疾風走破と黄金姫   作:火屋

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第三話 夜勤の捕食者たち

 

深夜。

市場の外れに位置するプレアデス商会の巨大倉庫は静寂に包まれていた。

 

だが、内部では異様な活気が――否、死気が満ちていた。

 

何百という木箱が山積みにされた空間を、フードを被った作業員たちが無言で行き交っている。

彼らは呼吸をしない。疲れを知らない。

ただ命令された通りに荷物を運び、積み上げ、また運ぶ。

 

そんな様子を積荷の上から見下ろしている二つの影があった。

 

 

「あーあ。退屈っすねえ~」

 

 

だらしない声を上げて、足をぶらつかせているのは、赤毛のメイド服の少女だ。

褐色肌に愛嬌のある顔立ち。背中には不釣り合いな巨大な錫杖を背負っている。

 

ナザリック地下大墳墓、プレアデスが一人、ルプスレギナ・ベータ。

 

彼女は大きな欠伸を噛み殺しながら、隣に座る同僚に話しかけた。

 

 

「デミウルゴス様も心配性っすよねえ。

 こんな場所の倉庫番なんて、必要ないんじゃないっすか?」

 

「でもぉ、デミウルゴス様が『そろそろ鼠が噛みに来る頃合いだ』ってぇ。

 それにぃ、ソリュシャンだけ楽しそうなのはズルいわぁ」

 

 

間延びした、どこか湿り気を帯びた声で答えたのは、和装のメイド服に身を包んだ少女、エントマ・ヴァシリッサ・ゼータだ。

 

彼女は手元にある「何か」を、カリコリと小気味よい音を立てて齧っている。

よく見れば、それは人間の指の形をしていた。

 

 

「んぐ、んぐ……。

 でも、ここにあるのは薬草とポーションだけでしょぉ?

 つまみ食いするものがないわぁ」

 

「エンちゃんは食い気ばっかりっすね。あー、誰か来ないかなあ。

 コソコソ入ってきた盗賊を、優し~く案内してあげて、希望を持たせてから絶望のどん底に叩き落として、泣き叫ぶ顔が見たいっす」

 

 

ルプスレギナはほんのり上気した加虐的な笑顔で、空想の獲物をなぶり殺しにする仕草をした。

 

 

「人間なんて、どうせレベルの低いゴミばっかりっすよ。

 さっき報告に来たガリム? だっけ。あんなのが『裏社会の顔役』の一人とか笑っちゃうっすよね。

 私のデコピン一発で頭が弾け飛びそうだったっす」

 

「弱くてもいいからぁ、美味しいのがいいなぁ」

 

 

二人のメイドは、眼下のアンデッドたちよりも遥かに異質な気配を漂わせながら、夜食の時間を楽しんでいた。

 

その時、唐突に、倉庫の鉄扉が裂けた。

鍵が壊されたのではない。分厚い鉄板そのものがひらひらと紙のように宙を舞い、作業していたゾンビたちをなぎ倒したのだ。

 

 

「おっとォ!?」

 

「あらぁ」

 

 

ルプスレギナが目を丸くする。

舞い上がる土煙の中、堂々と入ってくる二つの人影があった。

 

一人は、細身の刀を腰に佩いた、青い髪の男。

もう一人は、しなやかな身のこなしの女。

 

 

「……へえ。正面突破とは、随分と威勢のいい鼠っすね」

 

 

ルプスレギナがニヤリと笑う。

待ちに待ったおもちゃの到着だ。

 

 

 

 

倉庫に踏み込んだ瞬間、ブレイン・アングラウスは鼻を鳴らした。

 

 

「やっぱり死体の臭いだな……」

 

 

目の前には、扉の破片に潰された作業員たちが蠢いている。

フードが外れ、腐敗した顔が露わになっていた。

ゾンビだ。それも、そこらの墓場から這い出てきたような代物ではない。肉体が保存され、筋力が強化された上位種。

 

だが、ブレインにとっては雑魚に過ぎない。

 

 

「邪魔だ」

 

 

一閃。

 

ブレインが歩きながら刀を振るう。

それだけで、襲い掛かろうとした三体のゾンビの首が、物理法則を無視したように宙を舞った。

剣閃すら見えない。ただ、結果だけがそこに残る。

 

 

「雑魚ばっかりか? 張り合いがねえな。止まって見えるぜ」

 

「油断しないで。……いるわよ」

 

 

隣を歩くクレアの声が、いつになく硬い。

彼女の視線は、ゾンビたちではなく、倉庫の天井付近に向けられている。

 

 

「ブレイン、上!」

 

「あ?」

 

 

ブレインが見上げた瞬間、頭上から「何か」が降ってきた。

質量を持った砲弾のような着地。

ドォン、と床が陥没し、衝撃波がゾンビたちを吹き飛ばす。

 

土煙の中から現れたのは――メイドだった。

赤毛の、可愛らしい顔をしたメイド。

 

 

「こんばんは~! プレアデス商会へようこそっす!

夜間の配送受付は終了してるんすけど、特別に私が相手してあげるっすよ!」

 

 

ルプスレギナが、背中の巨大な錫杖を片手で軽々と振り回し、おどけたようにポーズを取る。

 

ブレインは呆気にとられた。

 

 

「……は? メイド? こんなところで何のごっこ遊びだ?」

 

 

状況が飲み込めない。

死体だらけの倉庫に、場違いなメイド服。

だが、その身体から発せられる圧は只者ではない。

 

 

「おい、嬢ちゃん。怪我したくなきゃ、そこを退きな。

 俺は女子供でも、敵なら容赦なく斬る主義でね」

 

 

ブレインが殺気を込めて威嚇する。

並の戦士なら、これだけで戦意喪失するはずだ。

 

だが、ルプスレギナは「ぷっ」と吹き出した。

 

 

「あはははは! 聞いたっすか?エンちゃん!

『容赦なく斬る』だって! 怖いっすね~、人間様は!」

 

「……生意気な」

 

 

ブレインの堪忍袋の緒が切れた。

一歩踏み込み、神速の抜刀術を繰り出す。

 

殺しはしない。手足の腱を斬って無力化する、手加減を含んだ一撃。

だが、速度は神速の名に恥じぬものだ。

人間には視認すらできない速度の刃が、メイドの細腕へと迫る。

 

――キィン。

 

硬質な音が響いた。

 

ブレインの刀が、止まっていた。

ルプスレギナが持つ錫杖の柄によって、軽々と受け止められていたのだ。

それも、彼女はよそ見をしながら。

 

 

「え?」

 

「遅いっすよ、お兄さん。止まって見えるぜっす笑」

 

 

ルプスレギナがキリッとしたブレインの表情を真似た後に、ぷぷーっと馬鹿にするように吹き出す。

 

その瞳には嗜虐的な色を帯びていた。

 

ブレインの背筋に悪寒が走った。

刀を通した感触が伝えてくる。

山を斬ったような、絶対的な質量の差。

 

この女、強い。

俺と同格か、それ以上――

 

否、認めない。認めてたまるか。

俺は王国戦士長を超える男だ。こんな、どこから湧いてきたかも分からん小娘ごときに!

 

 

「――武技、『神閃』!」

 

 

ブレインが吠える。

抜刀の硬直を無視し、さらに加速した二撃目を放つ。

今の俺にできる、最速の斬撃。

 

だが。

 

 

「だから、遅いって言ってるじゃないっすか~」

 

 

ルプスレギナは、あろうことか錫杖すら使わなかった。

ブレインの渾身の刃を、素手で――人差し指と親指で、つまんで止めていた。

 

 

「……は?」

 

「ん~、爪切りにもならないっすねえ、これ」

 

 

ルプスレギナが「んん~」などと言いながら指に力を入れる。

 

メキ、と音を立てて、鋼の刀身にヒビが入った。

 

 

「なっ……!?」

 

ブレインは慌てて刀を引く。

絶望が思考を塗りつぶす。

 

勝てない。これは、絶対に勝てない。

 

 

「流石に指の力だけじゃ折れなかったっすね~

 じゃあ、今度はこっちの番っすね!

 お返しに、その綺麗な顔を半分くらい潰してあげるっすよ!」

 

 

ルプスレギナが錫杖を振りかぶる。

 

その一撃は、明らかに人間を肉塊に変える威力を持っていた。

ブレインは動けない。

蛇に睨まれた蛙のように、体が竦んでしまっている。

 

死ぬ――そう直感した瞬間。

 

 

「――退がりなさい、ブレイン!!」

 

 

クレアの叫びと共に、横から銀色の閃光が走った。

 

クレアのスティレットによる刺突。

不意打ちではない。正面からの、純粋な速度による強襲。

 

それはブレインの武技をも上回る速度で、ルプスレギナの眉間へと迫る。

 

 

「おっと!」

 

 

ルプスレギナが初めて表情を変え、バックステップで錫杖を引いた。

わずかに遅れて、彼女の前髪が数本、ハラリと落ちた。

 

 

「……へえ。やるじゃないっすか」

 

 

ルプスレギナの目が、完全に獲物を見る猛獣のそれに変わる。

彼女は頬についたかすり傷を指で拭い、ニヤリと笑った。

 

 

「ただの鼠かと思ったら、結構イイ牙を持ってるっすね。

 可愛いお姉さん、名前は?」

 

「名乗るほどの者じゃないわ。ただの通りすがりよ」

 

 

クレアは構え直し、油断なく相手を見据える。

その横顔には、余裕はないが、恐怖もなかった。

 

彼女は知っているのだ。

目の前の怪物が、自分と殺し合える領域にいることを。

 

ブレインは、その光景に言葉を失っていた。

 

 

(嘘だろ……?)

 

 

自分の武技は、指先で止められた。

だが、クレアの剣は届いた。

 

強いことは知っていた。だが、ここまでか?

 

あのふざけたメイドもこの雇い主も。

俺が知らない領域で、平然と殺し合いを始めようとしている。

 

俺が一番、弱いのか――?

 

王国最強を目指した天才剣士としての矜持が崩れていく音がした。

 

 

「ぼさっとしてないで、ブレイン!もう一匹来るわよ!」

 

「あ?」

 

 

クレアの警告に、ブレインが反応するより早く。

背後の闇から、無数の蟲の羽音が響き渡った。

 

 

「あらぁ……。私のご飯は、どっちかしらぁ?」

 

 

和装のメイドが複眼のような仮面の下から涎を垂らすような声で囁いた。

彼女が袖口から何枚もの護符を放る。

 

それらは空中で人の腕ほどもある巨大な刃を備えた虫に変化し、ブレインへと殺到した。

 

 

「うおっ!?」

 

 

ブレインは慌てて罅の入った刀を振るう。

一匹、二匹と叩き落すが、蟲たちの甲殻は鋼鉄のように硬い。

斬るたびに手が痺れ、刀の状態が酷くなっていく。

 

 

「くそっ、なんだこの化け物どもは!」

 

「……チッ。一人は狼、もう一人は蟲使いか」

 

 

クレアが舌打ちをする。

 

状況は最悪だ。

こちらが暴力に訴えることを先読みされ、こちらを上回る戦力が配置されていた。

 

クレア一人なら逃げ切れるかもしれない。

だが、ショックで硬直しているブレインを抱えて逃げるのは、至難の業だ。

 

 

「ブレイン、聞きなさい。

 勝とうとするんじゃないわ。死なないように立ち回るのよ」

 

 

クレアが、ブレインの背中を叩く。

その手は、ルプスレギナの錫杖の一撃を警戒して小刻みに震えていたが、声だけは努めて冷静を保っていた。

 

 

「あんた、私の技を盗むんでしょう?

 だったら、こんなところで餌になってる場合じゃないわよ!」

 

 

その言葉に、ブレインの瞳に光が戻る。

 

そうだ。俺は、強くなるためにここにいる。

ガゼフを超えるために。

目の前の怪物は、絶望的なまでに高い、超えるべき壁だ。

 

ブレインは口元の血を拭い、罅割れた刀を構え直した。

恐怖で震える足を、意志の力で縫い止める。

 

 

「……違げえねえ。

 上等だ。稽古の相手にしちゃあ、少し荷が重いがな!」

 

 

「きゃはは! 元気っすねえ!

 じゃあ、第1ラウンド開始っすよ!」

 

 

ルプスレギナが地面を蹴った。

その速度は、先ほどまでと比べ一段速いものだった。

 

ブレインはその動きを見て、固めた意志がまたぐらつくのを感じた。

 

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