Have a break? ― ヒーロー店主とヴィランメイド ― 作:藍色 紺
外で、バイクにU字ロックをかける音がした。
それで、大急ぎでロッカー室から店内に戻る。
いつもの笑顔の仮面を被る。
手袋のベルト、プロテクター、革の擦れる音。
|店長(マスター)が、追っかけから店長に戻る音を聞きながら、バイトとして何をしていれば自然か考える。
閉店の三十分前、いつもなら机を磨く時間だ。
ストーブにかかったやかんから、お湯を貰い、机を磨き始める。
店長の足音、鍵の音、喫茶まきの裏にある管理人室の扉が開く気配。
そういえば、以前は店内にあった店長のヘルメットは、あれから管理人室に置かれるようになった。
白地に虹色のヘルメットは、ブレイカーにそっくりだったはずだ。
聞けば、ブレイカーのファンだからとでも誤魔化されてしまう――。
店長が入ってくるまで、思ったよりも時間がかかる。
台拭きをお湯で洗い、固く絞る。思わずため息が出たとき、扉が開いた。
「ごめん、遅くなって――」
聞かれたに決まっている。
店長は目を大きく見開いた後、両手で拝む真似をした。
穏やかな声色、少し疲れた顔で微笑む。
店内を一瞥すると、カウンターの中に入った。
――違うって言って欲しい。
確かめて、もしブレイカーだったら?
息を吸う。トクンと、脈が聞こえた。
「見えました?」
「え?」
店長がこっちに向いた。
逃げたくなる。
――でも、逃げない。
「……ブレイカー、見に行ったんですよね?」
言ってしまった。
声が震えなかったことに、自分がいちばん驚いている。
「ちょっとだけね。ドローンが真っ二つに割られちゃったから、途中で見失ったし」
そう言って軽く笑う。
誤魔化している――そう思うのに、内容自体は筋が通っている。
ドローンの映像は途切れたはずだし、ニュースマン|大豆戸(まめど)も、そう実況していた。店長が追えなかった理由としては、不自然じゃない。
分析のピースがつながって、胸の中の恐怖が少しだけ形を変えはじめた。
ブレイカーのファンだから、似てるだけ。
店長が、無造作に髪をかき上げた。
ふわりと革の匂い。
熱の残る汗の匂い。
その奥に、わずかに錆びた鉄の匂いが混じった。
――、血だ。
強引に導かれた分析結果が、一瞬で白く塗りつぶされる。
考えるより先に身体が動いていた。
カウンターに踏み込み、店長の右腕を掴む。
見逃さなかった。
店長の眉が、一瞬だけ寄った。
痛みを堪える、ほんのわずかな表情。
掌には、熱を孕んだ脈が触れる。
……やっぱりだ。
同じ場所に、同じ痛みがある。
喉の奥が熱くなった。
息が震える。
苦しくて、嬉しい。
「ゆ――」
その一音で、サザンテラスの夜がよみがえる。
――あの時、笑ってしまった。
自分でさえ気づいていない私自身に、初めて触れられた気がした。
女王様であり、かわいいをしたい和田由依であり、全部ひっくるめた自分を、見つけられた解放感。
見つけてくれたのが、店長で、苦しくて、嬉しかった。
「由依ちゃん?」
あの時、聞かずに終わらせた名前が、普通に喫茶まきで呼ばれる。
逃げられない距離で。
メイド服の下で、網タイツが心地悪い。
かわいいを取り繕えず、顔が歪んだ。掴んだ手をそっと離す。
□━━━■
喫茶まきの灯りが見えた。
エンジンの回転数を僅かに上げ、クラッチをつなぐ。ギアを落としてゆっくり路地を戻ってきた。
ヘルメットを脱ぎ、口元を引き締める。
言わない。
確かめない。
ここでは、俺は店長だ。
U字ロックをかけ、グローブを外す。ライダースーツのチャックを開けて、外気を取り込むと寒さに身震いした。
管理人室から、喫茶まきに戻る僅かな距離で、もう一度たぐり寄せる。
扉を開けた瞬間、由依ちゃんの大きなため息が重なった。
「ごめん、遅くなって――」
店内の温度は妙に冷えていた。ストーブはついているのに、あまり暖かくない。
誰がストーブを消したのか考えるのが怖くて、カウンターの中に逃げ込んだ。
閉店まで三十分。今日をやり過ごせば、明日からは元通りにふるまえるはずだ。
「見えました?」
「え?」
何が? ほくろ? それとも――。
危うく自分の疑いを口にしそうになって、ぎりぎりで飲み込む。
「……ブレイカー、見に行ったんですよね?」
まっすぐな瞳は、ただの確認なのか、それとも……。
逃げない姿勢に、サザンテラスで戦った女王様が重なって、笑って自分を誤魔化す。
これ以上疑惑のかけらを見つけてしまったら、もう確かめずにはいられなくなってしまう。
「ちょっとだけね。ドローンが真っ二つに割られちゃったから、途中で見失ったし」
自然に言えたはずだ。
ガスの元栓を確認して身体を起こす。ヘルメットを脱いだ時に持ち上がった前髪が鬱陶しくて、かき上げる。
由依ちゃんは、突然カウンターに踏み込んできた。
前触れもなく、右腕を捕まれる。怪我したところを的確に、外さなかった。
「……っ」
痛みで顔がわずかに歪む。
が、それよりも、掴んだ手の震えの方が胸に刺さった。
顔が近い。
そっくりの切れ長の目が、まるで答え合わせをするみたいに揺れている。
「ゆ――」
思わず名前を呼ぼうとして、由依ちゃんの目がすぼまり、言い淀んだ。
失敗した。
同じ状況で、また同じように言いよどむ。
俺の心が弱いせいで、由依ちゃんを怯えさせている。
あのとき、俺は呼んではいけなかった。
呼んだら、二度と店長とバイトには戻れない。
でも、今は呼ぶべきだ。
「由依ちゃん?」
ちゃんと呼べて、ようやく微笑めた。
俺を掴む手がやっと離れる。
由依ちゃんは、自分を抱きしめるように両腕を引き寄せた。
「――、ブレイカー?」
疑われている。
俺が気づいたのと同じだ。
この距離で、気づかないわけがない。
でも――、完全にバレたとは思いたくなかった。
失う方が、よっぽど怖い。
「……ブレイカーがどうかした?」
もし、由依ちゃんが女王様なら……。
帰り道、何度だって考えた。
もしそうなら、もう戦えない。
顔も知らない相手だったから、超人パワーで殴れた。
知っている相手なら、できるわけない。
由依ちゃんは、――大切だから。
壊すしかできない自分は嫌で、それでも、「応援」があることで、戦いに意味があると思えていた。
理想の自分が、自己嫌悪に塗りつぶされる。
それでも、正義を信じられるのは、社会に憧れがあるからだ。
頑張ることが報われて欲しいのに、ブラックサイクロンは、折り合いをつけて頑張る人たちを焚きつける。代わりなんてないのに――許せない。
俺にとってのささやかな幸せは、喫茶まきでコーヒーを淹れ、由依ちゃんとラテアートをしていることだと気づいたとき――、疑うのはやめることにした。
ほくろなんて、数えれば増えると言われるほど無数にあるもんだ。
ほくろ一つで証拠になるなら、誰だって女王様の可能性がある。
由依ちゃんの喉が、上下した。
沈黙の合間に、やかんから蒸気がたつ音が聞こえる。
「……店長が、似てるなって……」
「やった! 似せてるからね」
絶対に踏み込ませるつもりはない。
由依ちゃんが、言葉を飲み込む前に、いわゆる力こぶを見せる。
「ジムで、相談してるんだ。ブレイカーの筋肉をデザインするために、どうトレーニングすればいいかって」
まだ高校生で、純粋で努力家で、不器用でかわいい由依ちゃんには、俺ができなかったこと、失ったこと、壊してしまったことを味わわせたくない。
ちゃんと社会に繋がって、真っ直ぐな未来にいて欲しい。
女王様?
違え。違う。
女王様なわけがない。
あの薬を飲んだなんて信じたくない。
わかっている。由依ちゃんを守るなんて言いながら、理想の自分を守っている。
ブレイカーではなく、長谷七里として。
何が正しくて、何が間違っているのか、わからない。
「……そう、なんですね」
由依ちゃんの声が沈み、うつむいた。
その動きで、後れ毛が頬に落ちた。白いうなじと耳がのぞく。
灯りが、耳の小さなほくろを照らした。
――同じだ。
喉が詰まり、気づいたら指先が伸びていた。
「あ……」
由依ちゃんが身じろぎする声で、我に返った。
手が触れていた。
女王様のマスクが裂けた、その奥にあった耳と――
まったく同じ場所を。
「う、うぅあ……。ごめん。違うんだ、これは……。つい。いや、触っておいて言い訳がましいよな……」
言い訳が全部崩れていく。
触れてはいけない場所に触れた指先が、熱い。
弱さと衝動が丸裸になっていく。
「本当に……ごめん! 二度と触らない」
必死に手を引っ込めた。
営業時間終了を告げるオルゴール音が響いた。
由依ちゃんは、びくりと肩を揺らした。
俺を見上げる顔は真っ赤で、目は潤んでいる。
どうして――?
次の瞬間、くるりと背を向けた。
ロングメイドのスカートの裾が弧を描く。
声をかける暇もなく、由依ちゃんは、裏口から出て行った。
足早に。
まるで逃げるみたいに。
扉が閉まる音が、やけに大きく響いた。
……なんで、触っちまったんだろう。
あんな顔、させるつもりじゃなかった。
ましてや、着替えもせず、逃げられるなんて……。
七里は、まだ明るい店内でしゃがみ込んだ。
頭を抱える。
触れた指先が、火傷をしたように熱い。