Have a break? ― ヒーロー店主とヴィランメイド ― 作:藍色 紺
カロンカロンとウィンドウチャイムが鳴った。
慌ててカウンター席から立ち上がる。
「いらっしゃいませ」
由依が笑顔を向けた瞬間、客の目がわずかに光った。
黒縁メガネの奥の視線は、まるでカメラのレンズだ。反射した光で、由依の髪の分け目から爪の形までを舐めるように追ってくる。
「新しい子だね? メイド服は店長が?」
声色は穏やかなのに、言葉の間合いが計算されているように感じた。
トレンチコートを着て、サラリーマンに見える。白髪の頭頂部は薄く、企業戦士という言葉が似あっている。由依の苦手なタイプだ。
返事をせずに席へ案内する。
「いつから?」
「先週です」
「どうしてここで働こうと思ったの?」
矢継ぎ早の質問に警戒レベルが上がる。
席に付く前にトレンチコートを脱ぐと、トレンチコートの下はスーツだった。胸元のポケットにペンをさすのが癖なのか、型崩れしている。
お冷と温かいおしぼりを取りに行って、返事を誤魔化した。
「メイド服が着てみたかったから?」
「ご注文が決まりましたら、お呼びください」
しつこさに笑顔が保てない。頬が引きつる。
答えないのは答えたくないからだっつーの!
おしぼりを乗せていた銀色のトレイを持つ指に力が入る。
トレイを二つ折りにすれば、くだらない質問をやめるかな?
それとも、今ここで黒レスラーにしちゃう? あぁいう企業戦士を仲間にするってのも痛快かも。
衝動を思い浮かべ、鼻からコーヒーの香りを吸った。
ダメ。かわいいメイドさんは、トレイを折ったりしない。
喫茶まきでは、普通の女子高生でいたい。
その為のバイトだ。
「
「
「似合ってるでしょ?」
朗らかに笑う店主は、ウソを微塵も感じさせなかった。
「和田さん、こちらヒイキにしてくださってる大平さん。新聞記者さんなんだ」
「
「動画配信!!」
思ってもみなかった仕事に、思わず声が出た。
「ここのところチャンネル登録者数が増えてきてありがたいよ」
大平は、スーツから名刺入れを出してきた。大平
どうしてニュースマン
|店主は常連だと言っていた。けれど、それすら怪しい。
普段から、あの動画配信には注意していた。あのアップで撮られれば、正体がバレてもおかしくはない。
「それで――、メイドちゃんは、普段はどんな動画を見ているのかな?」
警戒レベルはマックスで、もはや表情を取り繕えている自信はない。
「水くさいじゃないですか。配信の話、初めて聞きましたよ」
「そうだったかな」
「ニュースマン@|大豆戸(まめど)? 聞いたことあるような――。和田さんは知ってる?」
知ってるも何も、バイト直前まで見ていた動画だ。
正体がバレないかどうか。ブラックサイクロンの活動にどう利用してやろうか。毎日考えている。
「長谷君は疎そうだね」
「申し訳ありません」
「メイドちゃんは知ってそうだよ」
「まさか名前を聞いただけでわかるなんて、そんなことあります?」
「ニュースマン@|大豆戸(まめど)は、納豆を千回かき混ぜるとおいしくなるか検証したりする配信者なんですが」
「お、おぅ……」
「最近は、ブラックサイクロンとブレイカーの動画で視聴数を集めてます」
「最新はドローンで撮影した動画で、大手検索サイトの表紙にも出た」
「ナイトブレイク・チャンネル!?」
店長も見たんだ――。
至近距離での映像で、失神寸前の白目も、マスクにかかった指も映っていた。思い出すだけで、頬の引っ搔き傷が痛む。
実は、由依はニュースマン@|大豆戸(まめど)を特定しようとしていた。ニュースマン@|大豆戸(まめど)を、黒レスラー化させれば、ブラックサイクロンの野望である、SNSや動画による世論操作が大幅に捗る。
チャンスだ。
狙われているとも知らずに、大平は嬉しそうに笑った。
「最近じゃ、緊急ヴィラン情報が出るようになったけどね。追いかけ始めた頃は、そんなのなくてね」
「追いかけ始めって、いつからですか?」
店主は注文も取らず、質問する。
「定年退職前だから、五年前だね」
由依は、思わずお冷を入れるコップにピッチャーを当て、音を出してしまった。
想像よりも正確だった。ブラックサイクロンが一般人を黒レスラー化させるようになったのは、六年前。当時は一度に増やせる人数は二、三人だった。
「五年前っていうと、ブレイカーと女王様が出たころですね」
店主の言葉に、大平は顔をほころばせる。
「私は小さいころからヒーローが好きでね! 新聞じゃなく、動画配信を選んだのはブレイカーを追うためなんだ」
結局、人って正義が好きなんだよね。
正しいことをしていれば、救われるとか、社会に認められるとか、そういう“いい子幻想”に酔ってるの。
でも、それって結局、誰か一人だけが得するようにできてるって、どうして気づかないんだろう。
もしかしたら、気づかないフリしてるのかもしれないけど、みんなと同じ方向に流れてれば安心、ってだけ。
その裏で、誰かが悲鳴をあげても、どうせ他人事。
だから、黒レスラーなんてものができちゃうんだけどさ。
大平が、店を出たら、背後から襲ってマスクを被せよう。
企業戦士、ヒーローが好き。
いいじゃない。
正義を振りかざす人ほど、堕ちるときは一瞬。
大平が黒レスラーになるところを想像するだけで、胸の奥が静かに熱くなる。
世論を導くつもりが、今度は私に導かれる――、悪くない。
「ヒーロー好きが高じて、ブレイカーの正体が知りたいってことですか?」
「それだよ! 七里君。あ、ブラジルのホットね」
店主が右手をさすりながら、コーヒーを淹れにカウンターに戻る。
「ブレイカーはヘルメット、ブラックサイクロンは覆面。正体を隠すからこそ好奇心をそそられるってものだよ」
由依は苦手なタイプだと思った大平を見直した。
どうして正体を隠すのか。
昨夜、ブレイカーにも言われた言葉だ。
なら、和田由依が「社会の富をみんなで分配できるようにもっと考えよう!」といえば、みんな話を聞いてくれるだろか?
正体不明の女王様だから、話を聞きたくなる。
ブレイカーこそ、なぜヘルメットをつけたまま戦うのか。聞き返せばよかった。
「でも、バラしたらいなくなってしまう。そう相場が決まっている。鶴の恩返ししかり。――私が知りたいのはね、正体じゃなく、理由だよ」
「理由――、ですか?」
店主が淹れたホットコーヒーを受け取りに、カウンターに戻りながらも、聞き返してしまう。
「ブラックサイクロンが街を破壊し、人々を襲う理由」
この人は、あたし達に理念があるのを理解してくれているんだ――。
思いもよらぬ話に、ホットコーヒーを運んだまま、大平の前で立ち止まった。いつの間にか隣に来た店主と二人で、ホットコーヒーを一口飲む大平を見守る。
「まぁ、一番うれしいのは視聴者の反響だけどねぇ!」
大平が大声で笑いだした。
「新聞よりも圧倒的に読者数が多い! 知ってるかい? 今、ヘルメットにキスマークを入れるのが流行ってるって!」
大平がスマホを傾け、画面をこちらに向ける。
由依は、疑惑を思い出した。
「そういえば、
もしかして、店主がブレイカー――?
一瞬そう疑ったのは確かだ。
あの体つき、動きのキレ、背の高さ。ブレイカーと、まるで同じ。
ヘルメットのせいで声までは聞こえないけど。
でも、あのヘルメットにつけた口紅の色は、――深紅だ。
普段づかいするにはちょっと勇気いるやつ。私が“女王様”として選んだ、特別な色。
誰かとおそろいだなんて、そんなの冗談じゃない。名折れもいいとこ。
「七里君も、ブレイカーの大ファンだからね。真似しちゃうよね」
「「え?」」
「緊急ヴィラン警報が出たら、すぐに見に行っちゃうんだよ。ねぇ?」
店主は頬を指で掻いている。顔は真っ赤だ。
あれ? そんなに恥ずかしがること?
ヴィラン警報が出たらいなくなるのは、店主から聞いてある。だとすれば、恥ずかしいのはキスマークの方?
「じゃあ、女性につけられたって言うのは……」
「え、そんなこと言ったの?」
大平が眼鏡の奥で目を丸くした。店長の顔はますます赤くなる。
「まぁまぁ、そういうことにしておいてあげて」
そういえば、面接のときにそんなことを言っていたかもしれない。
大平の検索画面には、キスマークのシールが貼られたヘルメットはもちろん、スマホやら、腕にまでキスマークのシールが貼られている。
――なるほどね。
キスマークをつけてまで真似したくなるなんて。
私の“ブラックサイクロン”も、たいしたもんじゃない。
そう思うと、ちょっとだけ世界が自分の色に染まった気がした。
つい口元がゆるんでしまう。
それで、つい言葉が出てしまった。
「ブレイカーのファンでヘルメットもお揃いなのに、女王様の口紅をつけちゃうんですね。ぞれじゃあ、女王様のことも好きみたい」
「さっ細部まで凝りたい方なんだよ」
額に汗まで浮かべる店主を見て、由依はくすりと笑った。
案外、ヒーローベルトをコレクションしているのは本当なのかも。
「いいよねぇ。ブレイカーも女王様もさ」
大平が、コーヒーを一口飲み、しみじみと言った。
「女王様も、ですか?」
「あぁ、二人とも超人的なパワーを持っているが、すごいのはそこだけじゃないんだ。卓越した格闘技の連続。そこが我々を魅了する。例えば、女王様は寝技に持ち込むのがお好みだけど」
寝技の話は聞きたくなかった。
生成AIで、誰でも簡単に画像を合成できるようになってから、ちょっと見たくないものまで流れてくるようになった。
止めても、タイムラインが勝手に埋まっていく。
女王様みたいに刺激的な服や、挑発的なポーズが注目されるのはわかる。だって、それを狙ってやってるんだから。
でも、寝技をそんな風に使うのは、違う。私は真剣に――。
「寝技に持ち込むのは、ブレイカーとの体格差を埋めるための戦略だね」
「そうです!」
「そうなんだよなぁ!」
三人で顔を見合わせた。
「パイルドライバーからのスリーパーは効く」
「ベアハッグよりヘッドロックですね」
「和田さんもわかる人だねぇ! ねぇ、今度、女王様対ブレイカーの格闘ゆっくり解説動画を上げたら、需要あると思う!?」
大平が笑いながら身を乗り出してくる。その目は、ただのミーハーには見えなかった。
取材の癖が抜けていないというか、人の心をくすぐるポイントを、本能で探っているような――。
喉元まで出かかった笑みを、そっと飲み込む。
この人、見せ方をわかってる。
それに、“利用価値”も。
大平は、使える。
とりあえず、もう少し泳がせておこっと。