Have a break? ― ヒーロー店主とヴィランメイド ― 作:藍色 紺
「ずるい」
サザンテラスの夜から、何度も同じことを言ってしまう。
店長がブレイカーなら、私が女王様だって気づいたはず。
私なら、絶対に確かめるのに。
なのに、店長は何も言わなかった。
――ずるい。
右腕の服をめくればよかった。
雷マークの傷があれば、もう決まり。
でも、しなかった。できなかった。
気づかれたのか、気づいてないのか。
気づいてないなら、なんで触ったのか。
考えても答えはでない。
ずるいずるいと言いながら、ベッドに並べた服とにらめっこする。
そもそも私服はあんまり持っていない。
ボンテージの種類の方が多いくらい。
ズボンとなると、黒スキニーしかない。
となると、上はかわいくしたい。
ついつい荏田さんの服を思い出してしまう。
カシミアのセーターだった。
そんないいもの持ってない。
あるのは、制服に合わせているカーディガンか、トレーナーだ。だぶだぶのオーバーサイズ。コートは学校のしかない。
鏡に映る自分を見て、また溜息が出た。
「いきなり明日ってのもずるいよ」
なんか武器が欲しくて、ドラッグストアで、色つきリップを買った。
□━━━□
クローズドがかかった喫茶まきに入るのは二度目だ。
バイトに応募したときよりも、緊張しながらドアを押すと、中からコーヒーの香りが迎えてくれた。
「おはよう」
カウンターの奥から、店長が水筒を手に出て来た。
「ズボン、似合ってるね」
褒められたのに、口が尖ってしまう。
白Tシャツにグレーのスウェット、インディゴのデニム。何の変哲もない組み合わせなのに、なんだかいつもと違う。
エプロンがないだけ?
わからないまま、自分の唇が気になった。
私が気づいたみたいに、店長もリップに気づいたりするのかな。
武器が弱点になるみたいで、逃げたくなる。
「それじゃ寒いからさ、嫌じゃなかったら」
店長が、カウンター席にかけていた真っ黒の防寒ジャケットを差し出した。
受け取って、固まる。
どうすればいいの?
「バイクに乗るからさ。貸すってこと」
いつもの店長の声なのに、どこか言葉を選んでいるようで、目の下が少し赤く見えた。
胸の奥に炎が灯ったように、熱くなってしまう。
「そんな……っ、大丈夫です……」
ズボンと言われたときに気がづけばよかった。
バイクに乗るんだ――。
言い訳を重ねようとしたら、店長の笑顔で止められた。
「だめ。寒いと乗ってる最中、力入らなくなる。ほら」
もう断れない。
広げられたジャケットに腕を通す。
「ん。なんか、中にごつごつしたのが入ってる」
「プロテクター。これの方が安全だから」
バイク用なんだ。
肩と肘、背中に硬質のパッドが入っているけど、内側はふかふかの綿で着心地がいい。袖口は二重になっていて、残念ながら手は隠れて出なかった。
かすかに残る店長の匂いに気が付いて、妙に鼓動が早まる。
「じゃあ、店長は?」
店長は、裏手から出て行って、管理人室から茶色の革ジャケットを羽織ってきた。
見たことのないヘルメットも二つ持っている。
「ヘルメット、白じゃないんですね」
「だってあれ、ブレイカーのコスプレ用だし」
鼻の先を掻く仕草が、妙に子供っぽい。
「三つあるヘルメットの残り――なんですね」
「そゆこと」
嘘本当ゲームのピースがまた一つ埋まって、妙にはしゃいだ気持ちになった。
「じゃ、出ようか。……あ、やべ。俺のバイク、タンデムバーないんだった……」
店長がバイクを広いところに移動させながら、ぽつりと言った。
「タンデムバー?」
大きなバイクを切り返しながら、店長がバイクの後ろの方を指さした。
「後ろに乗る人が掴まるとこのこと。今日はベルト握ってて」
シートについているベルトをパチンとはじく。
バイクに乗るのも初めてなら、動かすのに手間がかかるのと知るのも初めてで、何も言えない。ただ茫然と立ち尽くすことしかできない。
「……誰か乗せること、考えたことなかったから……。インカムは買ったんだけどな」
インカム?
聞こうとして、躊躇った。
何も知らないって思われたくない。
ヘルメットをかぶる店長を見様見真似し、言われるがまま店長の後ろにまたがった。思ったよりも高い。
「落っことさないように運転する」
店長の声が耳元で聞こえた。
あ、インカムってヘルメットつけてても話せるようにつけてるやつなんだ。
「動くよ」
身体のすぐ下でエンジンが唸った。
「ひゃい」
裏返った返事に、低く笑う声が聞こえる。ぐんと前に引っ張られて、慌てて身体を固めた。
バイクのエンジンの震えが、身体に伝わってくる。車体が傾くたびに店長の身体がしなる。
背中、広い……。
風が通り抜ける爽快感。店長の大きな身体で、前からの風から守られている。
白づくめのブレイカーとは違う、色のついたヘルメットに私服。
知らなかった店長の――、長谷七里の一面だ。
ぼんやり眺めていたら、急に前のめりになった。
店長のヘルメットにヘルメットが当たる。
「ごめんなさい」
「悪ぃ、信号。優しくするね」
信号――。
そうか、私が体幹で前にズレるのを防げばいいんだ。
内股に力を入れて、バイクを挟む。
それでも、ヘルメットは信号のたびにぶつかった。
どうにかしたくても、もうどうにもならない。
□━━━□
バイクが止まったのは、倉庫みたいな建物の前だった。
コーヒー豆の匂いが風に混じって流れてくる。
「ちょっとだけ寄るね」
店長は店の人に挨拶して、案内された豆を手にとった。
目に近づけて粒を確かめ、指で軽く転がして匂いを嗅いだ。
店の人が、店長を見ながら苦笑する。
「長谷君、豆に関してはめんどくさいから」
店長は、慣れた手つきで重い麻袋を持ち上げた。会計するその横顔は、喫茶まきの店長とは違う風に見える。大人っぽさが遠くもあり、ラフな私服が身近にも感じさせる。近いのに、少し遠い。
なんだか迷子になったように胸がざわつく。
「|店長(マスター)……」
柄にもなく、小声で呼んでしまう。
お財布をしまっていた店長が、私を振り向いて、唇に指をあてた。静かに目を細める。
「お店の外では、店長じゃない、かな」
背を屈ませて、耳に囁かれる。
驚いて、そのまま見上げた。口をパクパクさせるしかない。心臓がバイクのエンジンみたいに忙しい。
どやって呼べばいいの?
女子高だから、男子の呼び方なんて知らない。
呼び捨ては変だし、下の名前――、絶対無理。
散々迷う。
「長谷……さん?」
その瞬間、店長――長谷さんの表情がふっとほどけた。
□━━━□
長谷さんが先にバイクにまたがったら、次は私の番。
ちょっとは慣れたところを見せたくて、今度は思い切りよくまたがった。
左手を肩に置いた瞬間、掴まれた。
そのまま、店長の腰に巻きつけられる。
「こっちのが安定しそ」
しがみついたような体勢で、何も言えないままバイクが動き出す。
革ジャケットの表面は冷たいのに、巻きつけた腕と、ジャケットの中に入った手が長谷さんの体温で温まる。
「もっと寄っていいよ」
信号で、脳に響く声で言われた瞬間、世界が真っ白になった。
とにかく心臓がバクバクしてて、店長の体温が革を隔てて伝わってくるのも、バイクの回転数がかわるのも、インカムで聞こえる息遣いも、何もかもが情報過多で平常心を保てない。
もしかして、私の息も聞こえてるのかもと思うと、鼻で息をすればいいのか、口なのか、もう何もわからない。
息を止めては苦しくなって、吐き出せば大きな音になり、吐くのも吸うのも恥ずかしい。
「苦しい?」
「大丈夫です!」
本当は苦しいんじゃなくて――足りない。
店までは十分くらいのはずだ。
あっという間に終わるのが物足りない。
もっとこうしてたい。
その願いが届いたのか、車線が広がって、風が一気に強くなった。
え、高速道路?
「ベイブリッジ」
左前方に見える白い橋脚、見たことのある風景。
どこかに行っている不安より、興奮の方が大きい。
路面の継ぎ目を通るたびに、車体ごと身体も跳ねる。
こんなスピードで、こんな高いところを通るのは初めてだ。
長谷さんの身体にしがみつく腕に、力を入れて一つの塊になれば、怖さはなくなった。
「もうすぐ降りるから」
長谷さんの声で、ようやく息をしていたことに気づいた。
□━━━□
公園らしき場所に着き、 横浜の海を見下ろす公園に着き、ヘルメットを外すと、冷気が一気に頬をなでた。
寒さより、離れたことの方が寂しい。
手招きされて、階段を六段上ると、眼下には、横浜の海が広がっていた。
「すご……。こんなところ、初めて……」
海と空の境界が溶ける景色。
船がゆっくりと横切る。
「あ、あれを渡ったってことですか?」
海にかかるベイブリッジを指さして、長谷さんを振り返る。
「ちょっと遠回りしちゃったけど、気持ちよかったでしょ」
目があった。
ふっと、長谷さんが笑う。
普段より少しラフな髪が、海風に揺れる。
それを手で整える仕草も、なんだかかわいい。
ぎこちなかった昨日も、息の仕方まで忘れていたのも嘘みたいに、自然と笑い返してしまう。
そっか、店長――、長谷さんが私を連れて来た理由はこれなんだ。
私のままでいいんだ。
私なんて、長谷さんを疑ったのに、辞めようとさえ思ってたのに、こんな風に必要だって教えてくれる。
許してくれるんだ。
店長は、白い円錐形の柱についたベンチに座って、ボディバッグから、水筒を出した。
「身体、冷えたでしょ」
白い紙コップに、コーヒーを注ぐ。白い湯気が立った。
「今日のはね、由依ちゃんブレンド」
「えっ。ちょっと……飲む前から緊張するんですけど」
横に並んで、コーヒーを受け取った。
横浜の海を見ながら、喫茶まきのスペシャルを口に運ぶ。
長谷さんが私のために淹れて、持ってきてくれた。その些細な一つずつが、心の奥の氷を静かに溶かしてくれる。
「おいし」
紙コップにリップの色がついた。
その色をどうしたらいいのかわからない。
荏田さんは、カップについたリップを手でぬぐってたっけ、それともそのままだったっけ。
正解なんてわからない。ただ―――
長谷さんに嫌われたくない。
こんな風に、私を大事にしてくれる人、他にいない。
長谷さんの信頼にこたえたい。
どうすることもできないまま、飲み終えると、長谷さんは何も言わずに紙コップを引き取ってくれた。
「じゃあ、帰ろっか」
――、もう?
もっといたかった。けれど、我儘を言うわけにはいかない。
何も言えず、ただ後ろをついていく。
長谷さんは、私にどうして欲しいんだろう。
バイクまで、無言で歩いた。
初めて乗ったバイクへの興奮より、もっと熱い何かが身体の奥を燃やす。
揃ってヘルメットを被り、長谷さんがバイクにまたがる。
「次、乗ってもらうまでに、つけとくわ」
何を?
長谷さんが、バイクのシートを叩いて、タンデムバーのことなんだとわかった。
――次があるんだ。
胸の奥がきゅっと締まった。
長谷さんは、さりげない優しさでいつだって私を導いてくれる。
見たことのない服、行ったことのない場所、店長ではない長谷七里との差。
どれも手が届かなくて、ついていけない寂しさがあった。
でも、長谷さんの初めてと私の初めてが重なることもあるんだ。
一緒にいたら、そういうことも増やしていけるんだ。
時間ならある。
もっと長谷さんを知りたい。もっと一緒にいたい。