Have a break? ― ヒーロー店主とヴィランメイド ― 作:藍色 紺
店長の「いらっしゃい」の声がいつもより明るかった。
ケーキの納品に来たという女性は、大きな袋から透明のケーキスタンドを取り出し、カウンターに音を立てないように置いた。中には数種類のケーキが行儀よく並んでいる。
「毎週ありがとうございます。言ってくれたら取りに行ったのに」
「長谷さんはお店から離れにくいでしょう。私もいい気分転換になりますから」
「いつものでよろしいですか?」
「お願いします」
ケーキ屋さんは、ベージュのウールコートを脱いだ。
由依は、その様子をついつい観察してしまう。
アイボリーのタートルネックニットにセンタープレスの効いたワイドパンツ、ローヒールのショートブーツ。安すぎもせず、ブランド品でもなく、品の良さが出ていて、大人の余裕って感じ。
私と全然違う。
何も勝てない感じがして、ますます嫌になった。
さっきまで嬉しかったケーキが色褪せて見え、フォークを置いてしまう。
「あら、メイドさん?」
「新しく入ったバイトの――」
「和田由依です。メイド服は私が用意しました」
椅子から立ち上がって、お辞儀した。お客様が来たなら、バイトがのんびりお茶している場合ではない。
「さっき話してたケーキ屋さんの|荏田(えだ)さんだよ」
「マーブルケーキ食べてくれてるの? ありがとう」
柔らかい笑みに、ゆるく巻いた後れ毛が揺れる。
「あ、――」
お客さん相手なら、バイトがのんびり食べる姿を見せるのはよくない。
でも、作った本人の目の前で残すのもどうなんだろ。
どうしたら正解なの?
ケーキと荏田さんを交互に見て固まってしまう。
「私はお客じゃないのよ。よかったら生の感想を聞かせてくれる? 食べてるところを見るって、あまりなくて」
「あ、はい!」
由依が座ったのを見てから、荏田さんはカウンターに座った。
ラテアートのクマは、形が崩れて泣き顔に見える。フォークを取って、マーブルケーキの表面についた薄いチョコをはがす。
「そのチョコさ。喫茶まきだけの特別仕様らしいよ」
店長が荏田さんにブレンドを出しながら、教えてくれる。荏田さんは相槌を打って、ブレンドを一口飲んだ。表情が緩む。
「だって、長谷さん、チョコが好きなのに食べられないって言うから――。信じられる? チョコよ? どこでも買えるのに」
「糖質制限ですか?」
荏田さんが目を丸くした。チャコールピンクのアイラインが見える。
「糖質制限? そんなすぐに出てくる言葉だっけ?」
店長が笑う。自然に、本当に楽しそうに。
「和田さんもジムに通ってるから、それでじゃないかな」
「チョコは、トレーニング前に一かけ、後に一かけです」
「ほらね」
荏田さんは、頭を抱えた。
「信じられない。何、私、そんなストイックな人にケーキを食べてもらってるの?」
思わず笑ってしまう。店長のために、いつでも食べられるようにチョコをトッピングしたのだろうが、実際には自主的にチョコ断ちしてたってことになる。
気さくな人なんだな。
大人っぽくて、上品で、ケーキまで作れる。それに夢を追っている。荏田さんみたいな人が、みんなに好かれるんだろうな。
「バイトに入って、まだ浅いの?」
「二週目です」
毎日ではないから、実質まだ十日も働いていない。ウソ本当ゲームも中途半端に終わったままで、続きをするような感じでもなく、それでも、由依は店長と話すのも働くのも楽しい。
「どうしてわかるんですか?」
「緊張してるのかなって。慣れるまで大変よね」
「力を抜けばいいって言ってるんだけどね」
店長の言葉に、また胸の奥がざらついた。
“力を抜く”なんてできるわけがない。
昼は学生、家では女王様。失敗は許されない。
人の三倍頑張って、やっと普通――。
超人パワーに選ばれたのだから、それくらい努力するのは当たり前だ。
でも、高校最後の一年で、違う世界が見たかった。普段はできないことをしたかった。
――、なぜ力を抜けと言われているのか、どうすればできるのか。
どうせ私は、破壊しかできない。悪ですよ。
繊細なケーキに、上品な服装が羨ましい。
ボンテージの女王様に、メイド服。極端なことしかできない。
荏田さんは、ブレンドをもう一口飲んで、カップの中を見つめた。
「長谷さん、豆の配合を変えました?」
「ばれたか。冬に合わせて、抽出時間を少しだけ伸ばしたんだ」
「研究熱心ですよね。私もまた食べたくなるようなケーキを作らなくっちゃ」
七里が照れたように鼻の頭をかく。
その仕草が自然で、見たことのない顔だった。
ズルい。
二人は、お互いの背を守りあって戦ってる。
私はまだバイトですらない。客扱いなんだ……。
そりゃそうか。まだメニュー全部覚えてないもんね……。
うつむくと、みつあみにした髪が滑稽に見えた。フリルのカチューシャに似合うと思って練習したけれど、しょせんは付け焼刃だ。
荏田さんは、由依のカップの中のクマを見て、目を細めた。
「かわいい。……これ、和田さんが描いたの?」
「いえ、これは店長が」
「そうなの? 長谷さんがラテアートするなんて、聞いたことなかったな」
心底羨ましそうな声に、つらっと声が出る。
「せっかくだから、荏田さんにも店長のラテアートを見せてあげたらどうですか?」
――言った瞬間、空気が少しだけ変わった気がした。
今、私何て言った?
張り合うつもりなんてなかった。
僅かに見開かれた荏田さんの目を見てもわかる。子供っぽい意地を張って、優位に立とうとしたことを見抜かれている。
「飲みます?」
店長の声が、あくまで穏やかだった。
私の醜いマウントに気づいたはずなのに、責めるでも、茶化すでもなく、ただ流れを受け入れてくれる。
胸の奥がきゅっと痛んだ。
いつだってそう。誰にも負けたくない。
勝つことでしか、自分を証明できない。
それが人との間に、余計なトラブルを生むって知ってても、やめられない。
牛乳を泡立てるスチームのノイズが、耳障りだ。
荏田さんの前に、新しいカップが置かれた。ラテアートはハートだった。
「わぁ、凄い」
「凄かないですよ。ハートが基本の形なんです。応用したらクマになる」
荏田さんが、写真を撮る横で、店長がラテアートの説明をし始めた。どこにどう耳をつけるかなんて、今はどうでもいい。
ハートのラテアート、私はクマさん。
別に嫉妬してるわけじゃない。嫉妬っていうのは、特別な相手にすることだもん。
荏田さんが、腕時計を確認したのを見て、店長が急いで店にあった方のケーキスタンドを渡した。
「お時間取らせちゃって申し訳ない」
「いいえ。今からニュウマン新宿でお友達とご飯でもって話になってるんですけど、迷ってて――」
「寒いですもんね」
荏田さんがはにかんだ。
「それもありますけど……。物騒で参っちゃいます」
「ブラックサイクロンの件ですか?」
「そう。新宿ばっかりでしょ。怖いわよね」
「確かに……」
店長は同調したけれど、実際のところは新宿ばかりだから喜んでいるはずだ。喫茶まきは新宿に近い。これが他所なら見に行くころには終わっているかもしれない。
新しい案がひらめいた。
いいじゃない。ちょうど新しい話題を提供したいと思っていたところだし。
新宿だけって思われてるブラックサイクロンが、他にも現れたら――。どこがいいかな――?
「信念があるっていう話も聞いたけど、それでも暴力は嫌だな」
店長が頷いた。
格闘技とどう違うっていうのよ。
「力で抑えてるだけじゃ、本当の意味で分かり合えたりしないと思うんです」
何もわかってないくせに。
話し合いができない相手にも通じるのが力だ。力があるだけで何でもできる。
奪うことも、与えることも。
でも、わかって欲しいとは思わなかった。
どんなに正しいことでも、褒められるようなことじゃない。
私がブラックサイクロンの女王様だと知ったら、二人とも離れていくだろうし。
そもそも、分かり合うなんて、無理な話だ。
私は、かわいいをしたいだけ。そもそもそれだけの関係のはずだ。
「俺は――」
店長の声に、顔を見上げた。
「私は圧倒的な強さに憧れちゃいますね」
言い直した店長は、ふきんでカウンターを拭いた。
「孤高のヒーローとかぐっときちゃうんですよ。単純なんで――」
恥ずかし気に笑う声に、荏田さんも笑った。
「孤高、ですか」
「そうですね。仲間がいてもアリなんですけど、やっぱり孤独に悩む時間が人を強くするって、信じたいですね」
「あ、それはわかります」
荏田さんと同じタイミングで、由依も頷いた。
不思議と、胸の奥の方がじんわりあたたかくなった気がする。
喫茶まきの店長と、週末ケーキ屋の荏田さんと、自分が重なる。
三人共、孤独に悩み戦っている。
何か伝えたくて、でも言葉にならなかった。
荏田さんは、ニュウマン新宿へ出かけた。
大丈夫です。今日はブラックサイクロンは出ません。
シフトに穴を開けるわけにはいかないので。