前話を読んでない方は先にお読みください。
引き続きクレアのお仕事編です。
数日もすると診療所の仕事にも慣れてきた。
しばらくはルミィが手伝ってくれるとのことで、
仕事の割り振りも固まり、円滑に対応できるようになってきた。
午前の仕事が一段落した頃、ルミィがそっと扉を閉めた。
「本日の診療はこれで終わりですね」
「思ったより多かったわね」
「城というのは、人が集まるところですから。
転んだり、切ったり、殴られたり、殴られたり……色々ございますのよ」
「殴られすぎでしょ」
「女を殴るのは王国貴族の伝統的な遊びですからね……しくしく」
そう言って泣きまねをするルミィ。
この侍女との関係も大分気安いものになってきている。
クレアが軽く肩を回したそのとき、廊下の方から規則正しい足音が近づいてきた。
控えめなノック。
「失礼いたします」
扉を開けたのは、整えられた金髪に灰色の瞳を持つ青年――クライムだった。
ラナーの差し金か、この診療所によく現れる。
本人は何度来ても心なしか緊張しているようだが。
「クライム様」
「ルミィさん。……クレア様、お疲れ様です」
クレアは椅子から立ち上がり、柔らかく会釈した。
「お疲れ様ですわ、クライム様。 何か御用でしょうか?」
「はい。あの、ラナー様から、“クレア様を少し外の空気に当ててきてほしい”と……
城下の様子も見てきてほしいと仰せでして」
(……あの女、私をなんだと思ってるんだ)
「まあ。お散歩、というわけですね」
「お、お散歩……いえ、その、視察を兼ねた……」
「デートということですのね!」
「からかわないでください!!」
慌てるクライムの様子に、クレアは思わず口元を和らげた。
クライムをからかって遊ぶのが癖になりつつある。
「分かりましたわ。お付き合いいたします」
「ありがとうございます。 護衛は自分ともう一人つける手筈です」
「では、エスコートよろしくお願いいたしますね。クライム様」
ルミィがこっそりクライムに親指を立てたのを見なかったことにして、クレアは外套を手に取った。
*
王城から城下へと続く坂道は、朝のざわめきの中にあった。
荷車を押す男と店を開ける商人たち。
路地では子供が駆け回り、遠くからは焼きたてのパンの匂いが漂ってくる。
クレアは修道女の装いで、クライムの半歩後ろを歩いていた。
そのさらに後ろに、寡黙な若い兵が一人ついてくる。
「城下へ出るのは、初めてでいらっしゃいますか?」
「任務で何度かございますわ。純粋な"お出かけ”は初めてですけれど」
「これも仕事でおでかけではありません……」
クライムの視線は、常に周囲を巡っていた。
通りの角。 路地の影。 露店の奥。
(視野は広い。でも、“どこを疑うべきか”はまだ知らないようね)
坂を下った先、小さな教会が見えた。
壁はところどころ剥がれ、屋根も一部が欠けている。
だが、新しい扉と窓枠が取り付けられ、入口では年配の神官が子供たちにパンを配っていた。
「こちらは?」
「殿下が整えられた救貧の場です。
元々あった教会を再利用していまして……貧しい者でも食べられるように、と」
「教義より先にパン、というわけですのね」
「……はい。殿下は“空腹では祈ることもできない”と」
クライムの声には、かすかな誇らしさが混じっていた。
教会の上部に掲げられているのは、六大神ではなく王家といくつかの貴族家の紋章。
(信仰を薄めて、箱庭用の“餌場”に作り替えたってところね)
そのとき、子供のひとりが駆け出して転んだ。
膝を擦りむき、今にも泣きそうな顔でこちらを見る。
神官が慌てて駆け寄る。
「クライム様」
「はい」
「少しだけ、寄ってもよろしくて?」
クライムはすぐに頷いた。
「もちろんです。殿下もお喜びになると思います」
「それはどうかしら」
クレアは歩み寄り、膝を押さえている子供の前にしゃがみ込んだ。
「大丈夫ですか? 少し見せていただけますか?」
「……いたい」
「すぐに終わりますわ。頑張って、じっとしていてくださいね」
年配の神官が目を丸くする。
「あなたは……?」
「城の診療所で治癒師をしております、クレアと申しますわ」
クレアはそっと膝に手をかざした。
淡い光が傷口を包み、血と土で汚れた皮膚が滑らかに戻っていく。
子供は目をぱちぱちと瞬かせ、それからぱっと笑った。
「すごい!」
「走り回るのは、少しだけ控えめになさってね」
「うん!」
子供が駆け戻っていくのを見送りながら、神官が深々と頭を下げた。
「ありがとうございます。
最近は薬も足りず……殿下からの援助がなければ、もっと飢える子が出ていたでしょう」
「殿下のご配慮には私も助けられておりますわ」
(“助ける”というより、“育ててる”の間違いでしょうけどね)
表情には出さない。
教会をあとにしたところで、クライムが口を開いた。
「殿下は、こういった場所を少しずつ増やしておられます。
不満も出ているようですが……」
「貴族にとっては無駄な出費でしょうからね」
「……殿下のお気持ちを考えると悔しく思います」
陰った空気をクレアは微笑みでごまかした。
*
市場の近くまで来たとき、路地の方から低い怒鳴り声が聞こえてきた。
「だからよぉ、仕入れがどうとか聞いてねえんだよ!」
クライムの足が止まる。 視線が自然と声の方へ向かう。
「クレア様、少しよろしいでしょうか」
「はい、もちろんですわ」
店先には日用品が並ぶ雑貨店のようだ。
その前で二人組の男が店主の襟首を掴んでいた。
店主は四十がらみの男。 痩せてはいるが、手には労働の跡が刻まれている。
「この路地は俺たちが“護衛”してるんだからよ、きっちり代金を払ってくれよな。
売り上げが少ねえなら、どっかから借りてこいっていつも言ってんだろうが」
「も、もう少し待っちゃくれねえか……今週は雨が続いて……」
「こっちも上に顔向けできねえんだよ」
男たちの腰には、粗末だが使い慣れた短剣。
視線の動きと立ち位置。明らかに素人ではない。
(……八本指の下っ端、か。あるいはその予備軍)
クライムが一歩前に出た。
「そこまでです」
澄んだ声が、路地の空気を切り裂く。
男たちが振り向いた。
「なんだ、騎士様かよ」
「ここは王都です。 民を守るのが我々の務めです」
クライムの言葉は真っ直ぐだった。
剣へ伸びかけた手を、クレアは視線だけで制する。
「クライム様。ここは、まずお話を伺ってみましょう?」
「……はい」
店主の前に出たクライムは、男たちと距離を取った。
「この方を脅していましたね。 何か正当な契約があるのなら、ギルドか役所の前で話しましょう」
「はっ。スラムに転がってたガキのくせに、口のきき方が生意気になったなあ、姫様の犬がよ」
男の一人が吐き捨てるように言う。
クレアの指先がぴくりと動いた。
(……姫様の犬、ね。間違ってはいないけど、ムカつくわ)
「その言い方は、あまり感心いたしませんわね」
クレアは一歩だけ前に出た。 柔らかな声色は崩さない。
男が鼻で笑い、クレアを値踏みするように見た。
「なんだよ、お高くとまりやがって。てめえには関係ねえ話だろ」
「いいえ。怪我人が出れば、私の仕事が増えますもの」
「はあ?」
男が肩をすくめた瞬間だった。
クレアはまるで転びそうになったような動きで一歩踏み出す。 その足が、男の足首をさりげなく引っかけた。
「っ!?」
男の体勢が崩れ、そのまま前につんのめる。
優雅に身をひねり、腕を取った。
手首の関節に、最小限の力でねじるような圧を加える。
「――っぐ」
悲鳴にもならない声が漏れ、短剣ががらりと地面に落ちた。
もう一人が慌てて短剣に手を伸ばしかけたところで、クライムが素早く踏み込む。
「それ以上やるなら、斬るぞ」
剣は抜かない。 だが、その手はいつでも抜ける位置にある。
男は舌打ちし、手を上げた。
「ちっ……今日は付きが悪かったな」
クレアは、押さえた腕から手を離した。
男は悔しげに睨み付けてきたが、クレアはにこりと微笑んだ。
「手首は、しばらく痛むと思いますわ。
重い物は控えた方がよろしいかもしれません」
「覚えてろよ……」
捨て台詞を残し、男たちは路地の奥に戻っていき、
店主がへなへなとその場に座り込んだ。
「助かった……」
「お怪我はございませんか?」
クレアはしゃがみ込んで手を差し出した。
店主のこめかみに殴られた痕がある。
「少し失礼いたしますね」
手を翳し、小さく囁くと光が走り、傷が治っていく。
店主は目を丸くし、何度も頭を下げた。
「騎士様と治癒師様が来てくださるなんて、
なんとお礼を言ったらよいか……!」
「いえ。殿下のご意志に沿っただけですわ」
クレアはさりげなく店の中を見渡した。
棚や帳簿はきちんと整理されているが、内装はかなり傷んでおり金の巡りは悪そうだ。
(真面目にやっているんだろうけど、吸い上げられているんだろうね)
数年前と変わらない王国の現状にクレアは嘆息した。
*
王城へ戻る道すがら、クライムが沈黙を破った。
「……ありがとうございました、クレア様」
「いいえ。私は少し手を貸しただけですわ。 止めたのはクライム様ですもの」
「でも、自分一人だったら……あそこまで冷静に動けたかどうか」
クライムの握る拳に、ほんのわずかな震えがあった。
怒りか、悔しさか、怖さか。 全部、混ざっているのだろう。
「さっきのような連中は、殿下も“許せない”とおっしゃると思います。
だから、自分は――」
「殿下の剣として、でしょう?」
クレアが言葉を継ぐと、クライムは真っ直ぐに頷いた。
「はい。殿下が“守れ”と仰るなら守りますし、 “斬れ”と仰るなら斬ります。
でも、できれば……」
言い淀み、少しだけ照れたように笑う。
「守る方の命令を多くしていただけるように思っています。
優しい方なので」
クレアは、空を仰ぎたくなる衝動をこらえた。
(本当に、疑うことを知らないのね)
だからこそ、ラナーは喜んで拾ったのだろう。
「では、努力なさることですわね」
「はい!」
「私も殿下のお役に立てるように頑張りますわ」
「……はい! クレア様がそう言ってくださるなら、心強いです」
そのまっすぐな返事が、胸のどこかをじくりと刺した。
(六大神に捧げる祈りは何の意味もなかったのに)
(私はラナーにどこか期待をしてしまっている)
王城の門が見えてきたところで、クレアは振り返り、城下の街並みを一度だけ見下ろした。
救貧の教会。 小さな雑貨屋。 路地の影に潜む連中。
箱庭には色々なものがある。
前だけを見て歩く忠犬のその背を斜め後ろから見守りながら歩いていくのだった。
本作のラナーは年上女性にからかわれるクライムなど多様なクライムを楽しむ余裕があります。
クライムとクレマンティーヌがくっつくNTR要素はない予定なので安心してください(?)
ちなみにルミィもラナーに感化されてクライムのことを可愛い子犬くんみたいに思ってます。