Have a break? ― ヒーロー店主とヴィランメイド ―   作:藍色 紺

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■ 第12話 銀座、かき乱された秩序

CBフォアのエンジン音が、新橋の高架に反響する。

 居酒屋ののれんを押し出して出てくるサラリーマンたちが、赤ら顔で愚痴を吐き出している。

金曜夜に呑めるだけマシ――ってのがな……。

かつては自分もそこにいた。

 七里はにじみ出る言葉を振り切るようにアクセルを開け、国道十五号を銀座へ向かう。

 たった数分――なのに、御門通りを抜けたら、空気が急に冷たくなった。

 

 焼き鳥の煙、客引きの声や酔っ払いの大声が、消えた。

 車でさえ静かに動き、香水の匂いにワックスで整えられた髪。誰も汗をかかずに、ぶつからないように歩く。

 

 本当にここにブラックサイクロンが?

 

 疑いたくなるほど、整っている。 逃げる人々のヒールの音さえも規則的で、誰も叫ばない。逃げない人々は、スマホを掲げている。

 その静けさを、爆音が引き裂いた。

 先の交差点で、ショーウィンドウのガラスが砕け散った。

有名なモノグラムのロゴが、黒煙の向こうでゆがんでいた。

悲鳴よりも早く、炎の光がビルの壁を走る。

銀座の夜が、きれいに壊れていく。

 

七里は、交差点でブレーキをかけた。反射的に見上げる。

銀座を象徴する時計塔が、八時を告げている。

その上に、黒い女のシルエットが浮かんでいる。

 

「遅かったのね、ブレイカー。もうほら、ショーウィンドウも、ギンザシックスも燃えてるわよ。――燃えれば、ハイブランドも枯れ葉も同じだなんておもしろいわね」

 

七里は答えられなかった。

火の粉が舞い、灰が金色の雪みたいに降っている。

 

その静寂を破ったのは、誰かのスマホだった。

 

「マイクを現場の声に向けてみましょう! 『どうして銀座に?』『格が違うでしょ』『新宿でやれよ』――。総じて、銀座にブラックサイクロンは似つかわしくないという言葉……!! 銀座は女王様に合わないのかぁ!」

 

そのとき、黒い塊が群衆を割った。

一人の黒レスラーが誰かの手首を掴み、スマホを引きはがす。画面は火色を映したまま、振られて床に叩きつけられた。

もう一人が踏みつける。プラスチックとガラスが沈む鈍い音が、実況の声より重く響いた。

それで、通りの向こうから聞こえていたそれぞれのスマホの実況は、すうっと薄れていった。

誰もがスマホを隠して、地下鉄へと静かに消えていく。

 

「……格、ね」

 

 いつもなら新宿のあちこちにある大型ビジョンから、ニュースマン@|大豆戸(まめど)の声が否応なしに聞こえてくる。一種のショーじみたそれをうるさいと思ったことはない。

銀座には強制的なLEDビジョンはない。あるのは明治時代からある大型時計塔だ。ブレイカーを応援する市民の声もない。

 

「誰が見ていなくても正義は正義だ」

 

七里はCBフォアを停め、近くの消火栓に目をやった。

炎の前で、消防隊員がホースを繋げずに立ち往生している。トラックが道を塞いでいた。

七里は無言でトラックのフロントをつかみ、片腕で持ち上げた。

消防隊員が短く礼を言い、ホースを繋ぐ。

 

それを見届けて、七里は空を仰いだ。

 

時計塔の上。女王様が、ただ静かに見下ろしている。

 

女王様はブレイカーを見た後、時計塔から隣の建物へと飛び移った。長細いガラス張りのビルまで来ると、ブレイカーが見ているのを確認して、並木通りへと降りる。

 

「来いってか!?」

 

 七里は咄嗟に走った。

 用意周到に消火活動を邪魔する車両をどかせながら、女王様を追う。

それを、黒レスラーたちが邪魔しに襲い掛かってきた。

 

 最前列の一人を肩で受け止め、膝で沈める。

 アスファルトがひび割れた。

 次の一撃を肘でいなし、回転しながら背後のレスラーを壁に叩きつける。

 ショーウィンドウが粉々に砕け、ディスプレイのバッグが宙を舞う。

 

 足元に転がった掌サイズのバッグのタグが見えた。

 

 皮のキルティングの小さなバッグは、七里でも知っているマークだった。でも、まるで子供用に見える。それが、百万円に近い!?

 

 ざっと飛んだバッグの数は、五つ……、いや、もっとだろう。

 

「……嘘だろ」

 

 なぜ新宿でやってくれないのか。

 ブラックサイクロンが出るのは新宿と決まっていた。

壊される前提の看板。撮られる前提の正義。

けれど、銀座には、壊れる前提の物なんてない。

 

「新宿がおかしいってことか」

 

 七里は、ガラス片を踏みしめて立ち上がった。

 

 

 

 

 並木通りは、静かだった。

 銀座の大通りの一本裏、一方通行の道路にはずらりと高級車が並ぶ。

 ハイブランド店が大きな窓に自慢の商品を飾り、赤御影の歩道には、光を吸うような艶があった。

 大型商業施設にはない贅沢が、この並木通りにはある。

 

 わざわざ一本裏へ入り、時間をかけて選ぶという行為そのものが、特権だ。

 大きなショーウィンドウには、華美な装飾ではなく“品格”がある。

 ひと手間かけて入る時間と空間の贅沢――それが、銀座並木通りだった。

 

 だが今、その“品格”の街に、煤と炎が這っていた。

 高級車の塗装が熱でゆがみ、窓に並んでいた商品が煙を上げている。

 

 女王様が、その道の中央に立っていた。

 高いヒールの音だけが、焼けた舗装を叩く。

 まるで、自分こそがこの街の審判者だとでも言うように。

 

 「ほんとに律儀ね。ブレイカー?」

 

 その声は、火よりも冷たかった。

 

 「搾取される側なのに、“社会の正義”を守るんだもの」

 

 七里は答えず、拳を繰り出した。

 女王様が、それを両手で受け止めながら受け流す。

 街路樹のシナノキが折れ、電飾が散った。

 互いの瞳が見えるほどの近距離。

女王様は、ブレイカーを見て微笑んだ。

 

「銀座を狙った理由、知りたい?」

 

 七里が女王様の腕を掴んだまま、目を細める。

 

 「ここは、“持てる者”の聖域。どこもかしこも窓ガラスばかりよね。見えない搾取が、一番美しくディスプレイされている場所なのよ」

 

 女王様の拳が飛ぶ。七里はそれをかわし、路肩の車体を盾にして跳び上がる。EXECUTIVEと記されたレクサスが、真っ二つに折れた。

 蹴りを叩き込む。女王様が宙を舞ってかわし、七里は、またショーウィンドウに激突した。

 

「……それが、壊す理由か」

 

七里は息を吐いた。

気づいている。

女王様は、わざと壊させている。

見えない搾取を、そして、富の象徴を、正義のヒーローを名乗る俺に!!

 

「怒りで壊すのは間違えている!」

 

 七里は吠えた。

 とっくにわかっている。|ブレイブ(勇気の)|バイカー(単車乗り)なんて、誰も思ってくれてやしない。自分ができているのは、ブラックサイクロンの被害を未然に防ぐことはできず、破壊を残してしまう。

 それでも、続けてこれたのは、ただそれが社会のためだと思えたからだ。

 

「アハ! 壊すのが怖いの? それとも、壊しても誰も見てくれないのが怖い?」

 

 女王様の笑い声と共に、ヒールのかかとが七里のヘルメットをかすめた。白い建物にヒールが突き刺さる。

 七里は、突き刺さったヒールごと女王様の足を引っこ抜いた。

怒りのままに、女王様を道路の向こう側に放り投げる。弾丸のように女王様はビルに突っ込んだ。細長いビルの総張りのガラスに亀裂が入っていく。

 

 七里は、肩で息をした。

 鼓動が早い。頭痛がする。

 

 聞きたくなかった。

 社会のための正義は、称賛のためではないか?

 そこに悪がある限りと、奮い立っているのは自己満足のためではないか?

 銀座には大型ビジョンがない。

 ここには、ナイトブレイク・チャンネルはない。

 

 七里の目の前で、ガラスが一気に砕け落ちた。

 真っ白なガラスの粉を浴びながら、真っ黒なボンテージ姿の女王様が現れる。

 銀座の夜が華やかに粉々に砕け散る不快音と引き換えに、女王様の高笑いが残った。

 

「あなたは命令される側ってことね」

 

 

「それがどうした!」

 

 普通のサラリーマンになりたかった。社会の歯車になれば、自然と結婚もし、子供もいる。だが、現実は違った。多様化社会? 違う。多様でなければ、生き残れない。

 

「……誰が見ていなくても、正義は正義だ」

 

 女王様の長い髪が、炎の上昇気流に舞い上がる。

 

「搾取されてるのに?」

 

 女王様が、降ってきた看板を片手で受け止めた。誰もが知るブランドロゴがデザインされている。

 もし、実況されていれば、広告料金が上がるだろう。

 

「正義? そんなものは都合のいい誰かが言い出したまやかしよ」

 

その声が、炎の揺らめきよりも冷たく七里を包む。

 幼い頃から散々植え付けられてきた価値観だ。「あなたはそれでいいの? それは正しいの?」形のない正しさは誰にもわからない。罪悪感に付け入れられる。支配者に残念だと言われるのが怖い。

 社会のために戦ってきた。でも、社会が誰かを苦しめるのなら――。

 

「あたしは力でねじ伏せる! 自分の選んだ毒で!」

 

 女王様が看板をブーメランのように投げた。七里が手近のパラソルスタンドを掴み、盾のように構えた。

 金属が激突し、火花が夜空を散らした。

 衝撃で、貼られていた広告が破ける。

 

 破れた広告ポスターが、不規則な動きをして舞い落ちてきた。

 紙にかろうじて残る文字――

 

「負けるな」

 

 それは、高級コートの煽り文句だったのかもしれない。

 だが、今の七里には、ただ真っ直ぐに響いた。

 

 胸の奥で、何かが灯る。

 七里は拳を握り直した。

 

「――。そうだ。正義は与えられるもんじゃない。自分で選んだ道だ!」

 

 七里が地面を蹴った。

 並木通りの中で、拳と拳がぶつかり合う。

 

 女王様が、受け止めきれずにわずかに後退した。

 

七里の拳が炎を裂き、女王様の身体を吹き飛ばす。ビルの壁面に黒い影が散り、火花が走った。

 

その時、夜空の端から小さな光が近づいてくる。

 

羽音のようなプロペラ音。

ドローンの赤いランプが、七里のヘルメットに反射した。

 

女王様はそれを見て、薄く笑った。

 

「ああ、ようやくカメラが来たのね。じゃあ、――これで幕よ」

 

彼女の姿は炎の中に消え、風だけが残った。

 

七里は歯を食いしばった。

 報道も、破壊も、どちらも“見せもの”になっていく。

 それでも、止まるわけにはいかなかった。

 

ヘルメットの奥で、七里は息を整え、銀座の燃え跡を見つめていた。

 

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