Have a break? ― ヒーロー店主とヴィランメイド ― 作:藍色 紺
渋谷といえばここ。
由依は、通学の六年間通い続けた渋谷の街並みを見つめた。
スクランブル交差点は、信号が青になるたびに群衆が“生きている”みたいに動き出す。
人々が一斉に流れ出すのに、四方からぶつかりそうでぶつからない。
仕事帰りの大人たち、遊びに向かう若者、写真を撮る観光客――。
週末への期待感ではしゃぐ潮流を、由依は冷めた目で見ている。
笑い声、アパレルの大音量の店内BGM、宣伝車の大音量、どれ一つ自分には関係がない。
紺色のコートの襟を寄せ、スクランブル交差点を囲うビルの高さを確かめる。
次の襲撃は、渋谷――。
どこから飛び降り、どの交差点に向かうべきか。
ブラックサイクロンの理念を伝えるために、最も効果的な場所はどこかを計算する。
視界の端で、黒い影が揺れた。
思わず肩が強張る。
……まさか。
ただの黒いパーカーの若者で、目をこすった。
心がざらついていると、世界の輪郭まで歪んで見える。
学校とバイトの合間に、ブラックサイクロンの襲撃計画を練っているけれど、改めて考えると、重点的に新宿を狙った戦略を自画自賛したくなる。
最初、新宿を選んだのは、ただ、学校に近すぎるのは嫌だったからなのに。
働く大人がいて、ターミナル駅で、歓楽街がある。極めつけは都庁。
ブラックサイクロンを広めるのに、新宿以上の場所はなかった。
今は定番を揺るがす時期――。
いつもと違う要素は、人の目をくぎつけにするはずだ。
銀座、女王様不在ときたから、今度は渋谷。
109の赤いネオンを見上げながら、由依はまたタンクの落書きを思い出した。
白い車体にべったりとついた黒い稲妻。息を飲んだあの瞬間。
ブラックサイクロンの影響力が拡大している喜びが、自分に刃になって向かうとは思いもしなかった。
横浜へ連れて行ってくれた高揚感は、今や苦しさで打ち消されている。
楽しかったのに……。
立ち止まったら、歩き出せそうになくて、口元を引き締める。
誰もかれもが楽しそうなのに、私だけが楽しさを壊してる。
道玄坂と文化村通りの分かれ道で足を止めた。
どっちを攻めればより効果的かシミュレーションし、同時に両方が可能だと、はたと気が付いた。
もう戦力や、学校の人目を気にしないでブラックサイクロンだけに専念できるんだ。
人々の熱気を、木枯らしが通り抜ける。けれど、渋谷の熱は冷めない。
星の数ほどもある飲食店を見て、由依は奇妙な感覚を感じた。
長谷さんと荏田さんは、どこに食べに行ったんだろ。
きっと、大人っぽくて雰囲気がある店なんだ。
大量生産、大量消費の世の中で、あの二人は似てる。
豆を一粒ずつ手でより分け、チョコの薄い層をリボンに仕立てられる。お互いの技を認め合って、高め合える。
「仲間……だってさ」
私にだって、黒レスラーたちがいる。数えきれないほど。
でも、誰も、相談には乗ってくれない。
「長谷さんが、楽になるんだから、いいこと――だよ」
一緒にご飯に行く――、なんて考えもしなかった。
横浜も、コーヒーも、与えてもらったもので、私から差し出せる物は一つもなかった。
始終、受け入れるだけで、長谷さんを喜ばせることもできなかった。
傍にいて、役に立ちたいという気持ちですら、困らせることになっちゃってる。
荏田さんなら、長谷さんを楽しませられる。
荏田さんと話すときだけに見せた、柔らかい表情。
思い出すたびに、胸の奥が複雑な思いでぐちゃぐちゃになる。
よかった。
長谷さんが、救われているなら。
でも、同時に痛む。
落書きをさせることになったのは私だ。
長谷さんを傷つけたのは、私だ。
――私じゃ、だめなんだ。相棒なのに……。
そんな言葉が、喉までせり上がってきて、飲み込んでもズキズキと痛む。
由依スペシャルを思い出しては自分を慰め、落書きに繋がって落ち込む。
道玄坂と文化村通りを見比べ、より同年代の多い文化村通りからセンター街へと歩き出す。
友達と呼べる相手はいないけど、それでも、同じモノが見えるだけマシな気がする。
大人になれば、相棒じゃないって言われた直後にご飯の約束ができる。
二人にしかわからない何かがある。
ちゃんと社会で働くことが、大人の証拠なら、私はきっと永遠に大人になれない。
カラオケ屋から出て来た団体を避けようとして、道に出ると、視界の端に“黒”が揺れた。
……黒レスラー?
前から来る雑踏の中に、上半身裸の黒いマスクの影がいる気がした。
足が止まる。
まさか――いるはずない。
私が指示を出すまで出てくるわけがない。
見開いた目を、意識的に瞬く。
近寄ってくる男は、由依に気づいていやらしく笑った。
「何、俺に見とれちゃってんの? 君綺麗だね」
話しかけられて、ようやくベージュと黒の切り替えパーカーを着ていることに気が付いた。
片手にスマホを持ち、もう片方の手で由依の肩を触ろうとするのを、身を翻して避ける。
「おい! ちょっと!」
見間違いだ。
ただの、見間違い――。
追い払いたくて、靴屋とカラオケ屋の脇道へと入る。
シンナー臭さが充満し、由依は顔をしかめた。靴屋の壁面には大きな黒い稲妻の落書き。そして、スプレー缶を握ったままの少年がいた。頭に黒レスラーの覆面をかぶっている。
由依を見て、舌打ちをし、足早に去っていく。
あの子たちじゃない――。
安堵が、一瞬で別の恐怖に姿を変えた。
ブラックサイクロンが、私の手を離れ始めてるってこと?
意図せず勝手に広がる模倣。
嘲笑と憧れに似た遊び。
理念から外れたところで広がっても、ただの騒音だ。
誰の心にも届かない。世界なんて変わらない。
若者たちの大きな声が背後で上がり、由依は、俯いていた顔を上げた。
負けてたまるか。
私は、女王様だ。
意識を高め、次の瞬間、軽やかに跳んだ。
コートの裾だけが風を切り、足裏がふわりとビルの壁を蹴って進む。
雑居ビルの屋上に着地すると、渋谷の喧騒が少しだけ遠くなった。
コンクリートが冷え切っていて、靴底から容赦なく冷たさが伝わる。
息が白い。
それなのに、目の周りが脈を打って熱い。
眼下に見下ろす渋谷は、人々の欲望の熱でうごめいている。
ごく一部の富裕層に、この世の仕組みにくそったれと痛みを浴びせたい。
なのに、痛みすら遊びになるのなら、私はどうすればいい?
手に入れたばかりの力を使えば、109のビルも一瞬で粉々にすることだってできる。
力があっても、組織が虚なら、私は空っぽだ。
超人パワーに気が付いてからの五年間。
何もかもを犠牲にしてきた。
そのせいで、大切な人の近くに立つことさえもできない。
「長谷さんの、相棒になりたかった……」
でも、できない。
私は女王様だから。
模倣者も、お遊びも、全てを飲み込んで、もっと高みへ!
背筋を伸ばし、きつく腕を組む。
眼下に見える人々を、いずれみんな黒レスラーにしてやる。
――そう言い聞かせなければ、心が粉々に砕けそうだった。