Have a break? ― ヒーロー店主とヴィランメイド ― 作:藍色 紺
渋谷という街は変わっている。
流行っているモノだけで構成され、その他のモノの価値が薄れる。
一瞬の煌めきを味わうことで生まれる連帯感や仲間意識を由依は味わったことがない。
バカにしてるわけじゃなかったけど……。
ハチ公前広場で、時間を待っていた由依は、人の顔が全部同じ仮面に見えていた。
今、流行っているのは黒だ。
レスラーマスクをつけるのは一部の人で、個性的な人はボンテージを取り入れる。
女王様姿の由依が、一般人に見えるほどで、観光客は写真を撮っている。
何を映しているのか、理解できないくせに。
ビルごとにある大型ビジョンは、それぞれが違う画像を映している。
垂れ流しの情報は、多ければ多いほど信頼に結び付く。
その信頼は金で買収されるってのに。
本当に欲しいモノは何?
そんなモノあるの?
みんな、同じ、同じが正しい。
――みんなと同じようにできないの?
――個性があっていいね。
かけられる言葉は、もうただの音波にしか捉えられない。
「笑っちゃう」
言葉とは裏腹に、頬は微動だにしなかった。
由依の美しい顔が際立ち、誰かれ構わなく声をかける男たちも距離を開けている。
――ネオンの色が、みんな同じ灰色に見えた。
笑ったのは、きっと“女王様”で、私じゃない。
土曜の十八時ぴったりに、由依は手を振り上げた。
合図に、黒レスラーたちがビルの影から、沸いて出た。
「今宵、欲望の街渋谷を、ブラックサイクロンが――ゼロ地点へ戻してアゲル」
言葉の温度を感じさせない声が、冬の渋谷に響いた。
□━━━□
渋谷の街が、まるで巨大な肺のように脈打っている。
これまでで一番の成果だ。
由依は、息をついた。
白いスケルトンビルの屋上に立つ足元から、振動が上へ上へと伝わってくる。
揺れに耐えきれなくなったガラスが一斉に砕けた。破片が光を反射し、舞い落ちていく。それが雪みたいで綺麗だと思った。
叫び声が、音楽みたいに聞こえる。
ようやく、正しい在り方に壊れていく。
「渦巻く欲望、解き放ちなさいな!」
由依は、今度は足元のスクランブル交差点に意識を落とした。
超人パワーで“重さ”に圧をかける。
地面が息をするように、沈み、波のように盛り上がる。
アスファルトが砕け、地下に埋まっていた配管が裂けたのか水が音を立てて吐き出される。
人々は、地震かのようにその場に座り込み、揺れが収まると互いの顔を見合わせた。
不愉快なヴィラン警報が街中から鳴り響く。
黒レスラーたちに追われ、文化村通りとセンター街の向こうから、人々が、駅へ向かって走って来るが、駅からも地上を求めた人々が出てき始め、交錯する。
「――速報です。本日十八時過ぎ、渋谷駅周辺で発生した大規模揺れの影響により、
地下鉄銀座線・半蔵門線の渋谷駅構内で、線路の“沈下”が確認されました」
ニュースマン|大豆戸(まめど)の声のはずなのに、いつもの軽い感じはしない。
「現在までに確認されているのは、天井落下による負傷者多数、線路の歪みによる車両脱線…………脱線……?」
大型ビジョンに、地下鉄車両が縦に押しつぶされた形で停車している画像が映しだされる。
「ふふふ。逆バベルの塔ね」
渋谷は、商業施設のさらに下、地下五階まで路線が貼り巡っている。
積み重ねられた“階層”ごと潰す。
上に立つ者だけが救われ、下ほど押し潰される世界を、ひっくり返す。
渋谷をゼロ地点に生まれ変わらせるために。
由依は、脳内に叩きこんだ地下鉄の路線を辿るように、また一撃、一撃と圧をかけていく。
底を失った道路は陥没し、ビルの外壁がひび割れ、階下へと崩れ落ちる。
人が吸い込まれ、悲鳴と怒号が混じる。
高笑いが喉の奥からあふれた。
黒レスラーたちが“壁”を作るように並び、逃げる人を追い込む。
前方には黒レスラー、背後には陥没した穴、そして、立っていられぬ地面の揺れ。
誰かが転び、将棋倒しになる――群衆が一斉に潰れ合う。
美しい。
醜くて、美しい。
「壊れる音って、こんなに澄んでいるのね」
その瞬間だった。
地上の騒音の中に、聞き慣れたバイクの音が混ざった。
路面を削るような直列四気筒のざらついた低音から、一気に細い咆哮へと伸びていく。
――来た。
視線を下へ落とすと、黒レスラー五人が一瞬で空に跳ね上がり、その中心に、一人の男が立っていた。
白い息がヘルメットから立ち上る。
ブレイカーが怒りに震えている。
その視線で、私という輪郭が浮かび上がる。
快感に身震いし、由依は生唾を飲み込んだ。
「遅かったのね、ブレイカー」
「たどり着けなくてね――」
ブレイカーの声は、いつもの軽さがなく、低かった。
視線が外れた瞬間、ブレイカーは崩れた地下入り口にいた。
中からは煙と、泣き叫ぶ声が聞こえる。
ブレイカーは、地下入り口を塞いでいる瓦礫を取り除いた。中から人々が流れ出る。
――なんで。
胸が跳ねた。
ゆっくりと沈み込んでいく入り口に、ブレイカーが腹ばいになる。
「大丈夫だから! 手を伸ばせ!」
ブレイカーの真上にある巨大看板が、由依の意識と共に物理法則を無視して傾いていく。
音を立て、隣の看板が連動し、今にも落下しそうに揺れ始めた。
真下にいるのは、ブレイカーだ。
落下すれば押しつぶされると気づいているはずなのに、諦めない。
巨大看板が、ぎしぎしと悲鳴をあげた。
ブレイカーの真上で、折れた鉄骨が今にも抜け落ちそうに揺れている。
――避けなよ。
言葉とは逆に、意識的に、看板の重心をさらに傾ける。
その一瞬で、鉄骨が耐えるのをやめた。
落ちる。
ブレイカーは、まだ沈みかけた入口に腕を突っ込んだままだった。
「おい! 乗れ! 早く!」
子供がブレイカーの背中によじ登る。
その上から看板が真っ逆さまに落ちる。
衝撃が地面を揺らした。
粉塵が上がり、人々が悲鳴をあげる。
看板の下で潰れたはずのブレイカーが、壁に背中を押しつけたまま息をついていた。
――庇ったんだ。
頭が、ひどく熱くなった。頭が真っ白になり、女王様としてのセリフが蒸発した。
「なんで……なんで、あなたはそうするの」
声が震えた。
怒りとも、哀れみともつかない、正体のわからない震え。
壊したいのに。
壊さないと、届かないのに。
「わかってよ!」
胸から何かがちぎれるような声だった。
「今、この瞬間に奪われた人がいるんだよ!」
ビルの壁が、女王様の声に応えるようにひび割れた。
ブレイカーが女王様を再び見上げる。
「服を買うとか、おやつを買うとか、コーヒーを飲むとか……そんなの、当たり前じゃない人がいる!」
新しくどこかの地面が崩れ、揺れが伝わる。
ヒカリエへの空中通路がたわみはじめた。
「大切な人を失って、泣いても生きられない人たちがいるの! わかってよ!」
叫びながら、由依は鞭を振り下ろす。
黒レスラーたちは、やっと逃げ出した人々を、黒レスラー化させるのではなく、痛めつける。動けなくなったら、また次の人へ。
「誰もしないなら、私がする!」
自分の声が、世界の奥まで突き刺さるようだった。
由依はもう止まらなかった。
「苦しいって叫べ! 声をあげろ! 誰かが助けてくれるなんて――笑わせないで!」
ヒカリエへの連絡通路をちょうど渡っていた女性が、揺れにしゃがみ込んでいるのがガラス越しに見えた。隣には支え合う男性もいる。
「この世の中、本当はそんな世界じゃない! 見せてあげるよ!」
由依の一振りで、連絡通路が音を立てて崩れた。
途中で折れ、残りが神宮通へと倒壊する。由依の唇が歪んだ。
折れたのは、ちょうど支え合っていた男女の間だった。
女性が断絶した連絡道路の上に残り、半身を乗り出して、落下したパートナーの名を叫ぶ。
「悲しい? つらいよね……泣いちゃうでしょ?」
ブレイカーが倒壊した連絡道路へと駆け寄り、押しつぶされた人を救おうと瓦礫を取り除き始める。
「次が自分なら、泣いていられるのかなぁ」
また地面が揺れ、残った連絡道路が揺れる。女性は連絡道路に這いつくばり、揺れを堪える。
そこに黒レスラーたちが現れた。
下で人命救助にあたるブレイカーに、無残な姿になった女性が投げ入れられる。
由依自身、無数の飛散物で血を流す中、破壊する手が止まらない。
連絡道路の次は、渋谷スクランブルスクエア東棟だ。
意識を集中させ、東棟へと重圧をかける。
東棟が、抵抗するかのような不気味な音を立て始める。
「どうして気づいてくれないの!? 痛いってこんなに言ってるのに! 苦しいの! 痛いんだよぉ!!」
東棟の美しい鏡面壁にひびが入る。
空中回廊にいた人々が、群れとなって逃げ始めた。叫び声が響くが、助けはない。
ほら、やっぱりね。誰にも声は届かない。
いくら叫んでも。
持ってるやつらが悪いんだ。
渋谷は再開発が進み、巨大施設をスカイウェイ回廊がつないでいる。
富の象徴だ。
あくせく歩かせ、より消費させる。
全部壊してやる!
東棟の鏡面ガラスが蜘蛛の巣状に割れていき始めたそのとき――。
群衆の流れに逆らって、ひとりの男が歩いてくるのが見えた。
ブレイカーだ。
由依の瞳が一瞬揺れる。
次の瞬間――
破壊のベクトルがまるで別の生き物のように変わった。
無差別に振り下ろされていた重圧が、ブレイカーの周囲だけを避けていく。
崩れ落ちる瓦礫は、ブレイカーの足元数センチ前で止まる。
ブレイカーが走り始めた。
道路を蹴り、たわむビルの壁面を使って、直線距離で女王様へと向かう。
女王様の前に、ブレイカーが立ちはだかった。
「やめろ……ッ! こんな方法で誰も幸せにはなれない!」
由依は、ブレイカーへと鞭を振るう。
ブレイカーは避けなかった。ライダースーツが破け、血がにじむ。
「これ以上奪うな――、再配布するんだろ?」
鞭が一閃するたびに、ブレイカーのスーツに黒い稲妻型の裂け目が増えていく。
「慈善なんてたかがしれてる! 全部壊すの! 奪われた痛みなしに、変わるわけないのよ!」
「もういい。やめろ。そんな顔すんな」
ブレイカーが、女王様の鞭を手で掴んだ。力任せに引っ張るが、女王様も力を入れた。踏ん張る二人の地面がえぐれる。
「ブレイカー。あなたが守りたがる“正義”なんて、誰かが泣くことでやっと成立してるのよ」
女王様が鞭を引き絞る。ブレイカーと女王様の距離が縮まる。
「壊しましょう。あなたの優しさごと、全部」
ブレイカーは、最初から邪魔だった。
けれど、宣伝には効果的だった。
世の中の人は、正義よりヴィランに興奮する。ブラックサイクロンを目立たせるための道化として利用したまでのこと。
だが、それももうおしまいだ。
ブラックサイクロンは、今日を皮切りに、世界をゼロ地点に変える。
あの夜、この力を得たときに、もう戻れないのはわかっていたのだから――。
父の書斎で見つけた一粒の錠剤を思い出したとき、鞭の引きが止んだ。
刹那、羽交い絞めになった。
ブレイカーだ。
「仮面をはぐ? 殺す? 何とでもすればいい!」
それだけのことをしている自覚はある。
許されない地点へ登ったのだから――。
「殴れねぇよ……。傷ついて泣いてる子供の顔してるじゃねぇか。そんなの放っておけねぇだろ……」
ブレイカーの声が震えていて、女王様は耳を疑った。
「救いたい」
反射的に、女王様が右足でブレイカーの足を踵で踏みつけた。
ピンヒールが折れて、ブレイカーを建物に縫い付ける。
女王様は、ブレイカーの腕から逃れた。
距離を取って、あざ笑う。
近寄れば、傷つけるしかない。
誰にも私に触れさせない。
だから、女王様の恰好を選んだのだから!
誰であっても、私に触れさせたりはしない。
由依は、屋上の縁に立った。ブレイカーを振り返りもしないで、街を見下ろす。
地下深くまでの破壊、火の手が上がり、煙にまみれている。
逃げ惑う人でさえ、黒レスラーに捕まるのだ。
「もはや“災害”とも呼べるレベルの被害が――」
女王様は口角をあげた。
「……長谷さん」
呼んだのか呼んでないのか分からない声が、ビルから滑空する風圧に消えた。
渋谷襲撃?
大成功でしょ。笑っちゃう。
三月の最初の土曜日、渋谷に女王様の高笑いが響いた。