牽制の突きを見せながら、間合いを確かめる。
しっかりと踏み固められた、砂混じりの地面。
最初は確かめるように踏み込んでいたが、
身体は徐々にこの場所に適応してきている。
(……悪くない)
ガガーランの得物は訓練用とはいえ大剣である。
軽く振っただけで、空気が唸り震える。
「行くぞ、クレマンティーヌ!」
掛け声と共に、大上段からの一撃。
細剣は細さゆえに、この攻撃を受け止めるには向かない。
クレアは半身をずらす。
大剣の軌道の外側へと回っていく。
本能は、相手の喉笛をまっすぐ貫きに行きたがっている。
だが、それをやればおしまいだ。
これは、戦争でも暗殺任務でもない。
恐らく“番犬としてどこまで自分を制御できるか”を見られている。
殺し合いでは、ないのだ。
「おっ、待てができるんだな」
「煽ってんの?」
ガガーランが笑いながら身体をしならせる。
その笑い声の裏に、わずかな感心が混じっているのをクレアは聞き逃さなかった。
二度目の踏み込み。
今度は横薙ぎ。
振り抜きの最中、ガガーランの視線はクレアの足元をしっかりと追っている。
あの見た目から、豪快な戦いぶりのイメージがあるが、
決して動きが雑なわけではない。
木製の大剣と細剣がぶつかる音が、中庭に響いた。
横薙ぎの大剣の腹を滑らせるように受ける。
力を殺し、軌道だけをずらす。
ギリギリで支点を外し、質量の流れを地面へ逃がす。
「へえ、器用なもんだ」
ガガーランの口から、短い感嘆が漏れた。
「棒切れで、いい仕事するじゃねえか」
「そっちこそ。もう少し手を抜いてくれてもいいんだけど?」
「そうしちゃやれないな」
口では軽くやり合いながら、剣と身体は止まらない。
踏み込み、退き、角度を変え、またぶつかる。
木と木が打ち鳴らす音が、規則性を持ち始める。
攻める巨人。
粗暴に見える攻撃の裏にある経験と勘を、クレアはよく知っていた。
(懐かしいわね)
かつて、蒼の薔薇と共に任務に出たときは、
ガガーランの背中に張り付くように敵陣を抜けた。
クレアはあえて当時の動きをなぞる。
意図的に最大値を見せないようにする。
「ラナー」
中庭を囲む石段にもたれながら、ラキュースが小声で呼びかけた。
「はい?」
「訓練の域を出つつあるけど止めないの?」
ラナーは楽しそうに答えた。
「戦いのことはあまりわかりませんが、性格を考えれば
ガガーラン様は“訓練用の全力”しかお出しになりませんよね。
それに、クレアも殺す以外の戦い方は苦手でしょうし」
(止める気はないのね……むしろ過熱することを望んでる?)
ラキュースは、クレアの動きに目を凝らした。
大剣をいなすたびに、足元が僅かにずれる。
前後ではなく、斜め。
剣の届くぎりぎりの外側へ自分を滑らせる、嫌らしい立ち回りだ。
(私の剣じゃクレマンティーヌの相手はつとまらないわね)
あくまで、剣“だけ”で見れば、だが。
「ねえ、イビルアイ」
ラキュースは隣の影にも声をかける。
「どう思う?」
「身体のキレは悪そうだ。傷も完全には治ってないのだろう」
イビルアイは腕を組んだまま、仮面の下で目を細めた。
「それでもなお、あの速さと巧さ。
……現役のアダマンタイトの中でも上位だろう」
「そうよね……」
ずいぶん差を付けられたとラキュースが苦笑する横で、
ティアとティナも品評する。
「ねえティア、あれ本当に“キレが悪い”の?」
「実際以上に悪く見せてる?演技もできるのかも」
「めんどくさそう」
「姫様はめんどくさいのが好き」
訓練場の中央では、なおも木剣が打ち合う音が続いていた。
ガガーランの振り下ろしを、クレアが身を翻して避ける。
砂が少しだけ跳ね上がり、陽光の中で舞った。
地面にめり込んだ訓練用の大剣の柄を軸に、ガガーランはその場で半回転した。
「っと」
回転の勢いを使った裏拳が飛んでくる。
大ぶりな攻撃だけではなく、体術も織り交ぜ始めた。
クレアは頭を下げ、紙一重で躱した。
髪が数本、空中で陽を浴びてきらりと光る。
「顔に傷でもついたら、ラナーが泣くんじゃない?」
さらに過熱するガガーランにクレアは軽口を叩く。
「泣きませんわよ?」
遠くから聞こえたラナーの声に、クレアは思わず笑いそうになる。
我が姫君からのストップは出ないらしい。
(もっとやれってことね……)
より速く激しくなる打ち合いは唐突に終わりを迎えた。
ガガーランの足元。
一瞬、重心がブレる。
大剣を構える予備動作ではない。
踏み込みの起点でもない。
明らかな隙だ。
(――殺れる)
脊髄が先に反応し、身体が勝手に動いた。
完全に染みついた殺すための踏み込み。
前へ。
ガガーランの懐へ潜り込む。
慌てたように大剣が振り下ろそうとする直前。
そこで、細剣の切っ先が――ガガーランの喉元を正確に捉えていた。
木の感触。
その下にある軟骨と血管の位置。
ほんの少し力を込めれば潰れるはずの、柔らかい場所。
中庭の空気が、ぴたりと止まった。
「……おっと」
最初に息を吐いたのはガガーランだった。
ほんのわずかに瞳を見開き、すぐにニッと笑う。
「殺しかけただろ」
「……途中で止めた」
「かけた、って言ってんだ」
ガガーランの笑いは、先ほどまでのそれとは違っていた。
戦士としての、純粋な興奮を含んだ笑み。
「やっぱり、あたしはお前の鋭さが嫌いじゃねえな」
クレアは、息を吐き出した。
自覚している。
今の一瞬、完全に“殺し”に入っていたことを。
訓練だとか、蒼の薔薇だとか、王城の訓練場だとか。
そういう外側の情報が、全部吹き飛んでいた。
残っていたのは、ただ「殺す」という単純な結論だけ。
「……ごめん」
思わず、口から謝罪が零れた。
ガガーランが、きょとんとした顔をする。
「罠をかけたのはこっちだろ?」
「訓練だったから」
「殺る前に止めてんだから、ま、セーフだろ」
ガガーランは、訓練用の大剣を肩に担ぎ直した。
「お姫様!」
「はい」
ラナーが、楽しそうに一歩前へ出る。
「こいつ、番犬としては上等だぜ。首輪もギリギリで機能してる」
「ありがとうございます、ガガーラン様」
「ただ――」
ガガーランが、細剣を持つクレアを木剣の先で指した。
「このまま外に出したら、関係ないもんまで殺すぞ。
“訓練”って分かってる場でも、今みたいにスイッチが入っちまう」
クレアは肩をすくめた。
「法国でそういう風に壊されてますからね」
ラナーが、ひどく上機嫌そうに口を挟む。
「ねえ、クレア。
あなた、法国では“訓練”という名目で人を殺してきたのでしょう?」
「……まあ、ね」
「今度は私の犬として訓練し直してあげましょうか」
「そんな訓練どうやるのよ」
「それはお楽しみです」
ラナーは、心底楽しそうに微笑んだ。
*
模擬戦が終わり、クレアは汗を拭きながら、訓練用の細剣を棚に戻す。
腕の筋肉が軽く震えている。
身体はまだ本調子ではない。
それでも、久しぶりに「まともな相手」と剣を交えた高揚感が、疲労感と同じくらい身体を占めていた。
「ねえ」
背後から、ラキュースの声がした。
「何?」
「私は昔、あなたに治癒魔法を教えたわよね」
クレアは、わずかに目を細めた。
人を治すための魔法。
人を殺す日々の中で、異物のように胸に居座り続けた祈り。
「“力を持ってるなら、人を殺すだけじゃなくて治すのにも使いなさい”って、言ったの覚えてる?」
「……」
ラキュースは一歩近づいた。
「残念ながら、治すために使ってはくれなかったようだけど、あなたを守るのには役立ったかしら」
「全然」
嘘だ。治癒魔法が使えることは法国には伏せていたが、これのおかげで助かったことは何度もある。
「本当はあなたにこれを教えたことで死ぬ人間が増えるんじゃないかって後悔してたの」
「そうかもね」
「だから、今からでも私はあなたが直すことを選べるようにしたい。
私も、ラナーも、そういう世界のために動いてる」
ラナーの名を、ラキュースはごく自然に口にした。
天真爛漫で、しかし常人離れして賢い第三王女。
彼女にとってのラナーはそんな認識だ。
(この女はラナーの壊れ方を知らない)
箱庭の姫とその駒である蒼の薔薇。
番犬よりも悲しい関係。
その関係に蒼の薔薇は気付いていない。
「……分かったわ」
クレアは、短く答えた。
「選べるなら、選ぶ努力くらいはしてあげる」
「そうしてくれると嬉しい」
ラキュースは満足げに頷いた。
「ねえラナー」
今度はラキュースが振り返る。
「クレアのこと頼んだわよ」
「ええ、せっかくまたお会いできましたからね」
ラナーはそういって笑う。
それを聞き、安心したようにラキュースは去っていった。
一拍置いて、ラナーはクレアを見てにっこりと笑った。
「あなたには、箱庭を、特にクライムを守っていただかなくてはなりませんからね」
「なんでそこであいつの名前を出すのよ」
「クライムは本当に可愛いと思いませんか?」
ラナーは悪びれもなく言う。
「クライムは忠犬。クレアは番犬。
――動物は関係性があった方がより楽しめるのですよ」
「本当に気持ち悪いわね」
「ありがとうございます」
「褒めてないっつの」
ラナーはまた、嬉しそうに笑った。
「クライムには治癒師のクレア様がクレマンティーヌ様であることを伝えておりませんの」
「げっ」
「演技も得意そうですので、これも治癒師のクレア様として振る舞う訓練だと思ってください」
「……」
クレマンティーヌは面倒そうに息をついた。
*
クレマンティーヌは再び城の一角に用意された簡素な一室に戻った。
窓からは王都の屋根が見える。
ひとりになった瞬間、どっと疲労が押し寄せた。
ベッドの端に腰を下ろし、天井を見上げる。
今日一日で身の振り方の想像はできた。
しかし、これからの生活を考えるとさらにぐったりとした心持ちになる。
法国の番犬として首輪をつけられていた頃。
ずっと、歪んだ愛情と期待が纏わりついていた。
……また私は誰かの執着を纏わりつかせている。
この、重さに安心を感じなくなる日が来るのだろうか。
そう思いながらクレマンティーヌは意識を手放した。
こうして、番犬の長い一日は終わりを迎えた。
お気に入り&評価ありがとうございます!
モチベーションにつながりますので、してくださると嬉しいです!