プレアデス商会についての調査を始めて、数週間が経った。
かの商会がどうやら帝国側から来たこと、取り仕切っているのは恐ろしく美しい若い女とお目付役と思われる老執事であること、など少しずつ情報は集まっている。
業務の実態もわかりつつあった。
クレアは市場の通りを歩きながら、肌にまとわりつくような違和感の正体を探っていた。
隣を歩くブレインが視線を巡らせる。
「……静かなもんだな。喧嘩の一つも起きねえ」
「治安が良いのは結構なことではあるんだけどね」
「良すぎて気味が悪いって言ってんだよ。ゴロツキどもは何処へ消えちまったんだ?」
ブレインは無造作に刀の柄に手を置いたまま、周囲を睨め回す。
その時、向こうから揃いの紺色のベストを着た男たちの集団が歩いてきた。
彼らは箒と塵取りを持ち、市場のゴミを回収して回っている。
その中の一人に、ブレインが眉をひそめた。
「……あ? おい、ありゃ『鉄砕き』のガリムじゃねえか」
視線の先にいたのは、巨漢の男だった。
かつては酒場の用心棒をしており、気に入らない客を片っ端から病院送りにしていた乱暴者だ。
そのガリムが、今は大人しくゴミを拾い、通行人に頭を下げている。
ブレインが歩み寄り、声をかけた。
「おい、ガリム。何シケたツラして掃除なんざしてやがる」
「あ? ……なんだ、ブレインの旦那か」
巨漢はブレインに気づくと、バツが悪そうに鼻を擦った。
「見ての通りさ。今は『プレアデス商会・環境美化部』の班長だ」
「はあ? 美化部だあ? お前の仕事は人を殴ることだろうが」
「よしてくれよ。今のボスは羽振りがいいんだ。福利厚生ってのがあってな、タダで薬が貰える。……それに」
ガリムは声を潜め、青ざめた顔で周囲を伺った。
「逆らったら、どうなるか分からねえ。……昨日、商品の横流しをした奴が処分された」
「処分?」
「ああ。……今朝の食卓に並ぶ肉になったのかもな」
乾いた笑いを残し、ガリムは逃げるように掃除に戻っていった。
ブレインは呆然とその後ろ姿を見送る。
「どういうことだ、ありゃあ。まるで去勢された猫みてえになってやがる」
クレアは冷ややかな声で呟く。
「プレアデス商会は、この街の裏社会すらも、従業員として雇い入れたってことかしら」
「……気に食わねえ。殴り合って奪い合うのが裏の流儀だろうが」
ブレインが刀の鯉口を強く握りしめる。
彼にとって、自分の剣が通じない平和という名の檻は、戦場よりも恐ろしい場所に映るのかもしれない。
二人の視線の先、市場の一等地に、真新しい建物が建っていた。
急ごしらえの小屋ではない。
製材されたばかりの上質な木材を使い、正確に組み上げられた仮設店舗だ。
看板には、王都の流行りを取り入れた洗練された書体でこうある。
『プレアデス商会 エ・ランテル出張所』
店舗の前には、荷車を引いた農民たちが列を作っていた。
昨夜の施療所前の悲壮な列とは違い、彼らの顔には、隠しきれない興奮と喜びが浮かんでいる。
「ありがとうございます! こんなに高く買ってもらえるなんて……」
「ええ、品質が良いですから。これなら王都でも通用しますよ」
商会の男が、農民の手を握りながら調子の良い笑顔で語りかけている。
渡された革袋には、相場より明らかに多い銀貨が入っているようだった。
サンドラが手元のメモを確認し、信じられないものを見る目で報告する。
「……買い取り価格が相場の倍近いです。泥付きの野菜も、選別していない薬草も、全て言い値に近い額で買い取っています」
「倍? 正気じゃないな。慈善事業か?」
ブレインは驚き、クレアは眉を寄せた。
商売の鉄則から外れている。
高く買って、どうやって利益を出す? 転売するにしても、元値が高すぎる。
ふと、契約を終えた農民同士の会話が耳に入った。
『お前もサインしたか? 専売契約』
『ああ! これでもう、凶作の年も食いっぱぐれねえ!』
専売契約。
その単語が、クレアの脳内で警鐘を鳴らす。
「……そうか。利益を出す気なんて、最初からないんだわ」
「あ?」
「高い金を餌にして、生産者を独占する気よ。
他の店が仕入れられずに潰れた頃を見計らって、この街の物流をすべて握るつもりか……!!」
クレアは店舗へと歩み寄った。
受付に立っていた男が、クレアたちの姿に気づき、慇懃に頭を下げる。
昨夜、冒険者たちの相手をしていた男とは別人だが、その纏う空気は瓜二つだった。
完璧な笑顔。しかし、目の奥に感情がない。
「おや、これは施療所の管理者様。本日はどのようなご用件で?」
「随分と景気が良さそうね。どこの貴族の支援を受けているのかしら」
「私どもは独立した商会です。王国と帝国周辺の流通網を開拓し、その利益を地域の皆様に還元しているに過ぎません」
男は淀みなく答える。四角四面な回答だ。
クレアは男の目の前に、一枚の紙を突きつけた。
昨夜回収した優先札だ。
「これ。施療所の認可も取らずに配っているようだけど」
「ああ、整理券ですね」
男は悪びれる様子もなく頷き、手元の分厚い帳簿を開いた。
「これをご覧ください。
貴方方の管理下では、重症患者の平均待機時間は四十五分でした。
しかし、我々が整理券を導入してからは、それが二十分短縮されています。
我々は、貴方方の非効率なやり方を、我々で補完しているだけですよ」
男は人道ではなく、あくまで効率を提示してきた。
クレアは言葉に詰まる。確かに、結果だけ見れば彼らの言う通りなのだ。
「……施療所の方針を決めるのは私よ。勝手な真似は――」
「方針? お言葉ですが」
男が初めて、攻撃的な光を瞳に宿した。
「貴方方が診察しきれないから、列ができているのでしょう?
我々は、溢れた需要を整理しているに過ぎない。
文句がおありなら、ご自分の無能さを解消してから仰っていただきたいものですなあ」
隣で、ジャリ、と足元の砂が鳴った。
ブレインが半歩、前に出ていた。
彼から放たれた殺気が、肌を刺すように周囲の空気を凍らせる。
「おい、クレア。御託はいいだろ」
常人なら、その殺気だけで腰を抜かすか、悲鳴を上げて逃げ出す場面だ。
だが、商会の男は動かなかった。
眉一つ動かさず、ただ営業用のスマイルを貼り付けたまま、ブレインを見上げている。
「……ほう」
ブレインの目がすっと細められた。
彼は柄から手を離すと、つまらなそうに鼻を鳴らした。
「なんだ、手ごたえのねえ。斬る価値もなさそうだ」
「賢明な判断ですね。暴力は商談の邪魔になりますから」
男は皮肉ですらなく、事実としてそう述べた。
ブレインは不快そうに舌打ちをする。
クレアは男に向き直り、極上の微笑みを作った。
「ご忠告、感謝するわ。
でも、気をつけて。急ごしらえの商売は、土台が脆いものよ」
「肝に銘じておきます」
男の丁寧な一礼を背に、クレアたちはその場を離れた。
背中越しに感じる視線は、人間のものではなかった。
感情も、恐怖も、欲望すらない。ただの観測装置のような冷たさ。
ブレインが小声で呟く。
「……ありゃ下手したら人間じゃねえな」
「分かるの?」
「俺の殺気を浴びて、瞬き一つしなかった。
強くて余裕があるわけじゃねえ。恐怖っていう機能が欠けてる感じだ。気色悪いぜ」
ブレインの直感は、正しく相手の異質さを捉えていた。
プレアデス商会。その中身は人の理屈で動く相手ではないのかもしれない。
人以外が人の真似事をしたとして一体何の意味があるのだろうか。
クレアはより難しい状況に頭を抱えた。
*
施療所に戻ったクレアが調剤室の扉を開けると、そこには絶望的な顔をしたンフィーレアが立ち尽くしていた。
「クレアさん……薬草が、届かないんです」
ンフィーレアは泣きそうな声で訴えた。
「いつもの業者が来なくて、市場で売れ残っていた乾燥したもので代用しようとしたんですが……駄目です。
ポーションにはなりません」
ンフィーレアの後ろから、サンドラが顔を出す。
彼女もまた、苦渋の表情を浮かべていた。
「先ほどの市場の件です、クレア様。
プレアデス商会が、薬草の買い取り価格を倍にした影響が、ここに出ています」
「金の問題なら、一時的にこちらも買い取り額を上げるしかないわね。ラナー殿下に予算の増額を……」
「いえ、それだけではありません」
サンドラが首を横に振る。
「彼らは生産者と『専売契約』を結び始めています。
違反した場合は、即時の契約解除と違約金を請求する条項付きです。
うちに卸していたほとんどの業者があちらに乗り換えました」
クレアは息を飲んだ。
保証という言葉の魔力を、貧しい農民や、不安定な収入の冒険者が拒絶できるわけがない。
不安定な情勢が続いてきた王国で、明日の食い扶持も知れぬ者にとっては安定こそが最大の麻薬だ。
「在庫はあと三日分しかありません。
市場に出回っている薬草も、奴らが買い占めています」
クレアは執務室の椅子に深く沈み込んだ。
彼らはまず、施療所の信用を利用して集客し、次に生命線である物流を握った。
ポーションが作れなくなれば、施療所は機能不全に陥る。
そうなれば、市民はどうするか。
プレアデス商会が隠し持っているであろう在庫を、高値で買うしかなくなる。
あるいは、彼らが独自のポーションを売り出し、施療所に取って代わるか。
「……サンドラ。契約の無効を訴えることは?」
「難しいです。彼らの契約書は王都の法律に照らしても完璧でした。
むしろ、農民保護の観点からは『優良な契約』とみなされるでしょう。
王都の行政官ですら、彼らのやり方を支持しています」
法も金も抑えられている。
ラナーに対抗しうる知性が、この都市を実験場にして遊んでいる。
正面から挑めば、擦り潰されるのはこちらだ。
「……少し、頭を冷やしてくるわ」
*
クレアとブレインが向かったのは、市場の外れにあるプレアデス商会の巨大倉庫だった。
夕闇に紛れ、屋根の上から倉庫の様子を伺う。
そこには、異様な光景があった。
荷物を運んでいる作業員たちは誰も喋らない。
重い荷物を、機械のように正確に、黙々と運び続けている。
彼らは一様にフードを被り、顔を隠していた。
「……おい、クレア」
ブレインが声を震わせた。
「あいつら、息をしてねえぞ」
「え?」
「ここまで荷物を運んで、汗一つかいてねえ。
足音も均一すぎる。……まるで、中身が入ってない人形だ」
クレアが目を凝らすと、作業員のフードの下から、青白い肌が覗いていた。
生気がない。
それはクレアがスレイン法国で見たことのある、動く死体の特徴に似ていた。
「……ふざけた連中ね」
クレアは怒りよりも先に、乾いた笑いが込み上げてきた。
法律を遵守し、農民を保護し、街を清潔に保つ優良商会。
その正体が、死体を酷使して市場を食い荒らす化け物の巣窟だとは、誰が想像できようか。
人件費ゼロの労働力。これでは価格競争で勝てるわけがない。
「どうするよ、雇い主」
ブレインが獰猛に笑った。
その手は、既に刀の柄にかかっている。
「役人に訴えても握りつぶされるのがオチだぜ」
クレアは倉庫を見下ろし、そしてゆっくりと踵を返した。
その瞳から、聖女の仮面が剥がれ落ちる。
「戻るわよ、ブレイン」
「戻る? 尻尾巻いて逃げるのか?」
「まさか」
クレアは執務室の方角――聖女の仮面が置いてある場所を見据えた。
「夜に出直しましょう」
「へっ、やっと本職か」
ブレインが好戦的に指を鳴らす。
「最初からそうすりゃよかったんだ。紙切れ一枚で偉そうにしてる連中に、現実を教えてやるのが一番早い」
*
施療所に戻ると、クレアはンフィーレアに告げた。
「ンフィーレア、あなたは今ある材料で、できる限り質の良いポーションを作りなさい。一本も無駄にするんじゃないわよ」
「は、はい! 任せてください! でも、新しい材料は……」
「今夜中に手に入るわ。
ただし、少し血の臭いがするかもしれないけれど」
クレアは窓の外、広場を見下ろした。
プレアデス商会の看板が、夕日を受けて血のように赤く輝いている。
その赤色は、かつて彼女が捨てた祖国の色にも似ていた。
あるいは、これから流れる血の色か。
清潔な略奪者が支配する街に、汚れた夜が訪れようとしていた。