖女の方がよほど恐ろしく映っているのだろう。

 

 

「クレア様は?」

 

「私は出るわ。……この街に沸いた蛆を潰す」

 

 

クレアは外套を羽織り、窓枠に足をかけた。

その背中に、サンドラが声をかける。

 

 

「お気をつけて」

 

 

クレアは静かに夜の闇へと飛び出した。

 

 

 

 

屋根の上を疾走しながら、クレアは思考を加速させる。

 

墓地の方角から漂う死の瘴気は濃くなる一方だ。

だが、クレアが向かっているのは墓地そのものではない。

 

街の中に紛れ込んでいる異物の気配。

それが、施療所の方角へ──つまり、ンフィーレアや自分が守るべき拠点へと近づいているのを感じ取っていたからだ。

 

 

(狙いは私か、それともンフィーレアか)

 

 

どちらにせよ、迎撃しなければならない。

クレアは速度を上げ、石造りの街並みを影のように駆け抜ける。

 

その時だった。

前方の路地裏から、乾いた破砕音が響いた。

 

ガシャァァンッ!!

 

石壁が砕け散る音。

続いて、何かが引きずられるような、不快な金属音。

 

ズズ……ガリ……ガリ……。

 

クレアは足を止め、屋根の上から路地を覗き込んだ。

そこには、異様な光景が広がっていた。

 

 

 

 

「あはぁ、速いねぇ、ボウヤ!!鬼ごっこは得意かな?」

 

 

路地の袋小路。

 

そこに追い詰められていたのは、灰色の髪の少年──ミューだった。

 

スレイン法国の観測者として、常に冷静沈着に気配を消していた彼が、今は肩で息をし、左腕をだらりと下げている。

その腕は、ありえない方向に曲がっていた。

 

そして、路地の入り口を塞ぐように立っている女。

 

波打つ金髪に特徴的な泣き黒子、漆黒の喪服風ドレス。

豊満すぎる肢体に貼り付くその布地は、彼女の呼吸に合わせて妖艶に蠢いている。

 

だが、何より異様なのは、彼女が片手で引きずっている凶器だった。

 

巨大なモーニングスター。

柄の長さは彼女の身長ほどもあり、先端の鉄球は子供の頭蓋骨を容易く粉砕できるほどの質量を持っている。

 

それを、まるでハンドバッグでも持つかのように、軽々と持ち上げた。

 

 

「……ズーラーノーンの刺客か」

 

 

ミューは脂汗を流しながら、右手の短剣を構える。

 

感情のない瞳に、初めて焦燥の色が浮かんでいた。

 

観測者として徹するはずだった彼が、なぜ見つかったのか。

いや、この女の感覚が異常なのだ。

気配遮断スキルを貫通して、生きた獲物の匂いを嗅ぎつけていた。

 

 

「刺客だなんて人聞きが悪いよォ。

 私はヴィエラ。……迷子の子供を保護する、優しいお母さんだよ」

 

 

ヴィエラと名乗った女は、ねっとりとした視線でミューを舐め回す。

 

 

「可愛いねぇ。法国仕込みの暗殺術かなぁ?

 身のこなしが綺麗。……きっと、壊した時の音も綺麗なんだろうなァ」

 

「……狂人が」

 

 

ミューは瞬時に判断した。勝てない。

 

身体能力の桁があまりにも違う。口からのぞく牙や赤い瞳を見るに恐らく吸血鬼だろう。

 

撤退一択。

彼は懐から煙幕玉を取り出し、地面に叩きつけ──ようとした。

 

ブンッ!!

 

風切り音と共に、黒い塊が視界を埋め尽くした。

ヴィエラが、あの巨大なモーニングスターを投げつけてきたのだ。

 

ドゴォォォォンッ!!

 

ミューの足元の石畳が爆発したように粉砕される。

煙幕玉を使う隙などなかった。衝撃波だけで吹き飛ばされ、ミューは壁に叩きつけられる。

 

 

「が、はっ……!?」

 

「逃げちゃダメだよォ。お母様(わたし)がお話ししてる最中でしょう?」

 

 

土煙の中から、ヴィエラがゆらりと現れ、緩慢な動作でモーニングスターを拾い上げるり

その顔には、恍惚とした笑みが張り付いている。

 

 

「ねぇ、痛い? 怖い?

 その震えてる顔、ゾクゾクするよォ……♡」

 

 

ヴィエラはミューの喉元を掴み、軽々と持ち上げた。

少年の足が宙に浮き、苦しげにバタつく。

 

 

「やめ……離せ……!」

 

「いい子だねぇ。もっと鳴いて?

 お前のその、何もかも諦めたような目が……絶望で塗り潰されるところが見たいんだよォ!」

 

 

ヴィエラは地面に叩きつけ、足を折り、腹を鋭利なモーニングスターの柄で突き刺し動きを止めた。

 

ヴィエラは恍惚の表情を浮かべながらドレスの裾をたくしあげると、少年の顔面に跨がった。

 

ミューは全身の痛みと、急に押し付けられた()()にパニックに陥りもがきはじめる。

 

 

「情熱的な愛撫、嬉しいわぁ……♡」

 

 

ヴィエラは腰をくねらせ、少年の下半身に手を伸ばした。

 

微かに残された理性で彼は思った。

 

これが道具の末路か。

国家に従い、個を殺して生きてきた結果が、この陵辱なのか。

 

──ふざけるな。

 

その時、頭上から鋭い殺気が降り注いだ。

 

 

「そこまでよ、変態女ッ!!」

 

 

銀閃。クレアのスティレットが、ヴィエラの脳天を狙って突き出される。

 

必殺のタイミングだった。

 

だが。

 

 

「あァん? 邪魔をするなァァ!」

 

 

ヴィエラはミューを持ったまま、モーニングスターを抜くとその柄でクレアの突きを弾いた。

 

高い金属音が響き渡る。

クレアは空中で体勢を立て直し、着地する。

 

 

「……あらら。聖女ちゃんのお出ましかぁ」

 

 

ヴィエラはミューをゴミのように放り投げ、クレアに向き直った。

その瞳孔が、針のように細く収縮する。

 

 

「待ってたよォ。カジーが言ってた裏切り者。

 ……いい匂いだねぇ。強者の匂いと、迷子の匂いが混ざって……食欲をそそるよォ♡」

 

「……誰が迷子よ。

 アンタこそ、迷子になる前に地獄へ送ってあげるわ」

 

 

クレアはスティレットを構え、ヴィエラを睨みつける。

そして、壁際で咳き込んでいるミューに視線を投げた。

 

 

「立てる? 法国のボウヤ」

 

「……ゲホッ、なぜ……助けたのですか」

 

 

ミューは血を吐きながら、信じられないものを見る目でクレアを見た。

 

 

「貴女にとって、僕は邪魔な監視者でしょう。

 見殺しにすれば、法国への言い訳も立ったはずだ」

 

「勘違いしないで。

 子供をいたぶる趣味の悪いババアが気に入らなかっただけよ」

 

 

クレアは吐き捨てるように言ったが、その内側では激しい動揺が渦巻いていた。

 

なぜ助けた?

自分でも分からない。

 

だが、あそこで無抵抗になぶり殺されようとしていた少年の姿が、かつての自分と、そしてンフィーレアに重なったのだ。

 

力ある者に搾取される弱者。その構図が生理的に許せなかった。

 

 

「あはは! 優しいねぇ、聖女ちゃん!

 でもね、それは教育に悪いよォ」

 

 

ヴィエラが鉄球を引きずり、一歩踏み出す。

その圧力。

 

クレアの肌が粟立つ。

 

(……強い。私と同格、いや、純粋な身体能力なら上か?)

 

 

「弱い子には世の中の厳しさを、身体で教えてあげないとねぇ!」

 

 

ヴィエラが鉄球を振りかぶる。

その動作は緩慢に見えて、不可避の軌道を描いていた。

 

狙いはクレアではない。

背後のミューだ。

 

 

「──ッ!?」

 

 

クレアは反応した。

だが、間に合わない。

彼女はミューを突き飛ばし、自らが盾となる形でスティレットを交差させた。

 

大きな衝撃。

 

まるで攻城兵器の一撃を受けたかのような重さが、クレアの腕を襲う。

咄嗟に武技を使っていなければ、両腕が粉砕されていただろう。

 

 

「くぅ……ッ!」

 

 

クレアは後方へ弾き飛ばされ、地面を転がる。

すぐに受け身を取って立ち上がるが、腕が痺れて感覚がない。

 

 

「あらァ、耐えた? 硬いねぇ。

 でも……ボウヤの方はどうかな?」

 

 

ヴィエラの笑い声に、クレアはハッとして振り返った。

 

そこには、突き飛ばされたミューが倒れていた。

だが、彼は無事ではなかった。

 

ヴィエラの鉄球は、クレアを吹き飛ばした後、その余波──あるいは計算された軌道で、ミューの下半身を捉えていたのだ。

 

 

「あ……」

 

 

ミューが自分の身体を見下ろす。

腰の部分が見事に潰され、ねじ切れていた。

腸だけが紐のように上半身と下半身を結んでいる。

 

 

「あ、が……あ……」

 

 

痛みよりも先に、理解が追いつかないようだった。

 

彼は道具として生きてきた。

戦場で死ぬ覚悟はあった。だが、こんな風に、怪物の戯れのような一撃で、ゴミのように壊されるとは想像していなかった。

 

クレアが駆け寄ろうとする。

だが、ヴィエラの方が速かった。

 

彼女は瞬時に距離を詰め、這いずろうとするミューの背中を、そのピンヒールで踏みつけた。

 

グシャリ。

 

 

「がぁぁぁぁッ!!」

 

 

ミューの口から絶叫が迸る。

脊椎が踏み砕かれる音。

 

 

「やめなさいッ!!」

 

 

クレアが叫ぶ。

だが、ヴィエラは恍惚とした表情で、さらに体重をかけた。

 

 

「ほら、いい声だ。

 法国の生え抜きだか何だか知らないけどさァ……皮を剥けば、ただの子供だよねぇ。

 お母様が抱きしめてあげるまでもなく、壊れちゃった」

 

 

ヴィエラは、モーニングスターを高く掲げた。

トドメの一撃。

 

 

「やめて……お願い、やめて……!」

 

 

ミューが泣きながら懇願する。

 

その顔には、もう観測者としての無機質さはなかった。

ただの、死を恐れる子供の顔。

 

道具の仮面が剥がれ落ち、そこにあったのは、誰にも愛されず、誰にも守られずに死んでいく、哀れな命だった。

 

 

「あらあら、そんなに、お母様のだっこの方が欲しいのねぇ♡」

 

 

ヴィエラはモーニングスターを手放し身体の重さが半分になったミューを抱きしめた。

それと同時に接吻をし、その端正な顔を舐め上げる。

 

骨がくだける嫌な音が路地裏に響き渡った。

 

赤い飛沫が飛び散り、ヴィエラのドレスを汚した。

 

ミューだったものは、もう動かない。

ただの肉塊となり、石畳に染みを広げるだけだった。

 

静寂。

ヴィエラはうっとりと返り血を浴び、頬を染めている。

 

 

「あァ……あったかい。

 やっぱり、子供は暖かくて最高だねぇ」

 

 

クレアは、震えていた。

 

恐怖ではない。

目の前で起きた惨劇。救えなかった命。

そして何より、この怪物が吐き出した言葉への、根源的な嫌悪と激怒。

 

この女は、殺した。

ただの任務遂行としてではない。

快楽のために。

弱者がすり潰される音を楽しむためだけに。

 

それは、かつてクレア自身が、何も感じずにやってきたことの、成れの果てだったかもしれない。

だが、今のクレアには耐え難かった。

 

 

「……殺す」

 

 

クレアの口から、低い呻き声が漏れた。

 

 

「あらァ? 怒った?」

 

 

ヴィエラがニヤニヤと笑いながら振り返る。

 

 

「そうだよ、そーゆー目が見たかったんだわぁ!

 聖女ごっこなんて止めてさァ、私と遊ぼうよ。

 ……あなたも私の娘になってねェェ!」

 

 

ヴィエラが鉄球を振り回す。

ブンブンと空気を切り裂く音が、死の旋律のように響く。

 

クレアは、スティレットを強く握りしめた。

 

 

「……後悔させてやるわ。

 その汚い口で、二度と笑えないようにしてやるわッ!!」

 

 

クレアが地を蹴った。

同時に、遠くの空で、不気味な鐘の音が鳴り響いた。

 

カラン、カラン──。

 

それは、死の螺旋の本格的な開始を告げる合図。

エ・ランテルの街が、死者の群れに飲み込まれる夜の幕開けだった。

 

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