疾風走破と黄金姫   作:火屋

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第五話 泥濘と黄金

 

夜が明ける頃、クレアとブレインは王都の地下水路の奥にある隠れ家に身を潜めていた。

かつて、ズーラーノーンや裏社会の人間が逃走経路として使っていた場所だ。

 

汚水の臭いが充満する石造りの小部屋。

壁には緑色の苔がびっしりと張り付き、足元をネズミが走り抜ける。

聖女が身を置くには、あまりに惨めな場所だった。

 

そんな中、ブレイン・アングラウスは拾った木の枝を、無心で振っていた。

 

 

「……ふっ」

 

 

鋭い呼気と共に、枝が空を切る。

ヒュッ、という風切り音ではない。

もっと重く、粘り気のある何かが、空気を裂くような音。

 

愛刀は砕かれ、無様に敗走した。

以前までの自身なら心が折れてもおかしくない状況だ。

 

だが、ブレインの目は死んでいなかった。

むしろ、憑き物が落ちたように澄んでいる。

その瞳は、虚空にある見えない標的を正確に捉えていた。

 

 

「……斬れたな」

 

「何がよ。そんな木の枝で」

 

 

濡れた髪を拭きながら、クレアが不機嫌そうに吐き捨てる。

 

あのメイドたちは異常だった。

物理法則を無視した怪力。それでいて、いずれも戦士職に特化している訳ではなかった。

 

そして何より、人を殺すことに何の感情も抱かない、絶対的な捕食者の眼。

あれは並大抵の人間がどうこうできる相手ではない。

 

だというのに、隣の男は正気か狂気か、ニヤリと笑った。

 

 

「ああ、枝だ。ただの棒切れだ。

 だがな、クレア。俺は覚えてるんだよ。

 刀の重さ、長さ、切っ先が空気に触れる抵抗……その全てが、脳味噌に焼き付いてる」

 

 

ブレインは枝を構え直す。

その構えは、刀を持っている時よりもなお、鋭利な気配を漂わせていた。

 

 

「刃があるから斬れるんじゃない。

『斬る』という現象を、俺がこの手で生み出すんだ。

 ……あの蟲を両断した時の感触。確かに領域が拡張されるのを感じたんだ」

 

 

彼は自分の世界に入っていた。

領域のさらに先。物理的な刃に依存せず、自己の認識と技術だけで事象を確定させる境地。

 

帝国の闘技場には空間すら斬る剣士がいると噂に聞いたことがある。

 

敗北と喪失が、皮肉にもこの天才を新たな高みへと押し上げ、高揚感を与えていた。

 

だが、クレアはこの八方塞がりな状況に絶望を感じていた。

 

 

「……勝てないわよ」

 

 

クレアは膝を抱え、汚れた壁に背中を預けた。

 

 

「あんたがどれだけ強くなろうと、個人の武力じゃ限界がある。

 しかもその個人の武力ですら勝ち目はないじゃない。

 魔法職のくせに前衛より硬いし、殴りながら回復するし、爆発してもピンピンしてる。

 どうせ、あんなのが軍隊みたいに控えてるのよ?

 どうやって勝てばいいのよ!」

 

 

脱出に成功し、プレアデス商会の在庫を焼き払うことはできたが、薬草を手に入れられた訳ではない。

 

強奪した薬草で、ラナーが王都から手を回してくれるまでの時間を無理矢理稼ぐのはもう難しくなってしまった。

 

プレアデス商会の独占は、買い取り価格もさることながら、能力の高い従業員と魔道具により効率化された鑑定により着々と進んでいる。

 

今はリィジー薬品店の伝手で蓄えた最低限の在庫があるが、供給は間に合っておらず、すぐに在庫は尽きてしまうだろう。

 

そうなれば、施療所は回らなくなり、かの商会に屈する以外の方法はない。

 

さらに、ここに来てラナーに虚偽の申告をしていることもクレアを苛んでいた。

 

この余裕のない状況でラナーからの信頼を失う可能性を自ら招いてしまっている。

自身の感情に偽りなく従った結果ではあるのだが。

 

先行きの不安から考えも纏まらない。

 

 

「……戻るぞ、クレア」

 

 

不意に、ブレインが枝を捨てて立ち上がった。

 

 

「逃げてても始まらねえ。それに、腹が減った」

 

「あんた、この状況でよく食欲なんて……」

 

「まあ、生きてるからな。

 それに俺たちの雇い主はこれで終わるようなタマじゃねえだろ」

 

 

確かにラナーならば、この絶望的な盤面すらも想定内として、次の一手を打っているかもしれない。

 

微かな希望と不安。

 

しかしもう、ラナーの一手に縋るしかない。

 

相反する感情を抱きながら二人は地上へ向かって動き出した。

 

 

 

 

施療所にたどり着き、クレアとブレインは顔を見合わせていた。

 

一台の馬車が止まっている。

 

地味な見た目に隠蔽されているが、足まわりの作りの良さは隠しきれていない。

 

クレアの心臓が早鐘を打つ。

 

 

「……もう来てる」

 

 

大きく息を吸い、覚悟を決めて、裏口から執務室に入る。

 

優雅に紅茶を啜るラナー王女の姿。

傍らにはサンドラとンフィーレアが控えている。

 

ンフィーレアの顔色は悪いが、その瞳には何かを決意したような、暗く強い光が宿っていた。

 

 

「おかえりなさい、クレア。それにブレインさんも。

 随分と泥んこ遊びが激しかったようですね」

 

 

ラナーは微笑んだ。

怒声も、叱責もない。ただ、労うような優しい声色。

 

それが逆に、クレアの背筋を凍らせる。

昨夜の独断専行――倉庫の焼き討ちは、下手をすれば王都への反逆と取られかねない行為だ。

 

 

「……申し訳ありません、独断で敵の倉庫を焼き払いました。ですが、あれ以外に逃げる手がなく……」

 

「良い判断でしたよ。

 おかげで、彼らの在庫が減りました。交渉の材料になります」

 

 

ラナーはカップを置くと、一枚の羊皮紙をクレアに差し出した。

豪奢な封筒に入った、最高級の羊皮紙だ。

 

差出人の欄には、優美な筆記体で『プレアデス商会 会頭 ソリュシャン・イプシロン』とある。

 

 

「今朝、届いたものです。読んでみなさい」

 

 

クレアは泥で汚れた手を拭ってから、それを受け取った。

そこに書かれていたのは、降伏勧告ですらない。

一方的な通告だった。

 

『一. 王都直轄施療所における医薬品納入を、当商会が独占的に行うこと』

 

『二. 安定供給の対価として、国庫より月額金貨五千枚を支払うこと』

 

『三. ンフィーレア・バレアレ氏とリィジー・バレアレ氏を、当商会の技術最高顧問として招聘すること』

 

 

「な……っ!?」

 

 

クレアは絶句した。

無茶苦茶だ。

完全に一つの商会の範囲を逸脱した、公共事業に対する略奪宣言だ。

しかも、ンフィーレアの身柄要求まで含まれている。

 

 

「……断れば、どうなりますか」

 

「物流は既に彼らが握っています。契約を拒めば、施療所への供給は完全に止まるでしょう。

 そうなれば暴動が起き、私は管理責任を問われて失脚。施療所は閉鎖。

 ……その後、彼らが『救世主』としてこの街の医療を牛耳る未来が見えますね」

 

 

ラナーは淡々と未来を語る。

 

 

「どうすれば……」

 

「クレア。貴女は彼らの正体に気づいていますか?」

 

「……帝国の回し者か、あるいはスレイン法国の特殊部隊……にしては不審な点はありますが、

 国家規模の背景がないと説明がつかないと思っています」

 

 

ラナーは静かに口を開いた。

 

 

「貴女にも共有しておきましょう。

……以前、私が王都の物流帳簿を確認していた際、奇妙な点を見つけました。

 巧妙に隠されていましたが、市場が操作されている。

 それは、私のような人間にだけ届くように設計された、高度な暗号でした」

 

 

ラナーは虚空を見つめるように語る。

 

 

「私がそれを解読すると現れたのです。

 ……私と同等か、それ以上の知性を持った、人ならざる者が」

 

 

クレアは息を呑んだ。

あのラナーが、同等かそれ以上と認める知性。

それは、昨夜出会った怪物たちよりも、遥かに恐ろしい事実に思えた。

 

 

「おいおい、冗談だろ?」

 

 

ブレインが乾いた笑い声を上げる。

 

 

「俺たちが喧嘩売ってたのは、姫様と同レベルの頭脳を持った化物の身内だってのか?

 そりゃ勝てるわけがねえだろ」

 

「ええ。彼らの計画は"完璧"です。

 このエ・ランテルを支配し、効率的に搾取するための仕組み……それには、一点の曇りもありません」

 

 

ラナーは立ち上がり、ソリュシャンからの手紙を指先で弾いた。

 

 

「ですが……計画は完璧でも、それを実行している現場の運用は少し雑ですね」

 

「雑……?」

 

「ええ。彼女たちは優秀ですが、融通が利かない。

 指示通りに独占し、公金を求めてきました。

 ……彼なら、もっと上手く隠すでしょう。

 彼女たちは人間の浅ましさという不確定要素を計算に入れていません」

 

 

ラナーは楽しそうに笑った。

 

その笑顔は、昨夜見たルプスレギナやエントマの捕食者の笑みよりも、遥かに底知れない凄みがあった。

 

それは、純粋な知的好奇心と、相手のミスを咎める教師のような冷徹さが混じり合った表情だ。

 

 

「彼らは『商会』という形をとって現れました。

 つまり、この国の『商売のルール』という土俵に乗ってくれたのです」

 

 

ラナーはクレアの手を取り、別の羊皮紙を握らせた。

そこには、新しい法令の草案が記されていた。

『王都直轄施療所における医薬品安全管理条例』。

 

 

「彼らの弱点は二つ。

 一つは、資金力に任せて、『際限なく買い取る』という指示書通りの行動。

 もう一つは、自分たちの商品の『品質に対する絶対的な自信』です」

 

「さらに、私が既にこの都市に動いていたのも大きな誤算でしょう。

 この展開を正確に読んでいた訳ではありませんでしたが。

 不確定な現象が現れつつある、この場所が何かの焦点になるのではないか?という"勘"をあなたのように働かせてみたのです」

 

 

ラナーはウインクしてみせた。

 

この化物はここに来て論理以上の直感や感情を手に入れているのかもしれない。

まるで人間のような、この美しすぎる仕草に、クレアは呆然とする以外の反応ができなかった。

 

 

「さあ、始めましょうか。

 悪魔からのお手紙に、私なりのお返しをしてあげないと失礼ですからね!」

 

 




しばらくぶりの連載にもかかわらず、感想でみなさんがワイワイしてくれて嬉しいです!!
口を滑らせたり、可能性を狭めちゃったりするのが怖くてお返事は出来ていませんがとても元気を貰ってます~
この章も折り返しなので最後まで頑張ります!
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