Have a break? ― ヒーロー店主とヴィランメイド ― 作:藍色 紺
細い月が南南東にそびえるドコモタワーに引っかかっているように見える。やけに大きく見えるが、光は弱い。
世界有数の歓楽街・新宿には、金で買えないモノはない。
パリでしか買えなかったマカロンも、限定品のスニーカーも、五十三億円の絵もある。
欲望と野望、謀略のるつぼに、あらゆる人種が群がる。
ここ新宿では星や月よりも、イルミネーションの方が目立つ。
そして、欲望に魅せられた蛾は体力を失って死ぬのだ。
七里は、喫茶まきからバイクを飛ばしてきた。
閉店時間が過ぎているのに気付かず、由依を帰せなかったこと。初日から戸締りを任せてしまったこと。
ブラックサイクロンより新しいバイトの方が気になって仕方がない。
大江戸線の大ガードの下をくぐり抜けると、前方に黒レスラーたちが見えた。
思い出横丁から逃げ出した一般人に群がっている。
七里はバイクCBフォアを横倒しに滑らせた。火花がアスファルトに走る。
一瞬、世界が止まり、次の瞬間、黒レスラーたちが紙のように宙を舞う。
路面を走る青い閃光が、ブレイカーの軌跡を描いた。
「黒レスラー達吹き飛ばされたぁ! ブレイカーの登場です!」
(やっとか)(来るなりバイクブレイク)
七里は、大型ビジョンから聞こえる実況を無視し、黒レスラーの中にいた一般人に駆け寄った。
「おっと、間に合ったのでしょうか!?」
(黒レスラー化始まってるんじゃね?)(苦しそう)
ビジョンに、スーツ姿の男が映し出される。
レスラーマスクを被され、ブレイカーの腕の中で、うっすらと目を開けた。
焦点が合った瞬間、男は蹴りを繰り出した。
「いやぁ、変身早いですね!」
(ゾンビより早い)(レスラーマスクの呪いw)(だんだん慣れてきた)
ブレイカーは、すでに三十体の黒レスラーに囲まれている。
「ちっ!」
七里が毒づく。
二人のレスラーが道路標識を引き抜き、襲い掛かってきた。
「そゆことするから、俺がブレイカーなんて呼ばれる!」
ブレイカーは間合いを詰め、道路標識を奪い取った。
標識を振るたび、稲妻の軌跡が街を切り裂き、黒レスラーたちがなぎ払われた。
光の残滓がネオンを上書きし、消える瞬間、彼らのマスクも霧のように溶けていく。
「あぁっと! これは黒レスラーたち、ひとたまりもありません! 次々とふっとばされます!」
(BGMはよ)(痛そう)(来るんじゃね?)
ブレイカーが無双するたび、コメント欄が(来る)の文字で埋まっていく。
「遅いな……」
七里がつぶやいた瞬間、金属を切り裂くような音が鳴った。
七里が持っていた道路標識が真っ二つに裂け、先端が回転しながら宙を舞った。
「ひるむんじゃないよ!」
高い声が響き、ブレイカーの足元に鞭が打ち込まれる。
「出たーーーっ! 深夜の女王・ブラックサイクロン降臨!」
(女王様キター)(脚! 脚!)(お仕置きタイム)
大型ビジョンに、女王様のピンヒールがアップになった。舐めるように下から編み上げブーツで覆われた美脚が映し出される。
ネオンに光沢が冴える。
黒レスラーたちの喜びの奇声が、新宿にこだました。
ピンヒールで転がる元黒レスラーの間を縫いながら、女王様がブレイカーに対峙した。
女王様が腕を左右にふるう。
「女王様の一振りで、両側のビル看板が一刀両断! まるで光のカーテンコール!」
(スポンサー泣くやつ)(だが美しい)
「遅いじゃないか。着替えに手間取ったのか?」
「ふふ、あたしを待っていたの?」
カメラが射貫く編み上げブーツからのぞく太ももの肉のラインに、実況が一瞬詰まった。
「……えー、視聴者の皆さん、こちらはナイトブレイク・チャンネルです」
(まじか)(深夜枠かと)(やわらかい)
女王様がマスクから覗く真っ赤な唇を上げた。
「渦巻く欲望――」
(ふぉぉぉ!!)(煽情的!!)
「解き放ちなさいな!」
女王様が腕を上げると、鞭がうねった。動きは目で追えないほど早い。
ブレイカーが標識の根本を女王様へと投げつけた。
「うぉぉっと! 標識が切り裂ける! その瞬間、ブレイカーの反撃――ロー! ミドル! 決まったぁ!」
(コンボきた)(さすが!)
誰もが決まったかと思った。
「な、なんと! 拳は空振り! いや、違う! 高架の塀にめり込んでます!!」
(お約束)(都営大江戸線止まったな)(賠償金だぞブレイカー)
放射状に塀がヒビ割れていく様子から、カメラワークが空へと移動した。
「女王様、空へ! 三日月の高さまで飛んだ! これぞムーンサルト!」
(100点)(88888)
落下する女王様のピンヒールが闇夜に弧を描き、ブレイカーの脳天に迫る。
ブレイカーは紙一重でかわした。
「あぁっと! 女王様のふくらはぎがブレイカーにかかる! ブレイカー引き倒されました! ここで太ももロックだぁ!」
(やめろぉぉ)(うらやま)
編み上げブーツと切れ込みの入ったボンテージ服の間の生のふとももで、ブレイカーの首を絞める。
「くっ」
もがくブレイカーの腕が胸に挟むように巻き上げられた。
抵抗がなくなった太ももは、さらに頸動脈を絞めあげる。
「ブレイカー、ピンチ! これは――夜の新宿、愛と暴力のサブミッション!」
(大豆戸、嬉しそうだな)(交代したい)
ヘルメットの中で、ブレイカーの視界が狭まっていく。
このままじゃ、落ちる!
「気持ちよく逝かせてア・ゲ・ル」
女王様の声と同時に、由依が脳裏に浮かんだ。
肌の露出を控えたメイド服を着て、恥ずかしそうにロッカーから出てきた姿。
揺れる黒いスカートと純白のエプロンの裾。真っ赤な耳が初々しかった。
そんな由依に女王様のキスマークを拭かせてしまった。
頬にあたる生のふとももの感触も、腕がうずまる胸の柔らかさにも無性に腹が立つ。
ブレイカーが地面を蹴る。
女王様がひっくり返された。
今度はブレイカーが女王様の首に腕を回して引き上げる。
「信念あってのテロなら、顔を隠すな」
ブレイカーの指が、女王様マスクにかかった。
黒レスラーと同じ理屈なら、このマスクをはがせば、女王様も一般人に戻る。
「おっと、ブレイカー、仮面に手を――これは反則スレスレ!」
(マスク剥ぎキター)(リング外案件)(反則て、プロレスかよ)
マスク越しの女王様の目の色が変わった。
しかし、七里は力を緩めない。
女だろうと手加減はしない。やらなければやられる。今までの戦闘で身に染みている。
締め上げるブレイカーの腕を食い止めていた女王様の手が、マスクを守る位置に変わった。
マスクをはがされるなら、失神する方がマシということか。
敵ながらアッパレ。
阻む力を無くした腕が、女王様の首をさらに絞める。
その時、鈍いモーター音がした。
四つのプロペラを回しながら、黒いドローンが二人の傍でホバリングしている。
「おっとぉ! ここで乱入者――いや、乱入ドローンです!」
(邪魔)(他社ドローン!?)(|大豆戸(まめど)おこ)
カメラがズームする機械音がした。
撮られている!?
反射的にドローンを弾き飛ばした。
その隙に女王様はブレイカーの絞め技から逃れる。
「ちっ! 逃がしたか!」
女王様が逃げた道路へと視線を上げると、真横にピンヒールが見えた。
驚いて見上げると、腕を組んだ女王様が居た。
「信念ですって?」
高飛車に顎を突き上げ、女王様がブレイカーを見下ろす。
「それがどうした?」
「富も権力も悪の前にはひざまづく」
「負け犬の遠吠えにしか聞こえない。いつだって正義が勝つ」
(王道きた)(セリフ回しが昭和)(嫌いじゃない)
先ほどの戦いを忘れたのかと、腕を見せつけた。ライダースーツごしでも、筋肉が盛り上がるのがわかる。
「ほざくがいい」
女王様が高笑いすると、白い煙に包まれた。
「煙幕か!」
(撤収モード)(また逃げた)(次回も夜の街で)
黒レスラーの誰かがはった煙幕の中、女王様のシルエットが遠ざかっていく。
その傍らで、またモーター音が聞こえた。ドローンだ。
一体誰が? 何のために?
「残念! 今日も女王様の正体は暴かれませんでした。現場は依然、混乱の渦中です」
(見たいような)(見たくないような)
ここらが引き際だな。
七里は、びっしり並ぶ思い出横丁の店と店の間に入った。
人の気配がないことを確認しながら、次の路地に抜ける間に白いマント(テーブルクロス)を脱ぎ、ヘルメットを外す。
白いマントもヘルメットも、ブレイカーとして目立たせるための道具だ。
外せば、簡単に一般人に紛れられる。
悪は許せない。
けれど、正義を守るために一般人としての生活もしなければならない。
正体を明かせば、損害賠償を起こされかねない。
いつだってヒーロー業と生活の間で板挟みだ。
「――以上、ニュースマン@|大豆戸(まめど)が現場よりお送りしました。ナイトブレイク・チャンネル、この後は天気予報です」
(急に現実)(大豆戸切り替えうま)(来週も観る)
七里は、ドローン音を警戒しながら、足早にその場を離れた。