疾風走破と黄金姫   作:火屋

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第七話 悪貨は黄金に駆逐される

 

深夜のエ・ランテル。

 

 

「プレアデス商会は十分に偽物を買い込んだわ」

 

 

執務机の前で、クレアは重い息を吐きながら報告した。

彼女の顔には疲労の色が濃い。

 

 

「……で? これからどうするの?」

 

 

クレアの懸念はもっともだった。

商会の技術力が実際どの程度のものかわからない。

 

偽月光草が混入していようと、彼らが持つ未知の錬金術なら、不純物だけを除去してポーションを作ってしまうかもしれない。

 

 

「焦ってはいけませんわ、クレア」

 

 

ラナー王女は、優雅に紅茶のカップを傾けた。

その瞳は、窓の外の倉庫ではなく、手元の羊皮紙に向けられている。

 

 

「今のままでは、偽月光草のことを指摘しても、その分を廃棄するだけで終わってしまうでしょう」

 

「じゃあ、どうするのよ。これだけ苦労して……」

 

「単なる異物混入で終わらせない仕組みを作ります」

 

 

ラナーは微笑み、羽ペンをインク壺に浸した。

 

 

「彼らは『商会』という形を取りました。

 つまり、この都市の『商売のルール』に従う義務がある。

 ……ルールがないなら、作ればいいのです。

 彼らが息をすることすら違法になるような、素敵なルールをね」

 

 

 

 

一時間後。

執務室には、ラナーによって呼び出されたエ・ランテル市の法務官僚が青ざめた顔で座っていた。

彼は震える手で、ラナーが口述する条文を書き取っている。

 

王国の法律を変えるには、王都での審議と国王の裁可が必要だ。それには数ヶ月を要する。

 

だが、一都市の条例ならば話は別だ。

市長と、地域の有力者たちの承認さえあれば良い。

 

ラナーが作ろうとしているのは、『エ・ランテル都市内医薬品安全管理条例』というものだった。

 

名目は、市民の健康を守るための安全基準。

だがその実態は、プレアデス商会を標的とした鋭利な刃だ。

 

「――第一条。

 『市内において流通、販売される全ての医薬品及びその素材は、指定された様式による生産履歴の証明を義務付ける』」

 

 

ラナーの声が響く。

 

 

「『証明なき素材の使用は、その品質の如何を問わず、これを禁ずる』。

 ……書き留めましたか?」

 

「は、はい、ラナー様。しかし……」

 

 

官僚が脂汗を拭いながら口を挟む。

 

 

「生産履歴の証明など、既存の薬師ギルドでもやっていません。

 採取した場所や日時を全て記録しろなどと……そんなことをすれば、流通が止まってしまいます」

 

「構いません。

 既存のギルドには、後で過去数年の取引履歴を審査の後に『包括的な認可証』を出します。

 彼らには、長年この都市に貢献してきた信用がありますから、形式的な審査とはなるでしょう。

 この条文の標的はあくまで、今回のような外部からの干渉です」

 

 

ラナーは続ける。

 

 

「今回の件を真似て、他国の干渉があっても困ります。

 この条例を元に調整し、さらに強固かつ柔軟なものを王国法として整備する計画も控えておりますので」

 

 

プレアデス商会の在庫は、周辺国からの回収品、略奪品に近い備蓄、そして今回ゴロツキたちから買い集めたものなどが混在している。

「誰が、いつ、どこで作ったか」という書類など、一枚も存在しないだろう。

 

この第一条だけで、彼らの在庫は"不審物"へと変わる。

 

 

「次、第二条。これが心臓部です。

 『抜き取り検査において、規定外の物が検出された場合、市民への健康被害を未然に防ぐため、当該組織の一切の流通を禁ずる。解除には追加検査の合格と都市長の許可を要する。なお検査は指定監査機関が執り行う』」

 

「……一切の、つまり全てですか!? 当該の品の廃棄ではなく?」

 

「ええ。命を扱う商売なのですから、当然でしょう?

 一つでも誤りがあれば、組織としての管理能力がないとみなします。

 徹底的な品質管理を標榜する彼らへの、私からの敬意です」

 

クレアは背筋が凍るのを感じた。

それは、ブレインたちが混ぜ込んだ『偽月光草』が一本でも見つかれば、店ごと潰せるということだ。

 

「不良品だけ捨てて営業再開」という逃げ道が防げる。

 

また、現状『指定監査機関』となりうるのは、施療所か薬師ギルドくらいしかないだろう。

 

いずれにせよ、抱き込んでいるンフィーレアが実施することにできる。

 

 

「そして第三条。

 『本条例に基づく安全性の立証責任は、行政ではなく事業者が負うものとする』」

 

「……悪魔だわ」

 

クレアは思わず呟いた。

 

通常、違法性を証明するのは取り締まる側の役目だ。

 

だが、この条文はそれを逆転させる。

「お前たちが潔白であるという証拠を出せ。出せないなら黒だ」と突きつけるのだ。

 

ラナーは書きあがった羊皮紙を手に取り、満足げに頷いた。

 

「論理的で、隙がなく、とても美しいものに仕上がりましたね!気に入ってくれるでしょうか?」

 

それは法律という名の、回避不能な即死魔法だった。

 

 

 

 

日付が変わる頃。

エ・ランテル市長公邸の応接室は、重苦しい空気に支配されていた。

 

深夜に叩き起こされたパナソレイ市長は、寝間着の上にガウンを羽織り、落ち着きなくソファで体を揺すっていた。

 

その周囲には、都市の有力な商人たちや、地方貴族が顔を揃えている。

皆、眠い目をこすりながらも、その表情には不安と、隠しきれない欲望が同居していた。

 

彼らの視線の先には、黄金の姫がいる。

 

 

「……ラナー様。

 お言葉ですが、あまりに急すぎます。

 プレアデス商会に対するこのような過激な条例……彼らを刺激すれば、どのような報復があるか」

 

 

パナソレイ市長が、ハンカチで額の汗を拭いながら抗議する。

 

背後に何が控えているかもわからない商会を刺激したくない。当然の主張である。

 

だが、ラナーは市長の恐怖など計算済みだった。

 

 

「市長。貴方は勘違いをしていますね」

 

 

ラナーはにこりと笑って告げた。

 

 

「私は彼らを攻撃しようとしているのではありません。名誉を守ろうとしているのです」

 

「は……名誉、ですか?」

 

「ええ。

 私の調査によれば、あの商会の倉庫には不純物が大量に混入しています。

 もし、このまま販売を続けさせ、市民に被害が出たらどうなりますか?」

 

 

ラナーは声の高さを変えて続ける。

 

 

「せっかく資金力があり、意欲的な商会がわざわざこの都市を訪れ、盛り立てようとしてくれているのです。

 少したちの悪い商売もしていますが、かの商会が農民や冒険者等を潤しているのも事実でしょう?」

 

「それはそうだね……」

 

「その商会が信用を失わないように、こちらが守ってあげなくてはなりません」

 

「……」

 

「それに、健康被害や救命の現場で被害が出たら、その状況を黙認し、

 管理を怠ったり流通を許した都市に罪はないんでしょうか……?

 わたくし、王都で悩むことになるかもしれませんわ」

 

「ヒッ……!」

 

 

パナソレイの顔色が土色に変わる。

無能ではないが保守的な都市長を動かすにはこれくらいの圧力が必要だろう。

 

 

「殿下!それは流石に困ります!!」

 

「ええ、ですから『知ってしまった』今、動くのです。

 この条例を発令し、彼らの杜撰な管理を正す。

 それは、国王陛下に対する忠誠の証になりますよ?」

 

パナソレイは反論の言葉が探せなかったようだ。

 

鞭の後には飴だ。

ラナーは視線を、周囲の商人たちへと向けた。

 

 

「それに……彼らはあれほどの資金力があります。

 もし違反が確定すれば、その資産から莫大な違約金を支払わせることも可能でしょう。

 ……エ・ランテルの財政は、一気に潤うでしょうね」

 

 

ゴクリ、と誰かが喉を鳴らす音が聞こえた。

 

商売敵に客を奪われ、憎しみを募らせていた商人たち。

彼らの目に、どす黒い光が宿る。

 

 

「……ラナー様のおっしゃる通りだ!」

 

 

一人の商人が声を上げた。

かつて施療所に薬草を卸していた、大手の仲買人だ。

 

 

「あいつらは商売の仁義を知らねえ! 市場を荒らしやがって!

 ここで潰さねえと、エ・ランテルの商売は全滅だ!」

 

「そうだ!市長、サインを!」

「我々も支持します! これは正義の戦いだ!」

 

 

恐怖と欲望。

二つの感情を煽られた人間たちは、もはや止まらない。

 

パナソレイ市長は、ラナーの冷徹な眼差しと、商人たちの熱気圧されペンを握った。

 

 

「そうですな、それが、良いのでしょうな……」

 

 

責任より利益に天秤が傾いた。

 

カリカリと、羊皮紙にペンが走る音。

それは、プレアデス商会への死刑執行書にサインをする音だった。

 

最後に、市長が印璽を押し、朱色の紋章が刻まれる。

 

その瞬間、ただの紙切れだった羊皮紙は、都市の公権力を帯びた絶対の凶器へと変貌した。

 

ラナーはそれを受け取り、丁寧に巻き上げた。

 

 

「ご協力、感謝します。

 これでエ・ランテルは守られました」

 

 

その微笑みは聖女のように美しかった。

 

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