Have a break? ― ヒーロー店主とヴィランメイド ―   作:藍色 紺

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■ 第24話 排除

 歌舞伎町が、異様なほど静かだ。

 

 いつもなら、雑踏のざわめきと、人の耳を刺激する宣伝が絶えず聞こえる。

 今は、逃げる人々の足音だけがアスファルトに吸い込まれている。

 

 誰もスマホを掲げない。

 渋谷襲撃のあと、レンズを向けることすら罪、という空気が街を覆った。

 #富の再分配は、もうどこにもない。

 

 大型ビジョンでさえ、CMを公共の映像にさしかえ、渋谷襲撃関連のニュースだけを流している。

 ネオンは光っているのに、音がまるごと消えてしまったみたいだ。ネズミもカラスも姿を現さない。

 

「こんなの望んでなかっただろ……」

 

 七里は、一番通りに立ち並ぶビルから現れた黒レスラーの群れに対峙する。

 ゆっくり拳を握る。

 まだ、女王様は姿を現していない。来るつもりがあるのか、ないのか。いつもの形はもはやない。

 

 七里は、ほんの一瞬、目を伏せた。

 

 俺は……由依ちゃんと、真正面から向き合ったことがあったか。

 

 ブラックサイクロンなんてやめろと、どうして直接言えなかった。

 バイトと店主の関係が壊れるのを怖がって、肝心なところで逃げた。

 

 戻れるなら――サザンテラスの夜に戻りたい。

 

 言葉を濁した自分を、ぶん殴って、「受け止めろ」と言ってやりたい。

 

 でも、もう戻れない。

 

 

 沈黙を破ったのは、ニュースマン|大豆戸(まめど)の声だった。

 

「たった今到着したのは、制圧部隊のようです――、政府は、ブラックサイクロンを、“テロリスト”に認定し、公共安全確保のため、実力行使は不可避と発表がありました」

 

 声の震えに、七里の臓物が冷える。

 大型ビジョンの映像が一瞬乱れ、ナイトブレイクチャンネルに切り替わる。

(つまんね)(つまんね言うな)(娯楽映画じゃねーんだぞ)

 

「正直、ニュースマン|大豆戸(まめど)も、実況を止めるべきか悩みました……。しかし、現場の真実を伝えなければ……」

 

 通信が途切れた。

(この配信は、削除対象です)

 無味乾燥なゴシック体が残された。

 

 湧き続ける黒レスラーを減らすため、七里は立ちはだかるが、もはや歌舞伎町を埋め尽くすほどの集団に膨れ上がったそれは、まるで一つの生命体のように見える。

 

「ブレイカー! 下がりなさい! 警告する! ブレイカー」

 

 振り返ると、靖国通りにバリケードが貼られ、警察車両が並んでいた。

 サイレンもなく、ただ冷たい拡声器の音だけが、雪のように静かに降り積もってくる。

 

「聞こえているな? ブラックサイクロンは――“排除対象”だ」

 

 排除対象

 その言葉が胸の奥で、鈍く響いた。

 新宿での思想や扇動の規模なら、ここまではならなかった。

 もはや、社会のシステムとして、世から消さることが決まった。

 止められたはずなのに、止められなかった。

 

 黒レスラーたちは、無言のまま、輪を縮める。

 目の奥に、人間の躊躇はない。まるで命令だけで動く、アンドロイドのようだ。

 

 七里は、前に出た。

 最初の一体の肩をつかみ、路地側へ投げ捨てる。

 骨が外壁に打ちつけられて、乾いた音がした。悲鳴は上がらない。

 

 二体目、三体目。

 殴り倒し、押し潰し、蹴り散らす。

 拳の感触だけが、現実を連れてくる。

 

 それでも、終わらない。

 後ろから、脇から、影の列が一定の歩調で増えていく。

 

 きりがないと思った瞬間、息が重くなった。

 

 右足をかばう癖が、攻撃のテンポを狂わせた。

 肩に衝撃。

 腕をつかまれ、引き倒される。

 アスファルトに背中を打ちつけ、肺から空気が漏れた。

 

 黒レスラーたちが、ここぞとジャンプする。ボディプレスが重なる。

 黒レスラーが重なり合ってできた小山が、突然弾き飛んだ。

 飛ばされた黒レスラーが、通りの店に突っ込んで、壊れる。

 

 拡声器が、再び空気を裂いた。

 

「ブレイカー。 これ以上、戦闘を継続すれば――」

 

 一拍、間が置かれた。

 

「君も、排除対象になる」

 

 七里は、笑ってしまった。

 

「……上等」

 

 肩で息をしながら、にじむ汗をぬぐう。

 由依ちゃんを殺すなら、俺も一緒じゃなきゃ、筋が通らない。

 

 後ろに下がる気には、なれなかった。

 喫茶まきで一夜過ごした、翌朝、目が覚めると由依ちゃんは姿を消していた。

 

 “今だけ”って言葉が、どれだけ由依ちゃんを苦しめたか。

 もう、二度とそんな真似はしない。

 

 警察が何か叫んだとき、風が逆巻いた。ビル風でも、爆風でもない。もっと異質なうねり。高層ビルのエスカレーターが急速に上昇するような、飛行機が離陸するときのような感覚に、ネオンが歪む。

 

「来るな!」

 

 思わず叫んだ。

 

 この街は、由依ちゃんを殺すために動いている。

 来てくれるな!

 

 黒レスラーの集団が二手に分かれる。

 その中央を、悠然と歩いてくる影が見えた。

 高いピンヒール、身体のシルエットが浮かび上がるボンテージ、手には鞭のいつもの姿だ。

 

「渦巻く欲望解き放ちなさいな!」

 

 鞭がうなり、突き出し看板が両断される。

 

「目標を確認!」

「射撃準備!」

 

 考えるより先に、身体が動く。

 由依ちゃんの前に立ちはだかる。

 

 由依ちゃんは、俺を見上げた。

 

「退きなさい」

 

 淡々とした声には、感情の温度が全く感じられない。

 こんな風にしたのは俺だ。

 一歩も動くつもりはない。

 

「由依ちゃん、これ以上、罪を塗り重ねないでくれ」

 

 腹をくくって呼んだ名に、由依ちゃんは眉一つ動かさなかった。

 

「社会の正義? 正しいのが好きなのよね。ブレイカー?」

 

 由依ちゃんが、鞭の柄で、俺のヘルメットの喉元をなぞり上げる。インカムがセットされた場所をコンコンと叩いてみせた。

 後ろに乗せた由依ちゃんの体温を否定されたようで、何も言えず、ただ立ちはだかることしかできない。

 

「私は何も間違えてないわ」

 

 由依ちゃんが後方へと距離を取った。

鞭が、空を裂く。

 音よりも速く、しなる影が七里の胸元を掠めた。

 

 反射で腕を上げ、衝撃をいなす。

 骨に響く重さ。

 容赦がない。

 

「……っ」

 

 踏み込み、距離を詰めようとした瞬間、地面が歪んだ。

 重力が、押し潰すようにかかる。

 膝が沈み、足裏がアスファルトに吸いつく。

 ――動けない。

 由依ちゃんは、止まらない。

 

 再び鞭がふるわれる。

 七里は、受けるしかなかった。

 殴れない。

 一方的に守りに回るしかない。

 その矛盾が、身体を鈍らせる。

 

 由依ちゃんは、息を切らせ、攻撃の手を緩めない。

 怒りにも似た光が、目に宿っている。

 

「いつものようにかかってきなさいな」

 

 対等な超人パワーで、戦い合えるのは互いだけだった。

 でも、そんなことできるわけがない。

 

「優しさが壊すモノがあるの、わからないのね」

 

 由依ちゃんが叫んだ。

 さらなる重圧が降ってきた、そのとき。

 

 ――乾いた破裂音。

 

 遠くで、空気が裂けた。

 反射的に、由依ちゃんの腕を掴もうとして、間に合わない。

 

 銃声が、二発、三発。

 高層ビルの屋上からだ。

 

 狙撃――。

 

 弾道が、まっすぐに、女王様を射抜こうとする、その先へ――。

 

 迷いはなかった。

 由依ちゃんの前に、飛び込む。

 

「――!」

 

 衝撃が、肩を貫いた。

 裂けるような痛みが走る。

 

 由依ちゃんが、俺の胸倉を掴んで引き寄せる。

 

 由依ちゃんの目が、わずかに見開かれる。

 だが、すぐに――冷めた。

 

 俺の視線を、由依ちゃんの視線が誘導する。

 俺がいた空間に、ひしゃげた銃弾が二つとどまっている様を見せつけられる。由依ちゃんが視線を逸らすと、足元に落下する音がした。

 

「守りたい? ……無駄よ」

 

 ぐっと、突き放された。

 

「光を見ようとする、あなたに……、私を止めることはできない。アバンギャルドでいてみせる」

 

 温度のない声。由依ちゃんは、もう振り返らない。

 狙撃手の構えるレーザーサイトの中を、平然と歩いて行く。

 七里は、地面に片膝をついたまま、その背中を見つめる。

 

 アバンギャルド――

 画伯なラテアートに、苦し紛れで貼った言葉だ。

 本当は「最前線の精鋭」なんて意味まで、考えてなかった。

 俺の何気ない一言が、由依ちゃんを前線に縛りつけた。

 

 大切にしたかった。

 誰からも傷つけられず、愛されることが当たり前であって欲しかった。

 傷つけるなんてできるわけがなかった。

 

 再び、あの無機質な声が街に落ちてきた。

 

「撃て。――これ以上、被害を出させるな」

 

 赤い照準が、由依ちゃんに再び集まる。

 まるで舞台照明を浴びているかのように、由依ちゃんは、口角を上げた。

 右腕を上げ、構える。

 

「にきびみたいに潰せば終わりって、社会とやらはそう思ってるのよね」

 

 声は、震えていなかった。

 怒りでも、恐怖でもない。

 

 覚悟だ。

 

「いいわ。潰しあいましょ」

 

 由依ちゃんが、腕を勢いよく下げた。

 再び、重圧が周囲のアスファルトを軋ませる。

 

 警察車両の屋根が、音を立てて無残にひしゃげた。

 看板が落下する。

 飛散した金属片が、由依ちゃんを傷つける。

 

「よせッ!」

 

 叫んだところで、何も変わらない。

 黒レスラーに取り囲まれ、由依ちゃんから引きはがされる。

 大きな地震のときのような、空間が歪む鈍い音が響く。もういつ地盤が崩れてもおかしくはない。

 

 七里は叫んだ。

 声のあらん限り、意味不明な声を上げ、黒レスラーたちを押しのける。

 

 俺は誰も救えていない。

 

 渋谷で死んだのは、画面越しの数字じゃなかった。

それなのに、俺は安全な場所から「正義」を名乗っていた。

 

 拳が重い。

 視界が滲む。

 走る足が地面を捉えられない。

 

 守りたいなんて言いながら、本当は壊すのが怖かっただけだ。

 臆病だった。

 

 壊れるくらい抱きしめればよかった。

 

 警察へ圧力をかける由依ちゃんが、今にも壊れそうで、喉の奥が焼ける。声が出ない。

 

 気道を詰まらせた何かを、無理やり引き抜くような声が、腹から出た。

 

 息をつく。

 その時、俺の視界に赤い光が入った。

 

 あ――。

 

 黒レスラーの向こう側で、何かを叫ぶ由依ちゃんが見える。

 伸ばされた手を握りたくて、反射的に腕を伸ばした――。

 

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