Have a break? ― ヒーロー店主とヴィランメイド ―   作:藍色 紺

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□■ 第15話 触れると溶ける、触れないと壊れる

 外で、バイクにU字ロックをかける音がした。

 それで、大急ぎでロッカー室から店内に戻る。

 いつもの笑顔の仮面を被る。

 

 手袋のベルト、プロテクター、革の擦れる音。

|店長(マスター)が、追っかけから店長に戻る音を聞きながら、バイトとして何をしていれば自然か考える。

 閉店の三十分前、いつもなら机を磨く時間だ。

 

 ストーブにかかったやかんから、お湯を貰い、机を磨き始める。

 店長の足音、鍵の音、喫茶まきの裏にある管理人室の扉が開く気配。

 

 そういえば、以前は店内にあった店長のヘルメットは、あれから管理人室に置かれるようになった。

 白地に虹色のヘルメットは、ブレイカーにそっくりだったはずだ。

 聞けば、ブレイカーのファンだからとでも誤魔化されてしまう――。

 

 店長が入ってくるまで、思ったよりも時間がかかる。

 台拭きをお湯で洗い、固く絞る。思わずため息が出たとき、扉が開いた。

 

「ごめん、遅くなって――」

 

 聞かれたに決まっている。

 店長は目を大きく見開いた後、両手で拝む真似をした。

 穏やかな声色、少し疲れた顔で微笑む。

 店内を一瞥すると、カウンターの中に入った。

 

 ――違うって言って欲しい。

 確かめて、もしブレイカーだったら?

 

 息を吸う。トクンと、脈が聞こえた。

 

「見えました?」

 

「え?」

 

 店長がこっちに向いた。

 逃げたくなる。

――でも、逃げない。

 

「……ブレイカー、見に行ったんですよね?」

 

 言ってしまった。

 声が震えなかったことに、自分がいちばん驚いている。

 

「ちょっとだけね。ドローンが真っ二つに割られちゃったから、途中で見失ったし」

 

 そう言って軽く笑う。

 誤魔化している――そう思うのに、内容自体は筋が通っている。

 

 ドローンの映像は途切れたはずだし、ニュースマン|大豆戸(まめど)も、そう実況していた。店長が追えなかった理由としては、不自然じゃない。

 

 分析のピースがつながって、胸の中の恐怖が少しだけ形を変えはじめた。

 

 ブレイカーのファンだから、似てるだけ。

 

 店長が、無造作に髪をかき上げた。

 ふわりと革の匂い。

熱の残る汗の匂い。

 その奥に、わずかに錆びた鉄の匂いが混じった。

 

 ――、血だ。

 

 強引に導かれた分析結果が、一瞬で白く塗りつぶされる。

 

 考えるより先に身体が動いていた。

 

 カウンターに踏み込み、店長の右腕を掴む。

 見逃さなかった。

 

 店長の眉が、一瞬だけ寄った。

痛みを堪える、ほんのわずかな表情。

 掌には、熱を孕んだ脈が触れる。

 

 ……やっぱりだ。

同じ場所に、同じ痛みがある。

 

喉の奥が熱くなった。

息が震える。

苦しくて、嬉しい。

 

「ゆ――」

 

 その一音で、サザンテラスの夜がよみがえる。

 

 ――あの時、笑ってしまった。

 自分でさえ気づいていない私自身に、初めて触れられた気がした。

 女王様であり、かわいいをしたい和田由依であり、全部ひっくるめた自分を、見つけられた解放感。

 見つけてくれたのが、店長で、苦しくて、嬉しかった。

 

「由依ちゃん?」

 

 あの時、聞かずに終わらせた名前が、普通に喫茶まきで呼ばれる。

 逃げられない距離で。

 

 メイド服の下で、網タイツが心地悪い。

 かわいいを取り繕えず、顔が歪んだ。掴んだ手をそっと離す。

 

 

□━━━■

 

 

 喫茶まきの灯りが見えた。

 エンジンの回転数を僅かに上げ、クラッチをつなぐ。ギアを落としてゆっくり路地を戻ってきた。

 ヘルメットを脱ぎ、口元を引き締める。

 

 言わない。

 確かめない。

 ここでは、俺は店長だ。

 

 U字ロックをかけ、グローブを外す。ライダースーツのチャックを開けて、外気を取り込むと寒さに身震いした。

 管理人室から、喫茶まきに戻る僅かな距離で、もう一度たぐり寄せる。

 

 扉を開けた瞬間、由依ちゃんの大きなため息が重なった。

 

「ごめん、遅くなって――」

 

 店内の温度は妙に冷えていた。ストーブはついているのに、あまり暖かくない。

 誰がストーブを消したのか考えるのが怖くて、カウンターの中に逃げ込んだ。

閉店まで三十分。今日をやり過ごせば、明日からは元通りにふるまえるはずだ。

 

「見えました?」

 

「え?」

 

 何が? ほくろ? それとも――。

 危うく自分の疑いを口にしそうになって、ぎりぎりで飲み込む。

 

「……ブレイカー、見に行ったんですよね?」

 

 まっすぐな瞳は、ただの確認なのか、それとも……。

 

 逃げない姿勢に、サザンテラスで戦った女王様が重なって、笑って自分を誤魔化す。

 これ以上疑惑のかけらを見つけてしまったら、もう確かめずにはいられなくなってしまう。

 

「ちょっとだけね。ドローンが真っ二つに割られちゃったから、途中で見失ったし」

 

 自然に言えたはずだ。

 ガスの元栓を確認して身体を起こす。ヘルメットを脱いだ時に持ち上がった前髪が鬱陶しくて、かき上げる。

 

 由依ちゃんは、突然カウンターに踏み込んできた。

 前触れもなく、右腕を捕まれる。怪我したところを的確に、外さなかった。

 

「……っ」

 

 痛みで顔がわずかに歪む。

が、それよりも、掴んだ手の震えの方が胸に刺さった。

 

 顔が近い。

 そっくりの切れ長の目が、まるで答え合わせをするみたいに揺れている。

 

「ゆ――」

 

 思わず名前を呼ぼうとして、由依ちゃんの目がすぼまり、言い淀んだ。

失敗した。

 

 同じ状況で、また同じように言いよどむ。

 俺の心が弱いせいで、由依ちゃんを怯えさせている。

 

 あのとき、俺は呼んではいけなかった。

 呼んだら、二度と店長とバイトには戻れない。

 でも、今は呼ぶべきだ。

 

「由依ちゃん?」

 

 ちゃんと呼べて、ようやく微笑めた。

 俺を掴む手がやっと離れる。

 由依ちゃんは、自分を抱きしめるように両腕を引き寄せた。

 

「――、ブレイカー?」

 

 疑われている。

 俺が気づいたのと同じだ。

 

 この距離で、気づかないわけがない。

 でも――、完全にバレたとは思いたくなかった。

 失う方が、よっぽど怖い。

 

「……ブレイカーがどうかした?」

 

 もし、由依ちゃんが女王様なら……。

 帰り道、何度だって考えた。

 

 もしそうなら、もう戦えない。

 顔も知らない相手だったから、超人パワーで殴れた。

 知っている相手なら、できるわけない。

 由依ちゃんは、――大切だから。

 

 壊すしかできない自分は嫌で、それでも、「応援」があることで、戦いに意味があると思えていた。

 

理想の自分が、自己嫌悪に塗りつぶされる。

 それでも、正義を信じられるのは、社会に憧れがあるからだ。

 頑張ることが報われて欲しいのに、ブラックサイクロンは、折り合いをつけて頑張る人たちを焚きつける。代わりなんてないのに――許せない。

 

 俺にとってのささやかな幸せは、喫茶まきでコーヒーを淹れ、由依ちゃんとラテアートをしていることだと気づいたとき――、疑うのはやめることにした。

 

 ほくろなんて、数えれば増えると言われるほど無数にあるもんだ。

 ほくろ一つで証拠になるなら、誰だって女王様の可能性がある。

 

 由依ちゃんの喉が、上下した。

 沈黙の合間に、やかんから蒸気がたつ音が聞こえる。

 

「……店長が、似てるなって……」

 

「やった! 似せてるからね」

 

 絶対に踏み込ませるつもりはない。

 

 由依ちゃんが、言葉を飲み込む前に、いわゆる力こぶを見せる。

 

「ジムで、相談してるんだ。ブレイカーの筋肉をデザインするために、どうトレーニングすればいいかって」

 

 まだ高校生で、純粋で努力家で、不器用でかわいい由依ちゃんには、俺ができなかったこと、失ったこと、壊してしまったことを味わわせたくない。

 ちゃんと社会に繋がって、真っ直ぐな未来にいて欲しい。

 

 女王様?

 違え。違う。

 女王様なわけがない。

 あの薬を飲んだなんて信じたくない。

 

 わかっている。由依ちゃんを守るなんて言いながら、理想の自分を守っている。

 ブレイカーではなく、長谷七里として。

 何が正しくて、何が間違っているのか、わからない。

 

「……そう、なんですね」

 

 由依ちゃんの声が沈み、うつむいた。

 その動きで、後れ毛が頬に落ちた。白いうなじと耳がのぞく。

 

 灯りが、耳の小さなほくろを照らした。

 

 ――同じだ。

 

 喉が詰まり、気づいたら指先が伸びていた。

 

「あ……」

 

 由依ちゃんが身じろぎする声で、我に返った。

 

 手が触れていた。

 女王様のマスクが裂けた、その奥にあった耳と――

 まったく同じ場所を。

 

「う、うぅあ……。ごめん。違うんだ、これは……。つい。いや、触っておいて言い訳がましいよな……」

 

 言い訳が全部崩れていく。

 触れてはいけない場所に触れた指先が、熱い。

 弱さと衝動が丸裸になっていく。

 

「本当に……ごめん! 二度と触らない」

 

 必死に手を引っ込めた。

 営業時間終了を告げるオルゴール音が響いた。

 

 由依ちゃんは、びくりと肩を揺らした。

 俺を見上げる顔は真っ赤で、目は潤んでいる。

 

 どうして――?

 

 次の瞬間、くるりと背を向けた。

 ロングメイドのスカートの裾が弧を描く。

 声をかける暇もなく、由依ちゃんは、裏口から出て行った。

 

 足早に。

 まるで逃げるみたいに。

 

 扉が閉まる音が、やけに大きく響いた。

 

 ……なんで、触っちまったんだろう。

 あんな顔、させるつもりじゃなかった。

 ましてや、着替えもせず、逃げられるなんて……。

 

 七里は、まだ明るい店内でしゃがみ込んだ。

頭を抱える。

 触れた指先が、火傷をしたように熱い。

 

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