「――では、細かいお話をいたしましょうか」
手を離したラナーが、扇子を指先で弄びながら言った。
「あなたの“首輪”の話ですわ」
ラナーは楽しげに笑うと、机の上の包み――叡者の額冠から視線を外した。
「表向きの身分は、先ほど申し上げた通り。
地方教会出身の治癒師が戦や任務で心を病み、保護を求めて王都へ上がってきた、
そういうことにいたします」
「名前は?」
「“クレア”とでも名乗ってくださいな。
本名に近くて、覚えやすいでしょう?」
「安直ね」
「安直な方が、案外疑われませんのよ」
ラナーは肩をすくめる。
「蒼の薔薇には、“古い知り合いが戻ってくる”とだけ伝えてありますわ。
あなたが法国関係者であることはぼかしておきますけれど……
ラキュース様でしたら、都合よく解釈してくださるでしょう」
「ラキュースにはまだあんたのクソったれな本性はバレてないの?」
「善良さというのは立派な資源ですわよね」
ラナーは微笑んだ。
「あなたに求める条件は、三つだけです」
「また三つ、ね」
細い指が、また一本ずつ立てられていく。
「ひとつ。勝手に王都からは出ないこと。
王都内であれば、ある程度の自由は差し上げますが
無断で国外へ消えるのはご遠慮願いますわ」
「逃げるとは思わないの?」
「逃げるならすでに逃げているか、この場に来ていないでしょう?」
ラナーは、部屋の扉へちらりと視線を向ける。
「二人。扉の左右。窓の外にも一人、かな」
「さすがですわ」
素直な称賛に、クレマンティーヌは鼻を鳴らした。
確かにこの程度の護衛ならばここに来る前に抜けだせることは確かだ。
「二つ目。わたくしの指示を最優先にすること。
この王国には色々な“お偉方”がいらっしゃいますけれど……
あなたの主人はわたくしだけです」
「そのほうが分かりやすくていいわ」
「ありがとうございます」
「三つ目は?」
「三つ目――」
ラナーは、そこで少しだけ言葉を選んだ。
「“自分が番犬であることを忘れない”こと」
「どういう意味?」
「あなたは、王国という箱庭の外側をよく知っている」
扇子の先が、窓の外へ向けられる。
「ですから、吠えるべき相手と噛みつくべき相手を間違えないでいただきたいのです
あくまで、私が円滑に箱庭を運営するための番犬ですからね」
実質的には勝手に法国と対立しないための釘刺しといった所だろう。
「間違えたら?」
「そのときは処分するか……愛犬になっていただくのもよろしいかもしれませんね」
口ではそう言っているが、ラナーの目は冗談を言っていなかった。
どうやら、私を片付ける算段もあるらしい。
(あの
クレマンティーヌは、唇の端をわずかに吊り上げた。
(逆に言えばしっかり強者の当てがあるのは陣営としては嬉しい)
「分かったわ。その首輪、当面はつけてあげる」
「感謝いたします、クレアさん」
「その呼び方、慣れないわね」
「すぐに馴染みますわ。……では、次の首輪の準備を」
「次?」
「信頼という名の首輪です」
ラナーはくすりと笑った。
「蒼の薔薇の皆様に、あなたを紹介しないといけませんもの」
*
昼下がりの王城の訓練場は人影もまばらだった。
クレマンティーヌ――いや、今は「クレア」と名乗ることになった女は、
その端に立ち、木製の訓練用武器を無言で眺めていた。
「落ち着きませんか?」
背後から、ルミィの声がする。
「訓練用はバランスが悪いのよね」
「本物をお持ちになるわけにも参りませんので」
「分かってるわよ」
短い溜め息と共に、クレアは訓練用の細剣を一度だけ振ってみせる。
木が空気を裂く感覚は、本物のそれとは似ても似つかない。
(まあ、今日は戦うワケではないし)
戦闘訓練のために呼ばれたわけではない。
“顔合わせ”のための場所として、ここが選ばれただけだ。
扉が開く音がした。
振り向かなくても分かる。
あの明るさは、嫌でも記憶に残っている。
「おお、クレマンティーヌ!」
豪快な声と共に、赤い鎧の女がずかずかと歩み寄ってくる。
蒼の薔薇の武闘派、ガガーラン。
その後ろから、長い金髪を高く束ねた女が続く。
平服でも気品としなやかな強さを感じさせる。
蒼の薔薇リーダー、ラキュース・アルベイン・デイル・アインドラ。
さらに、その左右には小柄な影が二つ。
面識はないが双子の暗殺者のティアとティナだろう。
最後にローブをまとった小柄な影が一歩遅れて入ってきた。
顔を仮面で隠した魔法詠唱者――イビルアイ。
(……全員そろい踏みね)
クレアは、内心で肩をすくめた。
「久しぶりだなあ、ケツの青い小娘!」
「……久しぶり。もう小娘って歳じゃないわよ」
ガガーランの軽口を軽く受け流しながら、クレアは一歩前に出る。
ラキュースと視線が合った。
その瞬間、胸の奥がきゅっと縮む。
緑の瞳には、驚きと安堵と、わずかな怒りが入り混じっていた。
「クレマンティーヌ……本当に生きていたのね」
「そう簡単に死ぬタマじゃないわ」
わざと軽口を返す。
ラキュースは、ほっとしたように息を吐いた。
「ラナーから、“疲れた顔で戻ってくる子がいる”って聞いてたけど……あなただったのね」
「そゆこと」
「少し顔色が悪いわね。……それに、雰囲気も変わった」
ラキュースの目に観察するような色が差す。
法国に縛られていたときと変わっているのは事実だろう。
イビルアイが、ふん、と鼻を鳴らした。
「変化が良いものとは限らないがな」
「口が悪いわね、相変わらず」
仮面の下の瞳が、包みを鋭く射抜いていた。
ティアとティナは、双子らしくぴたりと寄り添い、ひそひそと囁き合っている。
「ねえ、ティア」
「なに、ティナ」
「あの目つきで本当に“治癒師”やるの?」
「殺せば治癒の必要はないってことかも?
それより実は猫目で結構カワイイ」
「性別が違うのがざんねん」
双子のふざけたやりとりが聞こえてくるのをあえて無視する。
ラキュースが一歩前へ出て、手を差し出した。
「改めて――おかえり、クレマンティーヌ。
……いえ、今はクレア、だったかしら?」
「ラナーから聞いてるのね」
「ええ。ざっくりとだけど」
ラキュースの手は、あの金髪姫のものとは違う。
剣の柄を握り続けてできた硬い皮膚と、鍛えられた筋肉。
クレアは、一瞬だけ迷ってから、その手を取った。
「戻ってきてくれて……よかった」
まっすぐな言葉。
そこに打算はない。
少なくとも、クレアにはそう見えた。
それが、鬱陶しかった。
「よかった、ねえ」
「気に入らない?」
「そうね。少し」
ラキュースの眉がわずかに下がる。
「そう言うと思った」
「分かってるなら聞かないで」
あしらうように言いながらも、クレアはラキュースの手をすぐには離さなかった。
指先に、僅かな震えが伝わる。
(ああ、そうか)
ようやく気づいた。
震えているのは、自分の方だ。
「……あなた、また人を捨ててきた顔をしているわね」
ぽつりと、ラキュースが言った。
クレアの指に、力がこもる。
「何、それ」
「前にも見たことがあるの。
仲間を置いてきた時。
自分だけ生き残った時。
――そういう時の目」
ラキュースは、クレアの目をまっすぐに見た。
「詳しくは聞かない。今はまだ聞かない。
でも、いつか話せる時が来たら……聞かせてほしい」
「鬱陶しいって、言ってるでしょ」
「鬱陶しくても、言うべきことは言うの」
ラキュースは手を離し、にこりと笑った。
「でも今は、単純な話だけ。
――あなたがここにいる間、私はあなたを仲間として扱うわ」
「仲間、ね」
「ラナーに頼まれた客人でもなくて。
法国の犬でもなくて。
“蒼の薔薇の古い仲間”として」
クレアは、思わず笑い出しそうになった。
(本当に……)
どこまでもまっすぐで、どこまでも愚かしい。
だからこそ、法国の教えとは違う何かを見せてくれた女。
嫌いになりきれないのが、余計に腹立たしい。
「なにかあったらちゃんと相談ちょうだい」
「あんたみたいな良い子ちゃんに相談してどうするのよ」
「一緒に噛みつく相手を決めましょう」
「私が正しいとは限らない。
ラナーだっていつも正しいとも限らない。
あなたの憎しみが、全部間違っているとも思わない」
その言葉に、胸の奥がぐらりと揺れた。
兄への憎悪。
法国への裏切り。
自分を許せない気持ち。
それら全てを、「全部否定はしない」と言ってのける女。
「……本当によくできたお嬢様だね、あんたは」
和らいだ空気の中で、イビルアイが小さく咳払いした。
「甘いぞ、お前ら」
「なに、イビルアイ」
「その番犬に今は気を許す段階ではないだろう」
仮面の下で、鋭い視線がクレアを射抜く。
「……人を泣き虫嬢ちゃん扱いする死に損ないから注意を受けてる」
イビルアイはそれ以上は語らず、わざと話題を切った。
「まあまあ、そーゆーめんどくさい話よりもなあ」
ガガーランが大剣――訓練用の木剣を肩に担ぎ上げる。
「わたしは“今”のこいつの腕が見たいんだけどな」
「法国の一等強い番犬がどれくらい狂暴か確かめておきたい」
ガガーランの冗談めいた言葉にクレアは渋面を浮かべる。
「番犬、番犬って。あんたら、ラナーの言葉を真に受けすぎじゃない?」
「あながち間違いじゃあないと思うけどな。それに、肩を並べることもあるかもしれねーだろ?」
いつの間にか、訓練場の入り口からラナーがこちらを見ていた。
外套を軽く羽織り、扇子を閉じたまま手に持ち、壁にもたれている。
「立場の弱いお姫様のわがままを聞いてやるのも俺たちの役目だ」
「引く気はないようね」
「わかればいいんだ」
ラナーはゆっくりと歩み寄ってきた。
「さあ、クレア。
あなたの牙を、皆に見せてさしあげて?」
「……はあ」
クレアは、訓練用の細剣を握り直す。
木製とはいえ、構えれば身体は自然と戦闘の準備をはじめる。
思考が冴えてゆき、自動的に些細な動きから相手の実力のほどを見透かそうとする。
「誰とやるの?」
「もちろん、あたしだろ」
ガガーランがわかりきった返答をし、嬉々として大剣を掴む。
「法国の番犬がどれほどのものか、確かめてやるよっ!」
ガガーランが前に出る。
クレアも一歩を踏み出した。
(力は負けるかもしれないけど、速さも巧さもこっちのほうが数段上かな)
視界の隅で、ラキュースが軽く頷き、ティアとティナが面白そうに身を乗り出している。
イビルアイは腕を組み、ラナーが楽しそうに目を細めている。
(法国の番犬から、王国の番犬へ)
(どっちにしても、狂ったように吠えて噛みつくことには変わりないわ)
ならば――。
「私の牙を見せてやるよ!」
新しい首輪の重さを確かめるように、強く一歩を踏み込んだ。
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