Have a break? ― ヒーロー店主とヴィランメイド ―   作:藍色 紺

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■ 第19話 相棒、開ける視界

 日曜夕方、喫茶まきが一番静かな時間なのに、空気は張り詰めている。

 店内にいる客は荏田さんだけで、カウンターでまだ湯気の立つコーヒーで、両手を温めている。

 由依ちゃんは、細々とした雑用をせっせとこなしている。はかどり過ぎて、スプーンセットを作るのは三回目なのに、気の利いた言葉一つ言えないでいる。

 

「……ひどいわね。あの落書き」

 

 荏田さんの声は静かで、ブラックサイクロンへの非難と七里への思いやりがにじんでいる。

 だからこそ、余計に胸に刺さる。

 誰が見ても、ひどいのだ。

 

 七里は返事ができなかった。

 口を開けば怒りしか出てこない。

 けれど、客の前で感情を露わにするのはプロのすることではない。

 隠すこともできず、かといって気持ちを吐き出すこともできない。

 

 ただの落書きじゃない。

 相棒を汚された事実は覆しようがない事実だ。

 

 今までだって、いたずらされる危険性がなかったわけではない。

ただ、レーシングスーツやヘルメットのように、超人パワーを出しているとき、バイクにも独特のカウルが出る。

 

 だから、ブレイカーのだと特定されての落書きではない――はずだ。

 

「落とせないの? ほら、落書きされた壁とかきれいにする方法があるって――」

 

 七里の動きが止まって、荏田さんが言葉を飲み込んだ。

 

「そうよね。できることはやってみたわよね」

 

 七里は、夜通しやった試みを思い出した。

 

 まず、コンパウンドを手に取った。

 バイクの擦り傷はこれで何度も救われてきた。

 でも、タンクの白地に触れた瞬間、七里の手が止まった。

 ――これ以上やれば、ラインごと削れる。

 

 次にシリコンオフ。

 油汚れなら一発だ。

 だが、拭いても拭いても、心に刻まれた傷のように、タンクの稲妻は完全には消えない。

 

「……マジかよ」

 

ついに、ラッカー薄め液に手が伸びた。

これさえ使えば落ちる。

だが、同時に純正塗装も全部溶ける。

黒のラインがゆがむ未来が、一瞬で頭に浮かんだ。

 七里は、拳を握ったまま腕を下ろした。

 

いくつ方法を試しても、落書きは微動だにしないのに、魂の方だけが削れていくような気がする。

 

 道具を地面に置いて、目を閉じる。

白い息が人気のない駐輪場で夜空に消えていく。

……何もできねぇじゃん。

 黒い稲妻は、タンクの真ん中でこちらを嘲笑っていた。

 

 

 CBフォアに出会ったときのことをよく覚えている。

 無駄のない直線のフォルムと色にガツンとやられた。

これだ――と思った。

 太くて落ち着いた咆哮を聞けば、心が躍る。

 

 だから、相棒と一緒にブレイカーで出たかった。

 ヴィラン警報が鳴れば暖機運転なしにかっとばしたし、乗り捨てなければならないときもあった。

 オイル類はこまめに変え、洗車もサビ取りもかかさなかった。

 

「|店長(マスター)」

 

 ――女王様に呼ばれたような冷たさを感じて、震えた。

 顔を上げたら、由依ちゃんが目の前に立っていた。

 

「私、やっぱりシフト増やして欲しいです」

 

 七里は心の中でCBフォアのタンクに触れた。

 二度言われるのは予想外で、しかもお客さんの前だ。

 

「その話は後――」

 

「どうしてだめなんですか? 私、好きなんです。ここが!」

 

 胸の奥が一瞬ざわついた。

 駄々をこねられたことがなく、どうしたらいいのか――。

 断っても二度目を言える強さに、直面したことがない。

 

「バイト、増やしてあげたら? まだ募集かけてるんでしょう?」

 

 アルバイト募集の張り紙は、確かにそのままだ。今までバイトが定着しなかったから、貼りっぱなしがデフォルトになってしまっていた。

 

 七里が由と言わないのを、荏田さんまで首を傾げる。

 七里は、心の中で溜息をついた。

 間接的に伝えることで、由依ちゃんが納得してくれるのなら、荏田さんに間に入ってもらうのも仕方ない。

 

「由依ちゃんに、ちゃんと社会で働くってことを経験して欲しいんだ。バイトばっかじゃなくて……さ」

 

「あら、思ってたより由依ちゃんを大人だと思ってるんですね」

 

 意外な言葉に今度は七里が首をひねった。

 むしろ子供扱いしてるんだけど――。

 

「バイトばっかりの人だっています。私だから、ダメなんですか?」

 

「いや! それは違う!」

 

 衝撃に、思わず声を大きくしてしまった七里を、二人が見つめる。

 

「だからさ……。その――、俺にとって初めてうまくいった相棒だから……」

 

 人を相棒にできた喜びが、関係のグレードアップを怖気させる。

 

 由依ちゃんは、銀色のトレイを抱きしめた。顔がみるみる赤くなるのを見たら、こっちまで熱くなってくる。

 

「わぁ……。傷つくな」

 

 荏田さんがカップをソーサーに置いた。七里は目をまたたかせ、それでもどうにか言葉をひねり出す。

 

「……。理由を教えて欲しい――」

 

「じゃあ私は? ――、それに、パン屋さんたちは? ずっと一緒にやってきたでしょ?」

 

 何を言われているのか理解できずに、また思考が固まる。

 

「違う会社だから……」

 

「そう?」

 

 確か荏田さんの方が三つくらい年下のはずなのに、自分が子供になったように感じるほど、見えているものが違う。

 

「私はね。取引先はより良いものを作りだす仲間だと思ってる」

 

 仲間――。

 

 たぶん俺は間抜けな顔をしているだろう。

 そんな捉え方をしたことはなかった。

 

 喫茶まきのような小さな店でも、出入りの業者はいくつかある。どれが欠けても、困る。

 

 三人の間に、しばしの沈黙が流れた。荏田さんが、七里から視線を外して、小さく笑う。

 ――、ここで誤魔化したら、だめだ。

 

「俺、ずっと一人でやってるって感じちゃってたな――。新しい視点、世界が広がった、マジで――。ありがとう」

 

 言葉にすると、いつもの店内のはずなのに、春がきたみたいに明るく見える。

 荏田さんは今度は本当に笑顔になったように見えた。

 

「……、仕事終わったら、ご飯でも行く?」

 

 軽い誘い方が、かつての同僚たちを思い出させた。もう失ったもの。けれど、近くにあった。

 

「行く」

 

 由依ちゃんのコーヒーより熱い視線を感じながら、黒い稲妻の落書きの痛みが軽くなってることに気が付いた。

 

 ――、この軽さが、後で俺を迷わせることになることには気づかなかった。

 

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