疾風走破と黄金姫   作:火屋

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第六話 悪貨は良貨を駆逐する

 

施療所に用意された急拵えの調合室。

 

作業台の上には、乾燥した一株の草が置かれている。

淡い青色に発光する葉。

一見すれば、最高級のポーション素材として知られる『月光草』そのものだ。

 

だが、それを前にしたンフィーレア・バレアレの表情は蒼白だった。

彼は震える指先で、その葉に触れた。

 

 

「……ンフィーレアさん。説明を」

 

 

ラナーの鈴を転がすような声が、地下室の冷気を震わせる。

 

彼女は椅子に優雅に腰掛け、まるで宝石でも鑑定するようにその草を見つめていた。

 

背後には腕組みをして眉を顰めるクレアと、興味なさそうに壁に寄りかかるブレイン。

 

ンフィーレアは喉を鳴らし、絞り出すように口を開いた。

 

 

「は、はい……。

 これは『偽月光草』……通称『愚者のランプ』と呼ばれる植物です。

 かつて僕がトブの大森林で薬草採取をしていた際、研究用に少しだけ持ち帰っていた標本です」

 

「研究用?」

 

「はい。見た目も、微弱な魔力反応も、本物の月光草とほとんど区別がつきません。

 ですが、薬効はゼロ。それどころか……」

 

「それどころか?」

 

「……ポーションの触媒と反応すると、急激な反応を引き起こします。

 鍋の中身を一瞬でただの『濁った泥水』に変えてしまう。

 毒性はありませんが、薬としての価値を完全に殺す……いわば、ポーション殺しの雑草です」

 

 

ンフィーレアは拳を握りしめた。

薬師として、人を癒すための技術を研鑽してきた彼にとって、この草は忌むべき存在だ。

 

ましてや、それを意図的に流通させるなど、神への冒涜に等しい。

 

祖母リィジーが知れば、激怒して彼を勘当するだろう。

 

だが、彼は知っている。

そうでもしなければ、この都市の経済を簒奪しようとするプレアデス商会には勝てないことを。

 

自分と、祖母と、そして愛するエンリを守るためには、魂を売るしかないのだ。

 

 

「素晴らしいですね」

 

 

ラナーはうっとりと瞳を細めた。

 

それは、新しい玩具を与えられた少女の顔であり、同時に獲物の急所を見つけた捕食者の顔でもあった。

 

 

「人体に害を与えず、しかし、商品価値だけを無くす。

 これは計画にうってつけですね」

 

 

人体に害がなくても、ポーションが必要な場面で機能しないことは人命に関わる大問題なのだ。

 

ンフィーレアは何故この姫がこんなにも嬉しそうなのか、全く理解できなかった。

 

 

「本物の月光草と見分けるのはどの程度の難しさなのですか?」

 

「熟練の薬師が葉脈をつぶさに観察すれば見分けられますが、

 鑑定の魔道具などでは、『月光草の亜種』と鑑定されることが多いです。

 魔力に頼った判定が難しいのが厄介なところなんです」

 

「では、この草の自生地は?」

 

 

ンフィーレアは一瞬、口ごもる。

躊躇いがあるのだろう。

 

 

「ンフィーレアさん?」

 

 

悪魔に見つめられている。

彼女が慈愛に満ちた表情を浮かべる。

 

 

「あなたが危惧している状況にはなりませんよ?」

 

 

本当だろうか。まだ計画の詳細はわからない。

 

今、自分の直感が信じられないと言っているこの姫は民のための政策をいくつも生み出している黄金姫なのである。

最終的な結果としては今回も民のためになるのかもしれない。

 

しかし、そうだったとしても、薬師としてはやはり踏み越えてはいけない一線に思える。

 

 

「自生地は……」

 

 

クレアさんも僕を見つめている。

 

 

「……」

 

 

ンフィーレアは周りを見渡し、もう一度考え始めた。

 

これを流通させる決断を祖母は死んでもしないだろう。

そして、その祖母の教えを守り、薬師として育った自分もこの選択を否定するべきだと思っている。

 

そうだったとして、この状況まで来てしまってからやっぱり言えませんというのは許されないこともわかる。

 

あくまで、自分に利用価値があり、自発的に協力して貰った方が()()()()()()であるが、人を従わせる手段は無数にある。

 

早い話、自分の場合、人質を取られた場合には抗えないだろう。

 

その事実に思い至ったとき、職業的な倫理というのはこの程度であったのかと自身を形作る何かが壊れた音がした。

 

人は自身の願いを優先する。

 

「仕方なかった」と言いつつ、自身の利益のための行動を、言い訳しながらやっていく。

 

技術を持っているだけでは、大きな流れには逆らえないのだ。

 

 

「……トブの大森林の奥地です。

 リザードマンたちの住む湖があり、そこから遠くない位置にあります。

 迷ったときに偶然、群生地を見つけましたが、普通は危険なため近づかない区域です」

 

 

ラナーは笑みを深くする。

 

 

「そうですか。

 世の中には『金のためなら命を懸ける』人々が沢山いますからね。

 ……ブレインさん?」

 

 

ラナーが、壁際で少年の葛藤を静かに見ていた男に声をかける。

 

 

「貴方の出番ですよ。

 街で燻っている元気な方々を少し遠足に誘ってあげてください」

 

 

ブレインは腰の空っぽの鞘をさわり、ラナーの方を見た。

 

 

「わかった。ゴロツキどもに声をかける」

 

 

施療所から静かに出て行く男を見て、少年はこの決断が多くの人々のためになることを祈るのだった。

 

 

 

 

エ・ランテルの場末にある酒場。

昼間から安酒をあおるゴロツキや、仕事にあぶれた傭兵崩れが集まるその場所に、ブレイン・アングラウスは足を踏み入れた。

 

ざわめきが少しだけ遠のく。

 

かつて王国の御前試合で名を馳せた天才剣士。

落ちぶれたというよりか、身なりには無頓着な風体だが、その身から発せられる剣気は、素人目にもヤバいと分かる。

 

 

「おいおい、誰かと思えばブレイン・アングラウスじゃねえか」

 

「刀も持ってねえで、何の用だ?」

 

 

絡んでくる男たちを、ブレインは一瞥もせずにテーブルの中央へ歩み寄ると、懐から『偽月光草』の束を放り投げた。

 

バサリ、と乾いた音がする。

青白く光るその草を見て、酒場の空気が変わった。

 

 

「おい、こいつは……月光草か!?」

 

「すげえ量だぞ! これだけで金貨何枚になるんだ!?」

 

 

男たちの目が金貨の色に染まる。

 

今、プレアデス商会がポーションの原料になる『月光草』を高値で買い取っていることは周知の事実だ。

 

これだけの量があれば、遊んで暮らせる金になる。

 

 

「トブの大森林だ」

 

 

ブレインが短く告げた。

 

 

「森の深いところに、これが雑草みてえに生えてる群生地を見つけた。

 俺一人じゃ運びきれねえ。

 ……手伝えば、山分けにしてやるよ」

 

 

その言葉に、男たちが顔を見合わせる。

 

トブの大森林の奥地。それはこの辺の冒険者にとっては死地を意味する言葉だ。

 

 

「だ、だけどよぉ、あそこは魔物が……」

 

「ビビってんのか? あの商会は無尽蔵の金持ちだ。

 俺たちが持ち込んだらその分だけ買い取ってくれるぜ」

 

 

ブレインは挑発的に笑い、男たちの顔を順に睨みつけた。

 

 

「それに、俺も居るんだぜ?」

 

 

刀はない。だが、その眼光だけで、宝の山で危機感が麻痺した彼らを支配するには十分だった。

 

かつてガゼフ・ストロノーフと並び称された男の圧力。それが、ゴロツキたちの背中を強引に押す。

 

 

「一生コソ泥で終わるか、命がけで一生分稼ぐか。

 選べよ。俺は先に行くぜ」

 

 

ブレインが背を向けて歩き出すと、ガタガタと椅子を蹴る音が響いた。

 

 

「ま、待てよ! 俺も行く!」

 

「俺もだ! へへっ、ちょろい商売だぜ!」

 

 

欲望の導火線に火がついた。

ゴロツキたちは武器を手に取り、ブレインの後ろに続く。

 

ブレインは背後で膨れ上がる欲望の気配を感じながら、冷たく笑った。

 

 

 

 

数日後。

エ・ランテルの中央広場に面したプレアデス商会の買取窓口は、かつてない狂騒に包まれていた。

 

森から帰還した男たち――衣服はボロボロで、何人かは戻らなかったが――は、袋いっぱいに詰め込んだ『月光草』を窓口に叩きつけた。

 

 

「おい! 買い取れ! 月光草だ!」

 

「トブの大森林から採ってきた特上品だぞ!」

 

 

従業員たちは彼らを一瞥し、魔道具にかざした。

 

 

「確かに魔力反応があり、月光草の亜種と出ていますね。

 この量なら……はい、金貨、三百枚です」

 

「う、うおおおおおおおおっ!!」

 

 

歓喜の絶叫が広場に響く。

 

本当に売れた。家が建つほどの金に変わった。

その光景を見て、他の市民たちの目にも狂気の色が宿る。

 

 

『森へ行け!』

 

『草をむしってこい!』

 

 

噂は瞬く間に伝播した。

プレアデス商会は、際限なく薬草を金に変えてくれる魔法の箱だと。

 

欲望に駆られた群衆が持ち込むのは、まさに玉石混交の素材になるだろう。

 

正規の薬草の束の中に『偽月光草』が混ぜ込まれていくことになる。

 

物陰からその様子を見ていたクレアは、背筋に冷たいものが走るのを感じた。

 

 

「……えげつないわね」

 

 

隣に立つブレインが、呆れたように呟く。

 

彼の足元には泥がついたブーツ。森での案内役を終え、涼しい顔で戻ってきたばかりだ。

 

 

「斬り合いのほうがまだマシだぜ。

 あいつら、自分たちがゴミを取ってきたことも気づいてねぇ。

 むこうもゴミを買わされてることに気づいてねえ」

 

「ええ。やっぱり薬師としての技能はなくて、魔道具頼みの処理をしているだけだったわね。

 そして、その処理能力が高すぎるからこそ、毒が回るのも速い」

 

 

商会の倉庫へと、次々に木箱が運び込まれていく。

 

その中には、ンフィーレアの知識と、ブレインの扇動によって集められた毒が眠っている。

 

一度混ざってしまえば、もう取り返しはつかない。

どれが本物で、どれが偽物か。

 

それを見分けるには、全ての葉を一枚一枚、ンフィーレア並みの鑑定眼でチェックし直す必要がある。

それはもはや、物理的に不可能な作業量だ。

 

ラナーは、秩序を崩さないままに毒を注入することに成功した。

 

 

 

 

プレアデス商会、支店長室。

 

豪奢な執務机で、ソリュシャン・イプシロンは優雅に紅茶を傾けていた。

傍らのエントマが、何かをカリカリと齧りながら報告書を読み上げる。

 

 

「すごいわぁ。今日の買取量、昨日の十倍だってぇ」

 

「ええ、順調ですね。

 施療所への供給ルートは完全に断ちました。

 農民も、冒険者も、もはや我々以外には卸さないでしょう」

 

 

ソリュシャンは満足げに微笑んだ。

作戦は完璧に進行している。

 

資金に糸目をつけず、市場の素材を根こそぎ吸い上げる。

生産拠点を抑えてしまえば、あとは施療所が干上がるのを待つだけだ。

 

人間たちが持ち込んでくる素材の質に、多少のばらつきがあることは把握している。

 

森から採ってきたという泥だらけの草。下処理もされていない根。

 

だが、ナザリックの技術力をもってすれば、多少の不純物など精製過程で除去できる――そう高を括っていた。

 

所詮は人間レベルのゴミだ。我々のシステムに影響を与えるほどのものではない。

 

 

「そろそろ、あの生意気な聖女様も泣きついてくる頃かしらぁ?」

 

「焦る必要はないわ。

 あと数日もすれば、施療所の在庫は尽きる。

 そうすれば、市民が勝手に彼女を吊るし上げてくれるでしょう」

 

 

ソリュシャンは窓の外を見下ろした。

眼下には、商会を称賛し、我先にと素材を持ち込む市民の姿。

そして、金貨を得て歓喜する浅ましい顔。

 

そう、人間などは全ては御方の掌の上なのだ。

 

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