疾風走破と黄金姫   作:火屋

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第四話 蜘蛛と狼の遊戯

 

 

「そぉれ、まずは一発っ!」

 

 

ルプスレギナが、子供がボールを投げるような気軽さで錫杖を振るった。

 

だが、そこから生み出されたのは暴風だった。

 

巨大な鉄塊が空気を引き裂き、クレアの頭があった空間を通過する。

一拍遅れて発生した衝撃波が、背後の木箱を粉々に粉砕した。

木片が弾丸のように飛び散り、倉庫の壁に深々と突き刺さる。

 

 

「……ッ!」

 

 

クレアは息を呑む暇もなく、地を転がった。

回避ではない。ただ、風圧に弾き飛ばされただけだ。

直撃すれば、防御の上からでも内臓が破裂していただろう。

 

(速い……! それに、重すぎる!)

 

クレアは冷や汗を流しながら、即座に体勢を立て直す。

彼女は元漆黒聖典第九席だ。英雄領域の身体能力と、数多の修羅場を潜り抜けた経験がある。

だが、目の前のメイドは、その経験則が通用しない存在だった。

 

魔法職の気配を漂わせながら、やっていることは純粋な物理攻撃。

しかも、その身体能力は戦士職を遥かに凌駕している。

 

殴って、治せて、硬い。

持久戦になれば百パーセント負ける相手だ。

 

 

「あはは! 逃げ足だけは一丁前っすねえ!

 鬼ごっこは得意っすか?」

 

 

ルプスレギナが楽しげに笑い、地面を蹴る。

石畳が爆ぜ、赤い影が迫る。

クレアは武技『不落要塞』を発動し、スティレットで錫杖の軌道を逸らそうと試みるが、接触した瞬間に腕の骨がきしむ音がした。

 

(受け流せない!? なんだこの質量は!)

 

クレアは舌打ちし、バックステップで距離を取る。

まともに喰らえば戦闘不能になるだろう。

じとりと嫌な汗が背を伝うのを感じた。

 

一方、ブレイン・アングラウスもまた、悪夢の中にいた。

 

 

「硬ぇ……ッ!」

 

 

ブレインは歯を食いしばり、襲い来る巨大な虫を刀の腹で受け止める。

エントマが放った刃虫は、空飛ぶ短剣のようなものだ。

一匹一匹が、熟練の兵士が振るう剣と同等の威力と、鋼鉄以上の硬度を持っている。

 

ガギィッ! と嫌な音がして、刀の刃こぼれがまた一つ増えた。

 

 

「あらぁ、もうおしまい?

 私の可愛い子たち、まだお腹が空いてるみたいよぉ」

 

 

エントマが袖を振ると、さらに数枚の護符が舞い、新たな羽音が加わった。

四方八方からの包囲攻撃。

それは剣術でどうにかなる量ではない。物理的な飽和攻撃だ。

 

 

「くそっ……!」

 

 

ブレインは防戦一方だった。

斬れない。刃が通らないのだ。

無理に斬ろうとすれば、既にヒビが入った刀が砕け散る。

かといって、受け続ければジリ貧だ。

 

 

(どうする? どうすればいい?)

 

 

思考が加速する。

恐怖で視界が狭まる。

虫の複眼が、牙が、羽音が、ブレインの感覚を塗り潰していく。

 

その時、一際巨大な刃虫が、ブレインの首を狙って突進してきた。

ブレインは反射的に刀を合わせる。

合わせてしまった。

 

高い音が響き、ブレインの手には、軽くなった感触だけが残った。

 

宙を舞う銀色の破片。

刀身の半ばから、愛刀が砕け散っていた。

 

 

「あ……」

 

「あらぁ。折れちゃったぁ。じゃあ、もう終わりねぇ」

 

 

エントマがつまらなそうに呟く。

武器を失った剣士になど、用はないと言わんばかりに。

無防備になったブレインへ向けて、刃虫たちが一斉に牙を剥く。

 

死ぬ。このままでは、ただの肉塊になって食われる。

 

 

『勝とうとするんじゃないわ。死なないように立ち回るのよ』

 

 

死なないように。

そうだ。俺はまだ、何も成し遂げていない。

ガゼフを超えるどころか、こんな名もなき倉庫で、化け物の餌になってたまるか。

 

ブレインの呼吸が変わった。

 

恐怖で乱れていた呼吸が、深く、静かなものへとなり、腹の底に沈殿していく。

極限の集中力が、周囲の時間を泥のように遅く変える。

 

刀は折れた。

だが――「斬る」というイメージだけは、脳髄に焼き付いている。

 

今まで何万回と振るってきた刀だ。

長さ、重さ、空気抵抗。

たとえ現物がなくなろうと切っ先があるべき場所を知っている。

 

失われた刃を幻視しろ。

そこに「ある」と信じ込め。

俺の剣は鋼ごときに依存するほど柔なものだったか?

 

否。

 

ブレインは、折れた柄を構えた。

傍から見れば、届くはずのない虚空への素振り。

だが、彼の脳内では、かつてないほど鋭利で巨大な刃が形成されていた。

 

 

「――武技、『空斬』!」

 

 

ブレインが柄を一閃させた。

 

ヒュンッ!!

 

空気が裂ける音がした。

折れた切っ先の延長線上に、不可視の「風の刃」が発生する。

それは強烈な真空の断層となり、迫りくる刃虫を正面から両断した。

 

ズバンッ!!

 

緑色の体液が舞い、真っ二つになった蟲がブレインの左右へと落ちていく。

 

 

「……は?」

 

 

エントマが、ポカンと口を開けた。

複眼の仮面が、信じられないものを見るようにブレインへと向く。

 

 

「な、なに今のぉ? 剣がないのに、斬れたぁ?」

 

「……はぁ、はぁ……」

 

 

ブレインは脂汗に塗れながら、折れた柄を構え続けた。

偶然だ。土壇場の火事場の馬鹿力。

もう二度は撃てないかもしれない奇跡の一撃。

だが、その一撃は確実に英雄の領域に達していた。

 

 

「へっ……見たかよ、化け物。

 俺の剣は、折れてからが本番なんだよ」

 

 

その虚勢が、エントマの警戒心を強めた。

 

未知の技への警戒。

そのわずかな膠着状態こそが、クレアが待っていた隙だった。

 

 

「ブレイン! 伏せなさい!!」

 

 

クレアの叫びが、倉庫に響き渡った。

 

ブレインは理由も分からず、即座に床へと身を投げた。

 

 

「え?」

 

 

エントマとルプスレギナが、同時にクレアを見た。

 

クレアは倉庫の隅――小麦粉や、揮発性の薬品が入った樽が積まれたエリアに立っていた。

彼女は先ほどから逃げ回っていたわけではない。

ルプスレギナの攻撃を誘導し、彼女の暴風で荷を破壊させ、中身を撒き散らさせていたのだ。

 

宙には、小麦粉と可燃性の粉塵が、白煙となって充満しつつあった。

そこに、クレアが手にした小さな火種――火を起こす生活魔法のスクロールが光る。

 

 

「遊んでくれてありがと。

 お礼に、とびっきりの花火を見せてあげる」

 

 

散った火花が、白煙に触れる。

 

刹那。

 

爆音が、鼓膜を叩き潰した。粉塵爆発。

閉鎖空間に充満した可燃性粉塵への引火は、爆弾など比較にならない熱量と爆風を生み出す。

 

倉庫内が、紅蓮の炎に包まれた。

爆風が天井を吹き飛ばし、積み上げられた木箱が崩落する。

 

エントマの悲鳴が上がる。

蟲使いである彼女にとって、炎は天敵だろう。

 

彼女は顔を覆い、護符を守るように縮こまって後退する。

 

 

「うわ、あっつ! こりゃ派手な花火っすねえ!」

 

 

ルプスレギナは炎の中でも平然としていたが、爆風で巻き上がった煙と炎で視界を奪われていた。

再生能力を持つ彼女でも、視界ゼロの爆炎の中では即座に獲物を補足できない。

 

 

「今よ!」

 

 

クレアが炎の中から飛び出してきた。

彼女は床に伏せていたブレインの襟首を掴むと、爆風で吹き飛んだ壁の大穴へと全力で疾走した。

 

 

「げほっ、ごほっ……! おい、何しやがった!」

 

「説明はあと! 走れ!」

 

 

二人は黒煙を突き破り、夜の冷気の中へと躍り出た。

眼下には、市場の汚水を流すドブ川が流れている。

黒く濁った、ヘドロの臭いがする川だ。

 

 

「飛び込むわよ!」

 

「はあ!? ふざけんな、あんな汚え……」

 

「死ぬのとどっちがいいの!

臭いを消すのよ! あの狼女に追跡されたら終わりよ!」

 

 

クレアは問答無用でブレインを蹴り落とし、自らも鼻をつまんで暗い水面へとダイブした。

 

バシャン、と大きな水音がして、二人の気配は濁流の中へと消えた。

冷たい汚水が口に入り込み、吐き気を催すが、今はそれどころではない。

水底を這うようにして、二人は下流へと流されていく。

 

 

 

 

燃え盛る倉庫の前。

消防の鐘が鳴り響く中、二人のメイドが並んで立っていた。

 

エントマは焦げた着物の袖を見て、不機嫌そうに唸っている。

彼女の周りでは、数匹の虫が黒焦げになって落ちていた。

 

 

「……あつい。あついのは嫌い。

あいつら、許さないぃ。絶対食べるぅ……」

 

「あはは、災難だったっすねえ、エンちゃん」

 

 

ルプスレギナは、煤けた顔を拭おうともせず、ニヤニヤと笑いながらドブ川の方角を見つめていた。

その瞳は、逃げ延びた獲物への称賛と、さらなる加虐心で輝いている。

 

 

「追いかけます? 今ならまだ、臭いを辿れるっすよ」

 

 

狼の嗅覚を使えば、ドブ川に逃げた程度では誤魔化せない。

本気で追えば、数分で首を狩れるだろう。

 

だが、エントマは首を振った。

 

 

「……ううん。デミウルゴス様が『深追いは無用』ってぇ。

それに、お洋服が焦げちゃったから、着替えないとぉ」

 

「ちぇっ、残念っす。

 ま、今日はもうお腹いっぱいっすかね」

 

 

ルプスレギナは錫杖を担ぎ直し、炎上する倉庫を背にして歩き出した。

その背中には、一切のダメージが見られない。

あれだけの爆発を受けても、彼女たちにとっては「少し熱かった」程度のことなのだ。

 

 

「まあ、逃げた先も地獄っすからねえ」

 

 

ルプスレギナの愉悦に満ちた呟きが、夜風に溶けた。

 

彼女たちは知っている。

この街全体が、既にナザリックという巨大な蜘蛛の巣の中であることを。

巣から落ちた獲物が、次にどこへ向かうのかを。

 

人間が必死に足掻く様を、特等席で楽しむ。

それが、勝者の特権なのだから。

 




絶対にオタクが書いてみたいものランキング第一位、『粉塵爆発』(一生チャンスがこなそうなので書いちゃった)
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