Have a break? ― ヒーロー店主とヴィランメイド ― 作:藍色 紺
――乾いた銃声が、空を裂いた。
世界が、わずかに遅れる。
逃げ場がない、と身体が先に知った。
横浜の海、紙コップの白い湯気――
次の瞬間、重力が狂った。
七里の身体が、後ろへ圧力で突き飛ばされ、目の前の道路が陥没する。
衝撃は、来ない。
あるはずの痛覚が、途中で消え失せる。
視界が反転し、黒いレスラーと赤いレーザーの色が混ざり合った。
アスファルトにヘルメットを擦りつけた七里の視界に、ピンヒールが突き刺さる。
「……置いてくなんて、ズルいこと、させない」
小声が降り注がれる。止まりかけていた血が、身体中を巡る。
七里は、勢いよく、身体を起こした。
立ち上がるまでのわずかな時間に、銃弾が二人の手前でピタリと止まり、衝撃で潰れ、落下する。
「置いてく気なんて、|最初(はな)からない」
背中同士が、触れた。
体温に震える。
互いの息が混ざり合い、一歩、同時に踏み出す。
由依ちゃんは、靖国通りに並ぶ警察車両を見る。
俺は、花道通りに広がる、武装した黒い部隊を見た。
銃口も、制圧部隊も、実況できないのにホバリングするドローンも、全てが二人に向けられていた。
視線を合わせる時間はない。
背中の感触だけで、十分だった。
由依ちゃんが、一歩踏み込む。
重力が歪み、前列の盾が吹き飛ぶ。
空いた隙間に、七里が滑り込む。
強引に隊列を崩す。
再装填の音。
由依ちゃんが、鞭を振る。
鞭が弾道をなぞり、銃弾が宙で散った。
七里は、倒れ込む警官を抱え、路地へ転がす。
巻き込ませない。
空気が震え、ビルのガラスが落下してくる。
背中合わせのまま、二人は同時に一歩踏み出した。
次の瞬間、二人がいたはずの場所で、ガラスが砕け散った。
考えるより先に、身体が答える。
離せるわけがない。背後の苛烈な熱を失ったら、終わってしまう。
背中合わせのまま、二人の呼吸が、同じ速さになる。
「壊すしか!」
由依ちゃんの声音が質を変えた。
ドローンが失速し、落ちていく。
先に陥没したアスファルトが、亀裂を広げていく。
大きな音と共に、水がじわりと吹き出した。
この先には、戻れない境界がある。
――やめろ。
嫌な予感に凍り付く。
制圧部隊も、黒レスラーも、逃げ遅れた誰かも――。
すべてが飲み込まれる。
由依ちゃんの深淵へ――。
上げようとする由依ちゃんの右腕を、背後から掴んだ。
訝しげに振り向く由依ちゃんに、首だけで応え、ヘルメットのシールドを上げる。
「それ以上は、守れない」
切れ長の目が、見開かれた。
炎が宿った瞳が、なおも苛烈に光る。
「それをやったら――、もう、俺を選ばないってことだ」
直接、二人で見合った。
時間だけが、やけに重く落ちてきた。
由依ちゃんが、俺のヘルメットに口づけをする。
ヘルメット越しの温度だけが、残った。
「……そう。じゃあ、ブレイカーは敵ね」
腕が勢いよく振りほどかれた。
由依ちゃんは、前に出ていく。
俺は、女王様から離れた。
市民を守るために――。
銃声が響く。
重力のうなりが、街を震わせる。
拡声器は、警告を発しているのか、撤退を発しているのか。
すべてが、重なって崩れる。
背中が寒い――。