Have a break? ― ヒーロー店主とヴィランメイド ― 作:藍色 紺
昼下がりの喫茶まきに、焙煎機が回転する音が続いている。
空気の層が、青臭さから次第に香ばしく、やがて焦げる寸前の深い甘さに変わっていく。
七里は、その香りの“重さ”で火加減を測っていた。
「――長、――|店長(マスター)」
由依の声に、集中をやわらかく断ち切る。
「え、あぁ、何?」
「――、もしかしてですけど……。いつもより長くありません?」
気づかわしそうに、由依が焙煎機を指さす。その一言で、七里はようやく現実に引き戻された。
慌てて、ガスを止める。
中を確かめなくてもわかる。
香ばしさと焦げの境目――ほんの少し、遅かった。
換気扇を強にして、肩を落とす。焙煎した豆を網に広げると、煙が立ちのぼり、甘く苦いにおいが店内を包み込んだ。
コーヒーの香りではあるけれど、同時に“焦がした時間”のにおいでもある。よりによって豆は一番人気のブラジルで、溜息は一層深まった。
「お疲れ……ですね」
由依の気づかいを、七里は手をひらひらさせて否定した。
それでも、胸の奥に小さな痛みが残る。
超人の五感を研ぎ澄ませて焙煎具合を読むのが自分の強みだ。
失敗の原因はわかっている。昨夜の戦闘。銀座の火災だ。
心はまだ、煙の中にある。
「気づいてくれて助かったよ」
「私、鼻がいいんです」
ふふと笑って、由依はカウンターを離れた。
動きに合わせて、ロングメイド服のスカートがたゆたう。
店内に、白いフリルが一輪の花のように浮かんだ。
由依は、下膳作業をして、カップを洗い場へと入れ始めた。
「もしかして、銀座襲撃に行ったんですか?」
「あ、あぁ、もちろん!」
驚いて、処分するはずの豆が網から数粒こぼれた。
由依が言っているのは、ブレイカーのファンとして現場に応援に駆け付けたかどうか――、そのはずだ。
「慣れてない場所だと、違うものですか?」
「そうだね――。通りの名前とか知らないしさ。新宿なら庭みたいなもんだけど」
ブラックサイクロンがしでかした火災は厄介だった。
新宿ならヴィラン警報と共に建物から退避する習慣があるが、銀座では、そうはいかなかった。火災現場に避難しそこなった人がいないかくまなく探し回ったのだ。おかげで、シャワーを浴びたにも関わらず、まだ匂う気がする。
「俺、煙臭いかな?」
「――、いいえ。焦げた感じじゃなくて、香ばしい香りですよ」
由依の言葉が、煙たさと混ざって、やわらかく空気を包む。
七里は小さく笑い、こぼれた豆を拾いながらつぶやく。
「……なら、いいや」
煙くさいのも、悪くない。
誰かに香ばしいと言ってもらえるだけで、救われた気がする。
そのとき、ウィンドウチャイムが軽やかに鳴った。
「おはよう! ニュースマン|大豆戸(まめど)、ただいま登場でーす!」
由依がびくっとして、洗っていたカップを落としそうになる。
七里は反射的に背筋を伸ばした。
「大平さん、お早いですね」
いつもなら大平は、昼間には来ない。それに、実況中のようにテンションが高い。
「いやぁ〜、実は落ち込んでてね!」
大平はコートを脱ぐと、案内も待たずにいつもの席に陣取る。
「間に合っても、間に合わなくても炎上しちゃうんだもん。なら、間に合ってpv数稼げる方がいいよね。|大豆戸(まめど)だけに煎り豆になっちゃうよねぇ!」
由依が笑いをこらえるように口元を押さえた。
「香ばしい実況ですね」
「でしょ? 香ばしい系実況者ってことで売り出そうかなって思って」
「大事なのは、そのあとどうやって立て直すか、ですよね」
由依の真顔に、七里が頷く。
「……そうだな。焙煎やり直すか!」
「じゃあ、私は焙煎したてのブラジルで!」
大平は、長居の構えである証として、カバンから新聞を取り出した。一面には銀座の惨状が掲載されている。
「マスターも何か焦がした口ですか?」
「えぇ……。少し火を強くしすぎまして」
七里は生豆を計量器に乗せながら、返事をした。
「わかります……私も、熱くなりすぎました」
由依は後れ毛を、左耳にかけた。耳たぶに小さなほくろを見つけた。
七里は、一瞬、それをコーヒーの粉に見違えた。
「クラスで、“持ってる人が正しいわけじゃないよね”って言ったら、なんか、言葉だけ切り取られてジョークみたいになっちゃって――」
七里は目を丸くした。
「それって、どういう?」
「真面目な発言が、ネタになっちゃうやつです」
「あぁ、#富の再配布みたいなものね。今じゃ、“羨ましい”の代わりに使われるもんね。言葉の流行って流行りすたりが早いから」
大平の言葉に、由依がスポンジを握りこむ。水が滴って、力が入っているのがわかった。
「由依ちゃんの意図、誰かにちゃんと伝わった?」
「さぁ――。どうでしょう。軽いノリになっちゃったら、もう言葉に力はなくなりますよね」
静かな声だけに、由依の落ち込みが痛いほど七里にはよくわかった。
俺は軽いノリでも応援と勘違いし、頼ってしまった。由依ちゃんはちゃんと現実を把握できている。
慰める言葉は、すぐには出なかった。
焙煎機を左手で回しながら、豆の爆ぜる音に耳を澄ます。
今度こそ成功しなければならない。
「軽くても、派手でもいいじゃないですか。映える方が印象に残りますよ」
大平の言葉に、由依が顔を上げたのが空気の流れでわかった。
「今みたいな情報過多な時代には、印象に残ることがどれほど難しいか。心に残れば、わかる人には届きますよ」
大平は笑ってサムズアップした。
「間に合わなければ、映える画像も撮れませんからねぇ。ブレイカーの救助だけじゃ、どうにも――」
由依が「ブレイカー……」と小さくつぶやき、七里は聞き流したふりをして、焙煎機の豆の色を確かめる。
「まぁ、誰だって焦がす日はありますよ」
ついこの間、炎上した大平が気楽に言う。
「でも、焦げて香ばしくなるタイプもいる。ね、七里君?」
「焙煎中に、縁起でもないこと言わんでください」
七里が、ガスを止めた。網へと焙煎したての豆を出すと、白い煙が立った。
由依は、小さな鼻をひくつかせた。
「成功――、ですね」
冷却させながら、七里は頷いた。大平は、新聞に目を落としている。
「実は、コーヒーは、焙煎したては使いません」
「そうなんです?」
「煎りたては、余分なガスが多いので、一週間くらい待つのがオススメです。大平さん、どうされます?」
「私はうまいのがいいね」
七里は、ようやく大平のためにブラジルを入れ始めた。不思議そうな由依が近寄ってくる。
「店長、最初からこうなるってわかってたんですか?」
小声で問う由依に、七里は目で肯定した。
「大平さんは、元新聞記者だからね」
「新聞?」
話の前後が合わずに、由依が首を傾げる。
「今は即効性のある実況をされているけれど、裏を取って真実を記す新聞の方がお好きなんだ」
由依が、大平へと目を向けた。その視線が、さっきまでの厄介な常連客から、やや変わったように見える。
七里は、由依を横目で見つつ、挽き終わった粉をサイフォンへと移した。ガスをつける。
「見える物と中は違うってこと――、ですか?」
「言葉をちゃんと受け止めた人を大事にするといいよ。価値観が似てるってレアだから」
学校で何かあった由依に、大人として何か慰めになる言葉を伝えたかった。けれど、実際には自分の傷がえぐられる。
そんな人がいたら――。
視聴者がいなくても、誰かに信じてもらいたい。
俺は何て――。
「私って、弱いな――」
自評と同じ言葉に、七里は目を見開いた。
コポコポとサイフォンに湯が上がってくるのを、急いでかき回す。
「俺もそうだよ。だから、ゴールデンジムに通ってる」
「若者がなぁに言ってるの。私なんておじいちゃんなんだから労わって欲しいよ」
大平が、新聞を畳みながら、哀れな声を出した。由依と七里は顔を見合わせて、笑った。
大平にブラジルを提供し終わって由依が、カウンターに戻ってきた。
笑ったからか、表情がさっきよりもほぐれている。
七里は、ふと、深いワインレッドの箱を思い出した。
「チョコ、食べる?」
由依の代わりに、大平が「いただこう!」と返事をした。
「貰い物ですけど、どうぞ」
ワインレッドの箱を、棚から取り出して、カウンターに置いた。リボンに挟まれた紙をそっと引き抜いた。中を一瞬確かめてから、箱を開ける。
中には、艶々のボンボンショコラが並んでいる。一粒ごとに金箔があしらわれているそれを、七里は一粒だけ皿に取り分けて大平に出した。戻ってから由依に箱を傾けた。
「ねぇ、これバレンタインチョコでしょ!」
「あぁ、荏田さんから。ほら、ケーキ屋の」
ボンボンショコラを取ろうとしていた由依の手が止まった。
「さすが本職! いや待てよ。もしかして、本命チョコ!?」
大平は、そう言いながらボンボンショコラを口に入れた。おいしいと言いながら、コーヒーをすする。
まったく――。いらないことを言うから、由依ちゃんが遠慮しちゃうだろ。
せっかく元気になって欲しくて出したチョコが台無しで、苦笑してしまう。
「本命なら人にオススメしませんよ」
どう?と再度勧めると、由依は恐る恐るボンボンショコラをつまんだ。しげしげとみてから、飾らない口に入れる。
七里も、由依が選んだ四角いボンボンショコラを口に含んだ。
チョコは口の中ですぐに溶けた。中からキャラメルが出てくる。
「……、ちょっとピリピリする。何味だろ」
「私も――」
七里は、さっき脇に置いた手書きのお品書きを開いた。由依も思わず覗き込む。
絵と一緒に、プラリネ、キャラメル、ガナッシュとあった。
それ以外の言葉は何もない。
由依はそっと息を吐いた。甘い匂いがする。
「キャラメル……かな」
「キャラメルはピリピリしないでしょお。私はナッツだから、プラリネだね」
いつの間にか近寄ってきた大平まで、紙を見ている。
「ガナッシュはチョコ味だから、やっぱりキャラメルってことかな?」
「キャラメルにしては、刺激的ですけど――」
焦がしキャラメルという線も捨てがたかったが、どうも違う気がする。
「あれだ! ロシアンチョコだよ! デスソースか何かが入ってる。これは、意味深ですよ。七里君」
「えぇ!? どういうことですか?」
大平の声が大きくなる。
「つまりね。ちゃんと自分で食べたかどうか探られてるってこと」
「そんな探り方します?」
相手は荏田さんだ。売り物を渡しておいて、食べたかどうか探るようなことはしないだろう。俺だって、客に売ったコーヒー豆を飲んだかどうか気にしたことはない。
「次、荏田さんに会ったとき「おいしかったですよ」だと不合格。「ロシアンチョコおもしろかったですよ」が正解」
「そんな手の込んだ謎かけするかな」
由依ちゃんまでが真剣に考えだした。
さすが大平さんだ。
俺なぞでは、おいしいものを出すことしか思いつかなかった。
マーブルケーキは二度目だからと、チョコにしただけだった。
それを、ありえないロシアンチョコの話題にすることで、笑い話にしてくれているのだろう。
どんな味でも、焦げでも、悪くない。
「――、じゃあ、由依ちゃんと俺はアタリってことで」
笑って、ワインレッドの箱を片付ける。
由依ちゃんが、箱を目で追っているのに気が付いて、七里はまたしくじったと思った。
一粒だけあげるなぞせずに、全部食べてしまえばよかった。
ケチくさい自分が嫌になる。
「今度、私も持ってきます」
「うん?」
「バレンタインチョコ」
バイトに気を遣わせっぱなしで、もう笑うしかない。